インディアンのDNAから重大な結果が・・・

父から息子へ(突然変異を除いて)代々不変的に伝えられるのがY染色体DNAです。インディアンのY染色体DNAは、Q系統という一つの系統に大きく占められています。インディアンに特徴的なQ系統が、世界でどのように分布しているか見てみましょう。「Y染色体ハプログループQ-M242の分布」と題された以下の図は、Balanovsky 2017からの引用です。

Q系統の分布の仕方は独特です。上の地図で紫色になっているのは、Q系統の割合が高いところです。南米のインディアンは、Q系統一色という感じです。北米のインディアンは、北西部を中心にQ系統の割合がいくらか下がっています。

※特に北米の北西部でQ系統の割合が下がっているのは、別の系統であるC系統の割合が高くなっているためです。C系統は、モンゴル系言語やツングース系言語の話者に高い率で認められます(Derenko 2006)。ちなみに、日本人のY染色体DNAは、O系統(東南アジア・中国・朝鮮半島の人々に多い)→D系統(アイヌ人に多い)→C系統の順に多く、C系統は10%近くを占めます(Hammer 2006)。

上の地図を見ると、アメリカ大陸のインディアンにおけるQ系統の割合の高さが目を引きますが、もうひとつ目を引くのは、北ユーラシアの中央にQ系統の割合が異様に高い地域があることです。紫色の部分です。ユーラシア大陸のほうは緑色の部分が多いですが、緑色の部分はQ系統が少し見られる地域です。東南アジアにもQ系統が少し見られますが、これはQ-M120(またはQ1a1a1)という下位系統で、この下位系統は北から南に広がっていったと考えられています(Huang 2018、Grugni 2019)。

※Q-M242はQ系統全体を指す表記で、Q-M120は細かく枝分かれしてできた下位系統の一つを指す表記です。M242やM120は変異を示しています。M242という変異を起こしてできたのがQ-M242という系統である、M120という変異を起こしてできたのがQ-M120という下位系統であるという具合です。

アメリカ大陸のインディアンのY染色体DNAがQ系統という一つの系統に大きく占められているという発見は重要な一歩でしたが、この発見によってインディアンの起源をめぐる研究は難しくなりました。

アメリカ大陸のインディアンに見られるミトコンドリアDNAのA系統、B系統、C系統、D系統は、今日のユーラシア東部でも一般的に見られる系統です。しかし、アメリカ大陸のインディアンに見られるY染色体DNAのQ系統は、今日のユーラシア東部ではあまり見られない、それどころか、北ユーラシアの中央に存在する小さな領域を除けば、ユーラシア全体でもあまり見られない系統です(冒頭に示した地図はY染色体DNAのQ系統に焦点を絞ったものですが、今日のユーラシアではQ系統自体がかなりマイナーな存在なのです)。

それでも、Huang 2018やGrugni 2019のようにQ系統の内部構造および移動・拡散が細かく研究されるようになり、目下のところ、Q系統は中央アジア~モンゴルのあたりからアメリカ大陸に入ってきたという見方が有力です。

冒頭の地図では、北ユーラシアの中央にQ系統の割合が高い地域が離れ小島のように存在しています。これは、かつて大きく栄えた勢力が、新しく台頭してきた勢力に侵食され、包囲されてしまった時によく見られる構図でもあります。かつて北ユーラシアで支配的だったQ系統が、インド・ヨーロッパ語族、ウラル語族、テュルク系言語、モンゴル系言語、ツングース系言語の話者に多いR系統、N系統、C系統に取って代わられたのではないか、そんな考えが起きます。こう考えると、すでに何度も言及していますが、ヨーロッパ方面から東アジア方面まで大きく広がっている出所不明の語彙の存在が納得できます。かつて北ユーラシアを支配した言語群が残していった遺産なのだと。

実は、北ユーラシアの中央でQ系統の割合が高くなっている地域には現在、ケット人という少数民族が住み、ケット語という言語を話しています。かつてはケット語にも近縁な言語があり、これらはエニセイ語族としてまとめられていましたが、近縁な言語はすべて消滅し、ケット語が残るのみになってしまいました。エニセイ語族は、周囲のインド・ヨーロッパ語族、ウラル語族、テュルク系言語、モンゴル系言語、ツングース系言語などと近い系統関係は考えられない言語群です。

かつて北ユーラシアに存在した言語群は、ヨーロッパ方面でも東アジア方面でも多大な影響を残しており、巨大な言語群であったことは間違いありません。時間的・空間的スケールの大きさを考えれば、多様な言語群であったことも間違いありません。ケット語などは、その巨大な言語群の一角が残ったものと考えられます。ケット語などを調べるだけでは、かつて北ユーラシアに存在した巨大な言語群の全貌を捉えるのは不可能です。かつて北ユーラシアに存在した巨大な言語群、おそらくY染色体DNAのQ系統の人々が主体となって話していた諸言語に迫るには、どうすればよいでしょうか。ここで、今までユーラシア大陸とその周辺しか見てこなかった筆者の目が、初めてアメリカ大陸に向きます。

 

参考文献

Balanovsky O. et al. 2017. Phylogeography of human Y-chromosome haplogroup Q3-L275 from an academic/citizen science collaboration. BMC Evolutionary Biology 17: 18.

Derenko M. et al. 2006. Contrasting patterns of Y-chromosome variation in South Siberian populations from Baikal and Altai-Sayan regions. Human Genetics 118(5): 591-604.

Grugni V. et al. 2019. Analysis of the human Y-chromosome haplogroup Q characterizes ancient population movements in Eurasia and the Americas. BMC Biology 17: 3.

Hammer M. F. et al. 2006. Dual origins of the Japanese: Common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes. Journal of Human Genetics 51(1): 47-58.

Huang Y. et al. 2018. Dispersals of the Siberian Y-chromosome haplogroup Q in Eurasia. Molecular Genetics and Genomics 293(1): 107-117.