北ユーラシアに向かう人類、バルカシュ湖とバイカル湖

otu(落つ)の語源

日本語が属していた語族を知るの記事で、水を意味していたmat-、mit-、mut-、met-、mot-のような語から、様々な語彙が生まれたことを示しました。その中に、以下の語がありました。

mudaku(抱く)、udaku(抱く)、idaku(抱く)
ude(腕)(推定古形は*uda)
utu(打つ)
muti(鞭)
motu(持つ)

これは、「水」を意味していた語が「横」を意味するようになり、「横」を意味していた語が「手、腕、肩」を意味するようになるパターンです。上の日本語の語彙がややこしく見えるのは、語頭のmがしばしば消えているからです。以下のようになっていたら、わかりやすかったでしょう。

mudaku(抱く)
muda(腕)
mutu(打つ)
muti(鞭)
motu(持つ)

ところが、実際にはこうならなかったのです。上の一連の語は、もともと*mudaまたは*mutaという語があり、その語頭のmがしばしば脱落していたことを示しています。

このことは、otu(落つ)の語源を考えるうえでも示唆的です。otu(落つ)は、otosu(落とす)、otoru(劣る)、otoroɸu(衰ふ)などと同源と考えられます。下を意味する*otoという語があったのでしょう。弟または妹を意味したoto/otoɸi/otoɸitoという語もそのことを裏づけています。

現代の日本語にutumuku(俯く)などの語がありますが、下を意味する*utuという語もあったと考えられます。日本語で「眠りに落ちる」と言ったり、英語で「fall asleep」と言ったりしますが、人類の言語を見渡すと、落下と眠りの間には深い関係があります。立ったまま眠ることができず、横になるか座るかして眠るというのもあるかもしれません。立っているのは活動中で、横になったり座ったりしているのは休止中ということかもしれません。落下、下方向、下を意味する*utuの異形として*utaと*utoがあり、これがutatane(うたた寝)やutouto(うとうと)などの表現を生み出したのではないかと思われます。potapota(ぽたぽた)、potupotu(ぽつぽつ)、potopoto(ぽとぽと)が存在するようなものでしょう。uttori(うっとり)も、もともと寝ている様子や寝ぼけている様子を表し、そこから意味がずれていったのではないかと思われます。

ちなみに、uzu(渦)の古形はudu(渦)であり、やはり根底には「水」がありそうです。

oru(下る、降る)の語源の考察で見たように、oru(下る、降る)の語源が「水」であり、ɸuru(降る)の語源が「水」であり、sagaru(下がる)の語源が「水」であり、kudaru(下る)の語源が「水」であるならば、otu(落つ)の語源も「水」である可能性が極めて高いです。

どちらも本ブログで頻繁に登場する言語群ですが、古代北ユーラシアで水のことを(A)のように言っていた言語群と、水のことを(B)のように言っていた言語群を思い出しましょう。

(A)

mark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)

bark-、birk-、burk-、berk-、bork-(bar-、bir-、bur-、ber-、bor-、bak-、bik-、buk-、bek-、bok-)

park-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)

wark-、wirk-、wurk-、werk-、work-(war-、wir-、wur-、wer-、wor-、wak-、wik-、wuk-、wek-、wok-)

vark-、virk-、vurk-、verk-、vork-(var-、vir-、vur-、ver-、vor-、vak-、vik-、vuk-、vek-、vok-)

(B)

mat-、mit-、mut-、met-、mot-

bat-、bit-、but-、bet-、bot-

pat-、pit-、put-、pet-、pot-

wat-、wit-、wut-、wet-、wot-

vat-、vit-、vut-、vet-、vot-

※時に語頭の子音が脱落して、urk-、ork-のような語が生じたり、ut-、ot-のような語が生じたりします。

(A)の言語群は、朝鮮語mul(水)、ツングース諸語のエヴェンキ語mū(水)、ナナイ語muə(水)ムウ、満州語mukə(水)ムク、アイヌ語wakka(水)(推定古形は*warkaあるいは*walka)などが属すると見られる言語群です。インド・ヨーロッパ語族に英語のmark(印)(かつては境を意味していた)のような語があったり、ウラル語族にフィンランド語のmärkä(濡れている)マルカのような語があったりするのを見ればわかるように、(A)の言語群は北ユーラシアに広く分布していた言語群です。

東アジアの人々の本質、アフリカから東アジアに至る二つの道の記事でお話ししたように、アフリカから中東に出て、そこから中央アジアを経由して東アジアにやって来た人々と、東南アジアを経由して東アジアにやって来た人々がいました(図は上記記事のGoebel 2007の図を再掲)。

