前回の記事でタイ系言語の話をたくさんしたので、関連する話題としてnamaiki(生意気)とnameru(ナメる)を取り上げましょう。後者は、「ナメんなよ」のnameru(ナメる)です。日本語を母語とする人でも、「この語はなんだろう」と思ったことがあるのではないでしょうか。
人間の言語の語彙が形成されていく過程は必ずしも単純ではなく、ちょっと入り組んだ現象が起きることもあります。
日本語にkawa(川)という語とkawa(皮)という語があります。皆さんは、この二語を見てどう思うでしょうか。「発音が同じなだけで、関係ないな」と思うでしょう。kawa(川)とkawa(皮)の場合はそれで終わるのですが、それで終わらない場合もあるのです。
ある意味(意味A)を持つnamaという語があったとしましょう。そして、別の意味(意味B)を持つnamaという語があったとしましょう。
最初は、左のnamaと右のnamaは別物として存在しています。しかし、時間が経つうちに、Aという意味がBという意味に干渉し始める、あるいは、Bという意味がAという意味に干渉し始めることがあります。
Aという意味でnamaという語を用いていたが、そこにBという意味がうっすらと漂い始める、あるいは、Bという意味でnamaという語を用いていたが、そこにAという意味がうっすらと漂い始めるということです。
この現象は、人間の言語を面白くしますが、難しくもします。
namaという語になにが起きたのか、歴史を振り返ってみましょう。
●nameru(ナメる)
タイ系言語で「水」を意味したnam-、nim-、num-、nem-、nom-のような語が、「下」を意味するようになったことをお話ししました(「水」→「雨」→「落下、下方向、下」の変化です)。namaあるいはnameのような語が「下」を意味していたわけです。
nameru(ナメる)は、日本語のスラング(俗語)ですが、「侮る、見下す、見くびる」の類です。「侮る、見下す、見くびる」のような語を見ればわかるように、nameru(ナメる)は「下に見ること」を意味していたと考えられます。namaあるいはnameのような語が「下」を意味していたところから生まれてきた語です。最初は、純粋に下を見ることを意味し、侮蔑の意味はなかったのかもしれません。奈良時代の時点ですでに、namesiという形容詞が存在し、無礼な態度を意味していました。
※anadoru(侮る)は、奈良時代にはanaduruという形がよく使われ、anaturu、anadoru、anatoruという形が少し見られましたが、いずれにせよ、意味を考えると、anadoru(侮る)のanaの部分は「穴」というより「下」を意味し、doruの部分は「取ること(捉えること)」を意味していたと見られます。
mikudasu(見下す)のkudaは、kudaru(下る)とkudasu(下す)という語があるので、「下」を意味していたことは明らかです。mikubiru(見くびる)のkubiは、なんでしょうか。このkubiも、「下」を意味していたようです。mikubiru(見くびる)は、miorosu(見下ろす)、misageru(見下げる)、mikudasu(見下す)に並べられる語だということです。「下」を意味していたkubiが「首」を意味するようになる過程は、補説を参照してください。
namaあるいはnameのような語が「下」を意味していたことさえわかれば、「下に見ること」を意味するnameruは、無理なく理解できるでしょう。
もっと微妙なのが、namaiki(生意気)です。
●namaiki(生意気)
すでに述べたように、タイ系言語で「水」を意味したnam-、nim-、num-、nem-、nom-のような語は、「水」→「雨」→「落下、下方向、下」と意味変化し、「下」を意味するようになりました。
しかし、その一方で、「湿っていること」も意味するようになりました。
ここから特に、魚や肉が、まだ焼いたり干したりしておらず、水っぽい状態であることを意味するようになりました。そこからさらに、処理などの過程を経ていない状態であること、途中の状態であること、完成していない状態であることを意味するようになりました。
namaiki(生意気)のnamaには、「下」という意味も含まれていますが、単純にそれだけではなく、「過程を経ていない、途中である、完成していない」という意味も含まれているのです。だから、子どもや未熟者が意気がった時によく、namaiki(生意気)という言葉が飛んでくるのです(現代の日本語にnamamono(生物)という語がありますが、かつてはnamamono(生者)という語もあり、一人前でない者を意味していました)。
