「趣(おもむき)」の解釈について

この記事は「面白い(おもしろい)」の怪しい語源説明への補足です。

omosirosi(おもしろし)は、かつて日本語で心を意味していた*omoと、従来の説の通り明るいことを意味していたsirosiがくっついた語で、心が明るいこと、晴れやかなこと、晴れ晴れとしていることを意味したと述べました。そして、心を意味していた*omoは、現代では中心部分・主要部分・重要部分を表すomona(主な)や思考を表すomou(思う)などの形で残っていると述べました。

景色を見て風情や味わいを感じた時などにomomuki(趣)という言葉が使われますが、これも心がなにかに引かれることと解釈するのが自然でしょう。omomuki(趣)のomoも、かつて心を意味していた*omoと考えられるのです。こうなると、omosirosi(おもしろし)やomomuki(趣)の語源を説明する際に頻繁に引っ張り出されてきた奈良時代の日本語のomo(面)とはなんだったのかということになります。奈良時代の日本語のomo(面)は、顔、正面、前を意味していた語です。

ここから話が少し複雑になります。omosirosi(おもしろし)のomoはかつて日本語で心を意味していた*omoであり、顔・正面・前を意味したomo(面)ではない、omomuki(趣)のomoもかつて日本語で心を意味していた*omoであり、顔・正面・前を意味したomo(面)ではないというのが筆者の主張ではありますが、筆者はかつて日本語で心を意味していた*omoと奈良時代の日本語で顔・正面・前を意味していたomo(面)が無関係であるとは思っていないのです。

*omoは、*muna(胸)とkokoro(心)という新しく入ってきた語によって大きく押しのけられてしまいましたが、その前は心を意味したり、胸を意味したりしていたと思われます。心を意味していた*omoは、kokoro(心)に圧迫されて、中心部分・主要部分・重要部分を表す語や思考を表す語になり、胸を意味していた*omoは、*muna(胸)に圧迫されて、正面・前(さらに顔)を意味する語になったと見られます(人間の体の前側のどこかを意味していた語が一般に正面・前を意味するようになるのはよくあることです。英語のfront(正面、前)も昔は主にひたいを意味していました)。ちなみに、omoからomoteが作られ、uraからurateが作られましたが、現代の日本語ではomote(表)とura(裏)が対を成しています。

*omoは心・胸を意味していたが、新しく入ってきた語に意味を奪われていき、胸を意味していたところから、正面・前・顔という意味が生じてきたと考えると、風情や味わいを意味するomomuki(趣)も、ある場所に向かうことを意味するomomuku(赴く)もよく理解できるかと思います。

kokoro(心)の話をしてきたので、karada(体)のほうにも少し触れておきましょう。

 

補説

maɸe(前)を分解すると・・・

人間の体の前側のどこかを意味していた語が一般に正面・前を意味するようになるのはよくあることだと述べましたが、奈良時代の日本語のmaɸe(前)はma(目)とɸe(方)からできた語です。目のほうという意味です。ɸe(方)は方向を意味する語で、yukuɸe(行方)などにも現れます。このɸe(方)は一体なんでしょうか。

古代中国語にpjang(方)ピアンという語がありました。この語はある時代にɸauという音読みで日本語に取り入れられましたが、それよりも前の時代に別の読みで日本語に取り入れられていたようです。古代中国語のpjang(方)は、現代の日本人ならpianという読みで取り入れそうですが、昔の日本人はpianとも、piaともできないので、peにしそうです(aiとiaがeのようになりやすいことは本ブログでも再三示しています)。

maɸe(前)やyukuɸe(行方)のɸeは、古代中国語のpjang(方)から来ていると考えられます。それだけでなく、助詞のɸe(へ)も、古代中国語のpjang(方)から来ていると考えられます。「東京へ行く」と言う時の「へ」は中国語由来なのです。

usiro(うしろ)の語源は「尻(しり)」の語源を参照してください。