言葉の変化を追跡する、よく起きる変化とまれに起きる変化、イタリア語とスペイン語の例から

ラテン語にiuvenis(若い)ユウェニスという語がありました。iuvenisではなく、juvenisと書かれることもありました。この語は、イタリア語ではgiovane(若い)ヂョヴァネ、スペイン語ではjoven(若い)ホベンになっています。ヨヴァネではなくヂョヴァネになっていること、ヨベンではなくホベンになっていることに注意してください。

ちょっとした変化ではありますが、ここに重要な情報が詰まっています。注目してほしいのは、頭子音の変化です。ラテン語の頭子音[j](日本語のヤ行の子音)が、イタリア語では[dʒ]に、スペイン語では[x]になりました。

イタリア語が見せた[j]→[dʒ]という変化は、非常によく起きる変化です。[j]が[dʒ、ʒ、tʃ、ʃ]になる変化は、世界に広く見られます。[ja](ヤ)が[dʒa、ʒa、tʃa、ʃa](ヂャ、ジャ、チャ、シャ)になる変化です。

これに対して、スペイン語が見せた[j]→[x]という変化は、よく起きる変化ではありません。しかし、この変化が重要なのです。[ja](ヤ)が[xa](ハ)になる変化です。

[x]という子音について、改めて説明しておきましょう。日本語には、[k]と[h]という子音はありますが、[x]という子音はありません。

[x]は、[k]と同じ場所で作られる音です。ka(カ)と発音してみてください。kaと発音する時には、口の中のわりと奥のほうで、まず空気が出られないように閉鎖を作り、それからその閉鎖を開放して空気を吐き出しているはずです。これはkaの発音の仕方です。

xaの発音の仕方は違います。kaと発音する時に閉鎖を作る部分がありますが、この部分を空気でこするのです。これがxaの発音の仕方です。

xaはkaと同じ場所で作られ、haはもっともっと奥のほうで作られます。xaは、kaを発音する位置で、haと発音する感じです。

北ユーラシアには[x]という子音を持つ言語が非常に多く、北ユーラシアの歴史を考えるうえで[x]という子音は非常に重要です。[k]と[h]と[x]の三者間は、発音変化が起きやすいです。

以前に、歴史の奥底に埋もれた語の記事で、古代北ユーラシアでは水のことをjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-のように言っていたようだとお話ししました。rの部分は、rであったり、lであったりします。

水を意味するjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-のような語は、とても古い語です。現在の北ユーラシアをぱっと見渡しても、水を意味するjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-のような語は見当たりません。

古代北ユーラシアで水を意味したjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-のような語は、北ユーラシアの至るところに残っています。しかし、jark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-という語形が変化したり、水という意味が変化したりしているのです。ウラル語族のフィンランド語joki(川)ヨキ、ハンガリー語jó(川)ヨーや、フィンランド語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグなどは、まだわかりやすいほうです。これらは、語形と意味があまり変化していないからです。

水を意味するjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-のような語があれば、先ほどのイタリア語とスペイン語の例のように変化することもあります。

さらに、以下のように変化することもあります。

rとkが両方残っている形だけを示しましたが、どちらか一方が脱落することもあります。

おおもとのjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-という形から、実に様々な形が生まれてくるわけです。

先ほど挙げたフィンランド語joki(川)、ハンガリー語jó(川)や、フィンランド語jää(氷)、ハンガリー語jég(氷)などは、水に関係があることがわかりやすいですが、例えば、フィンランド語のjalka(足、脚)ヤルカはどうでしょうか。

ちなみに、フィンランド語のjalka(足、脚)に対応する語は日本語にもあります。日本語ではyark-という形は認められないので、yar-かyak-という形で存在することになります。すでに本ブログで取り上げましたが、奈良時代の日本語で「人を歩いて行かせること」を意味していたyaru(やる)と「徐々に進行すること」を意味していたyakuyaku(やくやく)です。

現代の日本語に「やって来る」という言い方があるので、yaru(やる)は歩かせることだけでなく、歩くことも意味していたと思われます。

yakuyaku(やくやく)は、一歩一歩を意味していたところから、徐々に進行することを意味するようになったと見られます。そこからさらに、長い歩みを意味するようになり、現代のyouyaku(ようやく)に至ります。

