かつての日本語の隣人をよく知る(続き)、日本語の超難問に挑む

(前回の記事の続きです。過去の記事の修正も含まれています。)

「水」を意味していたpataのような語が、「横の部分」を意味するようになったことをお話ししました。

「横の部分」を意味するようになったpataのような語は、ɸata(端)になりましたが、「端」を意味する語は、「終わり」を意味するようになることが多いです。途絶えることを表すpataʔ(ぱたっ)、終わること・終えることを意味するɸatu(果つ)、ɸata(果たす)、ɸate(果て)などがそうです。

ɸatati(二十歳)とɸatuka(二十日)に含まれているɸata/ɸatu(二十)も見逃せません。人間は、手の指が10本、手足の指が20本で、ɸata/ɸatu(二十)は、数えていった時の「終わり」という意味でしょう。

「端」を意味する語は、逆に「始まり」を意味するようになることも多いです。ɸatu(初)がそうです。ɸasi(端)からも、ɸazimu(始む)とɸazimaru(始まる)が生まれました。

ɸatati(二十歳)とɸatuka(二十日)から察せられるように、ɸata(端)という語のほかに、ɸatu(端)という語もありました。この横の部分を意味したɸatu(端)自身は廃れてしまいましたが、ɸaduru(外る)、ɸadure(外れ)、ɸadusu(外す)として残ったと見られます。

「横の部分」を意味するようになった語が、「手・腕」または「羽・翼」を意味するようになるのも、頻出パターンです。pataのような語が、「羽・翼」を意味するようになって、patapata(ぱたぱた)、batabata(ばたばた)、basabasa(ばさばさ)が生まれましたが、「手・腕」を意味することもあったにちがいありません。それは、ɸataku(叩く)という動詞から窺えます。拍手する時のpatipati(ぱちぱち)、指を鳴らす時のpatiʔ(ぱちっ)/patin(ぱちん)、打撃を加える時のbasiʔ(ばしっ)、bisiʔ(びしっ)、bisibasi(びしばし)、pinta(ぴんた)、binta(びんた)なども同源でしょう。

もう一つ指摘しておかなければならないのが、「天(あま)」の語源は「雨(あま)」の語源よりはるかに難しかった、ミャオ・ヤオ語族と日本語の記事でお話ししたaɸu(合ふ)/aɸu(会ふ)(未然形aɸa)のようなケースです。

上記の記事で説明しましたが、上の図のapaは、ここから、「1」を意味することも、「2」を意味することもできるし、「一方」を意味することも、「もう一方」を意味することも、「両方」を意味することもできます。

「2」に近いですが、「対、組、ペア」を意味することもできます。「対、組、ペア」を意味するapa*から生まれたのが、「対になること、組になること、ペアになること」、あるいは場合によっては、「一体になること」を意味する動詞のapu*(未然形apa*)であると説明しました。

上の図のような変遷を、apa*だけでなく、pata*もたどったと見られます。出会うことを表すbattari(ばったり)という語が、そのことを端的に示しています。

pata*の異形であるpita*とpeta*も同様です。pitaʔ(ぴたっ)、pittari(ぴったり)、petaʔ(ぺたっ)、pettari(ぺったり)、betaʔ(べたっ)、bettari(べったり)などにも、上の図のような接触、接合、接着あるいは適合という意味が感じられます(pata*、pita*、peta*はもともと「水」を意味していた語なので、「意味の干渉」が起きて、「濡れている」とか「液状である」という意味が感じられることもあります)。

pitiʔ(ぴちっ)、pittiri(ぴっちり)、bittiri(びっちり)、bissiri(びっしり)も、隙間がないという意味で、仲間です。

「スーツをbisiʔ(びしっ)と着こなす」などと言いますが、なにかを打っているわけではないでしょう。同類の語を見る限り、「隙間がない(隙がない)」→「完璧だ」ぐらいの意味変化でしょう。

battari(ばったり)と形が似ているbattiri(ばっちり)も、当初は「よく合う、ふさわしい、適切だ」という意味だったのではないかと思われます。

apa*が動詞として残り、pata*(異形のpita*やpeta*も含めて)が動詞以外の形で残った点を除けば、両者の変遷はよく似ています。

最後に、雨の図に移りましょう。

「水」→「雨」→「落下、下方向、下」という意味変化の超頻出パターンがあるので、pataのような語も、「雨」や「落下、下方向、下」を意味しようとしたことがあったはずです。しかし、「雨」や「落下、下方向、下」の意味領域では、同源のpotapota、potupotu、potopotoなどがとても強く、pataの存在はあまり感じられません。

しかし、「pataʔ(ぱたっ)/bataʔ(ばたっ)と倒れる、patapata(ぱたぱた)/batabata(ばたばた)倒れる、pattari(ぱったり)/battari(ばったり)倒れる」と言うので、pataのような語が「落下、下方向、下」を意味していたことは間違いありません(ɸetaru(へたる)やɸeta(下手)も同源でしょう。ɸeta(下手)は、「下」を意味する語がそのまま評価を表すようになったと考えられます)。

「水」を意味したpataのような語が、実に様々な意味に変化するのを見てきました。最後に、最難関のɸadi(恥)/ɸadu(恥づ)に挑みましょう。

超難問のɸadi(恥)/ɸadu(恥づ)

ɸadi(恥)/ɸadu(恥づ)なんて「落下、下方向、下」と全然関係ないじゃないかと思われるかもしれません。しかし、そうでもないのです。

ɸadu(恥づ)という動詞の活用を見てみましょう。上二段活用です。

未然形はɸadiで、このɸadiがなにを意味していたのか考えなければなりません。他の語と同様に、padi*という古形が推定されます。

皆さんは、otu(落つ)、otosu(落とす)、otoru(劣る)、otoroɸu(衰ふ)という語を見て、どう思うでしょうか。明らかに、「落下、下方向、下」という意味が感じられます。

では、odu(怖づ)、odosu(脅す)、odoroku(驚く)、odorokasu(驚かす)という語は、どうでしょうか。ちょっと、「落下、下方向、下」という意味は感じられません。

