朝鮮半島と日本列島の奥深い歴史

朝鮮半島では・・・

朝鮮半島に錦江(きんこう)という川があります。韓国の主要河川の一つで、韓国の西部を流れています。

朝鮮語では、錦江はkɯm gangクムガンと読みます。[u]は口が小さく丸まったウで、[ɯ]は口が横に広がったウです。朝鮮語では川のことをkangカンと言い(語中ではgangガンと濁ります)、これは古代中国語の「江」を取り入れたものです。つまり、kɯm gangのgangは一般に川を意味する語です。

問題はkɯm gangのkɯmです。錦というのは、金銀その他の異なる色を持つ糸を使って美しい模様を描くように織った高級な織物のことです。なぜわざわざ錦を持ち出してくるのでしょうか。

本ブログではすでに北ユーラシアの主要河川を見ましたが、アムール川、レナ川、エニセイ川、オビ川、ヴォルガ川などはいずれも、かつての住民の言語で水・水域を意味していた語が固有の河川名になっていました。

kɯm gangのkɯmの語源が錦かどうか非常に怪しいです。むしろ、よいイメージのある「錦」という漢字を当てた可能性が高いです(中国にも「錦江」と記される川がいくつかあります)。かつて水・水域のことをkɯmのように言う人々がいて、それが固有の河川名になったのではないかということです。

※朝鮮半島の錦江があるあたりは白江または白村江とも呼ばれましたが、「錦」が当て字である可能性があるのと同様に、「白」または「白村」が当て字である可能性もあります。日本・朝鮮・中国の地名にはこのような問題がつきまといます。

中国語からの外来語を除くと、朝鮮語にはkɯmという語が二つあります。

一つ目のkɯmは、線や筋を意味するkɯmです。特に、折れ目や割れ目を意味することが多いです。水・水域を意味していた語が境を意味するようになるパターンが思い起こされます。

二つ目のkɯmは、値・値段を意味するkɯmです。日本語のne(値)は、山、頂上、高さなどを意味しようとしたが、最終的にそれが叶わなかったne(嶺)が変化したと見られるものです。「高嶺の花」のne(嶺)です。接頭辞のmiが付けられて、mine(峰、峯)という形でも残っています。朝鮮語のkɯm(値)も日本語のne(値)と似たような歴史を持っていると思われます。水・水域を意味していた語がその隣接部分、特に盛り上がり、坂、丘、山などを意味するようになるパターンが思い起こされます。

やはり、朝鮮半島に水・水域のことをkɯmのように言う人々がいたようです。

日本列島では・・・

日本列島のほうはどうでしょうか。

水・水域を意味していた語が端の部分や境界の部分を意味するようになるのは超頻出パターンであり、sumi(隅)もそうでした(〇〇様、〇〇さん、〇〇ちゃんの由来を参照)。あまり使われませんが、sumi(隅)の類義語であるkuma(隈)も怪しいです。

水・水域のことをkum-のように言う人々がいた可能性を考えなければなりません。

ame(雨)やyuki(雪)の語源はすでに明らかにしましたが、kumo(雲)はどうでしょうか。水を意味していた語が水蒸気、湯気、霧、雲などを意味するようになるという頻出パターンがあります。実は、空に浮かぶkumo(雲)だけでなく、虫のkumo(クモ)も見逃せません。

例えば、英語にspider(クモ)という語があります。iとdの間にあったnがなくなっているのでわかりづらいですが、spin(紡ぐ)、spindle(紡錘)、spinner(紡績機)などと同源です。spider(クモ)は糸関連の語彙なのです。

日本語のkumo(クモ)は、糸を意味しようとしたが、最終的にそれが叶わなかった語でしょう。「水・水域」→「境」→「線・糸」→「クモ」という変遷を経たと見られます。

九州には、kumamoto(熊本)という地名があります。「熊本」と書かれる前は「隈本」と書かれていました。熊本は水資源が豊かで、多くの名水を抱えるところです。kumamotoのkumaは水・水域を意味していたと考えられます。kumu(汲む)という動詞も、そのことを端的に示しています。

水・水域を意味したkumaの存在は、奈良時代のkumaru/kubaru(分る)という動詞からも窺えます。アイヌ語のwakka(水)のような語が境を意味するようになって、waku(分く)とwakatu(分かつ)を生み出したように、水を意味していたkumaが境を意味するようになって、kumaru/kubaru(分る)を生み出したと見られます。kumaru/kubaru(分る)はkubaru(配る)になりました。

