時間の哲学、「時(とき)」の語源(改訂版)

この記事は、以前に記した記事の改訂版です。

抽象的なtoki(時)の語源に関しては、筆者の考えも二転三転しましたが、人類の言語を広く観察しながら思考を重ね、ようやく確かな見解に到達したので、それをここに記します。

いきなりtoki(時)について考えるのはハードルが高いので、まずはsetu(節)とsai(際)に目を向けることにします。中国語からの外来語であるsetu(節)とsai(際)は、「その節は・・・、その際は・・・」という具合にtoki(時)に似た使われ方をするので、考察に値します。

古代中国語のtset(節)ツェトゥは、竹かんむりからわかるように、特に竹のふしを意味していた語です。竹のふしとは、以下の図の赤い線の部分です。

古代中国語のtsjej(際)ツィエイも、境を意味していた語です。日本でkokusai(国際)という和製漢語が作られましたが、これは国と国の間を意味しています。

このように、古代中国語のtset(節)とtsjej(際)はもともと境を意味していた語ですが、そこからやがて時も意味するようになります。これは中国語に特有な現象ではなく、人類の言語に広く見られる現象です。日本語のori(折)(古形wori)も、境を意味していたと考えられる語です。その節、その際、その折、どれもよく聞くでしょう。

なぜ境を意味していた語が時を意味するようになるのでしょうか。先ほどの図のような構図において「区切る線」を意味していた語が「区切られた各部分」を意味するようになるというのがポイントです。世(よ)の誕生の記事で説明した奈良時代のyo(代)などはまさにそうです。yo(代)は、yoko(横)などと同源で、水と陸の境を意味していたが、そこから「区切る線」、さらに「区切られた各部分」を意味するようになり、奈良時代には「時代」を意味していました(yokogiruとyogiruという言い方があるように、yokoとyoという形があったのです)。

時間の問題を考える場合にも、やはり古代人の感覚を考えることが重要です。古代人は、現代の私たちと違って、時計を持っておらず、数詞・数字も持っていませんでした。それでも、現代の私たちと同じように、明るさ(朝・昼)と暗さ(夜)が交互に訪れる世界に住んでいました。「区切り」というものは古くから意識されています。明るくなって、暗くなって、明るくなって、暗くなって・・・という区切り以外にも、様々な区切りが考えられます。

四角を四つ並べました。紙芝居の一枚一枚の絵のようなものだと思ってください。つまり、一つ一つの四角は、現代でいう場面のようなものです。例えば、「道具を作る」→「動物を狩る」→「解体・調理する」→「食べる」、これだって区切りです。数詞・数字を持たない古代人が「いち、に、さん、し・・・」と数えることはありませんが、ある場面、次の場面、次の場面、次の場面・・・という見方はします。

こうなると、場面場面(一区切り一区切り)を指す語が欲しいところです。水を意味していた語が水と陸の境を意味するようになり、水と陸の境を意味していた語が「区切る線」を意味するようになり、「区切る線」を意味していた語が「区切られた各部分」を意味するようになったようです。水から始まるこのような経緯からして、まず空間的な意味があり、そこに時間的な意味が加わったと考えられます。奈良時代には、時代を意味するyo(代)のほかに、竹のふしとふしの間を意味するyo(節)という語がありましたが、yo(代)よりyo(節)のほうが古いでしょう。