ウラル語族と日本語の語彙から、古代北ユーラシアで足・脚のことをjalk-のように言っていたことは間違いありません。

実は、これに関連して、筆者がずっと気にしていた語があります。モンゴル語xөl(足、脚)フルまたはフス、エヴェンキ語xalgan(足、脚)ハルガン、古代中国語kjak(腳)キアクなどです(腳の異体字が脚です)。

ウラル山脈周辺にも、ウラル語族のコミ語kok(足、脚)、ウドムルト語kuk(足、脚)、ハンティ語kur(足、脚)という語があります。これらは、ウラル語族らしくなく、ウラル語族以外の言語から入ってきたと考えられる語です。フィンランド語にも、kulkea(進む)やkulku(進行)のような語があります。

そして極めつけは、インド・ヨーロッパ語族のラテン語のcalx(かかと)カルクス、calceus(靴)カルケウス、calcare(踏む)カルカーレ、calcitrare(蹴る)カルキトラーレなどです。これらは、足・脚そのものは意味していませんが、足・脚に関係があることは明らかです(大きく間が空いてしまいましたが、とても古い東西のつながり、ユーラシア大陸の北方でなにがあったのかの記事は、ここにつながります)。

ヨーロッパから東アジアまでの非常に広い範囲で、足・脚のことをkalk-のように言っていたことがわかります。

古代北ユーラシアで、足・脚のことをjalk-のように言ったり、kalk-のように言ったりしていたわけです。このjalk-のような語とkalk-のような語にどのような関係があるのか、そもそも関係があるのか、筆者は長いことわかりませんでした。

しかし、冒頭のイタリア語とスペイン語の例で示したように、よく起きる発音変化とまれに起きる発音変化があり、jalk-のような形がxalk-のような形になり、さらにkalk-やhalk-のような形になることもあるのだと知りました。

[j]という子音(日本語のヤ行の子音)は比較的脱落しやすく、jalk-のような形は、xalk-、kalk-、halk-のような形を生み出すだけでなく、alk-のような形も生み出していたようです。日本語にaruku(歩く)、モンゴル語にalxax(歩く)アルハフという動詞がありますが、これらは、かつて足・脚を意味するalk-のような語があったことを示しています。

イタリア語とスペイン語の例を見た後なので、jark-のような形(rの部分は、rであったり、lであったりします)がdʒark-、ʒark-、tʃark-、ʃark-のような形になったり、xark-のような形になったり、ark-のような形になったりするのはわかるでしょう。これは語形の変化です。語形の変化とならんで意味の変化があります。人類の言語の歴史を理解するためには、語形の変化と意味の変化の両方を精密に追う必要があります。

水を意味するjark-のような語があり、この語がdʒark-、ʒark-、tʃark-、ʃark-のような語になったり、xark-のような語になったり、ark-のような語になったりしたとしましょう。しかし、このdʒark-、ʒark-、tʃark-、ʃark-のような語、xark-のような語、ark-のような語が水を意味しているとは限らないのです。

水を意味する語は、基本的には、ずっと水を意味しています。しかし、この水という意味が変わる時があります。それは、ある言語で水を意味していた語が、他の言語に入る時です。他の言語にはすでに水を意味する語があるので、水以外のなにか(水に関係のあるなにか)を意味せざるをえないのです。

古代北ユーラシアで、足・脚のことをjalk-のように言ったり、kalk-のように言ったり、alk-のように言ったりしていたと述べました。この足・脚を意味するjalk-、kalk-、alk-のような語は、一見したところ、「水」から来ているようには見えません。しかし、「水」から来ているのです。もちろん、水を意味していた語がいきなり足・脚を意味するようになることはありません。

水を意味していた語が横を意味するようになり、横を意味していた語が手・腕を意味するようになるパターンを思い出してください。それと同じように、水を意味していた語が下を意味するようになり、下を意味していた語が足・脚を意味するようになるパターンがあるのです。