古事記と日本書紀に、九州のkumaso(熊曾、熊襲)と呼ばれる部族が出てきて、大和朝廷に抵抗したことが記されていますが、このkumaの語源も、熊ではなく水・水域でしょう。kumaso(熊曾、熊襲)は、ある地域を指す語でもあり、ある人々を指す語でもありました。日本と日本人、あるいはJapanとJapaneseのように、地域と人々を指す語が一体的な関係にあることは言うまでもありません。日本列島の南部に目立つ集団がいたことは間違いありません。

朝鮮半島と日本列島にまたがる人々

ここで注目すべきなのは、水のことをkum-のように言う人々が朝鮮半島と日本列島にまたがっていたということ、そしてこのkum-のような語が、日本語のmizu(水)とも、朝鮮語のmul(水)とも、アイヌ語のwakka(水)とも全然違うということです。

水のことをkum-のように言う人々は、いつ頃から朝鮮半島と日本列島のあたりにいたのでしょうか。縄文時代はとても長いです(16000年前頃から3000~2500年前頃まで)。縄文時代の終わり頃からでしょうか、縄文時代の中頃からでしょうか、それとも縄文時代の初め頃からでしょうか。謎の人々にもう少し迫ってみましょう。

 

補説

takara(宝)の語源、高さと貴さ・価値

ne(嶺)とne(値)の話が出てきたので、takara(宝)にも触れておきましょう。

フィンランド語にaarre(宝)、ハンガリー語にár(値段、価格)アールという語があります。フィンランド語のaarre(宝)は、昔はaarreと言ったり、aartoと言ったりしていました。フィンランド語の他の語彙の歴史からして、aartoがもとの形と考えられます。

ウラル語族からインド・ヨーロッパ語族に目を移すと、アイルランド語ard(高い)アールドゥ、ラテン語arduus(高い、急な)アルドゥース、古代ギリシャ語orthos(まっすぐな、直立した)オルトスのような語が目に留まります。

ウラル語族のフィンランド語aarre(宝)のような語はウラル語族全体に広がっているわけではなく、インド・ヨーロッパ語族のアイルランド語ard(高い)のような語もインド・ヨーロッパ語族全体に広がっているわけではありません。したがって、上記の一連の語は、ウラル語族とインド・ヨーロッパ語族以外のところに出所があるかもしれません。

しかしながら、高さと貴さ・価値の間に密接な関係があることは十分に見て取れます。日本人は普段から「値段が高い、価格が高い、価値が高い」と言っているので、全く違和感ないと思います。

日本語のtakara(宝)については、寝る時に頭の下になにか置くことを意味したmaku(枕く)からmakura(枕)が作られたり、saku(咲く)からsakura(桜)が作られたりしたように、taka(高)からtakara(宝)が作られたようです。

ne(嶺)→ne(値)やtaka(高)→takara(宝)のような意味の展開は、標準的な展開といえそうです。

「稲(いね)」の語源、稲作の伝来ルートは実は・・・

考古学と生物学の発達によって、人間だけでなく、稲についても様々なことがわかってきました。稲作の伝来は、日本の歴史を考えるうえで主要な出来事であり、盛んに議論されてきました。

考古学と生物学の最近の進展を見る前に、ine(稲、イネ)とkome(米、コメ)という言葉そのものについて考察しておきましょう。

イネという植物があります。イネが成長すると、先端のほうに以下の写真のようなものができます(写真はWikipediaより引用)。

これは、momi(籾)と呼ばれます。籾の殻を取り除くと、中からkome(米、コメ)が出てきます。正確に言うと、momi(籾)の殻を取り除いて残るのは、genmai(玄米)です(図はサンゴウ会様のウェブサイトより引用)。

genmai(玄米)からさらに胚芽、果皮、種皮、糊粉層を取り除いたのが、hakumai(白米)です。取り除かれる果皮・種皮・糊粉層の部分はnuka(糠)と呼ばれます(胚芽を含めてnuka(糠)と言う場合もあります)。

ここでは、ine(稲、イネ)は植物、kome(米、コメ)はその食用部分という最も単純な理解の仕方で十分です。

ine(稲)、yone(米)、kome(米)

