日本語の複雑な歴史、インド・ヨーロッパ語族はこんなに近くまで来ていたの記事で示した図は、遼河流域で話されていた言語(正確には「日本語の前身言語」と言うべきですが、簡便のために単に「日本語」と言います)が山東省のあたりに南下してきて、インド・ヨーロッパ語族の言語、テュルク系の言語、モンゴル系の言語、シナ・チベット語族の言語、ベトナム系の言語、タイ系の言語に接しているところです。この図は、春秋戦国時代(BC770年~)より若干前の時代を念頭に置いています。
日本語には、山東省のあたりにいた時代の前に、遼河流域にいた時代があります。この遼河流域にいた時代に、日本語は周囲にいた様々な言語(アメリカ大陸のインディアンの言語に比較的近い言語やアイヌ語・朝鮮語・ツングース系言語に比較的近い言語もありました)から大量の語彙を取り入れていたのです。日本語が山東省のあたりで過ごした時代も複雑ですが、日本語が遼河流域で過ごした時代も複雑だったのです。遼河文明の開始がBC6200年頃、遼河流域で気候変動による砂漠化が始まったのがBC2200年頃(Yang 2015)、春秋戦国時代の開始がBC770年であることを考えれば、山東省のあたりで過ごした時間より、遼河流域で過ごした時間のほうが明らかに長かったでしょう。
本ブログでは、ウラル語族の言語、インド・ヨーロッパ語族の言語、テュルク系の言語、モンゴル系の言語、ツングース系の言語、シナ・チベット語族の言語、ベトナム系の言語、タイ系の言語がまず登場し、後から古代北ユーラシアの言語群が登場してきますが、これは筆者の研究がそのような順序で進んできたからです。
多くの言語学者と同じように、筆者も日本語の起源・歴史を考えるにあたって「現在残っている言語」を見ているだけでした。これは致し方ありません。過去に消えた言語がたくさんあって、日本語がそれらの言語と深く付き合っていたというのは、いきなり考えつくことではないからです。現在残っている言語の語彙を丁寧に根気強く調べていくうちに、かつて北ユーラシア(インド・ヨーロッパ語族やウラル語族が広がる前の北ユーラシア)に未知の巨大な言語群があったようだという感触を得たのです。
古代北ユーラシアに存在した言語群は謎に満ちています。本ブログで盛んに取り上げている水のことをjak-、jik-、juk-、jek、jok-(jは日本語のヤ行の子音)のように言っていた言語群はその一つです。この言語群は、ケチュア語yaku(水)やグアラニー語i(水)(グアラニー語と同系の言語でトゥパリ語yika(水)イカ、メケンス語ɨkɨ(水)イキ、マクラップ語ɨ(水)イ)などの語彙を見せる南米のインディアンの言語と関係が深そうです。
日本語にyuki(雪)、ツングース諸語にエヴェンキ語djuke(氷)デュク、ナナイ語dӡuke(氷)ヂュク、満州語tʃuxe(氷)チュフなどの語があることから、遼河・アムール川周辺に水のことをjuk-のように言う言語が存在したことが窺えます。ラテン語のjus(汁)ユースが英語のjuice(ジュース)になったように、子音[j](日本語のヤ行の子音)が[dʒ、ʒ、tʃ、ʃ]になることは多く、そこからさらに[d、z、t、s]になることもよくあります。jak-という形から、dʒak-、ʒak-、tʃak-、ʃak-という形が生まれたり、dak-、zak-、tak-、sak-という形が生まれたりするわけです。
ここで興味深いのが、シナ・チベット語族の古代中国語sywij(水)シウイ、ペー語ɕui(水)シュイ、チベット語chu(水)チュ、ガロ語chi(水)チ、ミゾ語tui(水)などです。上に述べたように、日本語とツングース諸語の語彙から、遼河・アムール川周辺(今の中国東北部のあたり)に水のことをjuk-のように言う言語があったことがわかります。juk-はdʒuk-、ʒuk-、tʃuk-、ʃuk-に変化しやすく、ツングース諸語はその一例を示しています。