さて、toki(時)はどうでしょうか。上に説明したパターンは日本語でもその他の言語でも繰り返し出てくるので、toki(時)もこのパターンと考えられます。古代北ユーラシアで水を意味したtark-、tirk-、turk-、terk-、tork-(tar-、tir-、tur-、ter-、tor-、tak-、tik-、tuk-、tek-、tok-)のような語から来たのでしょう。すでに多数の例を挙げましたが、taka(高)、tuka(塚)、toko(床)などは、水を意味していた語がその横の盛り上がった土地、丘、山あるいは高さを意味するようになったものです。対照的に、taki(滝)、tuku(漬く)、toku(溶く)などは、当初の水という意味を残しています(taki(滝)は、現代と少し異なり、急流・激流を意味していました)。酒を注ぐ時のtokutoku(とくとく)や血が流れる時のdokudoku(どくどく)も同源でしょう。水と陸の境を意味していたであろうtoki(時)も、同じところから来ていると考えられます。

toki(時)の類義語であるkoro(頃)はどうでしょうか。奈良時代には、凍ること・固まることを意味するkoru(凝る)と切ることを意味するkoru(伐る)という語がありました。koru(凝る)は氷を思わせ、koru(伐る)は境を思わせます。やはり水の気配がします。koru(伐る)は、ki(木)とくっついてkikori(きこり)を残したぐらいで、廃れてしまい、類義語のkaru(刈る)とkiru(切る)が残りました。koru(凝る)とkoru(伐る)の存在から、水を意味していたkor-のような語が境を意味するようになったことが窺えますが、この境を意味するkor-のような語から、koro(頃)ができたようです。背後にあると見られるのは、古代北ユーラシアで水を意味したkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-)のような語です。これに関連する話を補説で取り上げましょう。

 

補説

水から境へ、境から糸へ

水・水域を意味していた語が境を意味するようになるのは頻出パターンですが、境を意味していた語が線・糸を意味するようになるのも頻出パターンです。

ここでは、日本語の糸関連の語彙であるkuru(繰る)とkumu(組む)から話を始めましょう。

kuru(繰る)という動詞を示されても、ピンとこないかもしれません。現代では、繰り返す、繰り出す、繰り広げる、繰り上げる、繰り下げるなどの複合動詞はよく使われますが、単独のkuru(繰る)はあまり使われません。

糸は、人間世界において衣料などのもととして重要な役割を果たしてきました。その糸はどこから来ているかというと、特定の動物または植物から来ています(現代では合成系もあります)。kuru(繰る)は、糸を引き出して巻き取る作業です。

kumu(組む)は、以下の写真のように何本かの糸から一本の紐を作り出す作業です(写真は道明葵一郎、「道明」の組紐、世界文化社より引用)。

少数の糸を単にねじり合わせるだけのyoru(縒る)と比べると、本格的な計画・設計・デザインが感じられます。

前に朝鮮半島と日本列島の奥深い歴史の記事で、kumo(クモ)は糸を意味していた語ではないかと推測しました。kuru(繰る)、kumu(組む)、kumo(クモ)はいずれも「糸」から来た語でしょう。

母音がuではなくoですが、komayaka(細やか)、komaka(細か)、komagoma(細々)も「糸」から来た語でしょう。

「糸」からすぐに「細い」という意味が生まれますが、すぐに「細かい」という意味も生まれます。一本の糸ではなく、糸と糸が交差している織物を考えれば、容易にわかります。

古代北ユーラシアで水を意味したkalm-、kilm-、kulm-、kelm-、kolm-(kal-、kil-、kul-、kel-、kol-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-)のような語がおおもとにあり、それが境を意味するようになったり、さらに線・糸を意味するようになったりしていたと考えられます(日本語では、karm-、kirm-、kurm-、kerm-、korm-という形は認められないので、基本的にkar-、kir-、kur-、ker-、kor-、kam-、kim-、kum-、kem-、kom-という形になることに注意してください。「基本的に」と言ったのは、母音が挿入されたkarVm-、kirVm-、kurVm-、kerVm-、korVm-という形になることもまれにあるからです)。

日本語の語彙のほうから考えると頭がこんがらがりそうですが、水ひいては境を意味していたkulm-(kul-、kum-)やkolm-(kol-、kom-)のような語のほうから考えるとすっきりします。このkulm(kul-、kum-)やkolm-(kol-、kom-)のような語が線や糸も意味するようになったのです。

