立ちはだかるアンデス山脈とアマゾン熱帯雨林

南米に入ったインディアンがどのように広がっていったのかということも明らかになってきています。すでに述べたように、アメリカ大陸のインディアンのミトコンドリアDNAにはA、B、C、D、Xという五つの系統が見られますが、南米のインディアンに限ればA、B、C、Dの四系統です。A、B、C、Dそれぞれの下位系統を細かく明らかにし、個々の下位系統の分布を調べれば、インディアンが南米にどのように広がっていったのかわかります。

このような研究は充実してきており、例えばGómez-Carballa 2018では、ミトコンドリアDNAのB系統の下位系統を詳しく調べています。南米で最も有名なケチュア語の話者、そしてそのすぐそばで話されているアイマラ語の話者のミトコンドリアDNAは、大部分がB系統です(Batai 2014)。ケチュア語とアイマラ語の話者は、南米の西を縦に走るアンデス山脈沿いにいます。以下の地図は、Gómez-Carballa氏らが、B系統の下位系統の分布を詳しく調べた結果に基づきながら、南米におけるインディアンの移動・拡散を大雑把にスケッチしたものです。

見ての通り、南米のインディアンの移動・拡散の仕方は独特です。なぜこのようになるかというと、南米の西を走るアンデス山脈と南米の北部に広がるアマゾン熱帯雨林が大きな障壁になっているためです。アンデス山脈とアマゾン熱帯雨林のために、南米に入ったインディアンの移動・拡散が制限されただけでなく、各地に広がったインディアンは再び交わりにくくなっています。地形的な理由から、人々が分散し、その後も分散したままになるという状況が発生しやすいのです。

言語の歴史を解明するという観点からすると、これは都合のよいことです。分散した言語が再びごちゃごちゃに交わるより、分散したままになっているほうが、歴史を見通しやすいからです。しかし、都合のよいことばかりではありません。コロンブスを先頭にヨーロッパの人々がやって来てから、戦いと伝染病でインディアンが激減してしまったのは痛手です。

南米のインディアンの言語同士の関係はあまり明らかになっていません。上に示した地図で、南米の入口のところ(左上のところ)から二つの経路に分かれています。ここでは西ルートと東ルートと呼びましょう。西ルートのほうには、すでにお話しした14500年前ぐらいのものと推定されるモンテベルデ遺跡があります。東ルートのほうも、モンテベルデ遺跡より若干遅れる遺跡がいくつか見つかっており、歴史は浅くありません(Bueno 2013)。仮に、南米のインディアンの諸言語が、15000~16000年前ぐらいに南米の最北西部に存在した一つの言語から分かれてできたという最も単純なシナリオを想定しても、15000~16000年ぐらいの歴史があるわけです。これですら、インド・ヨーロッパ語族の歴史の倍ぐらいあります。

筆者は、インド・ヨーロッパ語族とウラル語族の言語の研究歴は長いですが、インディアンの諸言語の研究歴は長くありません。インディアンの言語に注目するようになってから、さほど年数は経っていません。インディアンの言語に注目できるようになるまでが、実に長い道のりでした。インディアンの諸言語の研究に関しては、まだまだこれからという感じで、とても網羅的に語ったり、まとめて語ったりすることはできませんが、展望のようなものは持っているので、少しお話しすることにします。まずは、ケチュア語のyaku(水)とアイマラ語のuma(水)の話を続けましょう。

 

参考文献

Batai K. et al. 2014. Mitochondrial variation among the Aymara and the signatures of population expansion in the central Andes. American Journal of Human Biology 26(3): 321-330.

Bueno L. et al. 2013. The Late Pleistocene/Early Holocene archaeological record in Brazil: A geo-referenced database. Quaternary International 301: 74-93.

Gómez-Carballa A. et al. 2018. The peopling of South America and the trans-Andean gene flow of the first settlers. Genome Research 28(6): 767-779.