水の惑星

英語のwater(水)は、ヒッタイト語watar(水)やトカラ語war(水)とともに、インド・ヨーロッパ語族の標準的な語であると述べました。それに対して、ラテン語のaqua(水)は、インド・ヨーロッパ語族では非標準的な語で、インド・ヨーロッパ語族の外から入って来た外来語のようだと述べました。

語られなかった真実、ラテン語のaqua(水)は外来語だった中国語はなぜ大言語になったのか?の記事では、ヨーロッパから東アジアまでの言語を概観し、かつて北ユーラシアに水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-(jは日本語のヤ行の子音)のように言う巨大な言語群が存在したと推論しました。

このような巨大な言語群が存在したのは確実ですが、古代北ユーラシアの言語はみな水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていたのかというと、そういう単純な状況でもなかったようです。

英語にwet(濡れている)という語があります。water(水)の古形はwæter、wet(濡れている)の古形はwætで、これらは同源です。英語のwet(濡れている)に相当する語として、ラテン語にはumidus(濡れている)という語がありました。ラテン語のumidusはhumidusとも発音され、後者から英語のhumid(湿った)は来ています。ラテン語には濡れていることを意味するumereという動詞があり、これからumidusという形容詞が作られました。

umereとumidusのほかに、液体(特に体液)を意味するumorという名詞もありました。ラテン語のumidusが英語のhumid(湿った)になったのと同様に、ラテン語のumorは英語のhumor(ユーモア)になりました。なんで液体を意味していた語がユーモアを意味するようになるんだと思ってしまいますが、これは昔のヨーロッパの人々が人間の体内にある各種の液体(血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁)によって人間の気質が決まると考えていたためです。

ラテン語で濡れていることを意味したumere/umidusも、液体を意味したumorも、インド・ヨーロッパ語族の標準的な語彙ではありません。um-という語根が見て取れます。ラテン語のそばに、水のことをum-のように言う言語があったのでしょう。

ここで、視線を一気に東アジアに持っていきます。すると、日本語のumi(海)という語が出てきます。日本語のwata(海)の語源がインド・ヨーロッパ語族の英語water(水)の類であったように、日本語のumi(海)の語源も他言語の「水」であった可能性があります。日本の近くで話されているツングース諸語に、飲むことを意味するエヴェンキ語ummī(語幹um-、以下同様)、ウデヘ語umimi(umi-)、ナナイ語omiori(omi-)、ウイルタ語umiwuri(umi-)、満州語omimbi(omi-)のような動詞が見られますが、これらも「水」の存在を示唆しています。

※水・液体の意味範疇に属するumu(膿む)も究極的には同源と思われます。他言語の同様の例は別のところで示します。

このum-のケースは、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-のケースに似ています。かつて北ユーラシアに水のことをum-のように言う言語群が存在し、その言語群がヨーロッパ方面と東アジア方面に影響を残していったのではないかと考えたくなります。

現生人類は3~4万年前には北ユーラシアのあちこちに現れていますが、インド・ヨーロッパ語族とウラル語族の拡散が始まったのはせいぜい6000、7000、8000年前ぐらいです。非常に大きな時間の開きがあります。拡散するインド・ヨーロッパ語族とウラル語族の行く手にいた北ユーラシアの旧来の諸言語が一様であったとは考えられません。たとえそれらの北ユーラシアの旧来の諸言語が同一の起源を持っていたとしても、インド・ヨーロッパ語族とウラル語族の拡散時にはすでに大きく異なっていたはずです。経過した時間が長ければ、現在のインド・ヨーロッパ語族の内部に見られるような違い、現在のウラル語族の内部に見られるような違い程度ではとても済みません。

インド・ヨーロッパ語族とウラル語族の拡散が始まる前の北ユーラシアに、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言う言語群と、水のことをum-のように言う言語群が広がっていたとしても、全然おかしくないわけです。インド・ヨーロッパ語族とウラル語族の拡散が始まる前の北ユーラシアの長い歴史を考えれば、インド・ヨーロッパ語族とウラル語族は極めて大きい差を持つ諸言語に遭遇したにちがいありません。そのようななかで、水のことをjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のように言っていた言語群と、水のことをum-のように言っていた言語群は、ヨーロッパ方面にも東アジア方面にも影響を残しており、特に注目されます。

ここで、北ユーラシアの歴史を解明するためのヒントを求めて、アメリカ大陸のインディアンの諸言語に目をやると、はっとする光景が飛び込んできます。すでに述べたように、インディアンの諸言語は互いの隔たりが非常に大きく、なかなか変わらないはずの「水」を意味する語もかなりばらばらです。しかし、完全に無秩序というわけではなさそうです。南米で最も有名なケチュア語のyaku(水)や、そのすぐそばのアイマラ語のuma(水)は鮮烈な印象を与えます。まずは、南米のインディアンの言語を調べる必要がありそうです。