しかし、日本語のsagaru(下がる)が典型的な例ですが、「下への動き」を意味していた語が「うしろへの動き」を意味するようになることがあります。kubomu(くぼむ)やɸekomu(へこむ)にも、似たところがあります。「床がくぼむ、床がへこむ」と言うだけでなく、「壁がくぼむ、壁がへこむ」とも言います。

「下への動き」ではなく「うしろへの動き」、もっと具体的には「人が身を引く動き」を考えると、odu(怖づ)、odosu(脅す)、odoroku(驚く)、odorokasu(驚かす)もしっくりきます(ɸiku(引く)、bikubiku(びくびく)、bikkuri(びっくり)と同じ関係です)。

ここで参考になるのが、英語のshyです。「恥ずかしがり屋の、内気な、引っ込み思案の」という意味です。しかし、これは現代の意味で、昔の英語では、恐れたり、驚いたりする様子を表していました。意味が微妙に変化しています。恐れたり、驚いたりすることと恥ずかしがることは違いますが、身を引く動きが共通しており、そのために、このような意味変化が起きると思われます。

「恐れる」や「驚く」より、「気が引ける」や「気後れする」のほうが、恥の感覚に近いでしょうか。それでもやはり、「うしろへの動き」が感じられます。

「下」を意味する語が、「下への動き」にとどまらず、「うしろへの動き」を意味するようになり、odu(怖づ)、odosu(脅す)、odoroku(驚く)、odorokasu(驚かす)という語が生まれました。

同じように、「下」を意味する語が、「下への動き」にとどまらず、「うしろへの動き」を意味するようになり、ɸadi(恥)/ɸadu(恥づ)という語が生まれた可能性を考えなければなりません。

「下」を意味するpadi*/pati*のような語があったかどうかが、大きな鍵になります。

ここで、朝鮮語に目を向けましょう。

詳しくは、前々回の「天(あま)」の語源は「雨(あま)」の語源よりはるかに難しかった、ミャオ・ヤオ語族と日本語の記事と、前回のかつての日本語の隣人をよく知る、日本語と朝鮮語の間に存在した言語の記事を参照していただければと思いますが、日本語の近縁言語で「水」を意味したpataのような語は、朝鮮語ではpada(海)になり、日本語ではbatyabatya(ばちゃばちゃ)/basyabasya(ばしゃばしゃ)を含む様々な語になりました。日本語の近縁言語で「水」を意味したpataのような語は、「陸地」も意味するようになり、朝鮮語ではpat(畑)パ(トゥ)とpadak(表面)パダ(ク)になり、日本語ではɸata(畑)/ɸataka*(畑)とɸada(肌)/ɸadaka(裸)になりました。

日本語の近縁言語の語彙は、朝鮮語にも日本語にもしっかり入っており、期待が持てます。

「下」を意味するpadi*/pati*のような語があったかどうかが、ポイントでした。

朝鮮語に、padʒiパヂという語があります。現代でもよく使われます。padʒiは、朝鮮の民族衣装の下のパーツを意味していた語です(写真は夢市場様のウェブサイトより引用)。

写真では少ししか見えませんが、男性が下に穿いているのがpadʒiです。padʒiは、今では「ズボン」を意味しています。

日本語の近縁言語で「水」を意味したpataのような語が、「水」→「雨」→「落下、下方向、下」という意味変化の超頻出パターンをたどったことは確実でしたが、やはり「下」を意味するpadi*/pati*のような語があったのです。

「下」を意味するpadi*/pati*のような語が、「下への動き」にとどまらず、「うしろ(あるいは奥)への動き」を意味するようになったのが、ɸadi(恥)/ɸadu(恥づ)のようです。ɸadi(恥)/ɸadu(恥づ)も、英語のshyのように、恐れたり、驚いたりすることを意味していたかもしれません。

※「水」を意味していた語が、「水」→「雨」→「落下、下方向、下」と意味変化した後、「下への動き」にとどまらず、「うしろへの動き」を意味するようになるのは、決して珍しいケースではないようです。「水」を意味していたpataのような語が、「下への動き」で止まってしまったら、「はったり」のような語は生まれないでしょう。「下への動き」にとどまらず、「うしろへの動き」を意味するようになれば、脅すこと・驚かすことを表す「はったり」のような語も生まれます。下に移動させることを意味するotosu(落とす)に続いて、うしろに移動させることを意味するodosu(脅す)が生まれるのと同じです。

日本語と朝鮮語の例を見ると、以下のような構図を考えることが重要だとわかります。

日本語と朝鮮語は残りましたが、圧倒的大多数の言語は消滅しました。しかし、消えていった大多数の言語が残した語彙が、日本語と朝鮮語に蓄積しています。消滅した大多数の言語を考慮に入れないと、言語の歴史は研究できないのです。

かつての日本語の隣人をよく知る、日本語と朝鮮語の間に存在した言語

「生意気(なまいき)」とは何か、誰もが違和感を覚える「舐める」と「ナメる」の記事で「意味の干渉」についてお話しし、タイミングがよいので、日本語の隣人の話をします。

「水」のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言ったり、bat-、bit-、but-、bet-、bot-のように言ったり、pat-、pit-、put-、pet-、pot-のように言ったりしていた隣人です。日本語にとっては、単なる隣人ではなく、近縁関係にある隣人です。

これらの隣人をよく知ることは、非常に重要です。日本語が大陸にいた時に、日本語が中国語と朝鮮語に直接接触しなくても、日本語の隣人が中国語と朝鮮語に直接接触した可能性があるからです(無数の小さい言語が存在していた時代には、後者のほうがはるかに可能性が高いです)。

話の都合上、「水」のことをpataのように言っていた隣人を中心に見ていきます。

「水」のことをpataのように言っていた日本語の隣人が、朝鮮語に出会ったら、どうなるでしょうか。pataは、「水」を意味することができなくなって、「海」を意味しようとするかもしれません。「川」を意味しようとするかもしれません。「雨」を意味しようとするかもしれません。

