寝返りを打つという現象、そして「寝る」と「眠る」の語源へ

「下」を意味する語が、落ちること、倒れること、転ぶこと、さらにもっと抽象的になって、疲れること、衰えること、病むこと、死ぬことを意味するようになるのを見てきました。

「下」を意味する語からそのような語が生まれるのは十分理解できますが、「下」を意味する語から普通に横になること・寝ることを意味する語も生まれるのではないでしょうか。

死ぬことを意味するkoru、死なせることを意味するkorosu、koroʔ(ころっ)、korori(ころり)、korobu(転ぶ)から、下を意味する*koroという語があったのだろうと推測しましたが、この*koroから、横になること・寝ることを意味する語は生まれなかったのでしょうか。間違いなく生まれたでしょう。「goronする」や「gorogoroする」のような語を見れば明らかです。下を意味する*koroから、横になることを意味するgoron(ごろん)や横になっていることを意味するgorogoro(ごろごろ)が生まれるのはごく自然です。

korogaru(転がる)は、現代ではmawaru(回る)やkaitensuru(回転する)に似た意味を持っていますが、上に挙げた他の語彙と照らし合わせると、もともと横になること・横になっていることを意味していたのではないでしょうか。例えば、「死体が転がっている」と聞いた時、私たちが普通思い浮かべるのは、死体が回転しているところではなく、死体が横たわっているところです。こっちがkorogaru(転がる)のもとの意味ではないかというわけです。

では、横になること・横になっていることを意味していたkorogaru(転がる)に、mawaru(回る)やkaitensuru(回転する)に似た意味が生じたのはなぜでしょうか。それは、私たちが寝返りを打つからでしょう。横になっていて、全く動かなかったら、接地している部分に集中的に負担がかかります。だから、私たちは寝返りを打って、その負担を分散させます。寝返りを打つというのは、必要な行為なのです。

korogaru(転がる)は、mawaru(回る)とkaitensuru(回転する)に似ているところもありますが、違うところもあります。例えば、扇風機をつけて、羽根が回転しているところを思い浮かべてください。この時、kaitensuru(回転する)あるいはmawaru(回る)と言うことはできますが、korogaru(転がる)と言うことはできません。やはり、korogaru (転がる)は、人が寝返りを打つ姿から来ており、今でも意味に制限がかかっているのでしょう。

下を意味する語から、横になること・寝ることを意味する語が生まれることは、よくあります。「口(くち)」の語源の記事で、下を意味するut-やot-のような語があったことをお話ししましたが、ここからも寝ることを意味する語が生まれたようです。下を意味する*utu(utumuku(うつむく)に組み込まれています)およびそれと同源の*utaと*utoから、utatane(うたた寝)、uturautura(うつらうつら)、utouto(うとうと)などが生まれたと考えられます。

こうなると、neru(寝る)とnemuru(眠る)が怪しくなってきます。これらも、下を意味していた語から来たのではないでしょうか。奈良時代には、寝ることを意味するnu(寝)という動詞がありました。nu(寝)は下二段活用です。

奈良時代の下二段活用の動詞は、のちに下一段活用の動詞になりました。motomu(求む)がmotomeru(求める)になる、tugu(告ぐ)がtugeru(告げる)になる、nu(寝)がneru(寝る)になるという具合です。

奈良時代のnu(寝)の各活用形を見てください。「あらかじめ(予め)」とは?の記事で説明したように、奈良時代の動詞の六つの活用形の中で、もとの姿を最もよく示していると考えられるのは、未然形です。もとになった*neという語があったのではないかと考えられるのです。

「山(やま)」の語源、死者が行くという黄泉の国はどこにあったのか?の記事でお話ししたように、昔の日本人は死者の世界をネノクニ、シタツクニ、ヨモツクニ、ヨミノクニと言っていました。ここにneがあります。このneはなんでしょうか。下を意味していた語でしょう。

下を意味していた*neがもとになって、奈良時代のnu(寝)という動詞ができたと見られます。下を意味していた*neは、ne(根)にもなったかもしれません。

その一方で、nemuru(眠る)は、奈良時代にはneburu(眠る)でした。これも、これまで見てきた意味変化のパターンと同じでしょう。水のことをnam-、nim-、num-、nem-、nom-のように言う言語群が背景にあると見られます(mのところは、mであったり、bであったり、pであったりします)。日本語に少なからぬ影響を与えたタイ系言語およびそれらと類縁関係を持つ言語から成る言語群です(タイ語ではnaam(水))。水を意味するnam-、nim-、num-、nem-、nom-のような語が、雨を意味することもできないと、下を意味するようになります。

奈良時代の日本語の発音体系ではneにne甲類とne乙類の区別がないので判断が難しいですが、奈良時代のnu(寝)(つまりはそのもとになった下を意味していた*ne)とneburu(眠る)は、意味が近いだけに、語源的に関係がありそうに見えます。果たしてどうでしょうか。

 

補説

「根に持つ」と言うけれども

いつまでも恨んで忘れないことを意味する「neに持つ」という表現がありますが、このneは根ではないでしょう。

奈良時代の日本語にnaka(中)という語がありましたが、na(中)と言うこともあったことがかすかに窺えます(上代語辞典編修委員会1967)。midu(水)とmi(水)という形があったように、naka(中)とna(中)という形があったわけです。

ma(目)がmeになったり、ta(手)がteになったりしたように、na(中)もneになったと見られます。「neに持つ」のneは、中、内、心、腹などを意味していた語でしょう。

現代の日本語でutiという語が中を意味するだけでなく、家を意味することがありますが、同じように、neも中を意味するだけでなく、家を意味することがあったと思われます。ne(家)とsumu(住む)がくっついたのが、nezumi(ねずみ)でしょう。人家に(勝手に)住みつくところから、そのように呼ばれたのです。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。