「死ぬ」と「殺す」の語源の記事では、死ぬことを意味するkoruという自動詞と、殺すことを意味するkorosuという他動詞があったことをお話ししました。oku(起く)/okosu(起こす)、otu(落つ)/otosu(落とす)、oru(下る)/orosu(下ろす)などと同様のkoru/korosuというペアがあったのです。
しかしながら、上記の記事では、死ぬことを意味するkoruという自動詞自体がどこから来たのかという説明には至りませんでした。
「口(くち)」の語源の記事では、下を意味するkut-/kud-のような語から、kutakuta(くたくた)、guttari(ぐったり)、kutabireru(くたびれる)、kutabaru(くたばる)のような語が生まれるのを見ました。
下を意味する語から、落ちること、倒れること、転ぶことを意味する語が生まれるくらいなら、なんなく理解できるでしょう。ちなみに、日本人が「落ちる」と言うところで、英語ではfallを使いますが、日本人が「倒れる」あるいは「転ぶ」と言うところでも、英語ではfallを使います(fall downもよく使われます)。
しかし、上のkutakuta(くたくた)、guttari(ぐったり)、kutabireru(くたびれる)、kutabaru(くたばる)の例は、下を意味する語から、もっと抽象度が高くなりますが、疲れること・死ぬことを意味する語も生まれることを示しています。
特に、死ぬことを意味するkutabaru(くたばる)という語が生まれたことは注目に値します。下を意味する語から、死ぬことを意味する語が生まれるのは、珍しいケースなのでしょうか。それとも、よくあるケースなのでしょうか。どうやら、よくあるケースのようです。
koru/korosuはどうでしょうか。現代の日本語で死ぬことをkoroʔ(ころっ)/korori(ころり)と表現することがあるのも見逃せません。死を意味する*koroという語があったのではないかと考えたくなります。この*koroも、もともと下を意味していたのでしょうか。korobu(転ぶ)という語が存在するので、その可能性は極めて高いです。
下を意味する語から疲れること・死ぬことを意味する語が生まれるケースについてさらに検討したいところですが、日本語のsinu(死ぬ)は「死ぬ」と「殺す」の語源の記事で考察したように古代中国語からの外来語と考えられるので、日本語のtukaru(疲る)のほうに注目しましょう。
本ブログで何回か挙げている語彙ですが、歩くことを表すtuktuka(つかつか)や人を歩いて行かせることを意味するtukaɸu(使ふ、遣ふ)から、足・脚を意味する*tukaという語があったことが窺えます。この*tukaは、足・脚を意味する前は、下を意味していたでしょう。
日本語には、口からなにかを出すことを意味するɸaku(吐く)という語がありましたが、tuku(吐く)という語もありました。現代にも、「ため息をtuku」や「嘘をtuku」のような言い方が残っています。下を意味する*tukaが、一方では足・脚を意味するようになり、他方では穴・口を意味するようになっていたと見られます(下を意味する語が足・脚を意味するようになるパターンはわかりやすいと思いますが、下を意味する語が穴・口を意味するようになるパターンについては「口(くち)」の語源を参照してください)。iɸu(言ふ)の類義語であるtugu(告ぐ)も同源でしょう。
下を意味するtuk-のような語があったことは明らかであり、tukaru(疲る)もここから来ていると考えられます。
朝鮮語のtʃukta(死ぬ)チュクタ(語幹tʃuk-)も、下を意味する語が疲れること・死ぬことを意味するようになるパターンでしょう。
※奈良時代の日本語には以下の(3)と(4)の形しか現れませんが、大陸には(1)~(5)の形が広がっていたと考えられます。
(1)tʃak-、tʃik-、tʃuk-、tʃek-、tʃok-
(2)ʃak-、ʃik-、ʃuk-、ʃek-、ʃok-
(3)tak-、tik-、tuk-、tek-、tok-
(4)sak-、sik-、suk-、sek-、sok-
(5)tsak-、tsik-、tsuk-、tsek-、tsok-
(1)は[チャ、チ、チュ、チェ、チョ]の類、(2)は[シャ、シ、シュ、シェ、ショ]の類、(3)は[タ、ティ、トゥ、テ、ト]の類、(4)は[サ、スィ、ス、セ、ソ]の類、(5)は[ツァ、ツィ、ツ、ツェ、ツォ]の類です。北ユーラシアでも、東アジアでも、東南アジアでも、(1)~(5)の形はありふれています。
やはり、下を意味する語から、死ぬことを意味するkoru、死なせることを意味するkorosu、koroʔ(ころっ)、korori(ころり)、korobu(転ぶ)などが生まれたと考えるのが自然です。
意味を考えると、下を意味する語が倒れることを意味するようになり、倒れることを意味する語が疲れることや死ぬことを意味するようになるのでしょう。
古代中国語にtaw(倒)タウとbok(仆)という語がありました。taw(倒)とbok(仆)は類義語で、基本的には倒れることを意味しましたが、時に死ぬことも意味しました。やはり、「倒れる」と「死ぬ」の間は近いようです。
現代の日本語のtaoreru(倒れる)/taosu(倒す)は、奈良時代にはtaɸuru/taɸusuでした。taɸuru/taɸusuには、「倒」という字が当てられたり、「仆」という字が当てられたりしていました。
奈良時代の日本語にはtaɸuru/taɸusuのようにruとsuが付いて自動詞と他動詞になっている例が数多くありますが、ruとsuの前のtaɸuがなんなのか気になります。ひょっとして、古代中国語のtaw(倒)が日本語にtaɸuru(倒る)/taɸusu(倒す)という形で入ったのでしょうか。これは突拍子もない考えではありません。例えば、古代中国語のkæw(交)カウと日本語のkaɸu(交ふ)/kaɸasu(交はす)を見比べてみてください。怪しげです。
古代中国語のtaw(倒)だけでなく、bok(仆)も気になります。日本語には、死ぬことを表すpokuʔ(ぽくっ)/pokkuri(ぽっくり)という語もあるからです。
古代中国語のtaw(倒)が日本語のtaɸuru(倒る)/taɸusu(倒す)になったのかもしれないし、そうでないかもしれません。古代中国語のbok(仆)が日本語のpokuʔ(ぽくっ)/pokkuri(ぽっくり)になったのかもしれないし、そうでないかもしれません。
しかし、古代中国語のtaw(倒)と日本語のtaɸuru(倒る)/taɸusu(倒す)が同じところから来ている可能性、古代中国語のbok(仆)と日本語のpokuʔ(ぽくっ)/pokkuri(ぽっくり)が同じところから来ている可能性は非常に高そうです。