水を意味していた語が横を意味するようになるパターン(これは川を意味していた語が岸を意味するようになるパターンです)に比べて、水を意味していた語が下を意味するようになるパターンはちょっと複雑です。下(した)、下(しも)、下(もと)の比較の記事で詳しく説明したように、水を意味していた語が下を意味するようになるパターンはいくつかあります。世界の諸言語を研究していて最も多いのは、水を意味することができず、雨を意味することもできなかった語が、落下・下方向・下を意味するようになるパターンです。こうして下を意味していた語が、足・脚を意味するようになるのです。

古代北ユーラシアで足・脚を意味したjalk-、kalk-、alk-のような語は、一見無関係なようで、実は「水」から来ているのです。水を意味していた語が足・脚を意味するようになった例をもう一つ挙げておきましょう。

奈良時代の日本語には、「人を歩いて行かせること」を意味するyaru(やる)という語がありましたが、同じく「人を歩いて行かせること」を意味するtukaɸu(使ふ、遣ふ)という語もありました。足・脚を意味する*tukaという語があり、そこからtukatuka(つかつか)とtukaɸu(使ふ、遣ふ)が生まれたと考えられます。tukaɸu(使ふ、遣ふ)は、歩くことを意味する場合と歩かせることを意味する場合があったかもしれません。tukaɸasu(使はす、遣はす)という形もありました。

足・脚を意味する*tukaという語はどこから来たのでしょうか。やはり究極的には「水」から来たと考えられます。水に入ること・入れることを意味したtuku(漬く)/tukasu(漬かす)/tukaru(漬かる)、tuka(塚)、tukamu(つかむ)などの他の語彙を見れば明らかです。tuku(漬く)/tukasu(漬かす)/tukaru(漬かる)が水に関係があることは言うまでもないでしょう。tuka(塚)は、水を意味していた語がその横の盛り上がった土地、丘、山を意味するようになったと考えられる語です。tukamu(つかむ)は、手・腕を意味する*tukaという語があったことを示しています。一握りを意味したtuka(束)や握る部分を意味したtuka(柄)も同じところから来ていると考えられます。現代の日本語で一握りが少数・少量を意味することがありますが、tuka(束)も少数・少量を意味することがあり、そこからtukanoma(束の間)という言い方ができたのでしょう。

ここに挙げた一連の語彙から水を意味するtuk-のような語の存在が窺えますが、この語は上の表のtʃark-、tʃirk-、tʃurk-、tʃerk-、tʃork-(子音が脱落すれば、tʃar-、tʃir-、tʃur-、tʃer-、tʃor-、tʃak-、tʃik-、tʃuk-、tʃek-、tʃok-)あるいはtark-、tirk-、turk-、terk-、tork-(子音が脱落すれば、tar-、tir-、tur-、ter-、tor-、tak-、tik-、tuk-、tek-、tok-)のところから来ていると考えられます。

水を意味していた語が横を意味するようになり、横を意味していた語が手・腕を意味するようになるパターンと、水を意味していた語が下を意味するようになり、下を意味していた語が足・脚を意味するようになるパターンは、極めて重要です。水を意味する語だけでなく、手・腕を意味する語と足・脚を意味する語も基本語であり、ここからさらに多くの語彙が生まれていきます。

人類は遅くとも45000年前には北ユーラシアに現れており、そこから現在に至るまでの言葉の変化(語形の変化および意味の変化)は、目が回りそうなほど多種多様です。しかし、全く無秩序というわけではありません。いやむしろ、規則性と言えるぐらいの傾向があります。

前回の記事でほのめかしたkuti(口)の語源を明らかにすることにしましょう。「下」を意味していた語から「足・脚」を意味する語が生まれるというのは、とてもわかりやすいと思います。しかし意外なことに、「下」を意味していた語から「口」を意味する語も生まれてくるのです。

高句麗人が書き残した謎の漢字

高句麗語はわずかな文字記録を残して消滅してしまいました。身体部位を表す語彙もほとんど窺い知ることができません。しかし、幸いなことに、高句麗語で「口」を意味した語が記録に残っています。高句麗語で「口」を意味した語は、「忽次」および「古次」と書き表されています。