単純に相手を見下すだけなら、namaiki(生意気)以外にも表現はたくさんあるでしょう。namaiki(生意気)が独特の意味、ニュアンス、語感を持っているのは、上のような歴史があるからなのです。
kubi(首)の語源
mikubiru(見くびる)に組み込まれているkubiは、「下」を意味していた語のようだと述べました。miorosu(見下ろす)、misageru(見下げる)、mikudasu(見下す)と比較すれば、妥当な推論でしょう。
「下」を意味していたkubiが「首」を意味するようになる過程は難しくありません。kubo(窪)やkubire(くびれ)のような語を見ればわかります。「下」を意味していた語が「穴、くぼみ、へこみ」を意味するようになったのです。
奈良時代の日本語には、kubi(首)の同義語として、una(頸)という語もありました。岩波古語辞典は、首を意味するuna(頸)とうしろを意味するsiri(後)がくっついて短縮したのがunazi(うなじ)であると考えていますが、これはその通りでしょう(大野1990)。
kubi(首)が「下」を意味していたのと同様に、una(頸)も「下」を意味していたと考えられます。
ミャオ・ヤオ語族で「水」を意味したam、an、aŋ、um、un、uŋ、om、on、oŋのような語が、「水」→「雨」→「下」と意味変化し、ana*もuna*も「下」を意味していたのでしょう(anadoru(侮る)の話を思い出してください)。そこから、ana*は「穴、くぼみ、へこみ」に落ち着き、una*は(「穴、くぼみ、へこみ」を経て)「首」に落ち着いたのでしょう。
他の身体部位もそうですが、kubi(首)もuna(頸)も、もともと身体部位を意味していた語ではないということです。
タイ系言語とミャオ・ヤオ系言語が物語る日本語の歴史の核心部分
タイ系言語とミャオ・ヤオ系言語から日本語に大量の語彙が入ったことをお話ししていますが、その中で、日本語のnami(波)とumi(海)は、特に注目に値します。
タイ系言語で「水」を意味したnam、nim、num、nem、nomのような語から来たのが、日本語のnami(波)です。
ミャオ・ヤオ系言語で「水」を意味したam、an、aŋ、um、un、uŋ、om、on、oŋのような語から来たのが、日本語のumi(海)です。
タイ系言語で「水」を意味したnam、nim、num、nem、nomのような語が、日本語に入ろうとしたが、日本語にはmidu(水)という語があるので、「波」を意味するようになったのです。
ミャオ・ヤオ系言語で「水」を意味したam、an、aŋ、um、un、uŋ、om、on、oŋのような語が、日本語に入ろうとしたが、日本語にはmidu(水)という語があるので、「海」を意味するようになったのです。
よくよく考えると、これは非常に重要なことです。
「水」を意味することができなくなったから、「波」を意味しよう、これが可能なのは、波がある場所です。波がない場所で、「波」を意味する語にはなれないでしょう。
「水」を意味することができなくなったから、「海」を意味しよう、これが可能なのは、海がある場所です。海がない場所で、「海」を意味する語にはなれないでしょう。
日本語の歴史の核心的な部分になりますが、海があり、波がある場所で、タイ系言語とミャオ・ヤオ系言語から直接、日本語に語彙が入ったということです。
「水」を意味していた語が「口」を意味するようになることは、可能でしょうか。可能です。「水」→「雨」→「下」という意味変化は超頻出パターンですが、「下」→「穴」→「口」という意味変化も超頻出パターンです(「下」→「穴」→「口」という意味変化については、「口(くち)」の語源の記事で詳しく論じました)。すなわち、「水」→「雨」→「落下、下方向、下」→「穴」→「口」という黄金パターンの完成です。
しかし、「水」を意味していた語がいきなり「口」を意味するようになることはできません。
例えば、日本語のnamu(舐む)(未然形name)とumeku(呻く)という語について考えてみましょう。
