日本語は朝鮮半島を通ってやって来た、高句麗・百済・新羅が誕生する前の時代

前回の記事では、朝鮮のnam gang(南江)ナムガンという地名、nam(南)という姓、nam(他人、よその人)という語は、タイ語のnaam(水)のような語から来ているのではないかと推測しました。

nam(他人、よその人)と並んで怪しいのが、namta(余る)(語幹nam-)です。日本語のamaru(余る)を思い出してください。この語は、ama(雨)などとともに「水」から来ており、水が入りきらずに出てしまうことを意味していました。朝鮮語のnamta(余る)の経緯も、日本語のamaru(余る)と同様と見られます。

朝鮮語には、namta(余る)と意味的つながりがあるnɔmu(あまりに)ノムという語もあります。日本語で「あまりに大きい」とか「あまりにひどい」とか言いますが、そういう時にnɔmu(あまりに)を使います。nɔmta(超える、越える)ノムタやnɔmtʃhida(溢れる)ノムチダのような語があるので、nɔmu(あまりに)も「水」から来ていると考えられます。

朝鮮語のnamta(余る)とnɔmu(あまりに)でnのうしろの母音が異なるのは、タイ系言語の内部にばらつきがあったからでしょう。日本語でも、nama(生)(焼いたり、干したりしておらず、水っぽいという意味)、nami(波)、×namu(飲む)とはならずに、nomu(飲む)になっており、タイ系言語の内部にばらつきがあったことを裏づけています。

ちなみに、朝鮮語のphado(波)パドは明らかに別物ですが、nabukkida(なびく)ナブッキダは日本語のnami(波)/nabiku(なびく)と間接的な関係がありそうです。

朝鮮半島にタイ系の言語が存在した可能性が濃厚になってきました。

もう一つ注目したいのが、朝鮮語のnopta(高い)(語幹nop-)です。日本語で関係がありそうなのは、noppo(のっぽ)、nobu(伸ぶ)、noboru(上る、登る、昇る)などでしょう。

水・水域を意味していた語がその横の盛り上がった部分を意味するようになり、そこから山、高さ、長さを意味する語が生まれるという頻出パターンを考えると、朝鮮語のnopta(高い)や日本語のnoppo(のっぽ)、nobu(伸ぶ)、noboru(上る、登る、昇る)などの背後にもタイ系の言語があると考えられます。タイ系の言語に、nam-、nab-、nap-、nom-、nob-、nop-ぐらいのバリエーションはあったのでしょう。

※noppo(のっぽ)、nobu(伸ぶ)、noboru(上る、登る、昇る)などからかけ離れた感じがしますが、nonbiri(のんびり)も無関係でないと思われます。yawaからyanwariが作られたように、nobiからnonbiriが作られたと考えられます。長さ、特に時間的な長さを言うなかで、nonbiri(のんびり)という語が生まれたのでしょう。

平らな土地を意味するɸara(原)に対して、傾斜した土地を意味していたno(野)も気になります。nu/numaが沼を意味していたように、no/*nomaが傾斜を意味していた可能性があります。水を意味していたsakaがsaka(坂)になったのを思い出してください。このnoがno(野)になり、*nomaがnomeru(のめる)になったのかもしれません。「前のめりになる」とか「つんのめる」とか言う時のnomeru(のめる)です。nu/numaからnumeru(ぬめる)ができたのなら、no/*nomaからnomeru(のめる)ができるのは自然です。

日本語のnu/numa(沼)と朝鮮語のnɯp(沼)ヌプも、タイ系言語を間に挟んだ間接的な関係でしょうか。

「朝鮮半島にタイ系言語?」と驚かれたかもしれません。朝鮮語の語彙、朝鮮半島の地名、朝鮮人の姓を調べながらかつての朝鮮半島の姿を探っていますが、かつての朝鮮半島の言語事情は非常に複雑だったようです。

紀元前1世紀頃から高句麗、百済、新羅が興り、朝鮮半島の三国時代が始まったことはよく知られています。しかし、日本史上の最大の転機ともいえる弥生時代は2500~3000年前に始まっており、日本語の起源・歴史を考えるうえで重要なのは、三国時代の朝鮮半島ではなく、それよりも前の朝鮮半島です。

