ウラル語族にも日本語にも接していたテュルク系言語

語根aj-

ast-、as-、at-およびjalk-、jal、jak-という語根から、ウラル語族と日本語で足・脚に関係する様々な語が作られているのを見ました。ウラル語族と日本語の足・脚に関係する語彙を見渡すと、もう一つ見逃せない語根があります。それは、aj-という語根です(jは日本語のヤ行の子音です)。

例えば、フィンランド語にはajaaという動詞があります。名詞形はajoです。ajaa/ajoは単純に訳しづらいですが、基本的に進むこと、進ませることを意味する語です。ただ、普通は人間の歩行を意味することはなく、乗り物や物事の進行を意味します。現代のフィンランド語では、車の運転を言うことが多いです。「 ajaa autoa 」は「車を運転する」という意味です。

サモエード系の言語では、aj-という語根がもっと具体的な語に現れます。足・脚を意味するネネツ語ŋeンゲ、エネツ語ŋoンゴ、ガナサン語ŋojンゴイ、カマス語ujyウイ/yjyイイは最たるものです。ネネツ語、エネツ語、ガナサン語には、語頭に母音が来るのを避けるために子音を前に補う傾向があるので、これらの頭子音は差し引いて考える必要があります。つまり、ネネツ語ではe、エネツ語ではo、ガナサン語ではojオイのような形を考える必要があります。上記の足・脚を意味する語は、かつて*ajまたは*ajVのような形をしていたと考えられます。

人間の言語の進化、足・脚から始まる語彙形成の記事で説明したように、「足・脚」からは、歩いて行かせること、進めることを意味する語、さらに抽象化して、「使う」や「する」のような語が生まれてきます。ウラル語族では、足・脚に関係する語を生み出す(1)ast-、as-、at-、(2)jalk-、jal-、jak-、(3)aj-という語根から、「お使い、用事、仕事、こと」のような語が生まれているケースが目立ちます。フィンランド語のasia(こと)は(1)から来ていると考えられるもので、ハンガリー語のügy(こと)ウジは(3)から来ていると考えられるものです(前にフィンランド語のjalka(足、脚)ヤルカとハンガリー語のgyalog(歩いて、徒歩で)ジャログという語を挙げましたが、ハンガリー語のügy(こと)のgyの部分もかつてjであったと考えられます)。

このように、aj-という語根から、ウラル語族では足・脚に関係する様々な語が作られています。では、この語根から、日本語ではどのような語が作られたのでしょうか。該当しそうなのは、ayumu(歩む)です。

ただ、上記のaj-という語根には、気がかりな点があります。中央アジアを中心として中東方面、ウラル山脈方面、ヤクート地方方面、中国方面に広がっているテュルク系言語に、トルコ語ayak、タタール語ayak、バシキール語ayaqアヤク、カザフ語ayaqアヤク、ウイグル語ayaqアヤクのような語があり、足・脚を意味しているのです。テュルク系言語の現在の分布域はあくまで現在の分布域であり、「心(こころ)」の語源の記事で示したように、テュルク系言語はかつては中国東海岸近くにも分布し、同地域にいた日本語に影響を与えていたと見られます。

なにが言いたいかというと、日本語のayumu(歩む)は、上に示したフィンランド語ajaa(進む、進ませる)、ハンガリー語ügy(こと)、ネネツ語ŋe(足、脚)などと同源である可能性が高いが、日本語とウラル語族のこれらの語は、遼河文明の言語から来ているのではなく、テュルク系言語から来ているかもしれないということです。広く分布していたテュルク系言語が一方でウラル語族に、他方で日本語に語彙を提供したということも考えられるのです。インド・ヨーロッパ語族ほどではないにせよ、テュルク系言語もウラル語族と日本語の両方に影響を与えていたようです。ウラル語族と日本語に目を向けているだけでは駄目で、並行して周囲の言語にも目を向けなければならないことを示すよい例といえるでしょう。

※フィンランド語のaika(時、時間)も、テュルク系言語で「足・脚」を意味しているトルコ語ayakのような語から来ていると見られます。その一方で、ハンガリー語のidő(時、時間)イドーも、インド・ヨーロッパ語族で「歩いて進むこと」を意味しているロシア語idtiイッチー(語幹id-)のような語と関係があると見られます。やはり、「足・脚」と「時」の間には密接なつながりがあるようです。古代中国語のtsjowk(足)ツィオウクが日本語のtoki(時)になったのは、ごくありふれた現象といえそうです(「時(とき)」と「頃(ころ)」の語源を参照)。

このブログは、漢語流入前の日本語(大和言葉)の大部分が遼河文明の言語の語彙、黄河文明の言語の語彙、長江文明の言語の語彙でできているというところから話を始めたので、これまでテュルク系言語とモンゴル系言語を取り上げる機会があまりありませんでしたが、どちらも東アジアの言語の歴史、北ユーラシアの言語の歴史を考えるうえで非常に重要なので、これからはテュルク系言語とモンゴル系言語も積極的に取り上げていきます。

(1)ast-、as-、at-という語根、(2)jalk-、jal-、jak-という語根、そして(3)aj-という語根を見てきました。「足・脚」から様々な語彙が生まれてくることを示しましたが、フィンランド語のasia(こと)やハンガリー語のügy(こと)のような語が生まれてくるのはなんとも驚きです。考えてみれば、「こと」のような極度に抽象的な語が最初からあったはずはなく、具体的ななにかが語源になっているはずです。フィンランド語のasia(こと)やハンガリー語のügy(こと)は「足・脚」から来ているようですが、日本語のkoto(こと)はどうでしょうか。どうやら、日本語のkoto(こと)は「足・脚」から来ているわけではないようです。

 

日本語のmono(もの)の語源については、以下の記事に記されています。

「物(もの)」と「牛(うし)」の語源、西方から東アジアに牛を連れてきた人々