予告した通り、高句麗語で木を意味していた語、山を意味していた語、谷を意味していた語を見てみましょう。一番単純なので、谷を意味していた語から見ることにします。
●高句麗語の「谷」
高句麗語の「旦」という語が記録されており、谷を意味する語であると中国語で説明されています(Beckwith 2004)。「旦」と書き表されているケースだけでなく、「頓」および「呑」と書き表されているケースもあります。
高句麗語の「旦、頓、呑」・・・谷を意味する
tan、tun、tonのような発音であったと見られます。Beckwith氏は、高句麗語で谷を意味していた語は*tanではないかと推測しています。この語が日本語のtani(谷)と同源であることは間違いなさそうです。
●高句麗語の「木」
高句麗語で木を意味していた語はどうでしょうか。
高句麗語の「斤」という語が記録されており、木を意味する語であると中国語で説明されています。「斤」と書き表されているケースだけでなく、「斤乙」および「肹」と書き表されているケースもあります。
高句麗語の「斤、斤乙、肹」・・・木を意味する
Beckwith氏は、高句麗語で木を意味していた語は*kɨrではないかと推測しています(ɨはiに似ています。iと同じで、唇は横に広がっています。舌全体を口の中の奥の方へやや後退させて、iと発音する感じです)。しかし、高句麗が存在していた頃の古代中国語では、もちろん方言差はいくらかあったはずですが、斤はkjɨnキンのような音、乙はitイトゥのような音、肹はxjɨtヒトゥまたはキトゥのような音でした。Beckwith氏が*kɨrと推測したのは根拠のないことではありませんが、その話は複雑なので次回の記事にまわします。いずれにせよ、日本語のki(木)との関係を考える必要があります。
奈良時代の日本語にはki甲類とki乙類という微妙に異なる二つの音があり、ki(木)の発音はki乙類でした。kodati(木立ち)、kozuwe(梢)、kogarasi(木枯らし)などに組み込まれているのを見ればわかるように、ki(木)はかつて*ko(木)であったと考えられます。日本語がまだ大陸にいた頃、つまり弥生時代より前のことを考えるのであれば、ki(木)という形より*ko(木)という形のほうが重要そうです。
上記の高句麗語の「斤、斤乙、肹」という語も気になりますが、高句麗語の「仇」という語も気になります。高句麗語の「仇」は、松を意味する語であると中国語で説明されています。
高句麗語の「仇」・・・松を意味する
Beckwith氏は、高句麗語の「仇」の発音を*kuと推測しています。松は、北ユーラシアでも、東アジアでも、日本でも、代表的な樹種です。
木を意味する語について論じる時には、気をつけなければならないことがあります。例えば、インド・ヨーロッパ語族の英語tree(木)、ロシア語derevo(木)、ギリシャ語drys(オーク)、ヒッタイト語taru(木)を見てください。これらは同源の語です。ギリシャ語では、木を意味していた語がオークを意味するようになっています(オークは日本のナラやカシに相当します)。一般に木を意味していた語がある種類の木を意味するようになる、あるいはある種類の木を意味していた語が一般に木を意味するようになることがあるのです。
日本語が、水のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言う言語群に属し、同じ言語群に属する他の言語から大量の語彙を取り入れてきたことはお話ししました。水・水域を意味していたmat-のような語が、その横に立ち並ぶ木を意味するようになり、木という意味が、のちに松という意味に限定されたと見られます。
高句麗語の*ku(松)も、同様の事情かもしれません。日本語のmatu(松)と同じように、かつて木一般を意味していた可能性があります。人類の言語全体に言えると思いますが、木一般を意味する語が集まって、木の種類が呼び分けられるようになっていったと考えるのが自然でしょう。
松を意味する「仇」という高句麗語のほかに、楊を意味する「去」という高句麗語も記録されています。
高句麗語の「去」・・・楊を意味する
※古代中国語のyang(楊)イアンとljuw(柳)リウは類義語で、yang(楊)は垂れ下がらないヤナギ(ネコヤナギなど)を意味し、ljuw(柳)は垂れ下がるヤナギ(シダレヤナギなど)を意味します。
Beckwith氏は、高句麗語の「去」の発音を*kɨまたは*küと推測しています(üもiに似ています。iと違って、唇が丸く突き出ています。この状態で、iと発音する感じです)。古代中国語の「去」は日本語ではko/kyo、朝鮮語ではkɔコと読まれており、Beckwith氏の推測は正確さに問題があるかもしれません。
