「畳(たたみ)」の語源、畳まないのになぜ畳と言うのか

前回の記事では、水を意味するtat-のような語があり、この語が陸に上がろうとしていたことをお話ししました。tat-のような語が陸に上がって、盛り上がった土地、丘、山、高さを意味することはあったのでしょうか。結論を先に言うと、あったようです。

山を意味した*tata

日本語にyama(山)という語がありますが、山を意味したのはyamaという語だけではありません。*kasaという語も山を意味していたはずです。日本語のkasa(笠)、kasa(傘)、kasa(嵩)、kasamu(嵩む)、kasanaru(重なる)/kasaneru(重ねる)などの語彙を見ればわかります。*kasaという語だけでなく、*tataという語も山を意味していたようです。

そのことを知るための手がかりが、tatami(畳)にあります。tatami(畳)というのは、tatamu(畳む)という動詞の名詞形です。皆さんはtatamu(畳む)という動詞とtatami(畳)という名詞を見て、なんか変だなと思ったことはないでしょうか。筆者は、畳まないのになぜ畳と言うのだろうと思っていました。

畳を外見がよく似ているござと比べてみてください。違いはなんでしょうか。畳は明らかに厚いです。なぜ厚いかというと、畳は以下のようにして作られているからです(図は坂本畳店様のウェブサイトより引用)。

畳は、畳床(たたみとこ)と畳表(たたみおもて)で構成されています。畳床は藁(わら)でできており、畳表は藺草(いぐさ)でできています。畳表の部分は、まさにござそのものです。ポイントは、畳床の部分です。畳床の部分は、藁を積み重ね、それを圧縮することによって作られています。だから畳は厚いのです。

tatamu(畳む)という動詞のもともとの意味は、現代の「畳む」より、現代の「重ねる」に近かったと見られます。奈良時代には、tatamu(畳む)と同じ使われ方をするtatanu(畳ぬ)という動詞もありました。山を意味する*kasaという語からkasamu(嵩む)とkasanu(重ぬ)という動詞ができ、山を意味する*tataという語からtatamu(畳む)とtatanu(畳ぬ)という動詞ができたのでしょう。

山を意味する*tataという語が存在したことは、以下の考察からも明らかです。

高いことを意味した*tata

人が視線を上に向けているところです。ラテン語のarduus(高い)と古代ギリシャ語のorthos(まっすぐな、正しい)オルトスが示すように、「高い→まっすぐな→正しい」という意味変化はよく起きます。まっすぐなことを意味していた語がよいことを意味するようになり、曲がっていること・傾いていることを意味していた語が悪いことを意味するようになるわけです。

日本語のtadasi(正し)のtada(正)も、このような歴史を持っているようです。上の図のようになにかが上に伸びている、そびえているのを見て、*tataと言っていたと見られます。この*tataから、tate(縦)、tatu(立つ)、tatu(建つ)、tati(館)、tate(盾)などが生まれたのでしょう。tate(縦)とtate(盾)は、組み込まれたtata-という形も見せていました。濁っていますが、tada(直)とtada(正)も同源でしょう。

※日本語のtada(直)とtada(正)については、まっすぐなことを意味したり、正しいことを意味したりするベトナム語のthẳngタンやthẳng thắnタンタンとの関係を検討したこともありましたが、日本語の語彙全体の中での位置づけを考えると、上記の説明のほうがふさわしいと思われます。

ちなみに、まっすぐなことを意味するtadaと道を意味するti(iɸedi(家路)やtabidi(旅路)に組み込まれているti)がくっついて、tadatiという語ができました。この語は、一直線に向かう道を意味していました。意味が抽象的になりましたが、tadatini(ただちに)という形で現代の日本語に残っています。

このように、日本語の語彙は、山を意味したり、高いことを意味したりする*tataという語が存在したことを明白に物語っています。

山を意味する高句麗語の「達」と高いことを意味する高句麗語の「達、達乙」は、Beckwith氏の言うtarのような語ではなく、tatのような語を書き表したものと考えられます。高句麗語では、tatのような語が山を意味したり、高いことを意味したりしていたということです。これで、高句麗語の語彙と日本語の語彙がさらにつながりました。

しかしながら、Beckwith氏らの主張を完全に無視することはできません。ここから話が複雑になります。Beckwith氏らの主張というのは、古代中国語のdat(達)の末子音tが中国語の一部の方言でrのように変化し、そのために朝鮮語では「達」という字をtarと読んでいたのだという主張です(Beckwith 2004)。筆者もこの主張は正しいだろうと考えています。

ポイントは、古代中国語の末子音tが中国語の一部の方言でrのように変化したということです。

日本語では、「正」という字がsyauと読まれる場合と、seiと読まれる場合がありました。同じように、「明」という字がmyauと読まれる場合と、meiと読まれる場合と、minと読まれる場合がありました。中国語と長く付き合っていれば、一つの漢字に対して複数の読みが蓄積することもあります。ここで注目したいのは、新しい読みが取り入れられたからといって、古い読みは全面的に排除されなかったということです。日本語ではむしろ、新しい読みと古い読みが堂々と混在しています。

