「目(め)」の語源

「水(みず)」の語源、日本語はひょっとして・・・の記事では、ウラル語族の各言語で水のことをどのように言うか示しました。ウラル祖語の「水」は、ほとんどの言語で保たれていました。

水を意味する語は変わりにくいですが、目を意味する語も変わりにくいです。驚くべきことに、ウラル祖語の「目」はすべての言語で保たれています。

このようにウラル祖語のある語がすべての言語で保たれているケースは、極めてまれです。目を意味する語はそれだけ変わりにくいということです。

しかし、ウラル語族のフィンランド語silmä(目)スィルマなどは、日本語のme(目)(古形は*ma(目))とは明らかに違います。もしかして、日本語にもフィンランド語のsilmä(目)のような語があったのでしょうか。そして、それが*ma(目)に置き換えられてしまったのでしょうか。どうやら、そのようです。

日本語の*ma(目)はどこから来たのでしょうか。疑わなければならないのは、ベトナム系の言語です。すでに考察した日本語の上肢に関する語彙でも、胴体に関する語彙でも、下肢に関する語彙でも、ベトナム系の語彙が目立っていました。頭部に関する語彙でも、ベトナム系の言語に注意を向けなければならないのです。

ベトナム系の言語では、目のことをベトナム語mắt(目)マ(トゥ)のように言います。日本語がこのような語に出会えば、matとは言えないので、maあるいはmatV(Vはなんらかの母音)という形にしそうです。日本語の*ma(目)はとても怪しいですが、同じくらい怪しいのがmato(的)です(図はイラストポップ様のウェブサイトより引用)。

廃れてしまったまるいことを意味するmatoka(円か)/matoyaka(円やか)も関係があるかもしれません。目を意味する語が変わるというのは並大抵のことではなく、そのような変化を引き起こす言語であれば、目以外の(身体)語彙にも変化を引き起こしているはずです。となると、答えはベトナム系の言語になるのです。

※*ma(目)のaは露出していますが、mato(的)のaは組み込まれています。*ma(目)がme(目)になっても、mato(的)は変化しないことに注意してください。

ちなみに、ベトナム語にはmắt(目)という語だけでなく、mày(眉)マイという語もあります。日本語では、mayと言えないので、mayo(眉)になったのでしょう。mayo(眉)はのちに、mayu(眉)になりました。

本ブログで示しているように、日本語は様々な言語から語彙を取り入れてきましたが、最も変わりにくい目を意味する語が変わったことからもわかるように、ベトナム系言語の存在はかなり特別です。縄文時代晩期→弥生時代→古墳時代→飛鳥・奈良時代と進んでいく日本の歴史に、ベトナム系言語を話す人々が大きく関わったのではないかと考えたくなるところです。

この話は別のところで深めることにし、ここでは冒頭のウラル語族の語彙にもう一度戻ります。日本語の*ma(目)がベトナム系言語から入った語なら、それ以前は目のことをなんと言っていたのでしょうか。やはり、ウラル語族のフィンランド語silmä(目)のような語があったようです。ただし、日本語ではsilm-という形は認められないので、sir-かsim-という形にする必要があります。日本語の目に関する語彙を見渡す限り、日本語では目のことを*siroと言っていたと見られます。これがziroʔ(じろっ)、ziroziro(じろじろ)、zirori(じろり)のような形で残っているのです。

日本語のme(目)およびziroʔ(じろっ)/ziroziro(じろじろ)/zirori(じろり)の語源は上の通りです。

しかし、不思議な問題も残ります。ウラル語族の全言語で、ウラル祖語の時代からフィンランド語のsilmä(目)のような語が使われ続けています。目を意味する語はなかなか変わらないということです。しかし、ウラル語族の外に目を向けると、目のことをフィンランド語のsilmä(目)のように言う言語が全然見当たらないのです。ウラル語族とその外でどうしてこんなにはっきり違うのだろうと、筆者は不思議でなりませんでした。

※シナ・チベット語族に古代中国語mjuwk(目)ミウク、チベット語mig(目)、ミャンマー語myeʔsi(目)ミェッスィのような語があり、このような語が日本語にmiという形で入り込んで目を意味しようとした可能性があります。奈良時代のmiru(見る)、miyu(見ゆ)、misu(見す)のmiはそれかもしれません(現代では、miyu(見ゆ)はmieru(見える)になり、misu(見す)はmiseru(見せる)になっています)。