4万年前の東アジアの記事でもお話ししたように、当時先進的だったのは、中東から中央アジアを経由して東アジアにやって来た人々であり、これらの人々の言語は、人類の言語の歴史を考えるうえで大変注目されます。地図からわかるように、中央アジアのバルカシュ湖(地図中に名前は記されていませんが、中東からバイカル湖に向かう途中にある湖で、中央アジアでは最大の湖です)のあたりと、シベリアのバイカル湖のあたりが、北ユーラシア・東アジアへの進出の重要な拠点になりました。

このように、北ユーラシア・東アジアに進出する人類の重要な拠点となった湖が二つあり、その一つはバルカシュ湖(Lake Balkhash)と呼ばれ、もう一つはバイカル湖(Lake Baikal)と呼ばれています。当然、このBalkhashとBaikalにも語源があるはずです。Balkhashのほうは、古代北ユーラシアで水を意味したmark-、bark-、park-、wark-、vark-のような語から来たと考えてよいでしょう。

Baikalのほうは、どうでしょうか。Baikalは難問です。筆者は、北ユーラシアの言語や地名と照らし合わせながら、Baikalのbaiの部分とkalの部分は別々の語源を持っているのではないかと考えています。Baikalの語源はここでは見送りますが、バイカル湖東部にバルグジン川(Barguzin River)、バルグジン湾(Barguzin Bay)、バルグジン山脈(Barguzin Range)があり、バイカル湖周辺に水のことをbark-のように言う人々がいたことは確実です。

※近くを流れているトゥルカ川(Turka River)やウダ川(Uda River)などの河川名も目を引きます。水を意味するturkaのような語が横を意味するようになり、手・腕を意味する*tukaが生まれたり、頬を意味するturaが生まれたりします。手・腕を意味した*tukaは、tuka(柄)、tukamu(掴む)、tukamaru(捕まる)、tukamaeru(捕まえる)などになっており、頬を意味したturaはtura(面)になっています。バイカル湖の右下の地域は要注意です。

ヨーロッパ方面で最大の規模を誇り、モスクワとサンクトペテルブルクの間からカスピ海までを流れるヴォルガ川(Volga River)の語源も、古代北ユーラシアで水を意味したmark-、bark-、park-、wark-、vark-のような語と関係がありそうです。

こうして見ると、(A)の言語群は、中東から中央アジア、中央アジアから北ユーラシアに広がっていった人々の言語から来ている可能性が高いです。ヨーロッパで孤立しているバスク語のur(水)や、北ユーラシアの真ん中で孤立しているケット語のulj(水)ウリィなどを見ても、その可能性が高いです。しかし、いろいろと謎も残ります。

まず気になるのは、(A)の言語群は(B)の言語群と系統関係があるのかどうかという問題です。

インド・ヨーロッパ語族の英語water(水)、ヒッタイト語watar(水)のような語、ウラル語族のフィンランド語vesi(水)(組み込まれてved-、vet-)、ハンガリー語víz(水)ヴィーズのような語、そして日本語のmidu(水)は(B)の言語群に属するので、これは非常に気になる問題です。日本語が、水のことをmat-、mit-、mut-、met-、mot-のように言う言語に囲まれていたことは、本ブログで示している通りです。

もう一つ気になるのは、現在北ユーラシアに残っている言語とアメリカ大陸のインディアンの言語から、かつて北ユーラシアに水のことをjark-、jirk-、jurk、jerk-、jork-(jar-、jir-、jur-、jer-、jor-、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-)(jは日本語のヤ行の子音)のように言う言語群があったと推定されるが、(A)の言語群はこの言語群と系統関係があるのかどうかという問題です。

水のことをjark-、jirk-、jurk、jerk-、jork-(jar-、jir-、jur-、jer-、jor-、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-)のように言う言語群が存在した時代はとても古く、例を少し示すと、tʃark-、tʃirk-、tʃurk、tʃerk-、tʃork-(tʃar-、tʃir-、tʃur-、tʃer-、tʃor-、tʃak-、tʃik-、tʃuk-、tʃek-、tʃok-)のような形からtark-、tirk-、turk、terk-、tork-(tar-、tir-、tur-、ter-、tor-、tak-、tik-、tuk-、tek-、tok-)のような形が生まれたり、njark-、njirk-、njurk、njerk-、njork-(njar-、njir-、njur-、njer-、njor-、njak-、njik-、njuk-、njek-、njok-)のような形からnark-、nirk-、nurk、nerk-、nork-(nar-、nir-、nur-、ner-、nor-、nak-、nik-、nuk-、nek-、nok-)のような形が生まれたりしています。

人類は少なくとも45000年前には北ユーラシアに現れており、そこからの言語の歴史は壮大で複雑です。上に述べた問題も、すぐに結論が出せない大きな問題です。しかし、そのような大きな問題を立てることはできるようになってきました。問題は山のようにありますが、少しずつ人類の言語の歴史を明らかにしていきましょう。

 

参考文献

Goebel T. 2007. The missing years for modern humans. Science 315(5809): 194-196.