ベーリング陸橋、危ない橋を渡った人々

南米のケチュア語のyaku(水)やアイマラ語のuma(水)は大変注目されますが、南米のインディアンの言語を調べる前に付け足しておきたいことがあります。

閉ざされていたアメリカ大陸への道の記事では、Last Glacial Maximum(最終氷期最盛期)が終わり、北米にでき始めた通路(海岸ルートと内陸ルート)を通って、インディアンがアメリカ大陸に進出していったことをお話ししました。これは、LGMが終わった直後の話です。その前に、LGMの最中の話があります。LGMの直後の様子だけでなく、LGMの最中の様子も明らかになりつつあります。

現在では、ユーラシア大陸の北東部とアメリカ大陸の北西部はつながっておらず、ベーリング海峡になっています(海峡というのは、陸と陸に挟まれて、海が狭くなっているところです)。ベーリング海峡のある辺りはかつて陸続きで、この陸続きの部分は一般にベーリング陸橋と呼ばれます(ベーリング地峡と呼ばれることもあります)。LGMにベーリング陸橋にいた人々が、LGMが終わってでき始めた通路を通ってアメリカ大陸に進出していったのです。ここで、重要なことがあります。どうやら、LGMが終わってアメリカ大陸に進出していった人々は、何千年か続いたLGMの間、ベーリング陸橋に閉じ込められていたようなのです。

現生人類が3~4万年前に北ユーラシアのあちこちに現れていたことはすでに述べました。LGMは2万数千年前から始まりますが、それよりも前に人類が北極海の近くまで来ていたこともわかっています(Pitulko 2004)。以下の地図は、Pitulko 2004からの引用で、同論文で記述している3万年前ぐらいのヤナ川流域の遺跡の位置を示しています。

LGMよりも前に人類がベーリング地方からやや離れたところまで来ていたというのは、大きな発見です。上の地図に描かれているシベリア東部は、特に寒さが厳しい地域です。ロシアのヤクーツクやオイミャコンからマイナス50℃になった、マイナス60℃になったというニュースがよく入ってきますが、それはこの地域です。氷期でなくてもそのような地域が氷期になったら、まして氷期の最盛期になったらどうなるでしょうか。

LGMのベーリング陸橋は、西側は人間が住めないほど寒さが厳しくなったシベリア、東側は完全に氷にブロックされて進めない北米という状況に置かれたと見られます。そのシベリアと北米の間で立ち往生した人たちがいたのではないかというのが、E. Tamm氏らが提唱するBeringian Standstill(ベーリング地方での足止め)という仮説です(Tamm 2007)。以下の地図は、Tamm 2007からの引用で、ユーラシア側とインディアン側の詳しいミトコンドリアDNAのデータに基づきながら、過去にユーラシア大陸とアメリカ大陸の間でどのような人間の移動があったか推定しています。

入り組んでいるので、解説を加えます。①は、LGMが始まる少し前に人間集団がベーリング地方にやって来たことを示しています。②は、LGMが始まってベーリング地方の人間集団が閉じ込められ、何千年か続くLGMの期間中に、のちにアメリカ大陸に進出することになるミトコンドリアDNAの系統(A2、B2、C1b、C1c、C1d、C4c、D1、D4h3、X2a)が出揃ったことを示しています。ベーリング地方に閉じ込められた時から、インディアン側のA、B、C、D、X系統は、ユーラシア側のA、B、C、D、X系統とは違う独自の道を歩み始めたのです。③は、LGMが終わって閉鎖が解け、人々がアメリカ大陸とユーラシア大陸へ移動していったことを示しています。④は、それより後の時代に、すでに貫通している空間を東から西に移動していった人々、西から東に移動していった人々がいたことを示しています。

インディアン側のA、B、C、D、X系統を詳しく調べたFagundes 2008などの他の研究でも、インディアン側のA、B、C、D、X系統がLGMと大体一致する年代から独自の道を歩み始めていることが示されており、Beringian Standstill仮説は現実味を帯びています。

上の地図は、要するに、「人間集団がベーリング地方にやって来た」→「ベーリング地方が閉鎖空間になった」→「閉鎖空間が開放されて、人々が右と左に移動していった」→「その後も左から右に向かう移動、右から左に向かう移動があった」という歴史展開を示しています。LGMによるベーリング地方の閉鎖が頭に入っていれば、自然に考えられる歴史展開です。このような歴史展開があったことは、ユーラシアの言語とインディアンの言語を比べる際に覚えておかなければなりません。

それにしても、一般に海の近くは内陸ほど寒くならないとはいえ、Last Glacial Maximum(最終氷期最盛期)のベーリング地方に閉じ込められたのは、結構厳しい事態だったのではないでしょうか。LGMに直面して、北ユーラシアのほとんどの人は南下していったことでしょう。インディアンは、図らずも危ない橋を渡ることになった人々といえるかもしれません。

それでは、LGMの後にでき始めたルートを通って南米に入っていったインディアンを追跡することにしましょう。

 

参考文献

Fagundes N. J. R. et al. 2008. Mitochondrial population genomics supports a single pre-Clovis origin with a coastal route for the peopling of the Americas. American Journal of Human Genetics 82(3): 583-592.

Pitulko V. V. et al. 2004. The Yana RHS site: Humans in the Arctic before the last glacial maximum. Science 303(5654): 52-56.

Tamm E. et al. 2007. Beringian standstill and spread of Native American founders. PLoS One 2(9): e829.