インディアンのDNAから重大な結果が・・・の記事にアクセスしてくださる方が多く、感謝しております。前回の記事で示したGoebel 2007の図を再び示します。
アフリカから中東に出て、そこからアメリカ大陸に到達するには、二つのルートがあります。
「東南アジアルート(南ルート)」・・・中東から南アジアを通って東南アジアに移動し、そこから北に進んでアメリカ大陸に入っていくルート
「中央アジアルート(北ルート)」・・・中東から中央アジアに移動し、そこから東に進んでアメリカ大陸に入っていくルート
インディアンのDNAに関しては、母から娘へ代々伝わるミトコンドリアDNAを見ると、東南アジアからの流れが強いが、父から息子へ代々伝わるY染色体DNAを見ると、中央アジアからの流れが圧倒的であるという話をしました(熾烈な歴史、子孫を残す少数の男と多数の女および異色のカップルの誕生を参照)。東南アジアから北に進んでいった人々と、中央アジアから東に進んでいった人々の間で、なにがあったのでしょうか。
ミトコンドリアDNAは多様だが、Y染色体DNAは単調である人間集団は世界的によく見られ、人類学者・生物学者はまずpatrilocality(父方居住性=男性とその親族が住んでいるところに、女性が移ってくるパターン)に目を向けました。太田博樹氏らの研究が有名です(Oota 2001)。これはもっともなことです。
四角の中に男女が住んでいて、以下のような傾向があったらどうなるでしょうか。
・四角の中で生まれた男性は一生そこにとどまる。
・四角の中で生まれた女性は一生そこにとどまることもあれば、外に出ていくこともある。逆に、外から女性が入ってくることもある。
当然、このような傾向があれば、四角の中の男性のY染色体DNAのバリエーションは乏しく、四角の中の女性のミトコンドリアDNAのバリエーションは豊かになるでしょう。
この説明はもっともです。しかし、それだけでは説明できない現象もあります。しかも、それが人類史において非常に大きな現象なのです。その典型的な例が、インディアンのDNAです。Baranovsky 2017の図を再び示します。
アメリカ大陸のインディアンに特徴的なY染色体DNAのQ系統の分布図です。この図は、Y染色体DNAのQ系統がかつて北ユーラシアと南北アメリカ大陸で大勢力を誇ったが、のちに北ユーラシアのほうで他の系統(R系統、N系統、C系統)が台頭し、Q系統がすっかり衰退してしまったことを示しています(R系統、N系統、C系統は、インド・ヨーロッパ語族の話者、ウラル語族の話者、テュルク系言語の話者、モンゴル系言語の話者、ツングース系言語の話者に多く見られる系統です)。
これは、先ほどのpatrilocality(父方居住性)とは全然違う話です。Y染色体DNAのある系統がずっと居座る話ではなく、Y染色体DNAのある系統が消えてしまう話です。このようにQ系統は北ユーラシアではすっかり衰退してしまいましたが、そのQ系統自身もかつては他の系統を消滅させていたかもしれません。中米・南米のインディアンのY染色体DNAがQ系統一色に染まっているのは怪しいです。
筆者は、かつて東ユーラシアの北のほうで以下のようなことがあったのではないかと考えています。●は中央アジアから東に進んできた男性、●は中央アジアから東に進んできた女性、■は東南アジアから北に進んできた男性、■は東南アジアから北に進んできた女性です。説明のために、極端なモデルを示します。
中央アジアからやって来た男女より、東南アジアからやって来た男女のほうが断然多いとしましょう。そして、これらの男女の間で子作りが行われます。ここで、中央アジアからやって来た男性が力関係(権力・武力)あるいは物質的豊かさの点で東南アジアからやって来た男性より優位にあり、この優位にある男性とすべての女性の間で子作りが行われたら、どうなるでしょうか。生まれてくる子どもたちのY染色体DNAは、中央アジアからやって来た系統一色になります。生まれてくる子どもたちのミトコンドリアDNAは、東南アジアからやって来た系統が優勢になります。もともと、中央アジアからやって来た女性より東南アジアからやって来た女性のほうが多いからです。インディアンのY染色体DNAとミトコンドリアDNAは、まさにこのようになっているのです。
中央アジアからやって来た男女より、東南アジアからやって来た男女のほうが断然多かったことは、現代の東アジアの人々のミトコンドリアDNAを調べればわかります。熾烈な歴史、子孫を残す少数の男と多数の女の記事でお話ししたように、アフリカ以外の人々のミトコンドリアDNAはM系統とN系統に大別することができ、M系統は以下のように拡散したと考えられます。
