大きな修正を迫られる「農耕/言語拡散仮説」、インド・ヨーロッパ語族の起源をめぐる論争の行方

11月にM. Robbeets氏らが「Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages」と題された論文(Robbeets 2021)をNature誌に発表し、日本と海外でニュースになりました。

毎日新聞の記事(2021年11月13日付)
日本語の原郷は「中国東北部の農耕民」 国際研究チームが発表

NEWSポストセブンの記事(2021年11月24日付)
「日本語の起源は中国東北部のキビ・アワ農家」 壮大な新説に注目

遼河文明は黄河文明と長江文明に比べてほとんど知られていないので、今回のRobbeets氏らの論文発表で遼河流域に注目が集まったのはよかったと思います。

Robbeets氏らの研究は、言語学、生物学(遺伝学)、考古学という三つの分野を総合しながら、歴史の真相を明らかにしようとしています。これは、本ブログの方針と全く同じであり、共感できるところです。

以下は、Robbeets氏らが論文の中で示しているアワ、キビ、イネの伝播図です(Robbeets 2021より引用)。

赤い矢印はMillet(アワとキビ)の伝播、深緑の矢印はRice(イネ)の伝播を示しています。7000 BP、6500 BP、5000 BP、3500 BP、2900 BPと記されていますが、これは今から7000年前、6500年前、5000年前、3500年前、2900年前という意味です。

近年の考古学の進歩はすばらしく、上のアワ、キビ、イネの伝播図は、今後細かく変更されることはあるにせよ、大きくは変わりそうにありません。

上の図を見ると、イネの矢印(深緑の矢印)が二箇所から出ていることに気づくでしょう。下は山東半島から、上は遼東半島から出ています。複雑な東アジアの歴史を暗示しています。かなり北に位置する遼東半島にイネがあったというのは意外かもしれません。しかし、遼東半島にイネが存在したこと、しかもそこで栽培されていたことの証拠は強固であり、動きません(Jin 2009、Zhang 2010)。場所によっては、アワとキビよりイネのほうが多かったくらいなのです。

山東省のあたりには、黄河文明の最初期から順に、後李文化 (こうりぶんか)→北辛文化 (ほくしんぶんか)→大汶口文化 (だいぶんこうぶんか)→山東龍山文化 (さんとうりゅうざんぶんか)→岳石文化 (がくせきぶんか)という文化の系譜がありました(岳石文化の後は、殷に飲み込まれていきます)。

山東省のあたりでイネの栽培が本格的に始まったのは、山東龍山文化の時代(4600~3900年前頃)です。それより前の時代のイネもほんの少し見つかっていますが、イネはアワとキビより高い温度を必要とするので、なかなかうまくいかなかったようです(Guedes 2015)。山東半島で本格的なイネの栽培が始まってすぐに、遼東半島でもイネの栽培が始まります(Jin 2009、Zhang 2010)。石器、土器、陶器にも強い共通性が認められ、山東半島から遼東半島に向かう人の流れがあったことは確実と考えられています(宮本2009)。

Robbeets氏らの研究が、目覚ましい進歩を遂げる考古学の成果を取り込んでいるのは、もちろんとてもよいことです。しかし、Robbeetsらの研究には、大きな問題がいくつかあります。その一つは、Robbeets氏らの研究が「農耕/言語拡散仮説(Farming/Language Dispersal Hypothesis)」と呼ばれる仮説に完全に依存していることです。

「農耕/言語拡散仮説」というのは、農耕が広がるとともに言語が広がっていくと考える仮説で、極端な立場では、農耕の広がりと言語の広がりを完全に同一視します。Robbeets氏らの研究には、この傾向が顕著に認められます。

実は、筆者も最初は「農耕/言語拡散仮説」はもっともだと考えていたのです。しかし、この仮説と合わないことがだんだん蓄積していき、「農耕/言語拡散仮説」には大きな修正が必要ではないかと考えるようになりました。筆者の考えがこのように変わっていく過程は、後続の記事で詳しくお話ししていきますが、ここではまず、「農耕/言語拡散仮説」が生まれるきっかけになった、インド・ヨーロッパ語族の起源をめぐる論争に目を向けます。

肝心のヨーロッパで危うくなってきた「農耕/言語拡散仮説」

ヨーロッパには、インド・ヨーロッパ語族の言語はアナトリア(今のトルコのあたり)からやって来たのか、ステップ(今のウクライナ・ロシア南部のあたり)からやって来たのかという議論があり、C. Renfrew氏は、アナトリアからやって来たのだと主張する代表的な人物でした(Renfrew 1987)。中東からヨーロッパに農耕を導入した人々が、インド・ヨーロッパ語族の言語を広めたのだという主張です。

Renfrew氏がこのように主張したのは、よくわかります。農耕が始まったのは中東、牧畜が始まったのも中東、金属の使用が始まったのも中東であり、どう見ても中東が圧倒的に優位にあるように見えます。ただ、筆者は、インド・ヨーロッパ語族の言語そのものを調べると、北ユーラシアらしさが漂っているので、どういうことなのだろうと不思議に思っていました。

Renfrew氏の考えは、P. Bellwood氏らによって拡張されます(Bellwood 2001、2003、2005、Diamond 2009)。インド・ヨーロッパ語族に限らず、世界の大語族の多くは、農耕の広がりとともに広がったものではないかという考えに発展しました。

この考えも、よくわかります。世界の言語の分布を考えるうえで、農耕の広がりを重要事項として考慮に入れなければならないことは間違いありません。しかし、筆者はなにかが、しかも大事ななにかが欠落していると感じていました。

