古代文明が発生したナイル川、チグリス・ユーフラテス川、インダス川、黄河などは大いに注目されてきましたが、北ユーラシアの河川も人類の歴史を考えるうえで極めて重要です。
ベーリング陸橋、危ない橋を渡った人々の記事では、ベーリング地方からやや離れたところにある3万年前ぐらいのものと推定されるヤナ川の遺跡に言及しました。ヤナ川は北極海に注ぐ河川で、そこから西のほうには、同じく北極海に注ぐ巨大なレナ川、エニセイ川、オビ川が並んでいます。オビ川の向こうにはウラル山脈があり、ここがシベリアの終わりです。
当然、ヤナ川、レナ川、エニセイ川、オビ川にも語源があります。ヤナ、レナ、エニセイ、オビはロシア語ではありません。ロシア人がシベリアに進出し始めたのは、16~17世紀で、最近のことです。はるかに前からヤナ川、レナ川、エニセイ川、オビ川流域で暮らしていた人々がいました。
まず、ヤナ川の話から始めましょう。ツングース系のエヴェンキ語にjenē(川)イェネーという語があります。一般的に使われるのはbira(川)で、jenē(川)はマイナーな語です。ツングース系の言語は、テュルク系の言語、モンゴル系の言語、そしてロシア語に押されてかなり衰えてしまいましたが、かつてはもっと北ユーラシアで栄えていたと見られます。エヴェンキ語のjenē(川)はヤナ川のヤナに関係があるかといえば、あるでしょう。しかし、ヤナ川の語源はツングース系言語のエヴェンキ語jenē(川)の類であるとして解決済みにしてしまうのは物足りません。フィンランド語joki(川)ヨキ、ハンガリー語jó(川)ヨー、ネネツ語jaxa(川)ヤハなどは、かつて北ユーラシアで水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた巨大な言語群から入った外来語と考えられます。同じように、エヴェンキ語のjenē(川)も外来語かもしれません。というより、エヴェンキ語のjenē(川)は、ツングース系言語の標準的な語彙ではないので、外来語であることが確実です。
レナ川とエニセイ川も気になります。現地での実際の発音は、レナよりもリェナ、エニセイよりもイェニセイに近いです。ヤナ、jenē(川)、リェナ、そしてイェニセイのイェニと、全部似ています(イェニセイのセイは後からやって来た人間集団が水・水域・川を意味する語をくっつけた可能性があります)。北ユーラシアを大きく覆っていた勢力があったのではないかと考えたくなります。となると、思い当たるのが、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた巨大な言語群です。
ここで、フィンランド語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグのような形だけでなく、マンシ語jāŋk(氷)ヤーンク、ハンティ語jeŋk(氷)イェンクのような形もあったことを思い出してください。古代中国語のyek(液)イエクやyang(洋)イアンも同様です。かつて北ユーラシアで水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた巨大な言語群に、「jak-、jag-」のような語形だけでなく、「jank-、jang-」のような語形があったことが窺えます。あったのは「jak-、jag-」のような語形と「jank-、jang-」のような語形だけでしょうか。実は「jan-」のような語形もあったのではないでょうか。こう考えると、先ほどのヤナ、jenē(川)、リェナ、そしてイェニセイのイェニも納得がいきます(前回の記事で南米のインディアンのケチュア語、アラワク系の言語、ゲ系の言語、トゥピ系の言語などの話をしましたが、アラワク系の言語もこれで納得がいきます)。
ヤナ、jenē(川)、リェナ、そしてイェニセイのイェニのうちで、リェナは頭子音が異なっています。ではリェナは別物なのかというと、そうとは言い切れません。筆者はむしろ、このリェナは、人類の言語の歴史において時々起きてきたにもかかわらず、注目されてこなかった重要な発音変化を示していると考えています。
前に、ラテン語のumereという動詞とこれから作られたumidusという形容詞を取り上げました。同じように、ラテン語にはliquereという動詞とこれから作られたliquidusという形容詞がありました。umere/umidusはなにかが濡れていること、liquere/liquidusはなにかが液状になっていることを意味しました(すでにお話ししましたが、形容詞のumidusの別形として存在していたhumidusから英語のhumid(湿った)は来ています。そして、形容詞のliquidusから英語のliquid(液体の、液体)は来ています)。
動詞のliquere(液状になっている)のreの部分は不定形の語尾なので(ラテン語の不定形は英語のto不定詞のようなものです)、その前のliqueの部分が考察対象になります。このliqueはなんでしょうか。
かつて北ユーラシアで水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた言語群からインド・ヨーロッパ語族にヒッタイト語ekuzi(飲む)、トカラ語yoktsi(飲む)、ラテン語aqua(水)などの語が入っています。
かつて北ユーラシアで水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた言語群は、インド・ヨーロッパ語族よりもはるかに拡散の歴史が古く、少しずつ少しずつ違う形で広がっていたと考えられます。ここで可能性の一つとして考えられるのが、先ほどのラテン語のliqueはもともとjiqueのような形をしていたのではないかということです。
jiqueのjiの部分は、日本語のヤ行の(存在しない)二番目の音です。日本語で「天(あま)」と発音する時には、舌の先のほうは持ち上がりませんが、日本語で「山(やま)」と発音する時には、舌の先のほうが持ち上がります。同じように、舌の先のほうが持ち上がらなければi、舌の先のほうが持ち上がればjiです。
子音jを発音する時には舌の先のほうが天井ぎりぎりまで持ち上がっており、天井ぎりぎりまで来ていた舌の先が天井に触れて、jeがljeになったり、jiがliになったりすることがあったのではないかと思われます。前者がリェナのケースで、後者がliqueのケースです。このようなケースは世界各地でちらほら見られるので、似たようなケースが出てきた時には指摘していきます。
本ブログで再三言及しているki→tʃiチおよびke→tʃeチェの変化は、天井に触れていなかった舌の先のほうが天井に触れる変化です。上のje→ljeとji→liも、天井に触れていなかった舌の先のほうが天井に触れる変化です。しかし、ki→tʃi、ke→tʃeの変化に比べて、je→lje、ji→liの変化がまれであることは否めません。
発音変化にも、頻度の高いものから頻度の低いものまで様々あります。規則とか、パターンとか、タイプといったものは、いくつもの例を見てはじめて意識されるようになるものです。筆者にも、ユーラシア大陸とアメリカ大陸の言語を広く観察してはじめて意識するようになった発音変化のパターンがたくさんあります。
頻度が低い発音変化は、研究対象とする範囲が狭かったり、期間が短かったりすると、現れないか、現れても見過ごされてしまいます。しかし、研究対象とする範囲が広くなったり、期間が長くなったりすると、だんだん目につくようになってきます。頻度が低いとは、そういうことです。
筆者の見るところ、歴史言語学が停滞してしまった原因の一つは、ごく限られた不十分な観察に基づいて、このような発音変化は起きる、このような発音変化は起きないと決めつけてしまったことにあるように思います。頻度の低い発音変化を把握できていないのが問題です。筆者の研究では、説得力のある実例を十分に示しながら、頻度の低い発音変化を丁寧に拾い上げていきます。
大変重要な話につながっていくので、もう少し北ユーラシアの河川の話を続けます。