高句麗語の数詞に注目する

中国の春秋戦国時代の地図を見ると、漢字で表記された様々な国がひしめいています。しかし、ここで注意しなければならないのは、春秋戦国時代は単に中国語を話す者(中国語を母語とする者)同士が戦っていたわけではないということです。遼河流域からやって来た言語を話す人々もいたし、中国語以外のシナ・チベット語族の言語を話す人々もいたし、ベトナム系の言語を話す人々もいたし、タイ系の言語を話す人々もいたのです。

朝鮮の三国時代も同様で、単純に新羅と高句麗と百済で同じ言語が話されていたと考えてはいけません。新羅語は、現代の朝鮮語に至る言語です。高句麗語と百済語は、新羅が朝鮮半島を統一したことによって消滅した言語です。高句麗語と百済語は、わずかな記録が残っているだけです。しかし、そのわずかに残された記録を見ると、高句麗語と百済語は新羅語よりむしろ日本語に近いのではないかと思わせるところがあります。

高句麗語の数詞の話はよく取り上げられるので、ご存知の方もいるかもしれません。ひらがなとカタカナができる前の日本語と同じで、高句麗語の音も漢字で表されていました。完全に一致とはいかなくても、近い音を持つ漢字を当てていたわけです。高句麗語の1から10までの数詞のうちの四つは明らかになっており、3は「密」、5は「于次」、7は「難」、10は「德」と書き表された記録があります( Beckwith 2004 )。中国語の一時代の一方言を示した Baxter 2014 の表記では、順にmit、 jo tshij イオツィイ、nan、tokです。四つの数詞しかわかっていなくて、その四つがこうなのです。確かに、日本語の「みっ(つ)、いつ(つ)、なな(つ)、とお」を思わせます。

※高句麗語の7は「難隱別」という記録に現れ、ほとんどの研究者は「難隱」の部分が7を表すと解釈してきましたが、 Beckwith 2004 は「難」の部分が7を表し、「隱」の部分は属格の接尾辞(日本語の助詞の「の」のようなもの)であると分析しています。

参考として、ウラル語族のフィンランド語、ハンガリー語、ネネツ語の数詞を示します。

フィンランド語の数詞とハンガリー語の数詞は1~6が共通していますが、ネネツ語の数詞は明らかに違います(7に関しては、似たような語がユーラシア大陸の北方に語族を超えて大きく広がっており、英語seven、ラテン語septem、古代ギリシャ語hepta、サンスクリット語saptaなどもここに含まれます。そのため、フィンランド語seitsemän、ハンガリー語hét、ネネツ語sjiʔwが類似していても、単純にウラル語族の内部の問題として処理できません)。

こうして見ると、高句麗語の数詞と日本語の数詞の類似性は際立っています。周辺の朝鮮語set(3)セッ、tasɔt(5)タソッ、ilgɔp(7)イルゴ(プ)、jɔl(10)ヨル、ツングース系のエヴェンキ語ilan(3)イラン、tunŋa(5)トゥンンガ、nadan(7)ナダン、djān(10)ディアーン、モンゴル語gʊrav(3)ゴラブ、tav(5)タブ、doloon(7)ドローン、arav(10)アラブなどを見ても、やはり高句麗語の数詞と日本語の数詞の類似性は際立っています。高句麗語の数詞は3、5、7、10の四つしか明らかになっていませんが、高句麗語の3、5、7、10と日本語の3、5、7、10が似ているというのは、大変意味のあることです。1、2、3、4が似ているのではないのです。3、5、7、10が似ているのです。1、2、3、4が似ていても、5以降が異なる可能性は十分にあります。しかし、3、5、7、10が似ているとなれば、1から10までの全部が似ていた可能性が高いのです。以下のように言って差し支えないでしょう。

(1)高句麗語の数詞と日本語の数詞の類似性は偶然ではなく、それらの数詞には共通の出所がある。
(2)その共通の出所は、例えばウラル祖語が話されていた時代(一般的な考えではBC4000年頃)よりもかなり現代に近いところにありそうである。

こうなると、高句麗語と日本語の数詞以外の語彙はどのくらい似ているのかということが俄然興味深くなってきます。

 

参考文献

Baxter W. H. et al. 2014. Old Chinese: A New Reconstruction. Oxford University Press.

Beckwith C. I. 2004. Koguryo: The Language of Japan’s Continental Relatives. Brill Academic Publishers.