日本語とウラル語族について誤解しないための補足、そして注目される高句麗語の「水」

前回の記事で土器の起源の話が出てきたので、続けて農耕の起源の話をしたいところですが、ここで別の記事をはさませてください。

本ブログでは、日本語の起源と歴史に興味を持つすべての方へという最初の記事から、いきなり多くの言語・言語群の話をしたので、一部の読者の方を混乱させてしまうケースがあったようです。筆者の言おうとすることが誤って解釈されてしまうのは残念なので、ここで少し補足させてください。

以下のストーリーが、本ブログの基本部分になっています。

(1)遼河文明の初期の頃に、遼河流域に同系統のいくつかの言語が存在した(遼河流域だけに分布していたわけではないと思われますが、そのことは今は横に置いておきましょう)。

(2)そのうちの一部の言語は北極地方に拡散し、一部の言語は遼河流域に残った。

(3)北極地方に拡散した言語のうちの一つの言語が、のちにウラル祖語になった。遼河流域に残った言語のうちの一つの言語が、のちに日本語になった。

(1)~(3)のストーリーは全然難しいものではありません。しかし、ここで注意してほしいのは、ウラル語族が日本語に影響を与えたとか、日本語がウラル語族に影響を与えたとか、そういう話ではないということです。離れ離れになった一方の中からウラル祖語が生まれ、他方の中から日本語が生まれたのであって、両者は互いに影響を及ぼせる関係にはありません。

ウラル祖語はのちに、フィン・ウゴル系の言語とサモエード系の言語に枝分かれしました。しかし、これは日本語から離れたところで起きたことです。系統的に言えば、日本語がウラル語族の中のフィン・ウゴル系の言語に特に近いということもないし、日本語がウラル語族の中のサモエード系の言語に特に近いということもないのです。

多くの読者の方にはすでに伝わっていたことだと思いますが、一部の読者の方に誤解を与えてしまったようなので、ここで改めて補足しました。

※遼河流域とウラル地方が大きく離れているのは、「遼河流域→ブリヤート地方→ヤクート地方→ウラル地方」という連なりが分断されてしまったためです。ブリヤート地方はモンゴル系言語の支配域になり、ヤクート地方はテュルク系言語の支配域になったのです(変わりゆくシベリアを参照)。

高句麗語の位置づけは?

上記の遼河流域のストーリーにおいて無視できないのが、高句麗語の存在です。高句麗語の数詞については、すでに高句麗語の数詞に注目するの記事に記しました。今度は、高句麗語の数詞以外の語彙に注目しましょう。

高句麗語は残念ながらほとんど文字記録を残さずに消滅してしまいましたが、高句麗語のわずかな文字記録をまとめたC. I. Beckwith氏の「Koguryo: The Language of Japan’s Continental Relatives」というすぐれた著作があります(タイトルは「高句麗語:大陸に存在した日本の親戚の言語」という意味です)(Beckwith 2004)。Beckwith氏の著作は、筆者が日本語の起源と歴史の研究に乗り出す一つのきっかけになりました。「日本語は弥生時代が始まる少し前まで大陸にいたようだ」と思わせてくれたのも、Beckwith氏の著作でした。

Beckwith氏の著作に、「買」という高句麗語が記録されています。高句麗人は独自の文字を持っていなかったので、高句麗語のある単語を「買」と書き表したのです。高句麗語の「買」は水・川を意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「買」・・・水・川を意味する

「買」のほかに、「内米」という語が記録されています。どうやら、同音異義語があったようです。高句麗語の一つ目の「内米」は瀑池を意味する語であると中国語で説明されています。高句麗語の二つ目の「内米」は長いことを意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「内米」・・・瀑池を意味する
高句麗語の「内米」・・・長いことを意味する