高句麗語の「忽次、古次」・・・口を意味する

古代中国語のxwot(忽)フオトゥまたはクオトゥ、ku(古)、tshij(次)ツィという語を考えれば、高句麗語の「忽次、古次」が日本語のkuti(口)に対応する語であることは明らかでしょう。

高句麗語で目を意味した語、耳を意味した語、鼻を意味した語、歯を意味した語、舌を意味した語は記録に残っていません。しかし、高句麗語で口を意味した語は記録に残っており、「忽次、古次」と書き表されているのです。

これは、高句麗語の数詞に注目するの記事で見た光景に似ています。高句麗語のほんの一部の語がちらっちらっと見え、それらが日本語に酷似しているパターンです。

しかし、高句麗語の「忽次、古次」と日本語のkuti(口)の話には、厄介なところもあります。高句麗人が高句麗語で口を意味する語を「忽次、古次」と書き表したのは事実ですが、「忽次、古次」ではなく「串」と書き表すこともあったのです。

古代中国語のtsyhwen(串)チウエンまたはkwæn(串)クアンという語を考えると、高句麗語の「串」を日本語のkuti(口)に結びつけるのは無理があります。

Beckwith氏は、高句麗語の「忽次、古次」と高句麗語の「串」は同一の語であると考えています(Beckwith 2004)。発音が全然違うであろう「忽次、古次」と「串」を同一の語と考えようとするので、混乱に陥ってしまっています。筆者は、高句麗語の「忽次、古次」と高句麗語の「串」は別々の語ではないかと考えています。

筆者の考えもかなり奇妙に響くでしょう。当然、以下のような反論が予想されます。高句麗語には、口を意味する「忽次、古次」という語があり、それとは別に、口を意味する「串」という語があった。高句麗語には口を意味する語が二つあったことになる。これはおかしいではないかと。

高句麗語に口を意味する語がある、近隣の言語にも口を意味する語がある、この当たり前の状況を考えてみてください。近隣の言語で口を意味していた語が高句麗語に入ってきて、高句麗語で口を意味していた語を脅かすかもしれません。どうなるでしょうか。高句麗語で口を意味していた語と近隣の言語で口を意味していた語が一時的に並存するかもしれません。しかし、このような並存が長続きするとは思えません。口を意味する語はなかなか変わらないので、近隣の言語で口を意味していた語は高句麗語で最終的に口を意味することができず、口に関係のあるなにかを意味するようになるでしょう。なにを意味するようになるでしょうか。

現代の日本語にkutiという語があります。kutiは、方言によっては、口だけでなく言葉も意味しています。沖縄の人たちは自分たちの言葉を「うちなーぐち」と呼んでいます。おきなわが変化した「うちなー」(キチ変化が起きています)と言葉を意味する「くち」がくっついたものです。口を意味していた語が言葉を意味するようになるのは、容易に理解できるでしょう。現代の私たちは、言葉を紙に書いたり、パソコンの画面に入力したりしますが、文字のない時代には、言葉はもっぱら口から発するものだったのです。

筆者は、高句麗語の「串」は、口を意味することができず、口から発せられる音を意味するようになっていった語ではないかと推測しています。古代中国語のkwæn(串)という語を考えると、高句麗語の「串」は、日本語のkuti(口)より、日本語のkowe(声)に結びつきそうです。

筆者は、日本語のkowe(声)をウラル語族のフィンランド語korva(耳)(祖形*korwa)などと結びつけようとしたこともありました。確かに、耳は聞くことや音と密接な関係があります。しかし、日本語のkowe(声)は、音一般を意味するのではなく、口から発せられる音を意味するところに大きな特徴があります。kowe(声)の語源は「口」ではないかと考えたくなるのです。

高句麗語の「串」(古代中国語のkwæn(串)からしてkwaかkweのような音であったと推測されます)と日本語のkowe(声)に関係があると思われるのが、古代中国語のkhuw(口)クウです。古代中国語のkhuw(口)のような語が、口を意味しようとしたが叶わず、口から発せられる言葉や音を意味するようになったと考えると、合点がいきます。