M系統は、東南アジアルートを通って東アジアにやって来たことが明らかな系統です。これに対して、N系統は、東南アジアルートを通って東アジアにやって来た可能性と、中央アジアルートを通って東アジアにやって来た可能性があります。しかしながら、異色のカップルの誕生の記事でN系統の一下位系統であるB系統について考察しましたが、東アジアに存在するN系統の大半も東南アジアルートを通ってやって来たと考えられるものです。日本人のミトコンドリアDNAに関する詳細なデータは、Tanaka 2004などで見ることができます。日本人に見られるミトコンドリアDNAのN系統の下位系統の中で、中央アジアルートを通ってやって来た可能性があるのは、A系統とN9系統(下位系統としてN9a、N9b、Yがあります)ぐらいです(篠田2007)。A系統とN9系統を合わせても、日本人のミトコンドリアDNAに占める割合は14%ほどです(Tanaka 2004、篠田2007)。中央アジアルートを通ってやって来た人々は、東南アジアルートを通ってやって来た人々より断然少ないのです。
4万年前の東アジアの記事などでお話ししたように、考古学は明らかに中央アジアルートを通ってやって来た人々が東南アジアルートを通ってやって来た人々より先進的であったことを示しています(ただし、航海技術は、中東→南アジア→東南アジア→東アジアと海沿いを移動してきた人々のほうが高かったでしょう)。本ブログに登場する、ヨーロッパ方面から東アジア方面に及ぶ古代北ユーラシアのいくつかの巨大な言語群の存在も、そのことを示しています。
中央アジアからやって来た男女と東南アジアからやって来た男女による子作りは説明のために極端に描きましたが、そこまで極端な偏りはなく、もっと穏やかな偏りだったとしても、子作りが代々行われれば、やはり筆者が説明したようになります。しかし、インディアンのDNAが示す男女の歴史は、特殊な例なのでしょうか。それとも、日本人、朝鮮人、中国人などにも同じような男女の歴史があるのでしょうか。人間集団と人間集団が混ざり合うといっても、液体と液体の混合のように単純でないことを思わせます。一夫一妻制ではない世界をもう少し探求してみましょう。
※上のpatrilocality(父方居住性)の話と力関係・物質的豊かさで優位に立つ男性の話は違うものですが、互いに排他的なものではありません。Y染色体DNAのある系統がずっと居座り、その系統が別の系統に取って代わられ、今後はその別の系統がずっと居座ることも考えられるからです。複数の要因が相乗的に働いて、ある地域のY染色体DNAのバリエーションが単調になっている可能性があります(Heyer 2012)。
参考文献
日本語
篠田謙一、「日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造」、NHK出版、2007年。
英語
Balanovsky O. et al. 2017. Phylogeography of human Y-chromosome haplogroup Q3-L275 from an academic/citizen science collaboration. BMC Evolutionary Biology 17: 18.
Goebel T. 2007. The missing years for modern humans. Science 315(5809): 194-196.
Heyer E. et al. 2012. Sex-specific demographic behaviours that shape human genomic variation. Molecular Ecology 21(3): 597-612.
Oota H. et al. 2001. Human mtDNA and Y-chromosome variation is correlated with matrilocal versus patrilocal residence. Nature Genetics 29(1): 20-21.
Tanaka M. et al. 2004. Mitochondrial genome variation in eastern Asia and the peopling of Japan. Genome Research 14(10a): 1832-1850.