実際、朝鮮語では、「海」のことをpadaと言います。「川」は、古代中国語のkæwng(江)カウンを取り入れて、kaŋカンと言います。「雨」のことは、piと言います。

pada(海)は、日本語の近縁言語から入った可能性が非常に高いです。pi(雨)は、一音節なので、検討の余地が残ります(しかし、日本語のpityapitya(ぴちゃぴちゃ)、ɸitu(漬つ)(未然形ɸita)、ɸitasu(浸す)、ɸitaru(浸る)などの語から、「水」のことをpitaのように言う言語があったことは確実です)。

日本語のbatabata(ばたばた)とbasabasa(ばさばさ)、batyabatya(ばちゃばちゃ)とbasyabasya(ばしゃばしゃ)のような語を見れば、[t]~[tʃ]~[ʃ]~[s]の間で発音変化が頻繁に起きていたこともわかります([t]は「タ、ティ、トゥ、テ、ト」の類、[tʃ]は「チャ、チュ、チョ」の類、[ʃ]は「シャ、シュ、ショ」の類、[s]は「サ、スィ、ス、セ、ソ」の類です)。

そうであるなら、朝鮮語のmasida(飲む)マシダ(daは動詞・形容詞に付く形式的な要素です)も、「水」のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言っていた日本語の近縁言語から入った可能性が高いです。

※朝鮮語にはmit(下)ミ(トゥ)という語もあり、これも絶対に無視できません。「水」→「雨」→「落下、下方向、下」の超頻出パターンです。

上のpada(海)やmasida(飲む)が非常に重要なのは、「水」→「海」という意味変化、「水」→「飲む」という意味変化がダイレクトだからです。「水」が、いくつもの意味変化を経て、「海」を意味するようになった、あるいは、「水」が、いくつもの意味変化を経て、「飲むこと」を意味するようになった、そういう間接的なストーリーは考えられないのです。日本語の近縁言語が直接、朝鮮語に接したということです。

日本語のumi(海)とuna(海)は、ミャオ・ヤオ系言語から入った語で、nomu(飲む)は、タイ系言語から入った語でした。同じように、朝鮮語のpada(海)は、日本語の近縁言語から入った語で、masida(飲む)も、日本語の近縁言語から入った語のようです。これは、順当と言ってよいでしょう。朝鮮語も、多数の言語が消えていく中で生き残った有力な言語です。遼河文明の影響を受けることがなければ、それは不可能だったでしょう。

要するに、日本語の歴史はもちろん、朝鮮語の歴史を知るうえでも、東アジアの歴史を知るうえでも、日本語の近縁言語を知ることは重要だということです(お話しするのはまだ先になりますが、北ユーラシアの壮大な歴史を知るうえでも、大変重要になってきます)。

日本語の近縁言語を知ることの重要性を認識したうえで、「水」のことをpataのように言っていた言語をクローズアップしましょう。

いざ本題へ

先ほどの図をもう一度貼ります。

まずは、海の図から始めましょう。

「水」を意味していた語が、「海」または「波」を意味するようになるのは、よくあるパターンです。しかし、「海」も「波」も人気の行き先なので、すぐに他の語に占められてしまいます。「海」も「波」も意味できない場合は、どうしたらよいでしょうか。

前に、波に揺られての記事で少しお話ししましたが、「揺れること、動くこと」を意味するようになるのです。陸の上に置いた物は、動かないでしょう。しかし、水の上に浮かんでいる物は、どうでしょうか。ふらふらと動きますね(uku(浮く)(未然形uka)、ukabu(浮かぶ)とugoku(動く)、ugomeku(蠢く)を見ると、似ていないでしょうか)。

日本語にɸataraku(働く)という語がありました。現代のhataraku(働く)とはちょっと違っていました。ɸataraku(働く)の使用例を岩波古語辞典(大野1990)から引いてみます。

  • 「俄かに弓に箭を番ひて、本の男に差し充て強く引きて、『おのれ働かば射殺してむ』と云へば」(今昔物語集)
  • 「死にて六日といふ日の未の時ばかりに、にはかにこの棺働く」(宇治拾遺物語)

上の例は、弓矢を引いて、動いたら殺すぞと言っています。下の例は、死体が入っているはずの棺が動いたと言っています。

これらの例からわかるように、ɸataraku(働く)は、ugoku(動く)と同じ意味でした。

「水」を意味していたpataのような語が、「水」を意味できず、「海」も「波」も意味できず、「動くこと」を意味するようになったのです。

現代の日本語でも、「今、ばたばたしておりまして」などと言いますね。このbatabata(ばたばた)も同じところから来ており、動きまわることを意味しているのです。

zitabata(じたばた)も関係があるでしょう。この語は、「足」を意味するsitaと「動くこと」を意味するpataがくっついたと見られます。日本語では、昔からiとuの間の発音変化が盛んで(一年ぶりの記事、まずは昔の話題の続きから、ついにベールを脱ぐミャオ・ヤオ語族を参照)、sutasuta(すたすた)という語が残っているので、sitaが「足」を意味することもあったと考えられます。

dotabata(どたばた)も、騒がしく歩くあるいは走ることを表すdotadota(どたどた)があるので、「足」+「動く」でしょう。

ɸataraku(働く)と同様に、ɸatameku(はためく)も、「動くこと」を意味していたはずです。しかし、ɸatameku(はためく)という動詞では、「意味の干渉」が強く起きているように見受けられます(「意味の干渉」については、「生意気(なまいき)」とは何か、誰もが違和感を覚える「舐める」と「ナメる」を参照)。

左のɸataに、右のɸataが干渉してきます。その結果、ɸatameku(はためく)は、かつてのように自由に動きを表すことはできず、旗のような動きしか表せなくなったのです。

ちなみに、ɸata(旗)はどこから来たのでしょうか。

奈良時代の日本語には、ɸata(旗)のほかに、ɸata(機)という語がありました。ɸata(機)は、布を織る機械です。「布を織る」とは、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を組み合わせて布を作ることです(図は藤岡糊付所様のウェブサイトより引用)。