筆者はこのように、高句麗語の「忽次、古次」と高句麗語の「串」は類義語(つまり別々の語)であったと考えています。

※Beckwith氏と同じように、筆者もなぜ高句麗人が口を意味する語を「串」と書き表したのか戸惑いました。前回の人を惑わせる万葉仮名、ひらがなとカタカナの誕生の記事で説明した日本人の場合のように、高句麗人が「忽次、古次」という漢字を選んだ際の方針と、「串」という漢字を選んだ際の方針が異なっていたのかとも考えました。

maという音を書き表すのに、「麻」や「磨」のような漢字を使うか、「真」や「間」のような漢字を使うかという問題です。中国語の「麻」や「磨」の発音はmaと同じか似ていますが、中国語の「真」や「間」の発音はmaと全然違います。maという音から日本語のある語を思い浮かべ、その語と意味的に対応する漢字が「真」や「間」なのです。

日本語にkuti(口)と×kuti(串)という語があれば、そのような可能性も検討できなくはないですが、実際にあるのは、kuti(口)とkusi(串)です。高句麗人が意味的な動機から口を意味する語を「串」と書き表したと考えるのは、困難と言わざるをえません。高句麗人は、表したい音と同じ音または似た音を持つ漢字を使うという方針に徹しているように見えます。

高句麗人が「忽次、古次」と書き残しただけだったら単純な話でしたが、「串」とも書き残したために混乱が発生しました。

日本語のkowe(声)と高句麗語の「串」が古代中国語のkhuw(口)のような語から来たのなら、日本語のkuti(口)と高句麗語の「忽次、古次」はどこから来たのでしょうか。

日本語のme(目)の語源とmimi(耳)の語源はすでに明らかにしましたが、me(目)もmimi(耳)ももともと身体部位を表す語ではありませんでした。kuti(口)ももともと身体部位を表す語ではなかった可能性が高いです。kuti(口)はもともとなにを意味していたのでしょうか(写真はVerygood様のウェブサイトより引用)。

古代中国語のhwet(穴)フエトゥ、khwot(窟)クオトゥ、gjut(堀)ギウトゥ、gjut(掘)ギウトゥなどの語が気になります。kuti(口)の語源については、別に一つ記事を設け、そこで論じることにしましょう。

 

参考文献

Beckwith C. I. 2004. Koguryo: The Language of Japan’s Continental Relatives. Brill Academic Publishers.

人を惑わせる万葉仮名、ひらがなとカタカナの誕生

「ひらがな」と「カタカナ」はおなじみですが、「万葉仮名」と言われると首をかしげてしまう人もいるのではないでしょうか。ひらがなとカタカナが文字の集まりであるように、万葉仮名も文字の集まりです。

重要な前提ですが、奈良時代の日本語の発音体系は、現代の日本語の発音体系と少し異なっていました。

現代の日本語

奈良時代の日本語

現代の日本語のaという音を「あ」と書く、iという音を「い」と書く、uという音を「う」と書く、eという音を「え」と書く、oという音を「お」と書く・・・。これがひらがなです。ひらがなはシンプルです。

現代の日本語のaという音を「ア」と書く、iという音を「イ」と書く、uという音を「ウ」と書く、eという音を「エ」と書く、oという音を「オ」と書く・・・。これがカタカナです。カタカナもシンプルです。

ところが、奈良時代の日本には、まだひらがなとカタカナがありませんでした。奈良時代の日本語を書き表そうとすると、漢字を使うしかなかったのです。

実は、奈良時代の日本語のaという音を書き表すのに、いくつもの漢字が使われていました。iからwoまでの各音についても、同様です。一つの音に対していくつもの漢字が使われていたのです。表中のaのところに漢字をたくさん詰め込んでください。表中のiからwoまでのところにも漢字をたくさん詰め込んでください。万葉仮名とは、そういうものだったのです。万葉仮名は漢字の集まりです。

