激動の時代、うまくいかなくなったアワとキビの栽培、うまくいかなくなったイネの栽培

まずは、11月にニュースになったM. Robbeets氏らの論文(Robbeets 2021)の図をもう一度掲げましょう。

紀元前4500年頃(6500年前頃)に朝鮮半島にアワ・キビの栽培が伝わったこと、そして紀元前1500年頃(3500年前頃)にイネの栽培(稲作ともいいます)が伝わったことが示されています。これは大体その通りです。

しかし、朝鮮半島の歴史を考えるうえで注意しなければならないのは、紀元前4500年頃に伝わったアワ・キビの栽培が、その後ずっとうまくいったかというと、そうはならなかったということです。同様に、紀元前1500年頃に伝わったイネの栽培が、その後ずっとうまくいったかというと、そうはなりませんでした。このことが、朝鮮半島の歴史を非常に複雑にし、また独特にしています。

朝鮮半島は、面積が小さいということもあり、世界の中でも徹底的に考古学調査が行われてきた地域の一つです。発見された遺跡・遺構・遺物の数が増え、年代測定技術が向上するにつれて、過去の人口変動を推定することが可能になってきました。

Ahn Sungmo氏らの研究(Ahn 2015a)やOh Yongje氏らの研究(Oh 2017)はその先端を行く研究ですが、これらの研究は以下のことを示しています。

(1)アワ・キビの栽培が伝わった後に朝鮮半島の人口はある程度増加したが、まもなく減少し、イネの栽培が伝わろうかという頃には人口は少なかった。

(2)イネの栽培が伝わった後に朝鮮半島の人口は爆発的に増加した。

(3)紀元前1500年頃から始まった朝鮮半島の人口の爆発的な増加は、紀元前1000年を少し過ぎたところでピークを迎え、急激な減少に転じた。

言葉だけではイメージしにくいかもしれないので、Oh氏らが人口変動の推定に使っている考古学データも示しておきます(Oh 2017)。

※前回の記事でお話ししたように、紀元前1500年頃(3500年前頃)より前が櫛文土器時代(Chulmun period)で、紀元前1500年頃(3500年前頃)より後が無文土器時代(Mumun period)です。

今回の記事では深入りしませんが、朝鮮半島の人口が紀元前1000年を少し過ぎたところで急激な減少に転じたのは注目に値します。まさにこの時期から、日本列島にイネの栽培(稲作)が現れ始めるからです(Miyamoto 2019)。この朝鮮半島の人口の減少は、宮本一夫氏らが指摘している気候変動(寒冷化)が原因と考えられますが、朝鮮半島の人口の減少の仕方からして、相当に深刻な事態であったと見られます(特にイネなどの穀物の栽培可能範囲の限界近くにいる人たちは、わずかな気温変化でも致命的なダメージを受けてしまいます)。一つの言語が朝鮮半島から日本列島に渡っただけとは到底考えられず、一つの語族が朝鮮半島から日本列島に渡っただけとも考えづらいです。複数の語族が朝鮮半島から日本列島に流れ込んだ可能性が高いです。朝鮮半島から日本列島に渡った人々が一様でなかったことも、考古学的に確認されています(Miyamoto 2019)。

朝鮮半島のイネの栽培(稲作)は、紀元前1000年を少し過ぎたところで大きく落ち込み、しばらく持ちこたえた後、再び大きく落ち込んでしまいました。なんと、導入されたイネの栽培(稲作)がほとんど行われないところまで落ち込んでしまいました(Ahn 2010)。そういう激動の歴史が朝鮮半島にはありました。

朝鮮半島の人口の変化からは、紀元前4500年頃から始まったアワ・キビの栽培の伝来に比べて、紀元前1500年頃から始まったイネの栽培の伝来がとてつもなく大きな出来事だったことが窺えます。日本人や日本語の起源を考えるうえで重要なのも、朝鮮半島にイネの栽培が導入され、朝鮮半島が櫛文土器時代から無文土器時代に入る紀元前1500年頃の局面です。

