歴史の奥底に埋もれた語

現生人類は45000年前には北ユーラシアに現れており、北ユーラシアに存在した言語のバリエーションを捉えるのはとても大変です。

まずは、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-(jは日本語のヤ行の子音)のように言っていた巨大な言語群を中心に考えましょう。

この巨大な言語群は、ケチュア語yaku(水)やグアラニー語i(水)(同系の言語でトゥパリ語yika(水)イカ、メケンス語ɨkɨ(水)イキ、マクラップ語ɨ(水))など、南米のインディアンの言語にはっきり存在が認められます。

つまり、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた巨大な言語群は、古くから北ユーラシアに存在し、早くにアメリカ大陸に入っていったことが確実です。ここでいう「古くから」とは、人類がアメリカ大陸に進出する前、すなわち2万年以上前の時代を指します。

さらに、上記の巨大な言語群は、ヨーロッパから東アジアに残っている諸言語に広範な影響を与えています。

北ユーラシアの言語の歴史を考える時に、まず水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた巨大な言語群に注目するのは、理にかなっています。

jak-、jik-、juk-、jek-、jok-のjの部分がdʒ、tʃ、ʒ、ʃに変化しやすいこと、さらにこれらがd、t、z、sに変化しやすいことは、すでにお話しし、多くの例を示してきました。以下のような形が生じます。

図1

古代人はこのように考えていたの記事では、以下のような変化も示唆しました。

図2

実際に、このような変化も起きています。例えば、ウラル語族のサモエード系のネネツ語に、ないこと・いないことを意味するjaŋguヤングという語があります。ネネツ語ではjaŋgu(ない、いない)ですが、ガナサン語ではdjaŋku(ない、いない)ディアンク、セリクプ語ではtjaŋkɨ(ない、いない)ティアンキ、そしてマトル語ではnjaŋgu(ない、いない)ニャングです。ガナサン語とセリクプ語の例は、図1のようなパターンです。マトル語の例は、図2のようなパターンです。ja(ヤ)と発音する時には、舌の先のほうが口の中の天井ぎりぎりまで近づきます。天井に触れると、ガナサン語のようにdja(ディア)になったり、セリクプ語のようにtja(ティア)になったり、マトル語のようにnja(ニャ)になったりするのです。

すでに取り上げた日本語のnaka(中)やnagaru(流る)/nagasu(流す)なども、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた巨大な言語群から来ていると考えられます。

図1と図2の変化は、北ユーラシアの言語の歴史を考える時に非常に重要なので、記憶にとどめておいてください。図1と図2のkの部分も変化します。例えば、jak-がjag-になったり、jank-になったり、jang-になったり、jan-になったりします。jak-以外の場合も同様です。これだけでもう、かなりのバリエーションができます。

古代北ユーラシアに水を意味するjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語が存在し、それらが形を変えながら、そして意味を変えながら、現代の諸言語に入り込んでいます。この過程を細かく追うことは重要ですが、実はもう一つ重要なことがあります。

古代北ユーラシアに水を意味するjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語が存在したことは確かですが、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-という語形よりもっと古い語形があり、そのもっと古い語形からjak-、jik-、juk-、jek-、jok-という語形が生まれたようなのです。

そのもっと古い語形とは、jark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-(jalk-、jilk-、julk-、jelk-、jolk-)という語形です。この語形から子音が消えて、jar-、jir-、jur-、jer-、jor-(jal-、jil-、jul-、jel-、jol-)という語形と、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-という語形が生まれました。

なぜそのことに気づいたのか?

当然、なぜ筆者がそのような考えに至ったのかお話ししなければなりません。様々な根拠を積み重ねてそのような考えに至ったのですが、まずは前回の記事で示したテュルク諸語の2の話から始めましょう。

トルコ語ではiki(2)ですが、ウイグル語ではikki(2)、ヤクート語ではikki(2)、チュヴァシ語ではikkӗ(2)イッキュでした。トルコ語ではkが一つですが、テュルク祖語の段階ではkが二つ連続していたと考えられます。言語の発音変化を考察する際には、このような些細な点にも注意を払う必要があります。

英語victim、フランス語victime、イタリア語vittima(いずれも被害者・犠牲者という意味)のように、二つの異なる子音が同化する現象は人類の言語でよく起きます。ウイグル語ikki(2)、ヤクート語ikki(2)、チュヴァシ語ikkӗ(2)の-kk-の部分も、かつては別々の子音であった可能性があります。

北ユーラシアにはウラル系、テュルク系、モンゴル系、ツングース系の言語が大きく広がっていますが、ユーラシア大陸の一番右上のほうにユカギール語という消滅寸前の言語があります。かつては栄えていたと見られますが、有力な言語に圧迫されて消滅寸前の状態に追い込まれてしまいました。ユカギール語の語彙は、周囲の言語の語彙と大きく異なります。ユカギール語を研究すれば、遠い昔の北ユーラシアを覗くことができるのではないかと期待させます。以下はユカギール語の数詞の1~3です。

ちなみに、ユカギール語では水のことをooʒiiオージーと言います。irkin(1)、ataxun(2)、jaan(3)は他言語で水を意味していた語から来ていると考えられます。irkin(1)は強烈に目を引きます。

先ほど見たテュルク諸語のウイグル語ikki(2)、ヤクート語ikki(2)、チュヴァシ語ikkӗ(2)の-kk-の部分がかつては-rk-であった可能性が出てきました。

イルクーツクとイルクート川

ロシアにイルクーツク(Irkutsk)という都市があります。シベリアの代表的な都市です(地図はWikipediaより引用)。

イルクーツクはバイカル湖の近くにあります。バイカル湖から北西に向かってアンガラ川(Angara River)が流れ出ています。バイカル湖から流れ出たアンガラ川に、西側からイルクート川(Irkut River)が流れ込みます(イルクート川は、エニセイ川とアンガラ川に比べて小さい川であり、地図には記されていません)。アンガラ川にイルクート川が流れ込んでくるところがイルクーツクです。イルクーツクからアンガラ川をちょっと進んだところにアンガルスク(Angarsk)という都市もあります。河川の名前から都市の名前が生まれています。

やはり、古代北ユーラシアに水・水域のことをirk-のように言う言語群があって、そこからテュルク諸語のトルコ語iki(2)、ウイグル語ikki(2)、ヤクート語ikki(2)、チュヴァシ語ikkӗ(2)やユカギール語のirkin(1)が来ているようです。

すでに取り上げた日本語のika(イカ)、ikaru(怒る)、iki(息)、iku(生く)、ike(池)などでは子音がkで、iru(入る)、iraira(イライラ)などでは子音がrなので、一見別物に見えますが、水・水域を意味するirk-のような語が根底にありそうです。おそらくiruka(イルカ)も無関係でないでしょう。水・水域を意味することができず、水生動物を意味するようになったと思われます。irukaの意味は今より広かったかもしれません。ご存じの方もいると思いますが、クジラとイルカは同種の生物で、大きいものがクジラ、小さいものがイルカと呼ばれています。

jak-、jik-、juk-、jek-、jok-という語形の背後に本当にjark-、jirk-、jurk-、jerk-、jork-という語形が隠れているのでしょうか。jirk-という形だけでなく、jark-、jurk-、jerk-、jork-という形も調べなければなりません。検証を続けます。