要するに、ɸata(機)とは、糸から布を作る機械です。

ɸata(旗)とɸata(機)には、「糸」が共通しています。

現代人は、ほとんど完成品を買うだけですが、昔の人にとっては、糸から布、布から服に至るプロセスはもっと身近であったと考えられます。そのプロセスを自分で行わないとしても、身近にいるだれかが行うのを見ていたでしょう。糸の状態でも、布の状態でも、服の状態でも、kinu(絹、衣)という語が使われていましたが、これも、全く違和感のないことだったのでしょう。

豊富な糸関連の語彙の中で、ɸataは「糸」を意味しようとしたが、他の語に押され、糸から作られる織物(ɸata(旗))と、糸から織物を作る機械(ɸata(機))を意味するようになったと見られます。

「水」を意味していた語が「糸」を意味するようになるのは、頻出パターンです。「水」を意味していた語が、「(水と陸の)境」を意味するようになり、「境」を意味していた語が、「線状のもの」を意味するようになるのです。「水」を意味していたpataのような語も、このパターンをたどったと見られます。

ミャオ・ヤオ系言語で「水」を意味したam、an、aŋ、um、un、uŋ、om、on、oŋのような語は、amu(編む)(未然形ama)、ami(網)になったと考えられます。タイ系言語で「水」を意味したnam、nim、num、nem、nomのような語は、日本語の糸関連の語彙を見る限り、naɸa(縄)、naɸu(綯う)(未然形naɸa)(糸などをねじり合わせる作業)、nuɸu(縫ふ)などになったのではないかと思われます。三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)が指摘しているように、niɸiname(新嘗)がかつてniɸinami、niɸinaɸe、niɸinaɸiと呼ばれていたことを考えれば、namのmの部分がbになるだけでなく、p(またはɸ)になることもあったと考えられます。一般に、m~b~p(またはɸ)の間は発音変化が起きやすいところなので、そう考えることに無理はありません。むしろ、m~bの間でだけ変化が起きて、b~p(またはɸ)の間では変化が起きないと考えるほうが不自然です。niɸiname(新嘗)というのは、神に新穀を捧げて収穫を感謝し、自らもそれを食べる古来の儀式のことです。

※ミャオ・ヤオ語族から日本語にuna(海)という語が入りましたが、この語も「動くこと」を意味するようになったようです。まずは、uneru(うねる)です。現代でも「海のうねり」と言いますね。水の上に浮かんでいる物がふらふらと動いているところを想像していただければと思いますが、特に向きを変える動きを意味しやすいようです。uneune(うねうね)がまさにこれです。

ややわかりにくいのが、unagasu(促す)です。英語で「促すこと」をurgeと言ったり、promoteと言ったりします。urgeも、promoteも、昔は今ほど抽象的ではなく、「前に押すこと、前に動かすこと」を意味していました。日本語のunagasu(促す)もこれです。ただ、かつて存在したはずの自動詞のunagu*が完全に消えており、他動詞のunagasu(促す)だけが残っているので、わかりにくくなっています。

次に、川の図に移りましょう。

これは、「水」を意味していた語が、横の部分を意味するようになるパターンです。

「水」を意味していたpataのような語が、横の部分を意味するようになり、日本語のɸata(端、辺)になったことは、すでにお話ししました。そこで終わらず、ɸata(畑)/ ɸatake(畑)(古形ɸataka*)やɸada(肌)/ɸadaka(裸)にもなったという、びっくりする話もしました(前回の記事を参照)。

ここでは、それ以外の話をしましょう。

「水」を意味したpataのような語は、奈良時代の日本語のɸata(端)とɸasi(端)からわかるように、あまり変わっていない形で日本語に残ることもあれば、大きく変わった形で日本語に残ることもありました。たどってきた経緯が少し違うということです。ɸati*やɸasa*のような形もあったでしょう。

「水」を意味していた語は、「陸地」を意味するようになることがありますが、「水と陸の境」を意味するようになることもあります(先ほどお話しした、「糸」を意味しようとしたがそれができなかったɸata(旗)とɸata(機)も、この後者のケースです)。

ややこしいことに、この「水と陸の境」を意味する語が、「間」を意味するようになることがあるのです。

実際、奈良時代の日本語には、ɸasi(端)という語のほかに、もう消滅しかかっていましたが、ɸasi(間)という語がありました。

「端」を意味する語がɸasiで、「間」を意味する語がɸasiだと、さすがに都合が悪いです。だから、ɸasi(間)は消滅しかかっていたのでしょう。消滅しかかったɸasi(間)はどうやら、両岸の間に設置されるɸasi(橋)になったようです。昔の日本人は、現代なら「はしご」や「階段」と呼ぶようなものまで、ɸasi(橋)と呼んでいました。隔たりのある二地点の「間をつなぐもの」という認識だったのでしょう。

ɸasi(間)のほかに、ɸasa*(間)という語もあったと思われます。

ɸasi(端)とɸasi(間)よりはましですが、ɸasi(端)とɸasa*(間)も紛らわしいです(しかも、ɸata(端)もあります)。

ɸasi(間)は、ɸasi(橋)になって生き残りましたが、ɸasa*(間)は、類義語のma(間)を結合し、ɸasama(はさま)として生き残ったようです。ɸasama(はさま)から、ɸasamu(はさむ)、ɸasamaru(はさまる)、さらにɸasami(はさみ)ができ、ɸasama(はさま)自身は、ɸazama(はざま)と濁りました。

ɸasi(間)は、場所を意味するta(konata(こなた)やkanata(かなた)のta)を結合して、「間」という意味を保とうとしたこともあったかと思われます。その名残が、中途半端であることを意味したɸasita(はした)です。「はした金」はもともと、中途半端なお金のことでした。今では、わずかなお金を意味するのが普通でしょう。

