東アジアの人々は南方から北上してきたのか

私たちの種は、ネアンデルタール人などの旧人類と区別して、ホモ・サピエンスと呼ばれたり、Anatomically modern humans(解剖学的現代人)と呼ばれたりします。ここでは、後者の呼び方を用いることにします。

ミトコンドリアDNAとY染色体DNAの研究が発達し、現在では、AMHは15~20万年前頃にアフリカで誕生し、6万年前頃にアフリカを出たという考え方が主流です(Mellars 2006)。アフリカ以外の地域の人々のミトコンドリアDNAとY染色体DNAを調べると、6万年前かそれより若干前の頃の共通祖先に行きつき、アフリカを含めて全世界の人々のミトコンドリアDNAとY染色体DNAを調べると、15~20万年前頃の共通祖先に行きつきます(Maca-Meyer 2001、Macaulay 2005、Soares 2012、Poznik 2016、Haber 2019、Rito 2019)。

※AMHは15~20万年前頃にアフリカで誕生し、6万年前頃までアフリカから全く出なかったのかというと、そういうわけではないようです。イスラエルのSkhul(スクール)やQafzeh(カフゼー)では、6万年前よりかなり古いAMHのものと判断される人骨が見つかっています(Shea 2008)。どうやら、6万年前頃より早くにアフリカから出たAMHは、子孫を途切れず残して繁栄することに成功しなかったようです。

6万年前頃にアフリカから中東に出たAMHは、そこからどこに向かったのでしょうか。各分野の専門家の注目を集めてきたのは、(1)中東からヨーロッパに向かうルートと(2)中東から南アジア、東南アジア、パプアニューギニア・オーストラリアに向かうルートです。

中東からヨーロッパは近いですが、中東からパプアニューギニア・オーストラリアは遠いです。しかし、パプアニューギニア・オーストラリアには、4.5~5万年前頃からAMHの遺跡が見られるのです(当時は、パプアニューギニアとオーストラリアは陸続きで、サフール大陸という大陸を形成していました)(O’Connell 2015、O’Connell 2018)。これは、AMHがヨーロッパに現れるのと大体同じかそれより若干早いくらいです。

AMHが4.5~5万年前にパプアニューギニア・オーストラリアに辿り着いていたということは、その少し前に東南アジアに辿り着いていたはずです。ここから、東南アジアの人々が北上して東アジアの人々になったのだという説が唱えられるようになります。

東アジアの人々がどこからやって来たかを研究するB. Su氏、H. Shi氏、H. Zhong氏らのグループの一連の論文は、賛成か反対かはともかく、多くの学者の注目を集めてきました。Su 1999では、東アジアの人々のY染色体DNAを調べ、北部に見られるセットは南部に見られるセットの一部にすぎないという観察に基づいて、東アジアの人々は南方からやって来たという結論が出されました。しかし、この論文が書かれたのは、Y染色体DNAの研究が始まったばかりで、Y染色体DNAの各系統(各ハプログループ)がまだ細かく整理されていない時期でした。そのため、同論文には問題がありました。Su氏らは人類のY染色体DNAを17のハプログループ(H1~H17)に分類し、そのうちの8つ(H6~H13)をアジア特有として、この8つが東アジアにどのように分布しているか調べました。しかし、のちの観点からすると、Su氏らが調べた7つ(H6~H12)はO系統のもので、1つ(H13)はQ系統のものでした。つまり、Su氏らは実質的にO系統の拡散を調べていたのです。東アジアの人々はどこからやって来たかというより、Y染色体DNAのO系統はどのように拡散したかという問題になっていたのです。

2002年にY Chromosome Consortium(Y染色体コンソーシアム)という団体によってY染色体DNAの細かい系統図が発表されました(Y Chromosome Consortium 2002)。その後、Su氏、Shi氏、Zhong氏らは、東アジアの両極にあるチベットと日本にはよく見られるが、その間にはほとんど見られないY染色体DNAのD系統に注意を向けます。確かに、東アジアにおけるD系統の分布は特徴的です。かつて大きく広がっていた勢力が、新しく台頭した勢力によって分断されてしまったことを思わせます。Shi 2008では、D系統のShort tandem repeat(ショートタンデムリピート)の分析も行いながら、まずはD系統が南方から東アジアに広がり、後でO系統などの他の系統が南方から東アジアに広がったという結論が出されました(Short tandem repeatの分析はよく用いられる重要な手法なので、別のところで説明します)。