「米(こめ)」の語源、中国とベトナムとタイのごはんの記事で述べたように、現代ではine(稲)とkome(米)と言いますが、かつてはine(稲)とyone(米)と言うのが一般的でした。kome(米)がyone(米)を追いやったということです。ine(稲)とyone(米)がinaとyonaという形を一般的に見せるのに対して、kome(米)はkomaという形を一般的に見せません。この点でも、kome(米)はine(稲)とyone(米)より新しい語なのではないかと思わせます。

kome(米)は、米・ごはん・食事を意味するベトナム語のcơmクムまたはコムとよく合います。問題はine(稲)とyone(米)です。日本の周辺地域の言語の稲作関連語彙を調べても、ine(稲)とyone(米)に結びつきそうな語は見当たりません。これは、稲作の伝来ルートをめぐる議論が紛糾した大きな原因です。

どうやら、ine(稲)とyone(米)の語源は、稲作とは全然違うところにあるようです。日本の周辺地域の言語のあらゆる語彙を研究しながら筆者が行き着いた先は、非常に意外なものでした。筆者が行き着いた先は、「犬」でした。

まさかのinu(犬)

ツングース系言語では、犬のことをエヴェンキ語ŋinakinンギナキン、ウデヘ語inḛiイネッイ、ナナイ語inda、ウイルタ語ŋindaンギンダ(そのほかにŋina、ninda、nina)、満州語indahunのように言います。

ツングース系言語のこれらの語は、日本語のinu(犬)にいくらか似ています。ツングース系言語の語形を見ると、日本語のinu(犬)がかつて*ina(犬)であった可能性も考えなければなりません。

日本語とツングース系言語だけでなく、ウラル語族の語彙も目を引きました。例えば、カマス語のinɛ(馬)イネやマトル語のnjunda(馬)ニュンダなどです。犬ではなく馬を意味する語ですが、カマス語のinɛ(馬)は日本語の*ina(犬)に形が似ているし、マトル語のnjunda(馬)はウイルタ語のninda(犬)に形が似ています。

筆者はここで初めて「犬」と「馬」の結びつきを考えるようになりました。日本語になにやら怪しげな語があります。inanaku(いななく)という語です。inanaku(いななく)は馬が鳴くことを意味する語ですが、inanakuのinaはなんでしょうか。このinaは馬の鳴き声を表す擬声語であると説明されてきました(大野1990)。しかし、それだけで済む話でしょうか。inaはもともと、馬そのものを指していたのではないでしょうか。

先ほどのツングース系言語やウラル語族の語彙も考え合わせると、以下の説明のほうがしっくりきます。

・日本語のinu(犬)はかつては*ina(犬)であった。*mida(水)がmidu(水)に変化したのと同様に、*ina(犬)はinu(犬)に変化した。

・馬を初めて見た日本語の話者は、馬を「とても大きな犬」と捉え、現代でいう馬のことも*inaと言った。その後uma(馬)という語が定着し、馬のことを*inaと言うことはなくなったが、inanaku(いななく)という語は残った。

*ina(犬)と*ina(稲)

上に述べたのは、犬と馬のつながりです。馬を引き合いに出したのは、inu(犬)がかつて*ina(犬)であったことを明らかにするためでした。次に述べるのは、犬と稲のつながりです。

イネの仲間として、アワという植物があります(写真はWikipediaより引用)。

英語では、アワのことをfoxtail milletと言います。ここにヒントがあります。foxはキツネを意味する語で、tailはしっぽを意味する語です。上はアワの写真ですが、イネ科の植物は、イネも、アワも、キビも、ヒエも、大体このような格好になります。イネ科の植物は、犬またはイヌ科のその他の動物のしっぽを思い起こさせるのです。稲が実って垂れ下がる部分をɸo(穂)と言いましたが、ɸo(穂)の古形は*po(穂)です。sippo(しっぽ)の古形と推定される*siripo(しりぽ)と同じところから来ていると考えられます。

*ina(犬)のように見える植物を見て、*ina(稲)と呼んだということです。

おそらく当初は、*ina(犬)ではなく*yina(犬)、*ina(稲)ではなく*yina(稲)であったと思われます。iとyiの違いについては、日本語のヤ行とワ行の空白部分についてを参照してください。miru(見る)とmoru(守る)がペアになっていたのと同様に、*yina(稲)と*yona(米)がペアになっていたと見られます。

