台湾とオーストロネシア語族

現在の台湾は、中国語を話す人々によってほぼ占められていますが、わずかに少数民族が残っています。アタヤル族、アミ族、パイワン族などが知られています。もともと台湾にいたのは、これらの少数民族です。中国語を話す人々がやって来るようになったのは、17世紀頃からで、歴史上最近です。

台湾の少数民族の言語は、フィリピン、インドネシア、マレーシア、そして太平洋地域の多くの島々の言語と系統関係があり、この言語群は「オーストロネシア語族」と呼ばれます。オーストロネシア語族の広大な分布域を見れば、オーストロネシア語族の人々が極めて高い航海能力を持っていたことは明らかです。

※驚くべきことに、オーストロネシア語族の言語はアフリカ大陸のすぐ横にあるマダガスカルにも分布しています。東南アジアからマダガスカルまでの距離を考えると、びっくりです。マダガスカルの人々は、東アフリカと東南アジアの両方にルーツを持っています。マダガスカルは、アフリカ大陸のすぐ近くにあるのに、ずっと人がおらず、この2000年ぐらいの間に、ようやく人が住むようになった独特の島です(Pierron 2017)。

オーストロネシア語族は、全体的によく保存されています。大陸のように大規模な戦乱で大量の言語が失われるということがなかったと思われます(ただし、オーストロネシア語族自身は他の言語を大量に消滅させたと見られます)。

オーストロネシア語族の言語は非常に数が多いですが、中でも注目されるのが台湾の少数民族の言語です。なぜかというと、台湾は狭いのに台湾の少数民族の言語は互いに大きく異なっており、対照的に、台湾以外の地域(フィリピン、インドネシア、マレーシア、太平洋地域、マダガスカル)は広いのにその広い地域の言語は互いによく似ているからです。言語学の見地からすれば、台湾で話されていた言語の一部が台湾以外の地域に広がっていったことは明らかなのです。

最近では、かつて台湾にいた人々と言語がどのように広がっていったのかという研究だけでなく、かつて台湾にいた人々と言語がどこから来たのかという研究も充実してきました。C. Tsang氏らやL. Sagart 氏らは、5000年ほど前から見られ始める台湾の初期の農耕が、意外なことに、イネよりむしろアワ・キビを盛んに栽培していたことを明らかにしています(Tsang 2017、Sagart 2018)。意外というのは、中国の農耕は北方はアワ・キビ中心、南方はイネ中心という理解があったからです。イネを中心とする長江文明よりもっと南に、アワ・キビを盛んに栽培する農耕社会があったというのが意外なのです。台湾の向かいの福建省でもそれに近い時代のアワ・キビが見つかっており、Tsang氏らやSagart 氏らの研究を裏づけています(Deng 2017)。Sagart氏らは、以下のような人々の移動があったのではないかと考えています(図はSagart 2018より引用)。

山東省のあたりにいた人々が、中国東海岸沿いを南下し、福建省のあたりに辿り着き、そこから台湾に入ったのではないかということです。こう考えると、台湾の初期の農耕にアワ・キビとイネの両方が存在していたことが無理なく説明できます。

※Sagart氏らは、山東省のあたりで7000年前頃に始まった特徴的な抜歯の儀式が南(台湾も含めて)に伝わっていることも指摘しています。日本の縄文時代後期・晩期~弥生時代にも抜歯の儀式が認められているので、日本の歴史にとっても無視できない問題です(Han 1996)。麻酔なしの抜歯は大変痛かったでしょう。

山東省のあたりにいた人々が台湾に向かうといっても、行く先行く先で人が流入してくるので、山東省のあたりにいた人々がそのまま台湾に現れるわけではありません。しかしそれでも、L. Wei氏らは、大陸に見られるY染色体DNAのO系統とオーストロネシア語族に見られるY染色体DNAのO系統を詳細に調べ、中国東海岸地域とオーストロネシア語族のつながりを示しており、もとのタイプが中国東海岸沿いおよびその近くに見られ、下位のタイプがオーストロネシア語族に見られています(Wei 2017)。

前回の記事で、中国の北東のほうで東アジア・東南アジアの運命を大きく決定する潜在的な動き(文明発生直前の段階)があったのではないかと推測しましたが、やはり遼河文明の領域と黄河文明の領域と長江文明の領域に囲まれたあたりは怪しいです。ベトナム系言語(オーストロアジア語族)の根源を辿っても、タイ系言語(タイ・カダイ語族)の根源を辿っても、オーストロネシア語族の根源を辿っても、その辺に行き着くのです。

これは、日本の歴史を考える時に注意しなければならない点でもあります。日本と東南アジアの間になんらかの共通点(例えば、品物、技術、生活様式、風習、文化、人間の遺伝学的特徴など)が見つかっても、それは、日本と東南アジアを直接結ぶというより、かつての中国東海岸地域から双方に広がったものかもしれないということです(ここでいう中国とは、もちろん国家ではなく、あくまで位置を示す語です)。

ベトナム系言語、タイ系言語、オーストロネシア系言語、日本語が近い系統関係にないことは確かです。しかし、これらの言語がかつて近くに集まっていたのも確かなようです。その言語学的根拠を示すことにしましょう。日本語の起源をめぐる問題がまた大きく前進することになります。

 

参考文献

Deng Z. et al. 2017. The ancient dispersal of millets in southern China: New archaeological evidence. The Holocene 28(1): 34-43.

Han K. et al. 1996. A comparative study of ritual tooth ablation in ancient China and Japan. Anthropological Science 104(1): 43-64.

Pierron D. et al. 2017. Genomic landscape of human diversity across Madagascar. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 114(32): E6498-6506.

Sagart L. et al. 2018. A northern Chinese origin of Austronesian agriculture: New evidence on traditional Formosan cereals. Rice 11(1): 57.

Tsang C. et al. 2017. Broomcorn and foxtail millet were cultivated in Taiwan about 5000 years ago. Botanical Studies 58(1): 3.

Wei L. et al. 2017. Phylogeography of Y-chromosome haplogroup O3a2b2-N6 reveals patrilineal traces of Austronesian populations on the eastern coastal regions of Asia. PLoS One 12(4): e0175080.