ここに示したkul-のような語から来たのが、kuru(繰る)です。

kum-のような語から来たのが、kumu(組む)です。

kom-のような語から来たのが、komayaka(細やか)、komaka(細か)、komagoma(細々)で、*koma(糸)という語があったと思われます。四コマ漫画などの一区切り一区切りを意味しているkoma(コマ)と同源と考えられます。境を意味する語が*koma(糸)とkoma(コマ)になったということです。境から*koma(糸)のようになるのも一つのパターン、境からkoma(コマ)のようになるのも一つのパターンです。

そしてkol-のような語から来たのが、まず空間的一区切りを意味し、そこから時間的一区切りを意味するようになったと見られるkoro(頃)です。切ることを意味したkoru(伐る)という動詞の存在がそのことを裏づけています。

水を意味していたkulm-(kul-、kum-)やkolm-(kol-、kom-)のような語が境を意味するようになったり、さらに線・糸を意味するようになったりしていたわけですが、これに関連してもう一つ気になる語があります。それは、koromo(衣)です。

奈良時代にはkinu(衣)とkinu(絹)という語があり、kinu(衣)は服を意味し、kinu(絹)は蚕の繭(後述参照)から取った糸、およびそれからできた布を意味していました。おそらく、日本語にはkinuという一語があり、この語は糸の状態も、布の状態も、服の状態も意味したと思われます。

koromo(衣)も、上のkolm-(kol-、kom-)のような語から来ていて、境を意味していたところから糸を意味するようになり、糸を意味していたところから布・服を意味するようになったのかもしれません。

この可能性は高そうです。中国東北部に、アムール川水系に属する嫩江(ヌンチアン)という大きい川があります。かつてこのあたりに水のことをnunのように言う人々がいたことを示しています。朝鮮語のnun(目)とnun(雪)はそのことを裏づけています(水を意味していた語が目を意味するようになるまでの過程については、古代人はこのように考えていたの記事を参照してください)。日本語のnuno(布)も関係がありそうです。北ユーラシアの歴史の中で見ると、これらの語はnak-、nag-、nank-、nang-、nan-のような形から生じたものではないかと思われます。「水」→「境」→「糸」→「布・服」という意味変化は珍しくなかったのかもしれません。

koromo(衣)は、uとoの間で発音が変化しやすかったことを考えると、kurumu(包む)とも同源でしょう。

karamu(絡む)/karamaru(絡まる)が糸関連の語彙であることも疑いありません。

※蚕(かいこ)は蛾の一種です。蚕の一生は、卵→幼虫→さなぎ→成虫と進んでいきます。幼虫からさなぎになるところで、糸状の分泌物を吐き出して、体のまわりに以下の写真のような覆いを作ります。この覆いは繭(まゆ)と呼ばれます。繭を煮てほぐし、さなぎを取り除いてから、糸を引き出していきます(写真は高原社様のウェブサイトより引用)。

toki(時)とkoro(頃)という言葉は、上に説明した非常に大きな歴史の中に位置しています。toki(時)とkoro(頃)は、「一区切り」を意味する語だったのです。

「南(みなみ)」と「北(きた)」の語源、「みなみ」は存在したが「きた」は存在しなかった

奈良時代の日本語には、ɸimukasi(東)、nisi(西)、minami(南)、kita(北)という語がありました。この中で、kitaは訳ありです。kitaは、使用例があまりなく、「向南」と書かれることもありました(上代語辞典編修委員会1967)。「向南」という書き方を見ると、minamiが主たる方向で、kitaはその反対方向であるという見方が窺えます。

