日本語の複雑な歴史、インド・ヨーロッパ語族はこんなに近くまで来ていた

前に、朝鮮半島でなにかあったのかの記事の中で、遼河流域から南下してきた言語がシナ・チベット語族の言語、ベトナム系の言語、そしてタイ系の言語に出会う構図を示しました。当面の間に合わせとして示した図だったので、ここで更新することにします。当時の中国東海岸地域の実際の状況はさらに複雑で、以下のようになっていたようです。

遼河流域で話されていた言語とシナ・チベット語族の言語があり、その間の領域にインド・ヨーロッパ語族の言語、テュルク系の言語、モンゴル系の言語が入り込んでいたようなのです。日本語の中には、テュルク系の言語とモンゴル系の言語から取り入れたと見られる語彙もありますが、インド・ヨーロッパ語族の言語から取り入れたと見られる語彙のほうが明らかに多く(「上(うえ)」と「下(した)」の語源「上(うえ)」と「下(した)」の語源(続き)などを参照)、今日の東アジアの状態からは想像しづらいですが、かつてインド・ヨーロッパ語族の言語が東アジアで大きな影響力を持っていた時代があったと見られます。以下の地図は、中国国家観光局駐大阪代表処のウェブサイトから引用したものです。

すでに述べたように、新疆ウイグル自治区にあるタリム盆地周辺でトカラ語が発見されたことによって、インド・ヨーロッパ語族の言語がかなり東のほうでも話されていたことが明らかになり、驚きの声が上がりました。しかし、実際はそれどころではなく、インド・ヨーロッパ語族の言語はもっともっと東の山東省のあたりまで達していたようです。同地域で注目すべき発見が相次いでいるのです。

中国の春秋戦国時代には、斉(せい)という国が山東省のあたりで栄えていました。この斉の首都であった臨淄(りんし)の住民のDNAを調べた興味深い研究があります(Wang 2000)。Wang氏らの研究が優れているのは、2500年前の臨淄の住民だけでなく、2000年前の同地域の住民、そして現代の同地域の住民も調べている点です。2500年前は春秋戦国時代、2000年前は春秋戦国時代が終わった後の漢の時代です。2500年前、2000年前、そして現代と、山東省が経てきた変化を垣間見ることができるのです。Wang氏らの研究はミトコンドリアDNAを調べたものですが、その結果はどうだったでしょうか。

驚くべきことに、2500年前の臨淄の人間集団のミトコンドリアDNAは、今日の東アジアの人間集団のミトコンドリアDNAではなく、今日のヨーロッパの人間集団のミトコンドリアDNAに明らかに近いという結果が出ました。少なくとも、ヨーロッパ方面からやって来た人間が集まっている場所が東アジアにあったということです。「驚くべきことに」と言いましたが、筆者としては「やはり」という感じでした。日本語の中に、インド・ヨーロッパ語族の言語から取り入れたと見られる、しかも日本語が日本列島に入るいくらか前に取り入れたと見られる語彙が数多くあるからです。

数年前に山東省で5000年ほど前のものと見られる180センチ以上の人々の骨が出土し、ニュースになったことがありました( China Daily 2017 )。時代を考えれば、東アジアで180センチ台というのは異様に高いのです。人骨が出土したのは黄河文明の一角を成す山東龍山文化(さんとうりゅうざんぶんか)の圏内であり、この点も注目されます。ちなみに、山東省のあたりには、斉のほかに魯(ろ)という小さな国もありました。孔子は、この魯の出身で、史記に身長が九尺六寸あったという記述があり、2メートルぐらいある巨人だったようです。孔子の先祖にも、はるか西方からやって来た長身の人々がいたのかもしれません。現代でも、山東省の中国人は他の地方の中国人よりいくらか背が高くなっています( China Daily 2017 )。

当然のことながら、西方からやって来た人々は山東省だけでなく、近隣地域にも広がっていたようです。例えば、遼河流域に栄えた遼河文明では女神像が作られ、同文明の大きな特徴になっていますが、青い目の女神像も見つかっており、西方からの人々の流入を示唆しています(鳥越2000、p.42~46)。日本語がインド・ヨーロッパ語族の言語から取り入れたと見られる語彙は幅広いので、日本語はインド・ヨーロッパ語族の言語と幅広く接していたと考えられます。

日本語の起源・歴史について考える際に、ウラル語族とインド・ヨーロッパ語族はあまり注目されてきませんでした。なんといっても、ウラル語族とインド・ヨーロッパ語族の分布域が日本から遠く離れていることが主な理由でしょう。日本語の起源を明らかにする手順—ウラル語族の秘密変わりゆくシベリアの記事でお話ししたように、テュルク系言語とモンゴル系言語の勢力拡大が著しく、ウラル語族の言語、インド・ヨーロッパ語族の言語あるいはそれらに近縁の言語は東アジアに存在を残すことができなかったようです。新疆ウイグル自治区にあるタリム盆地周辺で発見されたインド・ヨーロッパ語族のトカラ語も、テュルク系言語の一つであるウイグル語によって消し去られたと見られます。

冒頭の図に示した状況は、まさに「言語のるつぼ」という感じです。現在中国語一色に染まっている地域が、かつてそうだったのです。遼河文明の言語と黄河文明の言語と長江文明の言語が交わるだけでも複雑なのに、そこへインド・ヨーロッパ語族の言語まで入り込んできました。互いに大きく異なる有力な言語群がここまでひしめき合うというのは、なかなか珍しいことでしょう。しかし、これこそが日本語が形成された環境なのです。日本語の起源をめぐる議論が迷走したのも当然です。日本語の成り立ちは、一つまたは二つの源があると仮定して説明できるほど単純ではなかったということです。

「日本語の意外な歴史」では、kosi(腰)の語源、hara(腹)の語源、se(背)の語源、siri(尻)の語源についてお話しした後、この話を長らく中断していました。しかし、インド・ヨーロッパ語族の言語、テュルク系の言語、モンゴル系の言語を本格的に導入できるところまで来たので、ようやく話を続けることができます。kosi(腰)、hara(腹)、se(背)、siri(尻)に続いて、mune(胸)の語源、そしてkokoro(心)の語源についてお話しします。

 

参考文献

日本語

鳥越憲三郎、「古代中国と倭族 黄河・長江文明を検証する」、中央公論新社、2000年。

英語

China Daily. 2017. Archeologists find 5,000-year-old giants (http://www.chinadaily.com.cn/china/2017-07/04/content_29985498.htm).

Wang L. et al. 2000. Genetic structure of a 2,500-year-old human population in China and its spatiotemporal changes. Molecular Biology and Evolution 17(9): 1396-1400.