口と密接な関係にある穴

この記事は、前の二つの記事の内容を前提としています。

kuti(口)の語源が明らかになったので、今度はana(穴)の語源について考えましょう。

これも、古代北ユーラシアで水を意味したjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-(jは日本語のヤ行の子音)のような語から始まる話です。jark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-という形から子音が一つ脱落して、jar-、jir-、jur-、jer-、jor-という形あるいはjak-、jik-、juk-、jek-、jok-という形ができます。

これは単純な変化です。しかし、ここで終わりません。右下のjak-、jik-、juk-、jek-、jok-という形に子音nが挿入されて、jank-、jink-、junk-、jenk-、jonk-という形ができるのです。

ウラル語族のフィンランド語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグ、マンシ語jāŋk(氷)ヤーンク、ハンティ語jeŋk(氷)イェンクなどはそのような変化を窺わせる例です。

インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語watar(水)、英語water(水)、ロシア語voda(水)、リトアニア語vanduo(水)なども同様の例です。

日本語でいえば、mina(みな)からminna(みんな)ができたり、onazi(おなじ)からonnazi(おんなじ)ができたり、amari(あまり)からanmari(あんまり)ができたりする変化です。このような変化が世界で広く起きてきたのです。

さらに、jank-、jink-、junk-、jenk-、jonk-という形から子音kが脱落して、jan-、jin-、jun-、jen-、jon-という形もできます。

実際、北ユーラシアにYana River(ヤナ川)、Lena River(レナ川)、Yenisey River(エニセイ川)という川が並んでいます(Lenaの現地での発音は「リェナ」に近いです。jenaイェナ→ljenaリェナという発音変化があったと見られます。このような変化が起きていたことは、中国語の語彙からもはっきりわかります(「よい」と「悪い」について考える、善悪の起源はどこにあるのかを参照)。Yeniseyの現地での発音は「イェニセイ」に近いです)。ちなみに、北ユーラシアからアメリカ大陸に入っていくところにAnadyr’ River(アナディリ川)という川もあります。

上に示した図式は、頭子音jが変わらない場合ですが、実際には、頭子音jはdʒ、ʒ、tʃ、ʃになったり、xになったり、脱落したりします(言葉の変化を追跡する、よく起きる変化とまれに起きる変化、イタリア語とスペイン語の例からを参照)。おおもとのjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-という形から実に様々な形が生まれてくるわけです。そしてその中にark-、ar-、ak-、ank-、an-のような形もあるのです。バイカル湖からAngara River(アンガラ川)という川が流れ出ています。

※水を意味していた語が水蒸気、湯気、霧、雲などを意味するようになるパターンと見られますが、朝鮮語のangɛ(霧)アンゲも示唆的です。

日本語のkuti(口)については論じたので、ウラル語族の「口」を見てみましょう。ウラル語族の各言語では、口のことを以下のように言います。

見ての通り、かなりばらばらです。サモエード系のほうの六語は同源です。サモエード系のネネツ語、エネツ語、ガナサン語には、語頭に母音が来るのを避けるためになんらかの子音を前に補う傾向があります。そのことを考慮すると、サモエード系のほうでは口のことを*ankか*angのように言っていたと考えられます。

フィンランド語のsuu(口)やハンガリー語のszáj(口)は明らかに関係ありませんが、フィンランド語のääni(声、音)アーニ(組み込まれてääne-)やハンガリー語のének(歌)エーネクは気になります。口を意味することができなかった語が口から発せられるものを意味するようになることは多いからです(「口(くち)」の語源を参照)。フィンランド語のääni(声、音)やハンガリー語のének(歌)は口を意味していた可能性が高いのです。

ここで関係があるのではないかと思われるのが、日本語のana(穴)、そしてさらに、日本語のaku(空く、開く)です。

日本語のana(穴)とaku(空く、開く)だけを見ているとなかなかわからないですが、ウラル語族の語彙も見ると、穴や口を意味するank-のような語が浮かび上がってきます。

akuという動詞は、「空く」と書かれたり、「開く」と書かれたりしますが、穴や口(人・動物の口、戸口、入口、出口など)を意味するank-のような語から来たのであれば、納得できます。

モンゴル語にも、裂け目・溝・崖を意味するangalアンガルまたはアンガスという名詞や、開くこと・開けること・ひらくことを意味するangajxアンガイフという動詞があります。

ウラル語族の語彙、日本語の語彙、モンゴル語の語彙からして、穴や口を意味するank-、ang-のような語が存在したことは確実です。

ひょっとしたら、奈良時代の日本語のagi(顎)(現代ではago(顎))も、上に述べたana(穴)とaku(空く、開く)と同じで、穴や口を意味するank-、ang-のような語から来たのかもしれません。口と顎の間は意味が変化しやすいです。

昔の日本語では、ank-、ang-という形が認められないので、an-、ak-、ag-という形にならなければならないというのが重要なポイントです。

akubi(あくび)のもとになったakubu(あくぶ)という動詞がありましたが、これも無関係ではないでしょう。口を意味しようとした*akuという語があったのでしょう。