日本の周辺地域の言語の稲作関連語彙を調べても、ine(稲)とyone(米)に結びつきそうな語が見つからないのは、こういうわけだったのです。こうなると、ine(稲)(古形*yina(稲))とyone(米)(古形*yona(米))のもととなった*yina(犬)という語が俄然注目されます。

稲作の伝来ルートは一つとは限らない

すでに挙げたツングース系言語とウラル語族の語彙だけでなく、テュルク系言語のヤクート語ünüges(子犬)イニゲスやモンゴル系言語のモンゴル語uneg(キツネ)なども、日本語の*yina(犬)に関係があるかもしれません。いずれにせよ、日本語の*yina(犬)に関係がありそうな語は、北ユーラシアに広がっています(言語の系統関係によらずに広がっていると見られます)。*yina(稲)と*yona(米)は、北ユーラシアからの流れを汲む語であるということです。

稲作を営んでいたベトナム系の集団とそれより北で稲作を営んでいた別の集団が日本の稲作を形作った可能性があります。二つではなく、もっと多くの集団が日本の稲作を形作った可能性もあります。ine(稲)、yone(米)、kome(米)だけでなく、今回扱わなかったmomi(籾)やnuka(糠)を含むその他の関連語彙も広く調べる必要があるでしょう。

—————

1991年に人類学者の埴原和郎氏が日本人集団の形成に関する有名な「二重構造モデル」を発表しました(Hanihara 1991)。過去には、縄文時代に日本列島にいた人々がそのまま現代日本人になったという説や、弥生時代に日本列島に入って来た人々がそのまま現代日本人になったという説が唱えられていた時期もあり、埴原氏の新説が大きな一歩であったことは言うまでもありません。

埴原氏の発表から30年近くが過ぎました。そろそろ埴原氏の「二重構造モデル」のさらに先を行くべき時が来ています。「縄文時代に日本列島にいた人々」と「弥生時代以降に日本列島に入って来た人々」が混ざり合って現代日本人になった、「弥生時代以降に日本列島に入って来た人々」の影響は北海道(アイヌ人)と沖縄(琉球人)の間にいる日本人において特に強いというのが、埴原氏の「二重構造モデル」です。しかし、ここで注意しなければならないのは、「縄文時代に日本列島にいた人々」が一様であったとは限らないし、「弥生時代以降に日本列島に入って来た人々」が一様であったとも限らないということです。

縄文人と渡来人(あるいは縄文人と弥生人)のような言い方を繰り返していると、思考が過度に単純化されがちです。「縄文時代に日本列島にいた人々」がどこか一箇所からやって来たということ、「弥生時代以降に日本列島に入って来た人々」がどこか一箇所からやって来たということが、根拠がないのに大前提にされ、縄文人はどこから来たのか、渡来人(弥生人)はどこから来たのかという議論が始まることも少なくありません。

しかし、縄文時代の日本も、縄文時代から弥生時代に移っていく日本も、大変複雑そうです。縄文時代から弥生時代になって日本の人間集団が複雑になったのは間違いありませんが、そもそもの縄文時代も単純ではなかったようです。その一端が窺える例を示しましょう。

 

参考文献

日本語

大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。

英語

Hanihara K. 1991. Dual structure model for the population history of the Japanese. Japan Review 2: 1-33.

日本語にとても近い言語

本ブログでは、日本語が様々な言語から語彙を取り入れてきたことを明らかにしていますが、これまでに示したケースはすべて、自分と全然違う言語から語彙を取り入れたケースです。実は、もう一つ重要な問題があります。それは、自分に近縁な言語から語彙を取り入れるケースです。

例えば、現代のヨーロッパを見てください。英語のそばには、近縁のドイツ語やオランダ語がいます。イタリア語のそばには、近縁のフランス語やスペイン語がいます。ロシア語のそばには、近縁のウクライナ語やポーランド語がいます。かつての英語やその前身であるゲルマン祖語のそばにも、近縁な言語が存在したはずです。そして、そこに接触があったはずです。現代のような国家・国境がない時代であればなおさらです。

