歴史言語学(比較言語学)の要は語根である

※「要」は「かなめ」と読みます。kaname(要)はもともと、扇子が開いたり閉じたりする時に根元を留めている金具を意味していました。金具がカニの目に似ているということで、kaninomeと呼ばれていましたが、それが変化していき、kanameになりました。

語根jalk-、jal-、jak-

ウラル語族と日本語で足・脚に関係する語を生み出しているast-、as-、at-という語根を見たので、今度はjalk-、jal-、jak-という語根を見てみましょう(jは日本語のヤ行の子音です)。

ast-、as-、at-という語根は、日本語のasi(足、脚)とato(跡)を生み出している語根です。jalk-、jal-、jak-という語根は、フィンランド語のjalka(足、脚)とjälki(跡)ヤルキを生み出している語根です。このjalk-、jal-、jak-という語根から、日本語ではどのような語が作られたのでしょうか。日本語ではjalk-のような子音連続は不可能なので、jal-またはjak-という形で現れることになります。

jalk-、jal-、jak-という語根から作られた足・脚に関係する日本語として真っ先に思い浮かぶのは、すでに詳しく説明しましたが、「人を歩いて行かせること」を意味した奈良時代のyaru(遣る)です。

※現代の日本語に「やって来る」という言い方があるので、yaruは「歩かせる」という意味だけでなく、「歩く」という意味で用いられることも歴史上のどこかであったかもしれません。

jal-に対応するのがyaru(遣る)なら、jak-に対応するのはなんでしょうか。昔の日本語は、amai(甘い)とumai(うまい)、asai(浅い)とusui(薄い)などから窺えるように、母音を変えて新しい語を作り出していました。このことを考慮に入れると、奈良時代のyuku(行く)が該当しそうです。筆者は、日本語にyuku(行く)という語が存在する前に*yakuという語があったと考えています。

実は、奈良時代の日本語には、yakuyaku(やくやく)という語がありました。「だんだん、次第に、徐々に」という意味です。時代とともに形と意味が変化し、yakuyaku(やくやく)という形はyouyaku(ようやく)という形になり、「だんだん、次第に、徐々に」という意味は「やっと、ついに」という意味になりました。

英語のgradually(だんだん、次第に、徐々に)は、もとを辿ればラテン語のgradus(一歩)/gradior(歩く)から来ています。奈良時代の日本語のyakuyaku(やくやく)の語源も、同じようなものでしょう。すなわち、「足を踏み出すこと」を意味した*yakuから作られたと見られます。そして、この*yakuから類義語としてyuku(行く)が作られたのでしょう。

jalk-、jal-、jak-という語根から、日本語ではyaru(遣る)、*yaku、yuku(行く)が作られたということです。筆者は、奈良時代の日本語のye(枝)の古形として考えられる*ya(枝)(昔の日本語にエ列がなかったと考えられることは本ブログで再三お話ししています)も、jalk-、jal-、jak-という語根から作られたのではないかと考えています。奈良時代の日本語のye(枝)は、樹木の枝だけでなく、人間・動物の手足も意味していたからです。日本語に限らず、「手足」と「枝」の間には密接な関係があります。古代中国語のtsye(肢)チエとtsye(枝)チエもそうです。

ast-、as-、at-という語根からasi(足)が作られましたが、asi(足)という形のほかに少ないながらa(足)という形も使われていました。したがって、ast-、as-、at-という語根からa(足)が生まれたのと同様に、jalk-、jal-、jak-という語根から*ya(枝)が生まれた可能性はあるのです。日本語ではas、at、yar、yakという形は認められないので、子音を落としてa、yaという形にするか、母音を補ってasV、atV、jarV、jakVという形にすることになります。

筆者が行っている作業を見ればわかると思いますが、ウラル語族の語彙と日本語の語彙を観察しながらこうではないかああではないかと「語根あるいは祖形」を推定し、その「語根あるいは祖形」から「ウラル語族の語彙」に至るところ、その「語形あるいは祖形」から「日本語の語彙」に至るところに規則性を見出そうとしています(実際には、ウラル語族の語彙と日本語の語彙だけでなく、周辺地域の言語の語彙も十分に見ながら語根あるいは祖形を推定しています)。これが、言語の系統関係を調べる歴史言語学(比較言語学)の重要なポイントです。「ウラル語族の語彙」と「日本語の語彙」の間というより、「語根あるいは祖形」から「ウラル語族の語彙」に至るところ、「語根あるいは祖形」から「日本語の語彙」に至るところに規則性を見出すのです。言語の系統関係の証明は、下の図の赤い矢印の部分になんらかの規則性が認められるかどうか、青い矢印の部分になんらかの規則性が認められるかどうかにかかっているのです。

上では、例として、jalk-、jal-、jak-という語根からフィンランド語でどのような語が作られたか、日本語でどのようなが語が作られたか示しました。この例だけ見ると単純な話に思えますが、それはフィンランド語と日本語が遠い昔の発音を非常によく保存している言語だからです。フィンランド語は、ウラル語族の言語の中で遠い昔の発音を一番よく保存している言語です。日本語は、語中の子音連続を残すことができないという不利な点はありますが、この点を除けば、フィンランド語並みに遠い昔の発音をよく保存している言語です(誤解のないように言っておくと、日本語は、遠い昔から持っている語に関して、発音をよく保存しているということです。古代中国語やベトナム系言語などから取り入れた語は別問題です。古代中国語やベトナム系言語などの発音体系は日本語の発音体系と著しく異なるので、語が古代中国語やベトナム系言語などから日本語に入る時には発音が大きく変わってしまうことがよくあります)。

しかし、すべての言語が遠い昔の発音をよく保存しているわけではありません。そのため、単純に判断できないケースも出てきます。例えば、ウラル語族のサモエード系のネネツ語に「足を踏み出すこと、一歩」を意味するjeŋgaイェンガという語があります。この語がjelgaやjegaのような形だったら、先ほどのjalk-、jal-、jak-という語根にすぐに結びつけられそうですが、実際にはjeŋgaです。ネネツ語のjeŋgaが、上で見たフィンランド語のjalka(足、脚)、jälki(跡)や日本語のyaru(遣る)、*yaku、yuku(行く)と同じように、jalk-、jal-、jak-という語根から来ているのかどうかというのは、微妙な問題です。ネネツ語のjeŋgaの件は、ウラル語族やインド・ヨーロッパ語族の歴史を考えるうえで重大な問題をはらんでいるので、後で再び取り上げることにし、ひとまず先に進みます。

iku(行く)の古形であるyuku(行く)の語源が明らかになったので、今度はkuru(来る)の古形であるku(来)の語源を明らかにしましょう。