古代中国語のbuwk(瀑)ブクは滝を意味する語だったので、瀑池は水が落下して溜まっているところと考えられます。

高句麗語の「買」と「内米」の意味は明らかですが、問題はこの「買」と「内米」の発音です。Beckwith氏は、「買」の発音を*meyと推測し、「内米」の発音を*nameyと推測しています。Beckwith氏の推測は、古代中国語の発音がベースになっていますが、高句麗語の発音にどこまで近いかは不確かです。

日本語の例で考えてみましょう。日本書紀、古事記、万葉集などが記された奈良時代には、まだひらがなとカタカナがありませんでした。日本語を書き表そうと思えば、漢字を使うしかなかったのです。現代の日本語のmeという音は「め、メ」と書き表すことができますが、奈良時代の日本語のmeという音はどのように書き表していたのでしょうか。奈良時代には、me甲類とme乙類という微妙に異なる二つの音があり、me甲類はよく「売」と書き表され、me乙類はよく「米」と書き表されていました。日本人は自分たちの言語と中国語の発音体系が違うことを承知しており、me甲類と発音が似ている漢字を使えばよい、me乙類と発音が似ている漢字を使えばよいという感覚・姿勢だったのです。me甲類が「咩、馬、面、謎、迷、綿」と書き表されたり、me乙類が「梅、迷、昧、毎、妹」と書き表されたりすることもありました(上代語辞典編修委員会1967)。

高句麗人も自分たちの言語と中国語の発音体系が違うことを承知しており、日本人と同じような感覚・姿勢であったと思われます。このような事情を考慮すると、高句麗語の「買」の発音は、meiだったかもしれないし、mai、meまたはmaだったかもしれません。高句麗語の「内米」の発音は、nameiだったかもしれないし、name、namaまたはnamiだったかもしれません。

意味から考えて、高句麗語の一つ目の「内米」は、他言語で水を意味していた語から来たと考えられます。タイ系言語のタイ語naam(水)のような語から来たのでしょう。高句麗語の二つ目の「内米」がそのことを裏づけています。日本語のnagasi(長し)が、nagaru(流る)/nagasu(流す)とともに、水から来ていたことを思い出してください。水・水域を意味していた語が、その横の盛り上がった土地、丘、山、高さを意味するようになり、そこからさらに長さを意味するようになるパターンです。インド・ヨーロッパ語族のロシア語bereg(岸)、古英語berg(山)、ヒッタイト語parkuš(高い)、トカラ語pärkare(長い)などにも見られるように、頻出パターンです。

高句麗語の「内米」の語源がそうなら、高句麗語の「買」の語源はどうでしょうか。

日本語が、水のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言う言語群に属し、同じ言語群に属する他の言語から大量の語彙を取り入れてきたことはお話ししました。日本語で水のことをmiduと言ったり、miと言ったりしていましたが、このようなことはよく起きていたようです。

日本語の様々なmata(また、又、股など)が、以下のような構図から来ていて、「2」という意味を持っていたことは説明しました(日本語が属していた語族を知るを参照)。

日本語のma(間)も、以下の構図から来ていると考えられます。

水・水域を意味していた語が境を意味するようになり、境を意味していた語が間、真ん中、中を意味するようになるパターンです。

日本語のそばで、水のことをmataと言ったり、maと言ったりしていたと考えられます。

古代中国語のmat(沫)やmjiet(滅)ミエトゥも、古代中国語の近くに水のことをそのように言う言語があったことを物語っています。古代中国語のmat(沫)は、泡やしぶきを意味する語です(新型コロナウイルス感染症のニュースに出てくる「飛沫」に含まれています)。古代中国語のmjiet(滅)は、もともと水をかけて火を消すことを意味していた語です。

高句麗語で水を意味した「買」は、ma、meあるいはいずれかに近い音であった可能性が高そうです。

ウラル語族の「水」については、「水(みず)」の語源、日本語はひょっとして・・・の記事を参照してください。

さらなる検討を要しますが、日本語と高句麗語の間に特別な関係があるというより、遼河流域から黄河下流域のほうへ同系統のいくつかの言語が残っていて、そのうちの一つの言語が日本語になり、別の一つの言語が高句麗語になったように見えます。