印欧言語学が考えなかった世界

英語のwater(水)やヒッタイト語のwatar(水)はインド・ヨーロッパ語族の標準的な語で、同源の語はインド・ヨーロッパ語族に広く見られます。

ヒッタイト語はインド・ヨーロッパ語族のその他の言語から古くに分かれており、インド・ヨーロッパ語族の古い時代の特徴を見せてくれることがあります。ヒッタイト語のwatar(水)は、witarという複数形を持っていました。この複数形は、水域を意味する時に用いられました。インド・ヨーロッパ語族の内部にwatarのような形とwitarのような形が存在していたというのは、大変重要な事実です。

英語のwater(水)とヒッタイト語のwatar(水)と同源の語として、サンスクリット語uda(水)、ラテン語unda(波)、ロシア語voda(水)、リトアニア語vanduo(水)などがあります。サンスクリット語uda(水)とラテン語unda(波)を比べるとどうでしょうか。ロシア語voda(水)とリトアニア語vanduo(水)を比べるとどうでしょうか。nが挿入されているのがわかります。インド・ヨーロッパ語族では、こういうことも起きていたのです。

インド・ヨーロッパ語族のこのような特徴を踏まえると、かつての英語(あるいはゲルマン祖語)の周辺には、水のことを以下のように言う言語があったと推測されます(要点を素早く伝えるために、話を単純化してあります)。

waterのほかに例えば・・・

witer
wanter
winter
wader
wider
wander
winder

母音aがiになったり、nが挿入されたり、子音tがdになったりしています。もっと崩れた形もあったでしょう。

例えば、水のことをwaterと言う言語に、水のことをwinterと言う言語が接触したら、どうなるでしょうか。水のことをwaterという言語に、水のことをwanderという言語が接触したら、どうなるでしょうか。winter(冬)は、水を意味することができず、氷・雪を意味しようとした語かもしれません。wander(歩き回る)は、水を意味することができず、浮くこと・漂うことを意味しようとした語かもしれません。

もう少し例を加えると、wide(広い)とwade(水の中を歩く)も怪しいです。wide(広い)は水・水域の横の平らな土地を意味していた語かもしれません。日本語のɸara(原)、ɸira(平)、ɸiro(広)の話を思い出してください(「墓(はか)」の語源を参照)。wade(水の中を歩く)は説明するまでもないでしょう。

従来の印欧言語学は、このような可能性をほとんど研究してきませんでした。人類の言語の歴史を考えるうえで、大きな欠陥です。

英語にfather(父)という名詞があります。paternal(父の)という形容詞もあります。fとpで子音が一致していません。thとtで子音が一致していません。なぜかというと、英語のpaternal(父の)は、ラテン語のpater(父)から作られたpaternus(父の)が伝わってきたものだからです。現代の英語に存在するfather(父)とpaternal(父の)は、おおもとは同じでも、辿ってきた経路が違うのです。だから、発音が一致しないのです。

印欧祖語から現代の英語に至るまでのどの段階を取っても、そのそばに系統関係のある言語が存在したはずです。それらの系統関係のある言語から英語(あるいは英語の前身言語)に語彙が入れば、上のfather(父)とpaternal(父の)のようなことはいくらでも起きます。

上の図の赤い矢印は、系統関係のある言語から英語(あるいは英語の前身言語)への語彙の流入です。このような語彙の流入が印欧祖語から現代の英語に至るまでずっと起きてきたと考えられるにもかかわらず、ラテン語からの流入(ラテン語の一後継言語であるフランス語を含めて)以外はあまり研究されてきませんでした。文字記録を残さずに消滅していった言語について考えなければならないので、確かに困難な作業です。

しかしながら、全然違う言語から語彙が入ってくることはあるが、近縁な言語から語彙が入ってくることはないと考えるのは、なんともおかしなことです。前者だけでなく、後者も侮れません。