ɸasitanasi(はしたなし)も関係がありますが、もっと難しいです。忙しいことを意味するseɸasi(せはし)にnasi(なし)がくっついて強調されたのがseɸasinasi(せはしなし)ですが、それと同様に、中途半端であることを意味するɸasita(はした)にnasi(なし)がくっついて強調されたのがɸasitanasi(はしたなし)です。このnasi(なし)は珍しいですが、奈良時代からありました。中途半端であることから「なっとらん(成っていない)」となり、「なっとらん(成っていない)」が強調されたのが、ɸasitanasi(はしたなし)です。無作法であるという意味です。

「水」を意味していたpataのような語も、ずいぶん遠くまで来たものです。

※おそらく、ɸasi(箸)も今回の話に無関係ではないでしょう。「間」を意味したɸasama(はさま)からɸasami(はさみ)が生まれたことを考えると、ɸasi(箸)の背後にもɸasi(間)があると思われます。同じɸasi(間)から生まれたɸasi(橋)とɸasi(箸)がなぜ異なるアクセントを持つようになったのかということですが、ɸasi(橋)とɸasi(箸)は全く別の物であり、経緯が少し違うのでしょう。ɸasi(橋)とɸasi(箸)が同じ場所で同時に生まれたとは考えづらいです。筆者が生まれ育った関東では、「橋」は「し」にアクセントを置き、「箸」は「は」にアクセントを置くのが普通ですが、関西では、「橋」の「は」にアクセントを置き、「箸」の「し」にアクセントを置く逆のパターンを耳にします。

(続く)

 

参考文献

大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

「天(あま)」の語源は「雨(あま)」の語源よりはるかに難しかった、ミャオ・ヤオ語族と日本語

筆者にとって、ama*(雨)とama*(天)はずっと気になる存在でした。この二語は、関係がありそうでもあり、関係がなさそうでもあります。

これまでの記事で示してきたように、「水」→「雨」→「落下、下方向、下」という意味変化の超頻出パターンがあるので、ama*(雨)は理解しやすいです。それに比べて理解しづらいのが、ama*(天)です。

結論から言うと、ama*(天)の語源は大変意外です。*ama(天)は、ama*(雨)とは全然違う歴史を持っています。ama*(天)の意外な語源をこれからお話ししますが、その前にミャオ・ヤオ語族の語彙をもっとよく見ておきましょう。

ミャオ・ヤオ語族で「水」を意味したam、an、aŋ、um、un、uŋ、om、on、oŋのような語が日本語に入り、ama*(雨)、umi(海)、una(海)などになったのでした。

当然、奈良時代の日本語のamu(浴む)も、ここに属します。

奈良時代には、abu(浴ぶ)ではなく、amu(浴む)という形が一般的でした。よくあるmとbの間の発音変化です。

bとpまたはɸの間の発音変化も起きやすいです。奈良時代にはaburu(溢る)という形が一般的でしたが、のちにaɸuru(溢る)という形が一般的になりました(現代の日本語には、abureruとahureruという形で両方残っています)。水が荒れ狂ったり、外に出てしまうところから来ているのが、amaru(余る)であり、abaru(暴る)であり、aburu(溢る)です。

唇のところで作る音として、m、b、p、ɸのほかに、wも忘れてはなりません。奈良時代の日本語のawa(泡)、awi(藍)、awo(青)も、明らかに水関連です。

ミャオ・ヤオ語族で「水」を意味したam、an、aŋ、um、un、uŋ、om、on、oŋのような語は、am-という形だけでなく、ab-、ap-、aɸ-、aw-という形でも日本語に残ったということです。溺れていることを表すappuappu(あっぷあっぷ)の語源も、間違いなくここです。

以下の音の間で発音変化が起きやすいことは、頭に入れておかなければなりません。

(ヨーロッパの言語だったら、fとvも考えなければならないところですが、東アジアでは、fとvは一般的ではありません。)

しかし、明らかに水と関係がある上記の語彙に比べると、ama*(天)はなんとも微妙です。ちなみに、奈良時代の日本語には、aɸugu(仰ぐ)という語もありました。aɸugu(仰ぐ)は、もともと上を見ることを意味し、のちに尊敬すること、さらに目上の者になにかを請うこと・求めることを意味するようになりました。aɸugu(仰ぐ)のaɸuは、aɸumuke(仰向け)にも組み込まれているように、「上」を意味し、その古形は日本語の発音の定説によりapu*と推定されます。

ama*(天)とapu*(上)は、形的には上のama*(雨)、appuappu(あっぷあっぷ)、aburu(溢る)、aɸuru(溢る)などとぴったり合いますが、意味的になかなか「水」に結びつきません。

ここから意外な展開に・・・

「水」→「雨」→「落下、下方向、下」という意味変化の超頻出パターンがあるので、「下」を意味する語は簡単に理解できますが、「上」を意味する語はどうしたものかと、筆者もずいぶん悩みました。

筆者の頭に、ある考えがひらめいたのは、uɸe(上)の語源についてあれこれ考えている時でした。ヒントをくれたのは、本ブログでよく引用している三省堂時代別国語大辞典上代編でした。時代別国語大辞典上代編は、奈良時代の日本語のuɸe(上)とkami(上)を比較して、以下のように述べています(上代語辞典編修委員会1967)。

シタに対応するウヘという語が、表面・人の目に触れる所をさすのに対して、カミ・シモは一つづきのものの上下の位置をあらわし、土地の高い所、川の上流、ある地域で中央に近い所、あるいは人間関係における長上を示す。

三省堂時代別国語大辞典上代編には、本当にお世話になっており、感謝しかありません。時代別国語大辞典上代編が指摘しているように、奈良時代の日本人は、uɸeを「上」と書くだけでなく、「表」とも書いていました。

「水」→「雨」→「落下、下方向、下」という意味変化の超頻出パターンがありますが、ここからさらに、「下」→「穴」という意味変化のパターンがあったことを思い出してください。

穴があると、以下の図のようになります。

言われてみると、どうってことないのですが、穴があると、青い部分と赤い部分に「上下関係」が発生するのです。

つまり、今まで「陸地」を意味していた語に、「上」という意味が生じるのです。ミャオ・ヤオ語族で「水」を意味したam、an、aŋ、um、un、uŋ、om、on、oŋのような語は、「雨」を意味するようになったが、その一方で、「陸地」も意味していたということです。筆者がいつも描いているあの図です。