前に英語day(日)、ドイツ語Tag(日)、オランダ語dag(日)、スウェーデン語dag(日)、アイスランド語dagur(日)などの例を挙げましたが、末子音k/gはi/j(日本語のヤ行の子音)によく変化します。日本語は子音k/gで終わることができませんが、世界の言語を見渡すとそのような傾向があります(特に中国語は歴史を通じてこの傾向があります。例えば、現代の中国語のbai(白)のiの部分は、隋・唐の時代にはkでした。現代の中国語のtai(台)のiの部分は、隋・唐の時代にもiでしたが、さらにその前はkであったと見られます。tai(台)は、周囲を見渡すための高い建物や高くなった土地・場所を意味していた語で、日本語のtaka(高)やテュルク諸語のトルコ語dağ(山)ダー、カザフ語taw(山)、ウイグル語taʁ(山)タグなどと同源と考えられるからです)。水を意味するtʃukのような語があれば、それはtʃui/tʃujになりやすいということです。シナ・チベット語族の「水」が怪しいです。
同じく興味深いのが、オーストロアジア語族のベトナム語nước(水)ヌウク、バナール語dak(水)、クメール語tɨk(水)トゥク、モン語daik(水)、サンタル語dak’(水)ダークなどです。オーストロアジア語族は、本ブログではだれにでもわかりやすいようにベトナム系言語と呼んでいますが、長江文明の担い手たちの言語です。オーストロアジア語族の言語は、今ではベトナムのあたりからインドの内部へ点々と分布していますが、かつては長江下流域からインドまで広がっていたと考えられます。オーストロアジア語族の「水」も怪しいです。
要点を整理しましょう。
・古代北ユーラシアに水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言う巨大な言語群が存在した。
・この巨大な言語群の一部はアメリカ大陸に入っていった。
・jak-、jik-、juk-、jek-、jok-の先頭の子音[j]は[dʒ、ʒ、tʃ、ʃ]に変化すること、さらに[d、z、t、s]に変化することがよくあった。
この話はまずニヴフ語のtʃaχ(水)チャフなどに関係がありそうですが、シナ・チベット語族の「水」とオーストロアジア語族の「水」も無関係とは思えません。tʃuk-という形はシナ・チベット語族の「水」に通じるし、dʒak-あるいはdak-という形はオーストロアジア語族の「水」に通じます。
周辺に存在する日本語mizu(水)、朝鮮語mul(水)、エヴェンキ語mū(水)ムー、ナナイ語mue(水)ムウ、満州語muke(水)ムク、モンゴル語us(水)、アイヌ語wakka(水)などが全然違うだけに、上記の問題は際立ちます(前回の記事で、水を意味していた語が手、腕、肩、脇などを意味するようになるパターンを示しましたが、アイヌ語のtek(手、腕)の語源は、他言語で水を意味していた語でしょう)。
黄河文明の言語(シナ・チベット語族)はどこから来たのか、長江文明の言語(オーストロアジア語族)はどこから来たのか、黄河文明の言語と長江文明の言語の母体は水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた古代北ユーラシアの巨大な言語群なのかといった問題は、非常に興味深い問題です。しかし、このような問題は、1万年どころではなく、もっともっと時間を遡らなければならないスケールの大きい問題です。人類学、生物学、考古学の最新の知見を踏まえながら、アフリカからの人類の拡散の問題の一部として考えるのが賢明です。
この数十年くらいの人類学、生物学、考古学の進歩は目覚ましく、筆者も驚いています。しかし、アフリカからの人類の拡散は複雑で、人類学者・生物学者・考古学者が盛んに注目してきた部分と、あまり注目してこなかった部分があります。このあまり注目されてこなかった部分が原因で、東アジアの人々の解明が難航しているようです。特にこの部分に焦点を当てながら、アフリカからの人類の拡散を考察することにしましょう。
参考文献
Yang X. et al. 2015. Groundwater sapping as the cause of irreversible desertification of Hunshandake Sandy Lands, Inner Mongolia, northern China. Proceedings of the National Academy of Sciences 112(3): 702-706.