パズルの最後の1ピースを探し求めて、注目される山東省のDNAのデータ

前回の記事でお話しした、朝鮮半島と日本列島には多く見られるが、中国を含むその他の地域にはほとんど見られないY染色体DNAのO-M176に焦点を当てましょう(日本人のY染色体ハプログループOの研究、人と稲作と言語の広がりは必ずしも一致しないを参照)。

O系統はO-M119(旧O1)、O-M95(旧O2a)、O-M176(旧O2b)、O-M122(旧O3)という四つの下位系統に大きく分けられますが、そのO系統自体はN系統と比較的近い関係にあります。N系統は、現在では、遼河流域の左上に位置するブリヤート地方東部、その北のヤクート地方、その西のウラル地方、さらに西のフィンランド周辺に多く見られます(ウラル語族の秘密を参照)。

※O系統の中でごくわずかしか見られないマイナーな下位系統は図から省いてあります。

以下の地図は、Wen 2016からの引用で、6000年前頃の東アジアの様子を示しています。

※HONGSHAN——遼河流域の紅山文化(こうさんぶんか)、YANGSHAO——黄河上流域・中流域の仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)、DAWENKOU——黄河下流域の大汶口文化(だいぶんこうぶんか)、DAXI——長江中流域の大渓文化(だいけいぶんか)、SONGZE——長江下流域の崧沢文化(すうたくぶんか)。上記の大汶口文化の後の時代が、すでに取り上げた山東龍山文化で、上記の崧沢文化の後の時代が、すでに取り上げた良渚文化です。

Wen Shaoqing氏らが述べているように、この時代は、五つの文化圏の間に全く交流がなかったわけではありませんが、五つの文化圏がはっきり区別できました。のちの時代に、遼河流域にいた人々が山東省に南下したり、殷が西から山東省に侵攻したりしますが、まだそういうことが起きていない時代です。東アジアの歴史を考えるうえで、一つ重要な時代です。

古代人のY染色体DNAのデータはまだ限られていますが、遼河流域(上の地図のHONGSHANのあたり)ではNが支配的だったこと、黄河上流域・中流域(YANGSHAOのあたり)ではO-M122が支配的だったこと、長江中流域(DAXIのあたり)では複雑だがO-M122が一番多かったこと、長江中流域と下流域の間(DAXIとSONGZEの間のあたり)ではO-M95が支配的だったこと、長江下流域(SONGZEのあたり)ではO-M119が支配的だったことが明らかになっています(Li 2007、Cui 2013)。ちなみに、古代の遼河流域と黄河流域の間の地域のY染色体DNAを調べた貴重な研究もあり、そこでは当初はNが支配的で、のちにO-M122が支配的になったことが明らかになっています(Zhang 2017)。

簡単にまとめると、HONGSHANのあたりはN、YANGSHAOのあたりはO-M122、DAXIのあたりは複雑だがO-M122、DAXIとSONGZEの間のあたりはO-M95、SONGZEのあたりはO-M119という具合です。お察しかと思いますが、現時点では、残念ながら古代の黄河下流域(DAWENKOUのあたり)のY染色体DNAのデータが欠けています。しかし、快調に進む最近の中国の研究を考えると、古代の黄河下流域(DAWENKOUのあたり)のY染色体DNAのデータが出てくるのは、時間の問題と見られます。

現時点でも、推測することは十分に可能です。考えてみてください。朝鮮半島と日本列島に多く見られるO-M176が、HONGSHANのあたりに見られない、HONGSHANとYANGSHAOの間のあたりに見られない、YANGSHAOのあたりに見られない、DAXIのあたりに見られない、DAXIとSONGZEの間のあたりに見られない、SONGZEのあたりに見られないのです。こうなると、もうDAWENKOUのあたりしか残っていません。唯一のデータ欠落地域です。

古代ではなく現代の山東省のY染色体DNAのデータはあります。非常に詳しく調べられていますが、O-M176はごくわずかです。現代の山東省には、インド・ヨーロッパ語族と関係の深いRやインディアンと関係の深いQまで少し見られますが、O-M176はそれらよりも断然少ないです。以下はYin 2020のデータで、上が雲南省のデータ、下が山東省のデータです。

※最近の研究なので、最新式の表記が用いられています。「O1a」がO-M119に一致、「O1b」がO-M95に大体一致、「O1b2」がO-M176に一致、「O2」以下すべてを合わせたものがO-M122に一致します。雲南省でも、山東省でも、O-M176が完全にゼロでないことには留意する必要があります。

ぱっと見たところ、かつて山東省でO-M176が繁栄していたようにはとても見えません。なぜこんなことになっているのでしょうか(もちろん、6000年前頃から現在に至るまでに中国は幾多の激動の歴史を経ており、Y染色体DNAのバリエーションや分布が複雑になっていることは言うまでもありません)。とはいえ、上で説明したように、これまで発表されている古代人のY染色体DNAのデータから推測する限りでは、朝鮮半島と日本列島に多く見られるO-M176はDAWENKOUのあたりから来たとしか考えられないので、あっさりと引き下がるわけにはいきません(上の図の山東省のデータで、O-M122が圧倒的に多いのは当然です。黄河中流域の勢力が拡大して、中国が形成されていったからです。しかし、それと逆の意味で、O-M176の少なさが目立ちます。O-M119、O-M95、Nと比べても、明らかに少ないです。殷が山東省に大々的に侵攻したことを思い出してください。そこからさらに、周の時代、春秋戦国時代が続きます。古代中国の戦乱が最も激しく襲いかかったのが、O-M176の集団だったのではないかと考えたくなるところです。O-M176の異様な少なさに説得力が感じられるのです)。

先ほど言及したZhang 2017の研究で、古代の遼河流域と黄河流域の間の地域のY染色体DNAを調べているにもかかわらず、O-M176が見られないので、O-M176の起源という観点からは、山東省の南部とその南側の隣接地域に注目したほうがよさそうです。冒頭の系統図からわかるように、O-M176に最も近いのはO-M95であり、このO-M95が長江中流域と下流域の間で支配的だったことはわかっているので、O-M176の起源という観点から山東省の南部とその南側の隣接地域に注目することは適切と思われます(地図は中国国家観光局駐大阪代表処のウェブサイトより引用)。

山東省の南部は、河南省(かなんしょう)、安徽省(あんきしょう)、江蘇省(こうそしょう)に隣接しています。河南省、安徽省、江蘇省には、淮河(わいが)とその支流が流れています。淮河は、巨大な黄河と長江に挟まれているのであまり目立ちませんが、結構大きな川で、多くの支流を持ちます。実は、淮河は長江、黄河に次ぐ中国第三の大河なのです(もちろん、長江、黄河は別格ですが)。謎めくY染色体DNAのO-M176の起源を探し求めて、河南省、安徽省、江蘇省の考古学調査をのぞいてみることにしましょう。

 

参考文献

Cui Y. et al. 2013. Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. BMC Evolutionary Biology 13(1): 216.

Li H. et al. 2007. Y chromosomes of prehistoric people along the Yangtze River. Human Genetics 122(3-4): 383–388.

Wen S. et al. 2016. Y-chromosome-based genetic pattern in East Asia affected by Neolithic transition. Quaternary International 426: 50-55.

Yin C. et al. 2020. Genetic reconstruction and forensic analysis of Chinese Shandong and Yunnan Han population by co-analyzing Y chromosomal STRs and SNPs. Genes 11(7): 743.

Zhang Y. et al. 2017. Genetic diversity of two Neolithic populations provides evidence of farming expansions in North China. Journal of Human Genetics 62(2): 199-204.