なぜminami(南)が主たる方向なのでしょうか。それは、言うまでもなく、太陽が照っている方向だからでしょう。太陽が照っているminami(南)が人々の注意を引き、主たる方向として意識されるのはわかります。また、ɸimukasi(東)には日の出、nisi(西)には日の入りという見せ場があります。これらに比べると、やはりkita(北)は地味です。

minami(南)の語源

主たる方向であるminami(南)の語源から考えることにしましょう。古代中国語では、tuwng(東)トゥン、sej(西)セイ、nom(南)、pok(北)と言いました。朝鮮語では、tong(東)トン、sɔ(西)、nam(南)、puk(北)と言い、ベトナム語では、đông(東)ドン、tây(西)タイ、nam(南)、bắc(北)バ(ク)と言っています。見ての通り、朝鮮語とベトナム語では、古代中国語(様々な方言があります)から取り入れた語を使っています。一般に東、西、南、北を意味する語があまり古くないことを思わせます。

日本語のminami(南)を古代中国語nom(南)、朝鮮語nam(南)、ベトナム語nam(南)と比べるとどうでしょうか。日本語のminami(南)は一見別物に見えますが、最初のmiを取り除くと、実は似ています。昔の日本語では、尊敬・畏敬の念を示すmiをya(家、屋)にくっつけてmiya(天皇らの住居)と言ったり、miをkokoro(心)にくっつけてmikokoroと言ったりしていたので、miは気になります。

ひょっとして、日本語では南のことを*namiと言っていて、これに尊敬・畏敬の念を示すmiをくっつけたのでしょうか。実際、筆者はそのように考えていた時期がありました。ちょっと違うようです。仮に日本語で奈良時代よりずっと前に南のことを*namiと言っていたとしましょう。そのように*namiがある方向を示す語だったら、逆の方向を示す語も早くにできそうなものです。しかし、奈良時代の日本語を見ると、kita(北)は使用例が乏しく、この語は生まれつつある段階あるいは生まれたばかりの段階にあるように見えます。*namiがある方向を示す語だったという仮定に、大いに疑う余地があります。

*namiがある方向を示す語でなかったのなら、*namiはなにを意味していたのでしょうか。*namiは、太陽そのものを意味していた可能性が高いです。これなら、昔の日本人が*namiの前に尊敬・畏敬の念を示すmiをくっつけた理由がよくわかります。現代の日本人がhi(日)のことをohisama(お日様)と呼ぶようなものです。

*namiにmiが付けられたminamiは、太陽を意味していたが、ɸi(日)に押し負け、太陽が出ている方向を意味するようになった。minamiがある方向を示す語になり、逆の方向を示す語が必要になった。この逆の方向を示す語になったのが、kitaであった。こう考えると、筋が通ります。

太陽を意味していた*nami自体の語源はどうでしょうか。これは明らかでしょう。日本語のɸi(日)が「水」から来ていたことを思い出してください。朝鮮語のnal(日)が「水」から来ていたことを思い出してください。水を意味していた語が水域の浅いところを意味するようになり、水域の浅いところを意味していた語が明るさ・明かりを意味するようになるパターンです。太陽を意味していた*namiは、タイ系言語のタイ語naam(水)のような語から来たと考えられます。古代中国語のnom(南)と日本語のminami(南)からわかるように、タイ系言語の語彙が古代中国語にも日本語にも伝わっていたのです。すでにnomu(飲む)やnami(波)などの語を取り上げましたが、その仲間というわけです。

kita(北)の語源

冒頭で述べたように、南・東・西と違って、北には見せ所・見せ場がありません。kita(北)の語源も消極的なものではないかと予想されます。

例えば、中国語の「北」という漢字は、甲骨文字の時代には以下のように書かれていました。

人と人が背を合わせているところです。古代中国語のpok(北)は、かつて背を意味していたと考えられるのです。なぜ背を意味していた語が北を意味するようになるのでしょうか。それは、人々が太陽が照っている南を向いていて、背のほうに北があるからです。

日本語のkita(北)の語源もこれに似ているようです。まずは、おなじみの図を示しましょう。

水・水域を意味することができなかった語がその横の部分を意味するようになる頻出パターンです。moroは、なにかが二つあって、その両方を指す語になりました。kataは、なにかが二つあって、その一方を指す語になりました。