ひらがなとカタカナの文字数はごく限られていますが、万葉仮名の文字数は膨大です。万葉仮名は、ひらがなとカタカナのように簡単にまとめて示すことができないのです。万葉仮名をひらがなとカタカナのようにイメージしにくい理由がここにあります。

そのような途方もない万葉仮名を前にすれば、だれしも思うでしょう。aという音を表す漢字は一つでよいのではないか、iという音を表す漢字は一つでよいのではないか、uという音を表す漢字は一つでよいのではないか、eという音を表す漢字は一つでよいのではないか、oという音を表す漢字は一つでよいのではないかと。実際、昔の日本人はそのようにしたのです。

aという音を書き表すのに使われていた漢字の中に、「安」という漢字がありました。この「安」という漢字を少し崩します(以下に挙げる各字体はWikipediaより引用)。

iという音を書き表すのに使われていた漢字の中に、「以」という漢字がありました。この「以」という漢字を少し崩します。

uという音を書き表すのに使われていた漢字の中に、「宇」という漢字がありました。この「宇」という漢字を少し崩します。

eという音を書き表すのに使われていた漢字の中に、「衣」という漢字がありました。この「衣」という漢字を少し崩します。

oという音を書き表すのに使われていた漢字の中に、「於」という漢字がありました。この「於」という漢字を少し崩します。

このように、万葉仮名の中からわずかな漢字を選び出し、それらをもとにひらがなを作りました。ひらがなのもとになった漢字の一覧は、以下の通りです(Wikipediaより引用、一部改変)。

カタカナの場合も同様で、やはり万葉仮名の中からわずかな漢字を選び出し、それらをもとにカタカナを作りました。

※漢字そのものは漢語の中に出てくるので、それを変形したひらがなとカタカナという新しい文字体系を作り出すのが合理的だったのでしょう。

こうして作られたひらがなとカタカナが普及し、一般的には万葉仮名は忘れ去られてしまった感があります。しかし、日本語の起源や歴史を考える時に最も重要な奈良時代の日本語は万葉仮名で書き表されており、この点で万葉仮名の存在を無視することはできません。

万葉仮名には、人を惑わせるところもあります。例として、万葉仮名のマ行を見てみましょう。

奈良時代の日本語のマ行の音(ma、mi甲類、mi乙類、mu、me甲類、me乙類、mo)を表すのに、以下の漢字などが使われていました(一部しか挙げていません)(上代語辞典編修委員会1967)。

上に示した漢字は、ある方針に基づいて選ばれています。表したい日本語の音と同じ音または似た音を持つ漢字を使うという方針です。これは、日本人以外の外国人にとってもわかりやすいのではないかと思います。

しかし、それとは別の方針で漢字を選んでいる場合も結構あるのです。例えば、maという音を「真」や「間」と書き表したり、mi甲類という音を「三」や「水」と書き表したり、me甲類という音を「女」や「婦」と書き表したりします。発音の観点からすると、古代中国語のtsyin(真)チインやkɛn(間)ケンはmaに似ていません。古代中国語のsam(三)やsywij(水)シウイもmi甲類に似ていません。古代中国語のnrjo(女)ニオやbjuw(婦)ビウもme甲類に似ていません。これらの漢字は、先ほどの方針とは全く違う方針に基づいて選ばれています。表したい日本語の音から日本語のある語を思い浮かべ、その語と意味的に対応する漢字を使うという方針です。これは、特に日本人以外の外国人にとってはわかりにくいのではないかと思います。

独自の文字を持たなかった日本人は、自分たちの言語を漢字で書き表さなければなりませんでした。上で説明した二つの方針が混ざり合った万葉仮名から、日本人が自分たちの言語を漢字でどのように書き表したらよいか思案していたことが窺えます。

同じような状況に置かれたであろう高句麗人はどうだったのでしょうか。独自の文字を持たなかった高句麗人も、自分たちの言語を漢字で書き表さなければなりませんでした。表したい高句麗語の音と同じ音または似た音を持つ漢字を使うという方針があったことは間違いありません。しかし、この方針だけだったのでしょうか。それとも、日本人の場合のように別の方針もあったのでしょうか。

高句麗語の話に戻りましょう。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。