高句麗語の「波」という語も記録されており、海を意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「波」・・・海を意味する

Beckwith氏は高句麗語の「波」の発音を*paと推測しています。日本語の*pata/*pa(端)も高句麗語の*pa(海)も水を意味したpat-、pit-、put-、pet-、pot-のような語を思わせますが、高句麗語は日本語より一音節になる傾向が強かったのかもしれません(ちなみに、新羅語の後継言語である朝鮮語にもpada(海)という語があります)。

高句麗語の「伏」という語も記録されており、深いことを意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「伏」・・・深いことを意味する

Beckwith氏は高句麗語の「伏」の発音を*pukと推測しています。日本語の*puka(深)との共通性は指摘するまでもないでしょう。

高句麗語の数詞に注目するの記事で日本語と高句麗語の数詞があれほど似ていた時点で十分予想されたことですが、やはり日本語と高句麗語は数詞が似ているだけではありません。注目される高句麗語にさらに迫ってみましょう。

 

補説1 はさみの仕組み

上に日本語の*pata/*pa(端)が出てきましたが、水と陸が接するあたりでpata、patʃa、paʃa、pasaのように言っていたと見られます。batyabatya(ばちゃばちゃ)やbasyabasya(ばしゃばしゃ)から窺えます。

水と陸が接するあたりでpasaと言っていたら、どうなるでしょうか。pasaは境を意味するようになったり、間を意味するようになったりしそうです。

本ブログでたくさんの例を示していますが、境を意味する語から、切ることを意味する語が生まれます。basaʔ(ばさっ)、bassari(ばっさり)がそうでしょう。

そして、間を意味する語から、間に置くことを意味する語が生まれます。ɸasamu(はさむ)がそうでしょう。

物を間に置いて切る道具がɸasami(はさみ)と呼ばれたのは、このような事情があったと思われます。

※現代の日本語で、食べ物がぱさぱさしていると言ったり、ぽそぽそしていると言ったりします。同じように、水と陸の境をpasaと言ったり、posoと言ったりしていたかもしれません。境を意味していた語が線、糸、毛、髪などを意味するようになることはよくあるので、ここにɸoso(細)の語源があるかもしれません。

 

補説2 橋と箸の語源は同じだった

上の話と密接なつながりがあるので、ɸasi(橋)とɸasi(箸)の話もしておきましょう。

水と陸が接するあたりでpata、patʃa、paʃa、pasaのように言っていたと見られると述べましたが、末尾の母音aがiになったpasiという形もあったようです。

奈良時代の日本語にはɸasi(端)という語がありましたが、実はそれと並んでɸasi(間)という語もありました。この記事をここまで読んでくださった方は、ɸasiは水と陸が接するあたりを意味していた語だなと察しがつくでしょう。

ɸasi(橋)とはなにか考えてみてください。二つの陸地の間を渡すものにほかなりません。間を意味していたɸasiが橋も意味するようになったのです。

ɸasi(橋)の語源がそうなら、ɸasi(箸)の語源はどうでしょうか。

三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)に、ɸasi(箸)がピンセット状の道具を意味していたことが書かれています(ピンセットの写真はCOMFECTO様のウェブサイトより引用)。

川の両側を指していたmataが「2」という意味を帯びて股を意味するようになりましたが、それと同じで、川の両側を指していたɸasiが「2」という意味を帯びてピンセット状の道具や箸を意味するようになったと見られます。

おおもとまで遡れば、橋と箸の語源は同じようです。橋と箸の高低アクセントが異なるのは、歴史的経緯が異なるからでしょう。

 

参考文献

日本語

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

英語

Beckwith C. I. 2004. Koguryo: The Language of Japan’s Continental Relatives. Brill Academic Publishers.