「名前(なまえ)」とは何か、平仮名と片仮名についてもう一言

最近は言語以外に関する記事が続いていたので、たまには言語に関する記事も書きましょう。

人を惑わせる万葉仮名、ひらがなとカタカナの誕生の記事にアクセスしてくださる方が多く、感謝しております。

「万葉仮名、平仮名、片仮名」にはkana(仮名)という語が含まれていますが、これは歴史的にはkarina(仮名)→kanna(仮名)→kana(仮名)と変化したものです。もともとは、karina(仮名)だったわけです。

karina(仮名)ってなに?ということなりますが、ひとまずkari(仮)とna(名)に分け、na(名)について考えましょう。

現代の日本ではnamae(名前)という語がよく使われますが、奈良時代の日本にはまだこの語はありませんでした。

na(名)の語源は、以下のように考えるのが適切と思われます。

以前にお話ししたように、奈良時代の日本語には、naru(鳴る)、nasu(鳴す)、naku(鳴く)という語がありました(nasu(鳴す)は廃れてしまいましたが、「鳴らす」という意味です)。これらにはnaが組み込まれており、かつて*na(音)という語があったと推測されます。ne(音)という語の存在も、この推測を裏づけています。*na(音)→ne(音)の変化は、*ma(目)→me(目)や*ta(手)→te(手)の変化と同じです。

*na(音)がne(音)になったのは確かですが、その一方で、*na(音)はそのままの形でも残り、na(名)になったのではないかと考えられます。

私たち一人一人は、それぞれ違う名前を持っています。みんなの名前がTarouだったら、困るでしょう。「Tarouが○○をした」と聞かされても、どのTarouかなと考え込んでしまいます。区別するために、私たち一人一人にそれぞれ違う名前が与えられているのです。

昔は文字がなく、名前はただ「音」として存在していました。区別するために、一人一人に違う「音」が割り当てられていたわけです。こう考えると、*na(音)がna(名)になったのは自然です。

筆者は、この*na(音)が文字を意味することもあったと考えています。日本人が「あ、い、う、え、お、か、き、く、け、こ・・・」と書き並べて、それを「五十音(表)」と呼んできたことを思い起こしてください(日本語の発音が変化しているので、もう五十ではありませんが)。

このような例を見るに、*na(音)が文字を意味することがあってもおかしくありません。

奈良時代の日本語には、まだ平仮名と片仮名がありませんでした。例えば、kaɸa(川、河)という日本語があっても、「かは」または「カハ」と書くことはできず、「可波」と書いていました。

独自の文字がないので、中国語から漢字を借りてこないといけないわけです。この中国語から借りた文字が、karina(仮名)にほかなりません。kariの部分は借りたことを意味し、naの部分は文字を意味しています。karina(仮名)というのは、「借りた文字」ということです(karu(借る)/kari(借り)/kari(仮)が中国語からの外来語であることについては、「足りる」と「足す」になぜ「足」という字が使われるのか?の記事を参照)。

人を惑わせる万葉仮名、ひらがなとカタカナの誕生の記事で説明したように、平仮名と片仮名は、漢字を崩したり、漢字の一部を抜き出したりして作られました(図はWikipediaより引用)。

hiragana(平仮名)とkatakana(片仮名)のhiraとkataの部分は、漢字を崩したり、漢字の一部を抜き出したりすることと関係があると見られます。日本語にhitohira(一片)という語があるのを思い出してください。

na(名)、kana(仮名)、hiragana(平仮名)、katakana(片仮名)については、このようにして理解できます。

となると、疑問として残るのは、namae(名前)です。

namae(名前)という語は、明治のいくらか前に現れ、明治から頻繁に使用されるようになりました。

明治というのは、庶民が名字(苗字)を名乗り始めた時代です。それまでは、名字を名乗っていたのは、武士や公家のような特別な身分の人たちでした。

そのような経緯を考えると、namae(名前)は、「na(名)のmae(前)」と解釈するのが自然です。当初は、na(名)は下の名前を意味し、namae(名前)は上の名前を意味していたのでしょう。そこから、namae(名前)の使い方がどんどん広がっていったのです。

namae(名前)という語が頻繁に使用されるようになった時期と、庶民が名字を名乗り始めた時期が一致しているのは、偶然でないと思われます。