たかが何百年の違いではないかと軽く考えることはできません。中国の春秋戦国時代も500~600年程度の時代ですが、この間に中国に存在した多くの言語が消滅しています。激動の時代であれば、何百年かの間に言語分布がすっかり変わってしまうこともありえます。

日本語と朝鮮語に入っている語彙(地名と姓も含めて)を見る限り、日本語が通過した時の朝鮮半島(三国時代よりも前の朝鮮半島)では様々な言語が話されていたようです。水のことをkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-)のように言う言語群もありました(kim(金)という姓に関係があると見られます)。水のことをpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のように言う言語群もありました(pak(朴)という姓に関係があると見られます)。タイ系の言語群もありました(nam(南)という姓に関係があると見られます)。しかし、これらはまだ一部です。

ユーラシア大陸のような巨大な領域ではなく、朝鮮半島のようなとても小さい領域に様々な言語がひしめいていたというのは、注目に値します。しかも、日本のすぐ横の領域です。日本の縄文時代の言語事情を考えるうえでも大変示唆的です。

また、日本語が朝鮮半島を通過した時に朝鮮半島に様々な言語がひしめいていたのであれば、縄文時代から弥生時代に移っていく頃に朝鮮半島から日本列島に渡ったのが日本語ただ一つであったとは限りません。日本語に近い言語も日本語に近くない言語も含めて、いくつかの言語が朝鮮半島から日本列島に渡った可能性も検討しなければなりません。

タイ系言語の存在はなにを意味するのか

朝鮮半島にタイ系言語が存在したというのはそれ自体興味深いことですが、その意味するところは極めて深遠です。なにしろ、ツングース諸語、朝鮮語、日本語にタイ系の語彙が認められるのです。中国南部からインドシナ半島に残っているタイ系言語のバリエーションが比較的乏しいことと考え合わせると、タイ系言語の根源が中国の北東のほうにあった可能性があります。

前に、黄河文明と長江文明を開始した人々の記事で、シナ・チベット語族の古代中国語sywij(水)シウイ、ペー語ɕui(水)シュイ、チベット語chu(水)チュ、ガロ語chi(水)、ミゾ語tui(水)などは北方起源かもしれない、オーストロアジア語族のベトナム語nước(水)ヌウク、バナール語dak(水)、クメール語tɨk(水)トゥク、モン語daik(水)、サンタル語dak’(水)ダークなども北方起源かもしれないと示唆したこともありました。

東アジアに遼河文明、黄河文明、長江文明という三つの文明が発生しましたが、それぞれに独自の特徴があり、三つの文明のうちのどれか一つを別の一つの下位系統と考えることはできません。しかし、遼河文明、黄河文明、長江文明は大体同じくらいの時期に発生しており、この三つの文明の発生が全く無関係であったとも思えません。どこかに文明発生直前の状態があり、これが遼河文明の発生、黄河文明の発生、長江文明の発生につながったのではないかと考えたくなるところです。

そのような文明発生直前の状態が存在した場所として最も有力なのは、遼河文明の領域と黄河文明の領域と長江文明の領域に囲まれたあたりでしょう。タイ系言語も、文明発生直前の状態から遼河文明、黄河文明、長江文明が生まれていくあたりにいたのかもしれません。

本ブログでは、シナ・チベット語族、ベトナム系言語(言語学ではオーストロアジア語族)、タイ系言語(言語学ではタイ・カダイ語族)に度々言及してきましたが、これらの言語群のほかに、まだ全然取り上げていないオーストロネシア語族という巨大な言語群があります。オーストロネシア語族の言語は、台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、太平洋地域、マダガスカルに分布しています。その分布域の広さ、言語数の多さから、言語学では盛んに注目され、盛んに研究されてきました。オーストロネシア語族の言語およびそれらの言語を話す人々の起源も盛んに論じられてきました。近年の言語学、考古学、生物学の発展によって、オーストロネシア語族の研究も新たな展開を見せています。東アジア・東南アジアの歴史を考えるうえで重要なので、オーストロネシア語族の話をします。