筆者は、古代中国語の末子音tがrのように変化する前の読み方も変化した後の読み方も高句麗に存在したのではないかと考えています。

例えば、高句麗語の「乃勿」という語が記録されており、鉛を意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「乃勿」・・・鉛を意味する

Beckwith氏は高句麗語の「乃勿」の発音を*namurと推測しています。Beckwith氏が推測するように、末子音はrでしょう。日本語のnamari(鉛)とよく合います。

ちなみに、高句麗語の「勿」という語も記録されており、梁を意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「勿」・・・梁を意味する

Beckwith氏は高句麗語の「勿」の発音を*murと推測しています。Beckwith氏が推測するように、末子音はやはりrでしょう。「木(き)」の語源、木には様々な木がある(改訂版)の記事の終わりのほうで柱、梁、桁の話をしましたが、高句麗語の「勿」ももともと木を意味していたと見られます。奈良時代の日本語でネズ(日本に広く見られる樹種で、庭木、生垣、盆栽などにも使われてきました)を意味したmuroと関係がありそうです。mori(森)やmoro(諸)とも無関係でないでしょう。これらはすべて、水・水域を意味していた語がその横の部分、草、木、森、山、緑などを意味するようになるパターンです(moro(諸)については、数詞の起源について考える、語られなかった大革命を参照)。

古代中国語のdat(達)の末子音はtで、古代中国語のmjut(勿)ミウトゥの末子音もtでした。日本語での「達」と「勿」の読み、そして朝鮮語での「達」と「勿」の読みは、以下の通りです。

日本語と朝鮮語での読みは、古代中国語の末子音tが中国語の一部の方言でrのように変化したことをよく示しています。そのような変化が起きる時代に、高句麗は存在していたのです。高句麗はこの変化の影響を受けていたと思われます。そう考えると、高句麗人がtatのような語を「達」と書き表したり、murのような語を「勿」と書き表したりしたことが理解できます。

これはなかなかややこしいことです。

高句麗語の「毛乙」という語も記録されており、円を意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「毛乙」・・・円を意味する

この「毛乙」はどう読めばよいでしょうか。上で説明したように、古代中国語のit(乙)の末子音tも中国語の一部の方言でrのように変化しました。その通り、「乙」の読みは日本語ではoti/itu/otu、朝鮮語ではɯlウル(古形ur/or)です。

Beckwith氏は高句麗語の「毛乙」の発音を*mawrと推測しています。末子音はrであるという判断です。末子音がrなら、高句麗語の「毛乙」は日本語のmaru(丸、円)に対応する語でしょう。

しかし、末子音はrではなくtである可能性もあります。「目(め)」の語源の記事で触れましたが、日本語にはmatoka(円か)/matoyaka(円やか)という語もあったのです。当然、mato(的)も関係があると考えられます。末子音がtなら、高句麗語の「毛乙」は日本語のmato(的)、matoka(円か)/matoyaka(円やか)に対応する語でしょう。

高句麗語は漢字で書き残されただけなので、このような難問が生じます。末子音tがrのように変化しても、「達」という漢字は変わらないし、「勿」という漢字も、「乙」という漢字も変わらないのです。漢字の難しいところです。

もう一つ全く違うタイプの難問を紹介しましょう。

 

補説

浅いことを意味する高句麗語の「比烈」

山を意味したり、高いことを意味したりした高句麗語の「達、達乙」という語について論じましたが、高句麗語の「比烈」という語も記録されています。浅いことを意味する語であると中国語で説明されています。

高句麗語の「比烈」・・・浅いことを意味する

Beckwith氏が推測するように、高句麗語の「比烈」がpir-のような語を書き表したものであることは間違いないでしょう。Beckwith氏は、高句麗語の「比烈」を日本語のɸira(平)に結びつけようとしています。

浅いことを意味する高句麗語の「比烈」は、水を意味するpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のような語から来ていると考えられます。

日本語のɸira(平)もここから来ていると考えられます。水を意味していた語がその横の平らな土地を意味するようになるパターンです。しかし、これはあまり本質的でないと思われます。

重要なのは、水を意味するpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のような語が、浅いところを意味するようになり、そこからさらに、明るさ・明かりを意味するようになったことです。このようにして生まれたのが、日本語のɸi(日)、ɸiru(昼)、ɸirameku(閃く)、ɸikaru(光る)などでした(太陽と火を意味する言葉、日本語の「日(ひ)」と「火(ひ)」から考えるを参照)。

浅いところを意味していた語が明るさ・明かりを意味するようになるというのが核心部分です。日本語のasa(浅)とasa(朝)も同源でしょう。

この意味で、高句麗語の「比烈」は、日本語のɸira(平)よりも、日本語のɸi(日)、ɸiru(昼)、ɸirameku(閃く)、ɸikaru(光る)などと密接な関係にあると考えられる語です。

水を意味していた語が浅いところを意味するようになり、浅いところを意味していた語が明るさ・明かりを意味するようになる、高句麗語の「比烈」は、そのような展開が実際にあることを改めて示しています。

深いことを意味する高句麗語の「伏」が日本語のɸuka(深)と完全に一致していたことも思い出してください。

 

参考文献

Beckwith C. I. 2004. Koguryo: The Language of Japan’s Continental Relatives. Brill Academic Publishers.