「父」の正体(3)

wotoko(をとこ)

okina(おきな)のkina、woguna(をぐな)のguna、izanaki(イザナキ)のkiは古代中国語のkjun(君)キウンから来ているようだが、wotoko(をとこ)のkoはそのように考えにくいと述べました。

古代中国語のkjun(君)という語が「統治者、支配者、おさ、あるじ、ぬし」のような意味を持ち、さらにこの語が祖父、父、その他の年長者に対して使われていたことはすでに話しました。実は、古代中国語には、kjun(君)とよく似た使われ方をしていた重要な語がほかにもありました。kuwng(公)クウンとhjwang(王)ヒウアンです。これらの語も、「男」という一般的な意味を獲得する一歩手前の状態にあったのです。

kuwng(公)はある時代にkuとkouという音読みで、hjwang(王)は同じ時代にwauという音読みで日本語に取り入れられました(wauはのちにouになりました)。しかし、母音が連続しないという制約があった時代では、事情が異なります。kouとは言えず、koになり、wauとは言えず、woになりそうです(「良」がryauではなくyoになったこと、「老」がrauではなくoになったことを思い出してください)。果たして、奈良時代の日本語を見ると、古代中国語のkuwng(公)がkoという形で、古代中国語のhjwang(王)がwoという形で現れているようです。

wotokoは「若い盛りの男性」、wotomeは「若い盛りの女性」ですが、このkoは、古代中国語のkjun(君)ではなく、同じように使われていたkuwng(公)がもとになっていると見られます。

※ただし、事情が少々複雑で、wotokoとwotomeのケースは、musukoとmusumeのケースと微妙に異なります。古代中国語ではtsi(子)ツィとnrjo(女)ニオで男女の対を作ることがあり、日本語のmusukoとmusumeもko(子)とme(女)で男女の対を作っていると考えることができます。日本語にkoとmeで男女の対を作っているケースがあっても、そのkoは古代中国語のkuwng(公)を取り入れたものとは限らず、ベトナム語のcon(子)コンのような語を取り入れたものかもしれないということです。

その一方で、wowosi(雄々し)、masurawo、woɸitoなどのwoは、古代中国語のhjwang(王)がもとになっていると見られます。nusubitoがnusuttoになったのと同じように、woɸitoはotto(夫)になりました。

もともと統治者・支配者を意味し、祖父、父、その他の年長者に対してよく使われた古代中国語の「君、公、王」が、日本語の男に関する語彙のあちこちに散りばめられたのです。

wotome(をとめ)

wotoko(をとこ)と対になっていたwotome(をとめ)のmeはどうでしょうか。これは、古代中国語のmwoj(妹)ムオイから来ていると考えられます。古代中国語のmwoj(妹)は、妹だけでなく、年下の女性や妻に対しても使われる語でした。mwoj(妹)は、 Baxter 2014 に示されている中国語の一時代の一方言の形ですが、時代・地域によるバリエーションがあり、日本語にはmaiとbaiという音読みで取り入れられました。母音が連続しないという制約があった時代では、maiと言えず、よくあるai→eという変化にしたがって、meになったでしょう。

年下の女性を意味していた語が一般に女性を意味するようになったということですが、これは納得できるでしょう。女性が若く見られたいと思っていることを考えれば、「おばあさん」を意味する語が女性一般を指すようになる確率は低く、「若い女性」を意味する語が女性一般を指すようになる確率は高いでしょう。現代の日本語のonnaのもとになったのも、「若い娘」(おそらくその前は「女の子」)を意味していたwominaでした。

日本語の男と女に関する語をいくつか挙げ、考察を行ってきました。象徴的な例をもう一つ付け加えておきます。

実はtiti(父)も・・・

「君、公、王」のところで見たように、統治者・支配者を意味する語を祖父、父、その他の年長者に対して広く使うという古代の習慣は、現代の日本人には奇妙に感じられるかもしれません。しかし、私たちにとっておなじみのtiti(父)、ozīsan/ozītyan(おじいさん、おじいちゃん)、ozisan/ozityan(おじさん、おじちゃん)などからも、かつての習慣が窺えます。

奈良時代にもtiti(父)という語はありました。そのほかに、祖父を意味するoɸodi、父母の兄弟を意味するwodi、そして男性に対する敬称であるtiが存在しました。oɸoの部分は大きいこと、woの部分は小さいことを示していると考えられます。これらの語のつくり、そして「君、公、王」のところで見た古代の習慣を考慮に入れると、もともと祖父、父、おじおよびその他の男の年長者のことをtiと呼んでいて、このtiからtiti、oɸodi、wodiという呼び方が発達したと考えるのが自然です。tiがおおもとにあるわけです。このtiはなんでしょうか。

「君、公、王」の話を聞いた後であれば、偉い人を意味する語かなと見当がつくでしょう。大体合っているようです。古代日本語のtiは、古代中国語のtsyu(主)チウがもとになっていると見られます。古代日本語には厳しい制約があるので、tiuやtyuではなく、tiになります。古代中国語のtsyu(主)は、kjun(君)、kuwng(公)、hjwang(王)ほどの強烈なインパクトはありませんが、それでも「中心的な人物、あるじ、ぬし」を意味する語です。古代中国語のtsyu(主)が古代日本語のtiti(父)になる過程は、日本語の内部にもomo(主)とomo(母)のような例が見られるので、無理がありません(omo(母)は奈良時代にɸaɸa(母)とならんで一般的に使われていた語です)。

古代中国語のtsyu(主)を取り入れたtiが重ねられたり、濁ったり、伸ばされたり、前後に他の要素を付加されたりして、現代の日本語のtiti(父)、ozīsan/ozītyan(おじいさん、おじいちゃん)、ozisan/ozityan(おじさん、おじちゃん)などができたのです。

日本語の男と女に関する語彙の語源を探っていくと、古代中国語が続々と出てきて、意外だったかもしれません。筆者も、ここでお話ししたようなことを最初から考えていたわけではありません。ある頃から、日本語の男と女に関する語彙の大部分はシナ・チベット語族、特に古代中国語から来ているようだと考えるようになったのですが、どうしてそのようなことを考えるようになったのかお話ししましょう。

 

参考文献

Baxter W. H. et al. 2014. Old Chinese: A New Reconstruction. Oxford University Press.

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