新たな謎が浮上

冒頭のRobbeets氏らの論文(Robbeets 2021)の図は、歴史が少しずつ着実に明らかになっている現状を示していますが、同時に大きな問題も浮き彫りにしています。

すでに述べたように、朝鮮半島にイネの栽培が導入され、朝鮮半島が櫛文土器時代から無文土器時代に入る紀元前1500年頃の局面が非常に重要になってきます。イネの栽培が伝わる少し前の朝鮮半島は、かつてのアワ・キビの栽培と定住傾向がすっかり衰えた状態でした(Ahn 2015b)。そこへ、イネの栽培を行う人たちが入って来たのです。後続の記事でKim Jangsuk氏のすぐれた考古学研究を紹介しますが、紀元前1500年頃から後の朝鮮半島の歴史は、イネの栽培を導入した人たちに明らかに有利な形で展開していきます(Kim 2002、2003)。

ここで大きな謎が生じます。11月にRobbeets氏らの論文(Robbeets 2021)がニュースになった時に、日本語はもともと遼河流域でアワ・キビを栽培していた人々の言語だったという情報が流れました(日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表)。確かに、Robbeets氏らはそう考えているし、遼河流域でアワ・キビを栽培していた人々の言語が日本語になったという点では、筆者の考えも同じです。

しかし、著しい発展を見せる考古学は、紀元前1500年頃から朝鮮半島にイネの栽培を導入した人たちが朝鮮半島で急速に支配的になったことをはっきりと示しています(Kim 2002、2003)。それより前に遼河流域からアワ・キビの栽培を導入した人たちの言語が日本語になったと考えるのは、かなり無理があります。日本語の系統問題に関係がありそうなのは、冒頭のRobbeets氏らの論文(Robbeets 2021)の図に描かれている赤い矢印のほうではなく、深緑の矢印のほうなのです。これは一体どういうことでしょうか。

ちょっと複雑になってきましたが、もし、Robbeets氏らが考えるように、そしてまた筆者が考えるように、遼河流域で話されていた言語が日本語になったのだとしたら、そのもとになった遼河流域の言語は、山東省のあたりか遼東半島に移動し、そこから朝鮮半島に入った可能性が濃厚です。遼河流域でアワ・キビの栽培を行っていた人たちが、山東省のあたりか遼東半島に移動し、そこでイネの栽培も行うようになったという解釈です(他の言語の話者が影響を与えたということです)。

この問題を本格的に検討する前に、Kim氏(Kim 2002、2003)がイネの栽培を行う人たちが朝鮮半島に入ってきた時の状況を詳細に記述しており、朝鮮半島の歴史はもちろん、人類の歴史を考えるうえでも大変重要で含蓄深い研究なので、まずはそれを紹介することにします。

 

参考文献

英語

Ahn S. 2010. The emergence of rice agriculture in Korea: Archaeobotanical perspectives. Archaeological and Anthropological Sciences 2(2): 89-98.

Ahn S. et al. 2015a. Temporal fluctuation of human occupation during the 7th-3rd millennium cal BP in the central-western Korean Peninsula. Quaternary International 384: 28-36.

Ahn S. et al. 2015b. Sedentism, settlements, and radiocarbon dates of Neolithic Korea. Asian Perspectives 54(1): 113-143.

Kim J. 2003. Land-use conflict and the rate of the transition to agricultural economy: A comparative study of southern Scandinavia and central-western Korea. Journal of Archaeological Method and Theory 10(3): 277-323.

Miyamoto K. 2019. The spread of rice agriculture during the Yayoi Period: From the Shandong Peninsula to the Japanese Archipelago via the Korean Peninsula. Japanese Journal of Archaeology 6: 109-124.

Oh Y. et al. 2017. Population fluctuation and the adoption of food production in prehistoric Korea: Using radiocarbon dates as a proxy for population change. Radiocarbon 59(6): 1761-1770.

Robbeets M. et al. 2021. Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages. Nature 599(7886): 616-621.

その他の言語

Kim J. 2002. 남한지역 후기신석기-전기청동기 전환: 자료의 재검토를 통한 가설의 제시. 한국고고학보 48: 93-133. (朝鮮語)