2014年にI. Lazaridis氏らが「Ancient human genomes suggest three ancestral populations for present-day Europeans」と題された論文(Lazaridis 2014)を発表したあたりから、流れが大きく変わってきたように思います。近年の生物学(遺伝学)の急速な進歩によって、古代人のDNAが調べられるようになったこと、しかも古代人のDNA全体が調べられるようになったことが、非常に大きいです。Lazaridis氏らの研究は、(1)農耕が始まる前にヨーロッパにいた人間集団、(2)中東からヨーロッパに農耕を導入した人間集団、そして(3)ロシア方面から入って来た人間集団という三つの人間集団によって、今日のヨーロッパの人々が形成されたことを示すものでした。(1)と(2)の人間集団だけでなく、(3)の人間集団の存在が明るみに出たのがポイントです。

ヨーロッパの現代人のDNAに加えて、古代人のDNAが徹底的に調べられるようになりました。古代人のDNAのデータが蓄積してくると、様々なことがわかってきます。古代人といっても、それぞれ生きていた時代が異なります。古代人のDNAのデータを古いほうから順に並べると、かつての歴史展開が見えてきます。前の時代と変わらない、前の時代から少し変わった、前の時代から大きく変わった、そういうことがわかってくるのです。

I. Olalde氏らの研究は、イギリスに農耕が導入された後、イギリスの人間集団のDNAがどのように変化してきたか調べていますが、大変ショッキングな結果が出ました(図はOlalde 2018より引用)。

※Genome-wide ancestry components=DNA全体に占める各先祖のDNAの割合、British Neolithic=イギリスの新石器文化、Continental Beaker complex=大陸のビーカー文化、Y-chromosome haplogroup=Y染色体DNAの系統、Neolithic=新石器時代(農耕は行われているが、銅器・青銅器は使われていない時代です)、Copper Age and Early Bronze Age=銅器時代・青銅器時代前期、Middle Bronze Age=青銅器時代中期、Late Bronze Age=青銅器時代後期

左側の棒は古代人のDNA全体を調べた結果で、右側の点は古代人(男性)のY染色体DNAを調べた結果です。4000 BCは、紀元前4000年という意味、つまり6000年前頃です。農耕を行っていた人々のDNA(青のDNA)が、銅器時代・青銅器時代が始まるところで、後から入って来た人々のDNA(赤のDNA)にほとんど置き換えられてしまいました。赤のDNAは、ステップ(今のウクライナ・ロシア南部のあたり)と深い関係を持つDNAです。こういう歴史がイギリスにはあったのです。

イギリスで異常な現象が起きてしまったのでしょうか。そうではないようです。Olalde氏らは、ヨーロッパ北西部のイギリスだけでなく、ヨーロッパ南西部のスペイン・ポルトガルでも研究を行っていますが、やはり同じぐらいの時期に、同様の傾向が認められています(Olalde 2019)。スペイン・ポルトガルの変化は、イギリスの変化ほど極端ではありませんが、Y染色体DNAは、イギリスの場合と同様に、ステップ(今のウクライナ・ロシア南部のあたり)から来たR1b系統にほぼ完全に置き換えられてしまいました。

ちなみに、現在の西欧ではR1bが多数派ですが、東欧ではR1aが多数派です。どちらもステップ(今のウクライナ・ロシア南部のあたり)から来ています。ただし、ヨーロッパの中で中東に近い地域ではR1a/R1bの割合は控えめです。

EupediaにR1a系統とR1b系統の歴史がよくまとめられており、これらの系統がどのように拡散したか示されています(図はEupediaのウェブサイトより引用)。

R1a系統の拡散

R1b系統の拡散

ここまで明らかにしてしまう最近のDNA分析には感心します。

インド・ヨーロッパ語族の起源はまだ謎に包まれていますが、少なくとも「中東からヨーロッパに農耕を導入した人々が、インド・ヨーロッパ語族の言語を広めた」という単純な説は成り立たちそうにありません。

肝心のヨーロッパで「農耕/言語拡散仮説」はこのようになっているのです。

このヨーロッパの農耕と言語の問題は人類の歴史における大問題ですが、次回の記事ではヨーロッパから離れ、東アジアの農耕の起源の話に入ります。

 

参考文献

日本語

宮本一夫、「農耕の起源を探る イネの来た道」、吉川弘文館、2009年。

英語

Bellwood P. 2001. Early agricultural population diasporas? Farming, languages, and genes. Annual Review of Anthropology 30(1): 181-207.

Bellwood P. et al. 2003. Examining the Farming/Language Dispersal Hypothesis. McDonald Institute for Archaeological Research.

Bellwood P. 2005. First Farmers: The Origins of Agricultural Societies. Blackwell.

Diamond J. et al. 2009. Farmers and their languages: The first expansions. Science 300(5619): 597-603.

Guedes J. A. et al. 2015. The impact of climate on the spread of rice to north-eastern China: A new look at the data from Shandong Province. PLoS One 10(6): e0130430.

Lazaridis I. et al. 2014. Ancient human genomes suggest three ancestral populations for present-day Europeans. Nature 513(7518): 409-413.

Olalde I. et al. 2018. The Beaker phenomenon and the genomic transformation of northwest Europe. Nature 555(7695): 190-196.

Olalde I. et al. 2019. The genomic history of the Iberian Peninsula over the past 8000 years. Science 363(6432): 1230-1234.

Renfrew C. 1987. Archaeology and Language: The Puzzle of Indo-European Origins. Cambridge University Press.

Robbeets M. et al. 2021. Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages. Nature 599(7886): 616-621.

その他の言語

Jin G. et al. 2009. 辽东半岛南部农业考古调查报告——植硅体证据. 东方考古 6: 305-316.(中国語)

Zhang C. 2010. 辽东半岛南部农业考古新发现与突破. 辽宁省博物馆馆刊 0(1): 113-120.(中国語)