水を意味していた語が、その横の部分を意味するようになるパターンです。「水」を意味していたamaが、「陸地」を意味するようになり、上で説明した過程を経て、「上」を意味するようになるのです(水を意味していたapuも同様です)。これが、日本語のama*(天)の語源です。

前回の記事で、無関係な二語としてkawa(川)とkawa(皮)を挙げましたが、実は、kawa(川)とkawa(皮)には関係があります。

「水」を意味していたkapaのような語は、「川」を意味するようになったが、その一方で、「陸地」も意味していたのです。このkapaのような語が、上で説明した過程を経て、「表面」を意味するようになったのです。これが、日本語のkaɸa(皮)の語源です。

奈良時代の日本人は、体の表面部分のことを、kaɸa(皮)と言うこともあれば、kaɸabe(皮)と言うこともありました。このkaɸa(皮)とkaɸabe(皮)は、kaɸa(川)とkaɸabe(川辺)と同源なのです。

奈良時代の日本人がなぜuɸeを「上」と書いたり「表」と書いたりしていたのか、理解できたでしょうか。uɸa*(上)もuɸabe(上辺)も、元を辿れば、ミャオ・ヤオ語族で「水」をしたam、ab、ap、aw、um、ub、up、uw、om、ob、op、owのような語から来ているのです。

kaɸa(皮)の語源が上の通りなら、ɸada(肌)の語源も俄然怪しくなってきます。

batyabatya(バチャバチャ)、basyabasya(バシャバシャ)、ɸata(辺、端)、ɸata(畑)などの語から、「水」を意味していたpataのような語が、「陸地」を意味するようになったことがはっきりと窺えるからです(日本語に近縁な言語が、「水」のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-と言ったり、bat-、bit-、but-、bet-、bot-と言ったり、pat-、pit-、put-、pet-、pot-と言ったりしていたということです)。

「水」を意味していたpataのような語が、「陸地」を意味するようになり、上で説明した過程を経て、「表面」を意味するようになったと考えられます。これが、日本語のɸada(肌)の語源です。

ここで、ちょっと気になることがあります。先ほどɸata(畑)という語を挙げましたが、ɸatake(畑)という形もあります。ɸatake(畑)のkeは乙類なので、ɸataka*(畑)という古形が推定されます。

このɸata(畑)とɸataka*(畑)は、いわくありげです。なぜなら、ɸada(肌)とɸadaka(裸)という語があるからです。この関係は、先ほどのkaɸa(川)とkaɸabe(川辺)、kaɸa(皮)とkaɸabe(皮)の関係を思い起こさせます。

以下のようなことがあったのではないかと思われます。

まず、「水」を意味するpataのような語があります。そして、この語が横の部分を意味するようになります。

その一方で、「水」を意味するkapaのような語があります。そして、この語が横の部分を意味するようになります。

ɸata(辺、端)とkaɸa(側)という語が実在するわけですから、上の変化は実際にあったと考えられる変化です。

ɸata(辺、端)のほかに異形と見られるɸeta(辺、端)という語もあり、このɸata(辺、端)とɸeta(辺、端)は、特に複合語でɸaとɸeに短縮されていました。ここから来ているのが、kaɸaɸe(川辺)やumiɸe(海辺)です(のちにkaɸabe(川辺)とumibe(海辺)が一般的になります)。

上のような短縮はよく起きており、midu(水)とumi(海)も、特に複合語でmiとuとして現われることがありました。おそらく、kaɸa(川)(あるいはkapa*(川))も、特に複合語でkaとして現われることがあったのではないかと思われます。

なにが言いたいかというと、左下の「水」を意味したkapaのような語と、右上の「横の部分」を意味したpataのような語が組み合わさって、短縮したのが、kaɸabe(皮)であり、左上の「水」を意味したpataのような語と、右下の「横の部分」を意味したkapaのような語が組み合わさって、短縮したのが、ɸadaka(裸)ではないかということです。ɸataka*(畑)も、ɸadaka(裸)と同様です。

「下」を意味する語の語源に比べると、「上」を意味する語の語源は、なんというか、トリッキーですね。筆者も驚きました。

ポイントは、「水」を意味していた語が、「陸地」を意味するようになり、上で説明した過程を経て、「上」または「表面」を意味するようになるということです。

※今回の記事では、ama、pata、kapaが水の横の部分を意味するようになる場面が出てきました。

上の語はどことなく、amu(虻)(のちにabuに変化)、ɸati(蜂)、ka(蚊)を思わせます。おそらく、偶然ではないでしょう。

真ん中のpataを見てください。「横」を意味しています。そして、日本語にpatapata(パタパタ)、batabata(バタバタ)、basabasa(バサバサ)という語があります。「横」を意味していた語が、「羽、翼、飛ぶ」の意味領域に進出するのだろうなと察しがつきます。ɸato(鳩)の語源もここでしょう。

上の構図に当てはまらないのは、ɸaɸe(蝿)です。ɸaɸe(蝿)のɸeは乙類なので、ɸaɸa*という古形が推定されます。動詞のɸaɸu(這ふ)から来たのでしょう。

蝿は、確かに飛びますが、食べ物の表面に付着して這いまわるイメージが強いのでしょう。ちなみに、英語のfly(飛ぶ)とfly(蝿)は同源です。

 

補説1

過去の記事の修正、aɸu(合ふ)とaɸu(会ふ)

日本語のaɸu(合ふ)とaɸu(会ふ)については、このブログを書き始めた頃に、全く見当違いの説明をしてしまったので、ここで修正させてください。

奈良時代の日本語のaɸu(合ふ)は、四段活用です。

未然形はaɸaで、このaɸaがなにを意味していたのか考えなければなりません。他の語と同様に、apa*という古形が推定されます。

ミャオ・ヤオ語族で「水」を意味したam、am、an、aŋ、um、un、uŋ、om、on、oŋのような語が、am-という形だけでなく、ab-、ap-、aɸ-、aw-という形でも日本語に入ったという話をしました。日本語の語彙を見る限り、以下のような構図があったと見られます。