前回の記事で、奈良時代にkatanasi(かたなし)とkitanasi(汚し)という似た意味を持つ語があったこと(一般に水を意味していた語が濁った水を意味するようになるパターン)、「堅」がkataと読まれたりkitaと読まれたりしていたこと(水を意味していた語が氷を意味するようになるパターン)をお話ししました。日本語のそばに、水のことをkataのように言う言語と水のことをkitaのように言う言語があったわけです。

一番目と二番目の構図だけでなく、三番目の構図もあったと思われます。奈良時代の日本語に、境・分かれ目・区切りを意味するkida(分)という語がありましたが、この語も、kitaのような語が水から陸に上がろうとしていたことを裏づけています。moroは両方を指す語になりました。kataは一方を指す語になりました。kitaはどうなったのでしょうか。

両方の岸を指すこともあったでしょう。一方の岸を指すこともあったでしょう。そして、他方(もう一方)の岸を指すこともあったでしょう。kitaは「他方(もう一方)」を指す語になったのではないでしょうか。

なぜ筆者がこのように考えるかというと、このようなケースをしばしば見かけるからです。

tuma(妻)とは何者か

現代では、tuma(妻)は女性配偶者を意味していますが、奈良時代には、男女を問わず配偶者を意味していました。tuma(妻)といえば、まずこの意味が思い浮かびますが、実は建築の世界にも、伝統的なtuma(妻)という語があります(図はWikipediaより引用)。

これはよく見る家の形です。日本の建築では、図中の「平側」を正面とし、「妻側」を側面とすることが一般的でした。つまり、tuma(妻)は家の側面です。ここで、あの図が再びよみがえってきます。

水・水域を意味していたtumaのような語がその横を意味するようになったのではないかというわけです。

前に東京都と神奈川県の境界になっているtamagawa(多摩川)の話をしたことがありましたが、水・水域を意味するtamaのような語とそれに似た語が広がっていたのでしょう。

水・水域を意味することができなくなったtumaのような語がその横を意味するようになり、ここから建築のtuma(妻)が来ていると考えられます。水・水域を意味することができなくなったtumaのような語がその横の盛り上がった土地、丘、山を意味することもあったと思われます。最終的には、盛り上がった土地、丘、山も意味することができず、先(特に手と足の先)を意味するようになっていったと思われます(「盛り上がった土地、丘、山」→「先」という意味変化については、青と緑の区別、なぜ「青信号」や「青野菜」と言うのかの記事を参照)。ここから来ているのが、*tuma(爪)、tumu(摘む)、tumamu(つまむ)でしょう(手・足の先を意味した*tuma(爪)とitasi(痛し)がくっついてtumetasi(冷たし)ができたという説も正しいでしょう)。ひょっとしたら、tumu(積む)/tumoru(積もる)も、盛り上がった土地、丘、山から来ているかもしれません。

上のtumaと記した構図があったことは間違いなさそうです。ここから、ペアを構成する一方を意味するようになっていったのが、奈良時代の配偶者を意味したtuma(妻)でしょう。

上の図のtumaのところをtomoに書き換えても、しっくりこないでしょうか。tomo(友)とtomo(共)も同じところから来ていると見られます。

tumu(積む)/tumoru(積もる)より抽象的ですが、蓄積と関係が深く、tomu(富む)/tomi(富)も、盛り上がった土地、丘、山から来ているかもしれません。

※本ブログで示しているように、水のことをsam-、sim-、sum-、sem-、som-のように言っていた言語群があり、ここから日本語に大量の語彙が入っていますが、tam-、tim-、tum-、tem-、tom-のような形は、[tʃ]、[ʃ]、[ts]などを介して、sam-、sim-、sum-、sem-、som-のような形と通じていると思われます。

