インディアンと日本語の深すぎる関係

前回の記事では、ヤナ川、レナ川、エニセイ川の話をしました。さらに西に、オビ川という大きな川があります。ヤナ川、レナ川、エニセイ川の場合と同様に、オビ川のオビがかつての住民の言語で「水(あるいは川)」を意味する一般的な語であった可能性を検討しなければなりません。

すでに挙げた例ですが、ヨーロッパ方面には、ラテン語のumere/umidus(濡れている)、umor(液体)のような語があります。東アジア方面には、ツングース諸語で飲むことを意味するエヴェンキ語ummī(語幹um-、以下同様)、ウデヘ語umimi(umi-)、ナナイ語omiori(omi-)、ウイルタ語umiwuri(umi-)、満州語omimbi(omi-)のような語があります。これらは、日本語のumi(海)とともに、「水」の存在を感じさせます。古代北ユーラシアに、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-(jは日本語のヤ行の子音)のように言う言語群がある一方で、水のことをum-のように言う言語群もあったのではないかと考えたくなります。遠く離れたヨーロッパと東アジアにum-のような語が見られるのであれば、ヨーロッパと東アジアの間の地域にもそのような語があったでしょう。

長い歴史の中でum-という形が全く不変であるはずはなく、上のツングース系言語のom-のように変化することもあります。「馬」がmaとbaと読まれたり、「美」がmiとbiと読まれたり、「武」がmuとbuと読まれたりするように、mとbの間は変化が起きやすいところなので、ub-、ob-のような形も生じます。日本語のumi(海)もそうですが、日本語のoboru(溺る)も無関係でないでしょう。オビ川が注目されます。

オビ川のほかにもう一つ注目すべき有名な川があります。アムール川です。オビ川はウラル山脈の近くにありますが、アムール川は日本の近くにあります。極東のロシアと中国の国境のところを流れています。アムール川周辺はツングース諸語が集まっていますが、そのツングース諸語にエヴェンキ語āmut(湖)、ナナイ語amoan(湖)、満州語omo(湖)のような語が見られます。またしても「水」の存在が感じられます。日本語のama(雨)やama(海人、海に潜って貝類や海藻を採る人)が想起されます。mとbの間で変化が起きやすいことを考えると、abu(浴ぶ)やaburu(溢る)(現代のabureruとahureruにつながります)も無関係でないでしょう。溺れる時のappuappu(あっぷあっぷ)も関係がありそうです。

※昔のaburu(溢る)とamaru(余る)は使い方が重なっており、ひょっとしたら、amaru(余る)ももともと、水が入りきらずに出てしまうことを意味していたのかもしれません。また、abuとamaという形があるなら、abaという形があってもよさそうです。「暴れ川」という言葉が使われてきましたが、abaru(暴る)のもとの意味も水域が荒れ狂うことだったのかもしれません。

こうして見ると、古代北ユーラシアで水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた言語群だけでなく、水のことをam-、um-、om-のように言っていた言語群も考えないわけにはいきません。北ユーラシアの代表的な河川は、そのことをまざまざと示しています。

やはり、南米のインディアンのケチュア語yaku(水)のような語だけでなく、アイマラ語uma(水)のような語も、北ユーラシアと深くつながっているようです。北ユーラシア全体と同じく、アムール川周辺も、インディアン諸語と系統関係を持つ言語群が支配的だったと見られます。位置関係からして、この言語群と遼河文明の言語の間になにがあったのか詳しく調べなければならないでしょう。

 

補説

日本の河川と縄文時代

北ユーラシアの河川の例は、大変示唆的です。

筆者は日本の神奈川県出身で、東京都と神奈川県の境を流れる多摩川から少し離れたところで生まれ育ちました。神奈川も多摩川も筆者にとってなじみの固有名詞ですが、神奈川の「神奈」も多摩川の「多摩」も、適当に漢字があてられた感じが強く、必ずしも日本語とは限りません。もとから日本語にあると考えられてきた語の多くが実は外来語であるというのは、本ブログで示している通りです。日本の地名も、漢字があてられて、すっかり日本風になっていますが、注意が必要です。

本ブログで明らかにしている日本語の語彙の語源からして、日本語が縄文時代に日本列島で話されていた言語から受けた影響はさほど大きくないと見られます。しかし、日本語の成り立ちという観点からすればそうですが、縄文時代の日本列島にだれがいたのかと興味を持っている方も少なくないと思います。

インド・ヨーロッパ語族、ウラル語族、そして上のケチュア語とアイマラ語の例は、人間が「水」を意味する語をなかなか取り替えないことを示しています。多少発音が変化することはありますが、同じ語を使い続けるわけです。特に、ケチュア語やアイマラ語は、2万数千年前にLast Glacial Maximum(最終氷期最盛期)が始まった頃からユーラシア側との接触を断っていると考えられます(ベーリング陸橋、危ない橋を渡った人々を参照)。そして今もなお、yaku(水)やuma(水)のような語を使い続けているのです。

日本の縄文時代が始まったのは、16000年前ぐらいです。縄文時代の初期およびそれより後の時期に今の日本の領域に入った人々も、「水」を意味する語をなかなか取り替えなかったはずです。それらの人々の言語は、弥生時代のはじめ頃にやって来た新しい言語(すなわち日本語)によって消し去られてしまいましたが、「水(あるいは川)」を意味していた語は、北ユーラシアの例のように、河川名に残った可能性が高いです。

日本の各地方の代表的な河川をざっと見渡しただけでも、「怪しい河川名」がかなりあります。日本の縄文時代の言語状況がどのようになっていたか、どのくらい一様だったかあるいはどのくらい多様だったかというのは、大変難しい問題です。少なくとも、日本の河川その他の名称に細心の注意を払わなければならないことは間違いなさそうです。