「心(こころ)」の語源

「心」の語源とともに、「喜ぶ」と「うれしい」の語源も明らかにします。

現代の日本語には、sinzō(心臓)、kokoro(心)、mune(胸)という語があります。心臓は、胴体の中央あたりに位置し(左側にあるという言われ方をすることがありますが、ほんの少し左に寄っていると言ったほうが適切です)、ポンプのように全身に血液を送り出している器官です。そのような機能を持つ器官として認識され、この器官になんらかの名前が付けられただけであれば話は単純ですが、話はここで終わりません。

人々は古くから、人間は考えや思いをどこに抱いているのだろう、ここだろうか、それともここだろうか、いやここだろうかと思案してきました。そして、人間が考えや思いを抱いているのはここだろうと考えられることが多かったのが、胴体の中央あたりにある心臓なのです。

そのため、「胴体の中央あたりに位置し、ポンプのように全身に血液を送り出している器官」に言及する時に使う語、「人間が考え・思いを抱く場所」に言及する時に使う語、「胴体の正面上部」に言及する時に使う語が完全に別々であるとは限りません。

現代のトルコ語には、kalp、yürekユレク、gönülギョヌルという語があります。意味や使い方を考えると、kalpは日本語のsinzō(心臓)に近く、yürekとgönülは日本語のkokoro(心)に近いです。kalpはアラビア語からの外来語なので、ここで注目したいのはyürekとgönülです。トルコ語のyürekとgönülと同源の語は、テュルク諸語全体に広がっています。

表中のアルファベット表記は、各言語の慣習に従っています。言語によって、ñと書いたり、ńと書いたり、ngと書いたりしますが、これらはいずれも子音の[ŋ]を表しています。表に挙げた語は、意味は少しずつ異なりますが、心臓、心、精神、魂、気、気持ち、気分などを意味しています。先に結論を言ってしまうと、左側は日本語のyorokobu(喜ぶ)と同源と考えられる語で、右側は日本語のkokoro(心)と同源と考えられる語です。

現代の日本語では、「人間が考え・思いを抱く場所」を指すのにkokoro(心)という語をよく使いますが、kokoro(心)は他の語と競り合った末に、そのような地位を獲得したようです。kokoro(心)のほかにも、同じような意味を持つ語があったということです。その一つがuraです。

例えば、自分がTシャツを着ているところを考えてみてください。周囲に見せている側と自分の体に触れている側があります。自分の体に触れている側は、中側・内側です。uraは中側・内側を意味していたが、見えない側ということで、裏側を意味するようになったと考えられます。海や湖が陸地に入り込んだところをura(浦)と言っていましたが、このこともuraが中側・内側を意味していたことを裏づけています。uraが人間の内面、すなわち心を意味することがあったから、urayamu(羨む)やuramu(恨む)のような人間の心の状態を表す語が生まれたのです。urayamuのyamuはyamu(病む)です。

筆者は、岩波古語辞典(大野1990)と大体同じ見方で、心を意味したuraからuresi(うれし)も作られたと考えています。日本語の歴史においてyosi(良し)はその異形と考えられるyesiおよびisiという形を見せており(現代の日本語でもyoiが頻繁にiiになっています)、uresi(うれし)は心を意味したuraとyosiまたはその変化形がくっついたものと見られます(岩波古語辞典は ura + isi → uresi という見方です。uraとitasiからuretasi(腹立たしい、いまいましいという意味)が作られていたので説得力があります)。例えば、タイ語のdii(良い)ディーとjai(心)チャイから dii jai (うれしい)が作られたのと同じようなパターンです。ちなみに、上記のisiは前にoが付けられてoisiになり、現代のoisii(おいしい)に至ります。

このように、心を意味する語からよい感情あるいは悪い感情を意味する語が作られることはよくあり、表に挙げたトルコ語のyürek(心)のような語が日本語にyorokobu(喜ぶ)という形で入ったと見られます。中国東海岸の近くで話され、消滅してしまったテュルク系の言語にトルコ語のyürek(心)のような語があり(テュルク系の言語同士でも形が少しずつ異なります)、それが日本語にyorokobu(喜ぶ)という形で入ったということです。日本語の話者が不慣れな音を聞き、自分たちが発音しやすいように単純化した結果がyorokobu(喜ぶ)という形だったのでしょう。

同じようなことは、日本語のkokoro(心)にも言えます。表に挙げたウイグル語のköngül(心)のような語が日本語にkokoro(心)という形で入ったと見られます。中国東海岸の近くで話され、消滅してしまったテュルク系の言語にウイグル語のköngül(心)のような語があり(テュルク系の言語同士でも形が少しずつ異なります)、それが日本語にkokoro(心)という形で入ったということです。日本語の話者が不慣れな音を聞き、自分たちが発音しやすいように単純化した結果がkokoro(心)という形だったのでしょう。

yorokobu(喜ぶ)とkokoro(心)というoが並んだ形からして、この二語は同じ時代に同じ場所で取り入れられたのかもしれません。ちなみに、モンゴル語のzürx(心臓、心)ズルフの古形はǰirükeジルケ、xöör(喜び)フールの古形はkögerコゲルであり、これらもテュルク系言語の語彙と同源と考えられます。日本語のyorokobu(喜ぶ)とkokoro(心)の存在は偶然ではないのです。

表に挙げたトルコ語のyürek以下を見ると、日本語で心を意味していたuraも同源である可能性があります。テュルク系言語にある程度広く接していたり、テュルク系言語に不慣れな音があったりすると、そのようなことは起こりえます。古代中国語のある語が様々な形で日本語に入ってきているのと同様です。

日本語のmune(胸)はインド・ヨーロッパ語族から来たらしい、日本語のkokoro(心)はテュルク系言語から来たらしいとなると、その前は「人間が考え・思いを抱く場所」をなんと言っていたのでしょうか。

 

補説

占いとは?

奈良時代の日本語には、ura(占)という語がありました。三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)には、「物の形(結果)や前兆(徴候)によって、神意をさぐり、事の成否・吉凶を判断すること」という説明があります。ura(占)が動詞化したのがuranaɸu(占ふ)です。ここで重要なのは、ura(占)が神意、すなわち神の心を知ろうとする行為であったということです。ura(占)も、心を意味したuraから来ていると考えられるのです。

ura(占)の一種として、鹿などの動物の骨を焼いて占うɸutomani(太占)が広く行われました。ura(占)と同様で、-mani(占)のもともとの意味も心(意、考え、思いなども含めて)と考えられます。*mani(占)は、「胸(むね)」の語源の記事でお話しした*muna(胸、旨)および*mana(愛)と同源と見られます。「神のまにまに」という言葉が残っていますが、おそらくこの言葉はもともと神の心を意味し、神に従ったり、任せたりする時に使われていたのでしょう。そこから、manimani(まにまに)がmamani(ままに)やmama(まま)に変化し、「言われるままに、言われるまま、流されるままに、流されるまま」のような表現が生まれてきたと思われます。

 

参考文献

大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。