アイヌ系の言語はどこまで広がっていたのか

前回の記事では、水・水域を意味していた語が横の部分を意味するようになり、横の部分を意味していた語が耳と頬を意味するようになるケースを見ました。一般に横の部分を意味していた語が耳を意味するようになったり、頬を意味するようになったりする話は十分理解できますが、この話はここで終わらないようです。

本ブログの最初のほうで、手(て)、腕(うで)、肩(かた)の語源という記事を書きました。そこで、フィンランド語olka(肩)、ハンガリー語váll(肩)ヴァーッル、朝鮮語ɔkkɛ(肩)オッケ、日本語waki(脇)などの語を取り上げ、かつて肩・脇のあたりを指す*walkV/*wolkVのような語があったのだろうと推測しました。フィンランド語と朝鮮語では語頭のwが消えていますが、これは日本語の「を」の発音がwoからoになったようによくあることです。

ここで大変気になるのが、*warkaあるいは*walkaという形をしていたのではないかと疑われるアイヌ語のwakka(水)です(身体部位を表す語彙は実は・・・を参照)。アイヌ語は北海道、東北、樺太、千島列島で話されてきましたが、これはあくまで歴史記録によって確認できる範囲であり、かつてはもっと広い範囲で話されていたかもしれません(地図はWikipediaより引用)。

北方領土問題で択捉島(えとろふとう)、国後島(くなしりとう)、色丹島(しこたんとう)、歯舞群島(はぼまいぐんとう)という名前は聞いたことがあると思いますが、これらの島の先にもいくつもの島が連なっており、カムチャッカ半島まで続いています。この北海道とカムチャッカ半島の間の島々を千島列島と呼びます。千島列島の上のほうに広がっているのがオホーツク海です。オホーツク海は冬になると凍ります。

日本語の起源を明らかにする手順—ウラル語族の秘密(1)変わりゆくシベリア(2)の記事でお話ししたように、ウラル語族の言語は、遼河流域から北上し、そこから西に進んでウラル山脈周辺にやって来たと考えられます。ウラル語族の話者のDNA研究も進展しており、ウラル語族の話者が遅くとも5000年前ぐらいにはウラル山脈周辺に来ていたことが確実になってきました(Post 2019)。

※遼河文明が栄えていた頃の遼河流域に多く見られたY染色体DNAのN系統は、現代のウラル語族の話者に高い率で認められます。しかし、ハンガリー人は例外で、N系統はハンガリー人男性のせいぜい数パーセントにしか認められません。ハンガリー人のDNAは、遠くにいるウラル語族の話者ではなく、周囲にいるインド・ヨーロッパ語族の話者に極めて近くなっています。Post氏らは、ハンガリー人にわずかに認められるN系統とウラル語族のその他の話者に見られるN系統を調べ、これらが4000~5000年前ぐらいから分かれ始めたことを明らかにしています。

遼河文明の開始時期が8200年前頃なので、ウラル語族の言語は遼河文明の早い段階で遼河流域を離れ、5000年以上前にウラル山脈周辺に到達したと考えられます。遼河流域から北上し、そこから西進していったウラル語族は、当時北ユーラシアに存在した諸言語の語彙をコレクションするかのようにたくさん吸収したと見られます。この点で、ウラル語族は非常に期待できます。

上にウラル語族のフィン・ウゴル系のフィンランド語olka(肩)、ハンガリー語váll(肩)を挙げましたが、これらをサモエード系のネネツ語mərts(肩)ムルツィッ、エネツ語modji(肩)モディイ、ガナサン語mərsɨ(肩)ムルスィと比べるとどうでしょうか。おそらく、前の二つは後の三つと直接的な関係はないでしょう。しかし、サモエード系にはマトル語margɜ(肩)マルガという語もあり、ネネツ語mərts(肩)、エネツ語modji(肩)、ガナサン語mərsɨ(肩)は、*mərkiのような形からキチ変化(kiがtʃiになったり、ʃiになったりする変化、詳しくは幸(さき)と幸(さち)—不完全に終わった音韻変化を参照)を経て現在の形になったと考えられるのです。要するに、フィン・ウゴル系のフィンランド語olka(肩)、ハンガリー語váll(肩)は*walkV/*wolkVのような形から来ていて、サモエード系のネネツ語mərts(肩)、エネツ語modji(肩)、ガナサン語mərsɨ(肩)、マトル語margɜ(肩)は*markV/*mərkVのような形から来ているということです。