「水」を意味していた語が、「横の部分」を意味するようになったところです。本ブログでお話ししてきたように、ここから、「1」を意味することも、「2」を意味することもできるし、「一方」を意味することも、「もう一方」を意味することも、「両方」を意味することもできます。

「2」に近いですが、「対、組、ペア」を意味することもできます。apa*は「対、組、ペア」を意味していて、それから作られた動詞のapu*は「対になること、組になること、ペアになること」、あるいは場合によっては、「一体になること」を意味していたと見られます。抽象的な図ですが、なにかが二つあって、それが以下のようになることを意味していたと見られます。

例えば、磁石のN極とS極だったら、こうなりますが、N極とN極だったら、こうはなりません。前者の場合には、「aɸu(合ふ)」と言い、後者の場合には、「aɸanu(合はぬ)」と言うわけです。

補助動詞として使われたaɸu(合ふ)は、動作がいっしょに行われること、動作が双方向に行われることを意味していましたが、これは、apa*が「対」を意味し、aɸuが「対になること」を意味していたことを考えれば、納得できるでしょう。

二者が接近することあるいは接近していることを意味したaɸi(合ひ)と場所を意味するta(konata(こなた)やkanata(かなた)のta)がくっついたのが、aɸida(間)でしょう。

奈良時代の日本語には、aɸu(合ふ)のほかに、aɸu(敢ふ)という動詞もありました。現代でも、多少無理をする時に「敢えて」と言いますね。aɸu(敢ふ)は、下二段活用です。

aɸu(敢ふ)は、なにかに対抗すること・抵抗することを意味していました。この動詞も、上のapaの図から来たと考えられます。

apaの図のところで、「1」を意味することも、「2」を意味することもできるし、「一方」を意味することも、「もう一方」を意味することも、「両方」を意味することもできると述べました。この中の「もう一方」から、「反対」や「逆」のような意味が生まれてくるのです。だから、aɸu(敢ふ)という動詞は、対抗・抵抗という意味を持っていたのです。

例えば、saka(逆)もこのパターンです。

saka*(酒)から、「水」を意味したsakaのような語があったことが窺えます。この語が「横の部分」を意味するようになります(水と陸の境界を意味するsaka(境)にもなりました)。ここから、「一方」を意味することも、「もう一方」を意味することも、「両方」を意味することもできますが、実際には、「もう一方」を意味するようになり、「反対」や「逆」のような意味が生まれてきます。これが、saka(逆)の語源です。反対側、反対方向、逆側、逆方向を意味します。sakaɸu(逆ふ)とsakaru(逆る)という動詞も作られましたが、これらは廃れてしまいました。

「水」を意味する語から「反対」や「逆」のような意味が生まれてくるのも重要なパターンなので、覚えておいてください。

 

補説2

kabu(頭)とkaube(頭)

今回の記事のkaɸa(川)とkaɸabe(川辺)、kaɸa(皮)とkaɸabe(皮)に関連して、もう一つ気になることがあります。

それは、kabu(頭)とkaube(頭)です。

前に、「頭(あたま)」の語源、仇(あだ)の意味に関する考察からという記事を書きましたが、atama(頭)という語が現れるのは、室町時代からで、しかも最初は、頭というより、赤ん坊の頭の前のほうに見られるへこみを意味していました。室町時代より前に頭を意味していた語はいくつかありますが、その中にkabu(頭)とkaube(頭)がありました。

kabu(頭)は奈良時代からあり、kaube(頭)は平安時代から現れます。平安時代は、語中のɸがwに変化した時期です。ただ、この変化によって、kaɸaはkawaになることができますが、kaɸuはkawuになることができません。日本語にwuという音はないからです(末尾の注も参照)。kaɸuはkauにならざるをえません。

現代の日本人がgabunomi(がぶ飲み)、gabugabu(がぶがぶ)と言っていることから、「水」を意味するkapu*という語があったと考えられます。「水」を意味するkapa*の異形でしょう。

kapa*のほうは、kaɸaとkaɸabeになり、「陸地」を意味するようになりました。kapu*のほうも、kaɸu*とkaɸube*になり、「陸地」を意味するようになったら、どうでしょうか。「陸地」を意味していた語が「表面」または「上」を意味するようになるのは、頻出パターンです。

kaɸaとkaɸabeは、「表面」を意味するようになり、さらに「皮」を意味するようになりましたが、kaɸu*とkaɸube*は、「上」を意味するようになり、さらに「頭」を意味するようになったのではないかと思われます。

「下」を意味していた語が「足」を意味するようになり、「横」を意味していた語が「手、腕」を意味するようになるのが人類の言語の超頻出パターンなら、「上」を意味していた語が「頭」を意味するようになるのは自然です(「真ん中」を意味していた語はonaka(お腹)になっています)。

kaɸu*とkaɸube*の場合は、発音の変化がちょっと複雑で、kaɸu*が濁ってkabu(頭)になった時に、kaɸube*は濁ってkabube×にならなかったと見られます。kaɸube*のまま残ると、平安時代の変化でkawube×になることができず、kaube(頭)になります。

※奈良時代の時点で、wa、wi、we、woはありましたが、wuはありませんでした(一般に、人類の言語において、wという子音は消滅しやすいです)。奈良時代の日本語には、uu(植う)とuu(飢う)という語がありました。

昔の日本語は母音の連続を許さなかったので、uu(植う)とuu(飢う)は異例です。おそらく、uwu*という古形があったでしょう。

ミャオ・ヤオ語族で「水」を意味したam、an、aŋ、um、un、uŋ、om、on、oŋのような語が、am-、um-、om-という形だけでなく、ab-、ap-、aw-、ub-、up-、uw-、ob-、op-、ow-という形でも日本語に入ったことをお話ししました。uu(植う)とuu(飢う)の未然形のuweも、そこから来たと見られます。「水」→「雨」→「落下、下方向、下」の超頻出パターンです。

uweは「下」を意味していて、そこから「地下・地中」を意味するようになってできたのがuu(植う)(古形uwu*)で、「衰弱すること、死ぬこと」を意味するようになってできたのがuu(飢う)(古形uwu*)でしょう。英語のstarveは、「死ぬこと」を意味していましたが、意味が特殊化し、「餓死すること、飢えること」を意味するようになりました。日本語のuu(飢う)も、このパターンと考えられます。