再びkita(北)の語源へ

水・水域を意味していたtumaのような語はその横を意味するようになり、やがて奈良時代の配偶者を意味するtuma(妻)に至りました。結局どうなったのかというと、なにかが二つあって、その一方を基準とした場合の他方(もう一方)を意味するようになったのです。kita(北)の場合も同じと考えられます。水・水域を意味していたkitaのような語はその横を意味するようになり、やがて奈良時代の南の反対を意味するkita(北)に至りました。結局どうなったのかというと、なにかが二つあって、その一方を基準とした場合の他方(もう一方)を意味するようになったのです。このtuma(妻)やkita(北)の例を見ていると、水を意味していた語からやがて「反対」のような意味が生まれてくるのがわかるでしょうか。

 

補説

kida(分)はどこに行ったのか

奈良時代に境、分かれ目、区切りを意味するkida(分)という語があったと述べましたが、この語はどこに行ったのでしょうか。

昔は階段のことをkidaɸasi/kizaɸasi(階)と言っていました。以下は典型的なkidaɸasi/kizaɸasi(階)です(写真は朝日新聞様のウェブサイトより引用)。

kidaɸasi/kizaɸasi(階)という名前を見ればわかりますが、橋の一種と考えられていました。写真のように、一段目があって、二段目があって、三段目があって・・・という橋をkidaɸasi/kizaɸasi(階)と呼んでいたのです。境、分かれ目、区切りを意味するkida(分)とɸasi(橋)がくっついたのがkidaɸasi/kizaɸasi(階)です。kidaɸasiと発音されたりkizaɸasiと発音されたりしていたことからわかるように、kidaとkizaの間で発音がブレることがありました。kida(分)あるいはその異形が、細かく切ることを意味するkizamu(刻む)や細かいかくかくした形状を表すgizagiza(ぎざぎざ)になったようです。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

刀(かたな)と剣(つるぎ)

日本語には、古代中国語から入ったken(剣)という語がありますが、それより前からkatana(刀)とturuki/turugi(剣)という語がありました。

刀と剣は日用品でないので、まずはなじみのある包丁を思い浮かべてください。台所で食材を切る時に使う普通の包丁です。なぜ包丁で食材が切れるかというと、端の部分が鋭くなっているからです。鋭くなっている側の反対側で切ろうとしても、切れないでしょう。

ここで気になるのが、ɸa(端)とɸa(刃)です。青と緑の区別、なぜ「青信号」や「青野菜」と言うのかの記事で、「水・水域」→「盛り上がった土地、丘、山」→「先」→「先のとがった道具」という意味変化のパターンを指摘しました。例として、ɸari(針)、yari(槍)、mori(銛)、ɸoko(矛)、kusi(串)などを挙げました。先を意味していた語が、先のとがった道具を意味するようになることがよくあったわけです。「先」→「先のとがった道具」という意味変化がよくあったのなら、「端」→「刃・刃物」という意味変化もよくあったのではないでしょうか。先ほどのɸa(端)とɸa(刃)はいかにもという感じです(切るという機能を考えると、ɸa(歯)も関係がありそうです)。

日本語のɸa(刃)が「端」から来たのなら、朝鮮語のnal(刃)はどうでしょうか。朝鮮語のnal(刃)も、「端」から来ており、おおもとには「水」があるようです。日本語のnama(生)に相当する語として、朝鮮語のnal(生)という語があります。日本語のnama(生)が「水」から来ていたように、朝鮮語のnal(生)も「水」から来ていると考えられます(nama(生)というのは、焼いたり、干したりしておらず、水っぽいという意味です)。

古代北ユーラシアに水を意味するjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-(jar-、jir-、jur-、jer-、jor-、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-)のような語があり、これがnjark-、njirk-、njurk-、njerk-、njork-(njar-、njir-、njur-、njer-、njor-、njak-、njik-、njuk-、njek-、njok-)、さらにnark-、nirk-、nurk-、nerk-、nork-(nar-、nir-、nur-、ner-、nor-、nak-、nik-、nuk-、nek-、nok-)に変化していたことはお話ししました。