高句麗語で松を意味した「仇」という語と、高句麗語で楊を意味した「去」という語は、慎重な扱いを要します。かつて遼河流域で木のことをそのように言っていたことを示唆しているかもしれず、日本語の*ko(木)に通じるかもしれないからです。
ここで視線を日本語と高句麗語からウラル語族に移すと、とても気になる語があります。ウラル語族のフィンランド語には、木一般を意味するpuuという語と、シラカバを意味するkoivuという語があります。シラカバは、日本では見られるところが限られていますが、ロシアや北欧のような寒冷地方では大きな存在感を誇ります。以下のような外見をしています(写真はメディカルハーブ・アロマ事典様のウェブサイトより引用)。
樹皮が白いので、とにかく目立ちます。ロシアや北欧の植物といって筆者が真っ先に思い浮かべるのが、このシラカバです。フィンランド語のpuu(木)は明らかに違いますが、フィンランド語のkoivu(シラカバ)は日本語の*ko(木)に関係がありそうです。ウラル語族の言語では、シラカバのことを以下のように言います。
フィンランド語のkoivu(シラカバ)と同源の語は、フィン・ウゴル系のほうではほとんど置き換えられてしまっていますが、サモエード系のほうではよく残っています。ウラル語族のシラカバと日本語の*ko(木)が通じているようです。
高句麗語で松を意味した「仇」と楊を意味した「去」は日本語の*ko(木)と直接的または間接的な関係が考えられますが(ただし、Beckwith氏は高句麗語で松を意味した語が「仇」と書き表されるだけでなく「仇史」と書き表されることもあったかと考えており、この場合には高句麗語で松を意味した語は日本語の*ko(木)に結びつかなくなるかもしれません)、高句麗語で木を意味した「斤、斤乙、肹」はそのような関係が考えづらいです。高句麗語の「斤、斤乙、肹」の語源は別のところに求めるべきでしょう。
ちなみに、英語はドイツ語とオランダ語に系統的に近いですが、英語のtree(木)はドイツ語のBaum(木)とオランダ語のboom(木)に通じていません。ドイツ語のBaum(木)とオランダ語のboom(木)に通じているのは、英語のbeam(梁、桁)です。立てる木材が柱で、横に渡す木材が梁・桁です。
高句麗語で木を意味した「斤、斤乙、肹」(漢字表記からはki~kit-のような発音が予想されます)は、ひょっとしたら日本語のketa(桁)と間接的な関係が考えられるかもしれません。水を意味するkat-、kit-、kut-、ket-、kot-のような語が背後にあるのではないかということです。
※keta(桁)の類義語であるɸari(梁)も、かつて木を意味していたのでしょう。水を意味したpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のような語から来ていると考えられます。すでに説明したɸara(腹)、ɸaka(墓)、ɸari(針)などと同源ということです。ɸara(腹)、ɸaka(墓)、ɸari(針)などは、山のような地理的意味を失っていますが、盛り上がったもの、膨らんだもの、出っ張ったもの、突き出たもの、とがったものを意味していた語です。
ɸasira(柱)も、木を意味していたのでしょう。もとの形は*ɸasiで、他の語から区別するためにɸasiraという形にしたのではないかと思われます。奈良時代の日本語のɸasi(端)やɸasi(間)から、水を意味するpasiのような語がその横の部分を意味しようとしていたことが窺えます。
高句麗語の木の話はとても複雑になりましたが、高句麗語の山の話も負けず劣らず複雑です。次は、高句麗語で山を意味していた語を見てみましょう。
補説
高句麗人は子どものことをなんと言っていたか?
高句麗語で松を意味した「仇」という語に関連して、補足しておきたいことがあります。実は、高句麗語で松を意味する語だけでなく、高句麗語で子どもを意味する語も「仇」と書き表されていました(中国語で童・童子と説明されています)。Beckwith氏が推測するように高句麗語で松を意味する語が*kuだったのなら、高句麗語で子どもを意味する語も全く同じ*kuかそれに近かったということです。日本語のko(子)を思い起こさせます。
ウラル語族の各言語を見ても子どもを意味する語は完全にばらばらであり、日本語のko(子)もそれほど古い語ではないと考えられます。ベトナム系の言語にベトナム語con(子)コン、クメール語koon(子)、モン語kon(子)、カー語kuun(子)のような語が大変広く見られ、ここが出所と思われます。日本語と高句麗語がかつて中国東海岸地域に存在したベトナム系言語と接していた可能性を窺わせます。
参考文献
Beckwith C. I. 2004. Koguryo: The Language of Japan’s Continental Relatives. Brill Academic Publishers.