 

補説3

kabu(頭)と関係がありそうなkabuto(かぶと)

kabu(頭)と無関係とは思えない語として、kabuto(かぶと)があります(kabuto(かぶと)のtoは、甲類と乙類の間で揺れていました(上代語辞典編修委員会1967)。筆者には、このことも非常に重要に思われます)。kabu(頭)とkabuto(かぶと)は、無関係とは思えないですが、どういう関係があるのかは難問です。

しかし、今回の記事で見たkaɸa(皮)とkaɸabe(皮)、ɸada(肌)とɸadaka(裸)などのケースが参考になると思います。

上で説明したように、kabu(頭)は、gabunomi(かぶ飲み)/gabugabu(かぶがぶ)から、もともと「水」を意味していたと推測されます。問題は、kabutoのkabuの部分ではなく、toの部分です。以下のようになっていた可能性が高いです。

※上の図のkabuは、kaɸu*であったかもしれません。いずれにせよ、kaɸa(川)と同源です。

kabuは「水」を意味し、toは「横の部分」を意味していただろうということです。

minato(港)の語源は、伝統的に、「水」を意味するmiと、noと同じ働きをする助詞のnaと、「門」を意味するtoと説明されてきましたが、toを「門」と決めつけるのは問題です。

奈良時代には、to(門)という語だけでなく、場所を意味するto(処)という語もありました。

minato(港)は、「水」を意味するmiと「横の部分」を意味するtoがくっついたもので、水に隣接する場所と解釈したほうが、minato(港)以外の語彙も理解しやすいのです。

例えば、yamato(大和)です。前方後円墳とは何だったのか、その始まりも重要だが、その終わりも重要の記事で、巨大前方後円墳が続々と作られ始めた場所を見ました。同記事の地図を見れば一目瞭然ですが、日本という国の発祥の地は、もろに三輪山の麓にあります。yamato(大和)は、「山」を意味するyamaと「横の部分」を意味するtoがくっついたもので、「山際」だったのだとわかります。

minato(港)のtoは甲類で、yamato(大和)のtoは乙類です。これも非常に重要です。kabuto(かぶと)のtoも、甲類と乙類の間で揺れていたからです。「(水の)横の部分」を意味するtoという語があったが、このtoは甲類と乙類の間で揺れていたということです。

「水」を意味するkabuと「横の部分」を意味するtoがくっついてkabutoができ、「陸地」を意味していたが、今回の記事で説明した過程を経て、「上」を意味するようになり、さらに「頭」を意味するようになったのです。

kabu(頭)とkabuto(かぶと)は、今回の記事で見たkaɸa(皮)とkaɸabe(皮)、ɸada(肌)とɸadaka(裸)などと同様の歴史を持っているということです。

※「横の部分」を意味したtoも、さらにその前は、「水」を意味していたにちがいありません。

日本語のtokoro(所)は、「水」を意味したtoと「横の部分」を意味したkoroがくっついたものでしょう。tokoro(所)は、陸地、土地、場所を意味していたのです。

日本語で、「6時」ではなく、「6時頃」と言ったら、どう意味が変わるでしょうか。「6時の近く」を意味するのではないでしょうか。koro(頃)もまた、水の近くを意味していたのです。

「水」を意味したtoが、他の語と結合せずにそのままの形で「陸地」を意味するようになったのが、奈良時代の日本語で場所を意味していたto(処)です。

 

補説4

karada(体)の語源もこのパターン

kara(体)とkarada(体)という形がありましたが、この二語も大変怪しいです。

以下のような展開があったのでしょう。

昔は、兄弟のことをɸaragara(はらがら)と言っていました。ɸaragara(はらがら)はɸara(腹)とkara*(から)から作られた語で、kara*(から)は「対、組、ペア」を意味していたのでしょう。

一族を意味していたyakara(族)もya(家)とkara(から)から作られた語で、kara*(から)は二人あるいはそれより大きな「集まり」を意味していたのでしょう。

やはり、水の横の「陸地」を意味するkara*という語があったと見られます。

「陸地」を意味する語が、本記事で説明した過程を経て、「上」または「表面」を意味するようになるのは、頻出パターンです。

「陸地」を意味していたkara*が「表面」を意味するようになったと見られます。

kara(殻)という語があるのは、そのためです。

その一方で、kaɸa(皮)やɸada(肌)と同様に、人の「表面」を意味することもあったでしょう。

人の「表面」を意味していたkara*がkara(体)になったと見られます。

kara(体)とkarada(体)という形がありましたが、これはどういうことでしょうか。kaɸa(皮)とkaɸabe(皮)やɸada(肌)とɸadaka(裸)の話をした後なので、もう明らかでしょう。

kara(体)は、「水」を意味していたkara*がそのままの形で「陸地」を意味するようになったもの、karada(体)は、「水」を意味していたkara*が「横の部分」を意味していたta*(konata(こなた)やkanata(かなた)に含まれている方向・場所を意味するta)とくっついて「陸地」を意味するようになったものと考えられます。

※奈良時代には、起点を表す助詞としてyori(より)がよく使われていましたが、その後、kara(から)に大きく取って代わられました。「端」を意味していた語が「始まり」または「終わり」を意味するようになるのはよくあるパターンで、ɸasi(端)からɸazimu(始む)/ɸazimaru(始まる)が生まれました。水の横の部分を意味していたkara*が、「始まり」を意味するようになったと考えられます。これは、起点を表す助詞のkara(から)だけでなく、出自・素性・本性などを意味するkara(柄)にもつながります。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。