この中のnark-(nar-、nak-)のような形から、朝鮮語のnal(刃)とnal(生)が生まれたと見られます。朝鮮語のnalgɛ(羽根、翼)ナルゲとnalda(飛ぶ)(語幹nal-)も、間違いなく同源でしょう。水・水域を意味していた語が横を意味するようになり、横を意味していた語が人間の手・腕・肩を意味するようになることは多いですが、横を意味していた語が鳥の羽根・翼を意味するようになることも多いからです。

日本語のɸa(刃)は「水」から来ている、朝鮮語のnal(刃)も「水」から来ているとなると、冒頭のkatana(刀)とturuki/turugi(剣)の語源が気になります。

katana(刀)とturuki/turugi(剣)は類義語ですが、基本的に、katana(刀)は包丁のように片側だけが鋭くなっており、turuki/turugi(剣)は両側が鋭くなっていました。

このことから、katana(刀)は片側を意味するkataと刃を意味するnaがくっついた語であるという説明が広く行われてきました(上代語辞典編修委員会1967、大野1990)。しかし、それなら、katate(片手)とmorote(諸手)のように、katanaとmoronaという言い方があってもよさそうですが、後者は見つかりません。刃を意味するとされるnaが単独で現れている例もありません。katana(刀)の語源が本当に従来の説明の通りなのか、もう一度よく考えなければなりません。

注目したいのが、kitanasi(汚し)という語です。yogoru(汚る)/yogosu(汚す)の語源を思い出してください。yogoru(汚る)/yogosu(汚す)のyogoは、古代北ユーラシアで水を意味したjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-(jar-、jir-、jur-、jer-、jor-、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-)のような語から来ていて、一般に水を意味していた語が濁った水を意味するようになったものでした。yogoru(汚る)/yogosu(汚す)のyogoが濁った水を意味していたのなら、kitanasi(汚し)のkitanaも濁った水を意味していたかもしれません。実際に、kitanasiに「濁」という漢字があてられることもありました。

実は、奈良時代には、kitanasi(汚し)のほかに、似た意味を持つkatanasi(かたなし)という語がありました。katanasi(かたなし)には、穢、陋、醜などの漢字があてられており、これらの漢字からして、汚さ、みすぼらしさ、見苦しさなどを意味していたと考えられます。「堅」をkataと読んだり、kitaと読んだりすることもあったので、katanasi(かたなし)とkitanasi(汚し)は無関係な存在ではなさそうです。

新潟の「潟(かた)」に隠された歴史の記事で、日本語のそばに水のことをkataのように言う言語があったことを示しました。kataのほかにも、様々な形があったにちがいありません。氷から来ていると見られるkatikati(かちかち)、kotikoti(こちこち)や、湯から来ていると見られるgutugutu(ぐつぐつ)、kotokoto(ことこと)なども仲間でしょう。水のことをkat-、kit-、kut-、ket-、kot-のように言う言語群があったと推測されます。

奈良時代のkatanasi(かたなし)とkitanasi(汚し)という語を見ると、kataだけでなくkatan(あるいはkatana)という形もあったのではないか、kitaだけでなくkitan(あるいはkitana)という形もあったのではないかと考えたくなります(アイヌ語のkotan(村)も気になるところです。「水」→「氷」→「固まり、集まり」という意味変化のパターンがあるからです。日本語のmura(村)がこのパターンで、水を意味したmark-、mirk-、murk-、merk-、mork-(mar-、mir-、mur-、mer-、mor-、mak-、mik-、muk-、mek-、mok-)のような語から来ており、mure(群れ)も同源です。koɸori(氷)とkoɸori(郡)という語もありました。水を意味するkotanのような語、氷を意味するkotanのような語があった可能性が高いです)。もし上に述べた通りなら、水・水域を意味していたkatan(あるいはkatana)が端を意味するようになり、端を意味していたkatan(あるいはkatana)が刃・刃物を意味するようになったのでしょう。