ここで思い起こされるのが、古代北ユーラシアで水のことをmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のように言っていた巨大な言語群です。mのところは、言語によってbになったり、pになったり、wになったり、vになったりしていました。rのところは、言語によってlになっていました。長くなるのですべては書きませんが、mark-、bark-、park-、wark-、vark-、malk-、balk-、palk-、walk-、valk-のようなバリエーションがあったわけです。このような語が北ユーラシアに広く散らばって、水を意味していたのです。

ウラル語族のような例を見ると、水・水域を意味していた語が横の部分を意味するようになり、横の部分を意味していた語が耳と頬を意味するようになるケースだけでなく、水・水域を意味していた語が横の部分を意味するようになり、横の部分を意味していた語が手、腕、肩、脇などを意味するようになるケースもかなりあったのではないかと推察されます。

※インド・ヨーロッパ語族には、英語water(水)、ヒッタイト語watar(水)のような語がありますが、ラテン語unda(波)、サンスクリット語uda(水)のような語もあります(ラテン語では子音nが挿入されています)。少しずつ形が違いますが、すべて同源です。日本語のude(腕)も、水・水域を意味していた語が横の部分を意味するようになり、横の部分を意味していた語が腕を意味するようになったと考えられます。

日本語のude(腕)だけでなく、kata(肩)の語源も「水」である可能性が高いです。新潟の「潟(かた)」に隠された歴史の記事では、水を意味するkataのような語が日本語のkata(固)、kata(方)、kata(形)、kata(片)になったことを説明しました。おそらく、水を意味するkataのような語が日本語のkata(肩)にもなったと思われます。しかし、kata(肩)は、kata(固)、kata(方)、kata(形)、kata(片)と高低アクセントが異なるので、単純に同じ歴史を歩んできたわけではないと思われます。日本語に取り入れられた時期・場所あるいはその他の事情が違うのかもしれません。

朝鮮語のɔkkɛ(肩)と日本語のwaki(脇)は、アイヌ系の言語が北海道、東北、樺太、千島列島よりもっと広い範囲に分布し、水・水域のことをwarkV、workVあるいはwalkV、wolkVのように言っていたことを示唆しています。日本語のwoka(丘)もここから来ていると見られます。水・水域を意味していた語がその隣接部分、特に盛り上がり、坂、丘、山などを意味するようになるパターンです。日本語のwaku(分く)とwaru(割る)も無関係でないでしょう。日本語ではwark-という形が不可能なので、wak-かwar-という形にならざるをえません。水・水域を意味していた語が境を意味するようになり、境を意味していた語が分けることを意味するようになるパターンです。

遼河文明が栄えていた頃には、そのまわりに古来の言語(アイヌ語に比較的近い言語も含めて)が存在する余地がまだまだあったようです。その後、テュルク系言語、モンゴル系言語、ツングース系言語が勢いづき、多くの言語が消滅してしまったと考えられます。日本語の複雑な歴史、インド・ヨーロッパ語族はこんなに近くまで来ていたの記事で、日本語の歴史をひとまず簡単にスケッチしましたが、本ブログで今まで知られていなかった古代北ユーラシアの言語群の存在が次々に明らかになり、話が混沌としてきたので、日本語の歴史を再び整理することにしましょう。

 

参考文献

Post H. 2019. Y-chromosomal connection between Hungarians and geographically distant populations of the Ural Mountain region and West Siberia. Scientific Reports 9(1): 7786.