東アジアではO系統とD系統に加えてC系統が目立ちますが、C系統はZhong 2010で研究されています。C系統はオセアニア、東南アジア、東アジア、中央アジア、シベリア、北米の各地域にある程度の頻度で観察され、パプアニューギニア・オーストラリアでも高い率で見られます。C系統は、長い歴史を持ちますが、比較的よく足跡を残しており、研究のための材料・根拠に恵まれています。Zhong 2010では、C系統も南方から東アジアに広がったという結論が出されました。

アフリカ・中東方面から東アジアに向かおうとすると、ヒマラヤ山脈という巨大な障壁があり、可能性としては、ヒマラヤ山脈の南側を通過するか(東南アジア経由)、ヒマラヤ山脈の北側を通過するか(中央アジア経由)しなければなりません。Su 1999、Shi 2008、Zhong 2010では南側ルートの話ばかりでしたが、Zhong 2011では北側ルートにも目が向けられるようになります。Zhong 2011が特徴的なのは、古代中国と西方の間でシルクロードが栄えた時代や農耕・牧畜が始まった時代ではなく、もっと前のLast Glacial Maximum(最終氷期最盛期)の直後(15000~18000年前頃)から、人々が北側ルートを通って東アジアに入ってきていると考えている点です。Su氏、Shi氏、Zhong氏らの考えの変化は、東アジアの特に北部の人々にごく低率ながら認められるY染色体DNAのQ系統とR系統を本格的に分析し始めたことによります(Short tandem repeatに関する知識が必要なので、ここでは深入りしません)。東アジアの人々は古い時代に南側ルートを通ってやって来た多数の人々とそれより後の時代に北側ルートを通ってやって来た少数の人々によって形成されたのではないかという考えが生まれてきました。Su氏、Shi氏、Zhong氏らのグループの研究はこのように変遷してきました。

しかし、実は全然違うところでもっと大胆な説を提唱している人たちがいました。

 

参考文献

Haber M. et al. 2019. A rare deep-rooting D0 African Y-chromosomal haplogroup and its implications for the expansion of modern humans out of Africa. Genetics 212(4): 1421-1428.

Maca-Meyer N. et al. 2001. Major genomic mitochondrial lineages delineate early human expansions. BMC Genetics 2: 13.

Macaulay V. et al. 2005. Single, rapid coastal settlement of Asia revealed by analysis of complete mitochondrial genomes. Science 308(5724): 1034-1036.

Mellars P. 2006. Why did modern human populations disperse from Africa ca. 60,000 years ago? A new model. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 103(25): 9381-9386.

O’Connell J. F. et al. 2015. The process, biotic impact, and global implications of the human colonization of Sahul about 47,000 years ago. Journal of Archaeological Science 56: 73-84.

O’Connell J. F. et al. 2018. When did Homo sapiens first reach Southeast Asia and Sahul? Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 115(34): 8482-8490.

Poznik G. D. et al. 2016. Punctuated bursts in human male demography inferred from 1,244 worldwide Y-chromosome sequences. Nature Genetics 48(6): 593-599.

Rito T. et al. 2019. A dispersal of Homo sapiens from southern to eastern Africa immediately preceded the out-of-Africa migration. Scientific Reports 9(1): 4728.

Shea J. J. 2008. Transitions or turnovers? Climatically-forced extinctions of Homo sapiens and Neanderthals in the East Mediterranean Levant. Quaternary Science Reviews 27(23-24): 2253-2270.

Shi H. et al. 2008. Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations. BMC Biology 6: 45.

Soares P. et al. 2012. The expansion of mtDNA haplogroup L3 within and out of Africa. Molecular Biology and Evolution 29(3): 915-927.

Su B. et al. 1999. Y-Chromosome evidence for a northward migration of modern humans into Eastern Asia during the last Ice Age. American Journal of Human Genetics 65(6): 1718-1724.

Y Chromosome Consortium. 2002. A nomenclature system for the tree of human Y chromosomal binary haplogroups. Genome Research 12: 339-348.

Zhong H. et al. 2010. Global distribution of Y-chromosome haplogroup C reveals the prehistoric migration routes of African exodus and early settlement in East Asia. Journal of Human Genetics 55(7): 428-435.

Zhong H. et al. 2011. Extended Y chromosome investigation suggests postglacial migrations of modern humans into East Asia via the northern route. Molecular Biology and Evolution 28(1): 717-727.