筆者がこのパターンを疑うのは、ɸa(刃)がこのパターンで、katana(刀)の類義語のturuki/turugi(剣)もこのパターンであると考えられるからです。

古代北ユーラシアで水を意味したjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-(jar-、jir-、jur-、jer-、jor-、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-)のような語から、tʃark-、tʃirk-、tʃurk-、tʃerk-、tʃork-(tʃar-、tʃir-、tʃur-、tʃer-、tʃor-、tʃak-、tʃik-、tʃuk-、tʃek-、tʃok-)のような語、さらにtark-、tirk-、turk-、terk-、tork-(tar-、tir-、tur-、ter-、tor-、tak-、tik-、tuk-、tek-、tok-)のような語が生じ、ここから来たと考えられるのが、turuki/turugi(剣)です。横を意味していたtura(面)や盛り上がった土地を意味していたtuka(塚)と同源です(tura(面)は「水・水域」→「横」→「頬」→「顔」と変化してきた語です。奈良時代の時点では「頬」を意味していました)。jark-以下の形だけでなく、tʃark-以下の形も、tark-以下の形も、大変古くから北ユーラシアに存在しています。

※日本語のtuki(月)と朝鮮語のtal(月)は関係がないように見えますが、これらも究極的には同じところ(上記のtark-以下のところ)から来ていると考えられます。水を意味していた語が水域の浅いところを意味するようになり、水域の浅いところを意味していた語が明るさ・明かりを意味するようになるパターンです。日本語のɸi(日)は、水を意味するpark-、pirk-、purk-、perk-、pork-(par-、pir-、pur-、per-、por-、pak-、pik-、puk-、pek-、pok-)のような語から来ていましたが、朝鮮語のnal(日)は、水を意味するnark-、nirk-、nurk-、nerk-、nork-(nar-、nir-、nur-、ner-、nor-、nak-、nik-、nuk-、nek-、nok-)のような語から来ていると考えられます。

水のことをkat-、kit-、kut-、ket-、kot-のように言う言語群にまで話が及んだので、次回の記事ではkita(北)の語源を明らかにしましょう。併せてminami(南)の語源も明らかにします。

 

補説

かつての日本の都、奈良

水を意味するnark-(nar-、nak-)のような語が朝鮮語のnalgɛ(羽根、翼)やnal(刃)になった話をしました。水・水域を意味していた語が横・端を意味するようになる頻出パターンです。日本語でも、以下のようなことが起きていたと思われます。

本ブログでおなじみの図です。naraという語があって、なにかが二つあることを意味しようとしたと見られます。ここからできたのが、narabu(並ぶ)でしょう。narabuには、「並」という漢字があてられたり、「双」という漢字があてられたりしました。

naraが水・水域の横の平らな土地を意味することもあって、それがnarasu(均す)という形で残ったのでしょう。

nara(奈良)という地名も関係がありそうです。かつての日本の都(飛鳥京、藤原京、平城京)は奈良盆地にありました。特に平らな土地を意味するnaraが、地名になったと見られます。

慣れること・慣らすことを意味したnaru/narasuも関係があるかもしれません。現代だと「慣」という漢字を使いたいところですが、奈良時代には「狎」または「馴」という漢字を使っていました。naru/narasuは、もともと動物関連の語彙で、いうことをきかなかった動物がいうことをきくようになること、いうことをきかなかった動物をいうことをきくようにすることを意味していたと考えられます。taɸira(平ら)から作られたtaɸiragu(平らぐ)がおさまること・しずまることあるいはおさめること・しずめることを意味していましたが、naru/narasuの歴史もこのようなものかもしれません。

naraɸu(習ふ)も、当初は慣れることを意味していたと思われます。奈良時代の時点では、まだこの意味が残っていました。だれかにあるいはなにかに親しんだり、従ったりすることを意味しているうちに、学習のような意味が生まれたのでしょう。

 

参考文献

大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。