日本語にとても近い言語

「生きる」の語源の記事で述べたように、日本語のmidu(水)はかつては*mida(水)であったと考えられます。日本語のそばにも、日本語に近縁な言語が存在して、水のことをmitaと言ったり、pitaと言ったり、witaと言ったり、itaと言ったりしていたかもしれません(昔の日本語では不可能ですが、bitaと言ったり、vitaと言ったりする言語もあったかもしれません)。

mitu(満つ)/mitasu(満たす)という形を見ると、水を意味するmitaという語があったのではないかと考えたくなります。

ɸitu(漬つ)/ɸitasu(漬す)/ɸitaru(漬る)(古形は*pitu、*pitasu、*pitaru)という形を見ると、水を意味するpitaという語があったのではないかと考えたくなります(昔は「浸」ではなく「漬」と書いていました)。

witaはどうでしょうか。現代の日本語にido(井戸)という語があり、地面を掘って地下水を汲みあげる場所を意味していますが、古形のwido(井戸)はもともと、湧き水や川も含めて一般に水を汲みとる場所を意味していました。widoのほかに、wiと言うことも、wideと言うこともありました。wideの古形は*widaと考えられるので、水汲み場がwi、*wida、widoと呼ばれていたことになります。短い形と長い形があるのは、mi(水)とmidu(水)と同様でしょう。水を意味するwitaという語があった可能性が高いです。

itaはどうでしょうか。凍ることを意味するitu(凍つ)は、水を意味することができず、氷を意味することもできなかった語から作られたと見られます。itu(凍つ)は現代の日本語でiteru(凍てる)になっていますが、単独で使われることは普通なく、itetuku(凍てつく)という形で使われるくらいです。ita(板)とito(糸)も関係がありそうです。ita(板)は水・水域の横の平らな土地を意味していた語でしょう。英語のplate(板)も古代ギリシャ語のplatus(平らな、広い)から来ています。ito(糸)は水と陸の境を意味していた語でしょう。境を意味していた語が線状・糸状のものを意味するようになるのも頻出パターンです。水を意味するitaという語があったと考えられます。

このように、日本語に比較的近い言語がたくさん存在していたことがわかります。日本語とウラル語族の間に特別な結びつきがあるというより、互いに近縁な多数の言語が存在したが、そのほとんどは消滅し、ある一言語がウラル語族として残り、別の一言語が日本語として残ったと言ったほうが的確でしょう。

これからの歴史言語学

言語の起源や歴史を明らかにしたければ、全然違う言語から入ってくる語彙だけでなく、近縁な言語から入ってくる語彙も分析しなければなりません。日本語の語彙のほとんどは、他の言語(全然違う言語、近縁な言語)から入ってきた語彙です。もちろん、これは日本語に限った話ではありません。消滅した言語がとてつもなく多く、それらの消滅した言語が、残るわずかな言語に語彙(の一部)を託したという構図があります。人類の言語の歴史がそのようなものであると認識しておくことは、非常に重要です。

全然違う言語から語彙が入ってくるケース(第一のケース)

これは、日本語と全然違う言語から日本語に語彙が流入しているところです。全然違う言語1~4が互いに近縁だったらどうでしょうか。全然違う言語1~4から、少しずつ形の違う語が入ってくることになります。

近縁な言語から語彙が入ってくるケース(第二のケース)

これは、日本語に近縁な言語から日本語に語彙が流入しているところです。近縁な言語1~4から、日本語と少し形の違う語が入ってくることになります。

日本語とある言語群の間で、第一のケースが起きる。日本語と別の言語群の間で、第一のケースが起きる。日本語とさらに別の言語群の間で、第一のケースが起きる。同時に、日本語と日本語に近縁な言語の間で、第二のケースも起きる。日本語の語彙のほとんどは、このようにして蓄積してきた語彙です。

日本語の語彙全体の歴史を発音変化(音韻変化)の規則によって記述することは全く不可能です。発音変化(音韻変化)の規則というのは、出所が同じでなおかつその後の経路も同じ一連の語に対してのみ適用できるものです。日本語の語彙を構成する一語一語は、出所または辿ってきた経路がまるでばらばらです。

歴史言語学が人類の言語の起源や歴史を考える際に発音(音韻)に注目したことは適切でした。しかし、今回の記事の英語や日本語の例からわかるように、見て取れるのは「規則」というより「傾向」です。短期の歴史ではなく長期の歴史を考えると、そうなのです。長期の歴史には、第一のケースと第二のケースがふんだんに含まれているからです。

従来の歴史言語学はひたすら発音に関する「規則」を追い求めて行き詰まってしまいましたが、筆者は試行錯誤する中で、発音に関する「規則」を「傾向」に改め、発音の変化と同じくらい意味の変化の分析を重視し、浮かび上がる歴史を考古学・人類学・遺伝学と積極的に照らし合わせる研究スタイルを選択しました。