nameという形からして、タイ系言語で「水」を意味した語が、「水」→「雨」→「落下、下方向、下」→「穴」→「口」と意味変化し、この「口」を意味した語から生まれたのが、namu(舐む)であると考えられます(正確には、最後に「口」→「舌」という意味変化があったと考えられます。「口」を意味するnamaあるいはnameのような語があったことは、「名前(なまえ)」とは何か、平仮名と片仮名についてもう一言の記事でお話ししたna*(音)からも推測できます。na*(音)がnaru(鳴る)/nasu(鳴す)、naku(鳴く)、na(名)、ne(音)などになったのでした。このna*(音)も、「口」を意味していた語でしょう。namaru(訛る)/namari(訛り)も、「口」と「音」に関係があるのかもしれません。ひょっとしたら、先ほど見たような「意味の干渉」が起きたのかもしれません。これは本当に、興味深い現象なのです。
namaru(訛る)/namari(訛り)は、「話すこと、音」を意味していますが、それが普通でないところに特徴があります。左のnamaは「下」を意味し、そこからnamaru(鈍る)などの語が生まれました。左の「下」から「調子が落ちる、調子が崩れる、調子が悪くなる」のような意味が生じると、右の「音」に干渉しそうでもあります。日本語では、namという形が許されないので、nama、nameもしくはnaのような形になります。「口」→「舌」という意味変化は、下(した)と舌(した)、そこには奇妙で怪しい関係が・・・の記事でも取り上げました)。
umeという形からして、ミャオ・ヤオ系言語で「水」を意味した語が、「水」→「雨」→「落下、下方向、下」→「穴」→「口」と意味変化し、この「口」を意味した語から生まれたのが、umeku(呻く)であると考えられます。
※「下」を意味するnamaのような語と、「下」を意味するumaのような語があったことは、前回の記事で確認済みです。
しかし、「水」からnamu(舐む)に至る道のりと、「水」からumeku(呻く)に至る道のりは、とても長いです。
namu(舐む)は、究極的根源まで遡れば、タイ系言語の「水」から来ているようですが、namu(舐む)という語が、タイ系言語から日本語に直接入ったかどうかは、わからないのです。間に他の言語を挟んだ可能性が十分にあります。
umeku(呻く)は、究極的根源まで遡れば、ミャオ・ヤオ系言語の「水」から来ているようですが、umeku(呻く)という語が、ミャオ・ヤオ系言語から日本語に直接入ったかどうかも、わからないのです。間に他の言語を挟んだ可能性が十分にあります。
しかし、nami(波)とumi(海)は、namu(舐む)とumeku(呻く)とは決定的に違います。
「水」を意味していた語が、いくつもの意味変化を経て、「波」を意味するようになった、あるいは、「水」を意味していた語が、いくつもの意味変化を経て、「海」を意味するようになった、そういう間接的なストーリーは考えられないのです。「水」から「波」への意味変化も、「水」から「海」への意味変化も、ダイレクトなのです。
先ほど強調したように、海があり、波がある場所で、タイ系言語とミャオ・ヤオ系言語から直接、日本語に語彙が入ったのです。
タイ系民族とミャオ・ヤオ系民族を含め、中国南部から東南アジア大陸部にかけて分布している民族と日本人の文化的な共通性・類似性は、これまでにも指摘されてきました(鳥越1992)。文化的な共通性・類似性の指摘自体は、極めて適切です。しかし、そこから、日本語は中国南部から東南アジア大陸部にかけての地域から来たと結論するのは、適切ではありません。今、日本人が遠くに見ているタイ系言語、ミャオ・ヤオ系言語、ベトナム系言語が、中国東海岸地域に(も)存在したのです。日本語があっちにあったのではなく、タイ系言語、ミャオ・ヤオ系言語、ベトナム系言語がこっちに(も)あったのです。
東アジアの運命を決定した三つ巴、二里頭文化と下七垣文化と岳石文化の記事では、内陸に存在した巨大な殷が中国東海岸地域に侵攻してきたことをお話ししました。激動の時代、うまくいかなくなったアワとキビの栽培、うまくいかなくなったイネの栽培の記事では、気候変動のために朝鮮半島で稲作がうまくいかなくなり、朝鮮半島の人口が激減したことをお話ししました。どちらも、そこに住んでいた人々を広く襲った大事件であり、日本語とその近縁言語の話者だけが、中国東海岸地域から朝鮮半島に移動し、朝鮮半島から日本列島に移動したとは全然限りません。事件の規模を考えれば、タイ系言語、ミャオ・ヤオ系言語、ベトナム系言語の話者(の一部)が、中国東海岸地域から朝鮮半島に移動した可能性、さらに朝鮮半島から日本列島に移動した可能性すらあるのです。
参考文献
大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。
鳥越憲三郎、「古代朝鮮と倭族 神話解読と現地調査」、中央公論新社、1992年。