語られなかった真実、ラテン語のaqua(水)は外来語だった

古代北ユーラシアに広がっていた謎の巨大な言語群の正体を明らかにするために、まずは「水」を意味する語に注目しましょう。「水(みず)」の語源、日本語はひょっとして・・・の記事で見たように、「水」を意味する語は変わりにくいからです。しかし、それだけではありません。「水」を意味していた語に意味の変化が生じる場合でも、その意味の変化には明確なパターンがあるのです。地球規模で人類の言語の歴史を考える時には、「水」を意味する語が大きな手がかりになります。

タイ系言語のタイ語naam(水)の類が日本語のnama(生)、nami(波)、numa(沼)、nomu(飲む)になったと見られることはすでにお話ししました(不思議な言語群および「言(こと)」と「事(こと)」の関係を参照)。どれもよくあるパターンです。

nama(生)は、「水」を意味していた語が「濡れること、濡れていること」を意味するようになるパターンです。焼いたり、干したりしておらず、水っぽい状態をnama(生)と言っていたのです。

nami(波)とnuma(沼)は、「水」を意味していた語が「水域(川、海、湖、沼など)」を意味するようになるパターンです。「水」を意味していた語が「海」を意味するようになることは非常に多いですが、「海」は他の語に占められて、「波」を意味するようになることも結構あります。ツングース諸語でエヴェンキ語lāmu(海)、ナナイ語namo(海)、満州語namu(海)、日本語でnami(波)になっているのは、そのような事情によります。

関連する話として、nureru(濡れる)の語源を補説に記しました。

nomu(飲む)は、「水」を意味していた語が「飲むこと」を意味するようになるパターンです。タイ系言語の「水」から日本語の「飲む」が生まれたのです。

ここで、インド・ヨーロッパ語族の「水」に目を転じましょう。インド・ヨーロッパ語族には、ヒッタイト語watar(水)、トカラ語war(水)、ロシア語voda(水)、英語water(水)のような語が広く見られます。しかし、ラテン語ではaqua(水)です。当然、インド・ヨーロッパ語族の研究者らは、なぜラテン語では全然違う言い方をしているのだろうと考えました。しかし、いくつかの説明が試みられたものの、ラテン語のaqua(水)が外来語であるという可能性は検討されませんでした。

ラテン語のaqua(水)は、ヒッタイト語ekuzi(飲む)やトカラ語yoktsi(飲む)と同源と考えられるので、もともとインド・ヨーロッパ語族にあったものとみなされてきたのは無理もありません。ちなみに、英語にはかつてea(川、流れ)という語がありました。この語は、同じゲルマン系のドイツ語aha、ゴート語ahuaなどと同源です。ロシア語にはそれらしき語が見当たりません。少し怪しい感じのするラテン語のaqua(水)ですが、視野をインド・ヨーロッパ語族の外にまで広げると、その怪しさが一気に増します。

例えば、ウラル語族では、フィンランド語joki(川)ヨキ、エストニア語jõgi(川)ユギ、ハンガリー語jó(川)ヨー(現在では廃れ、地名に残っているだけです)、マンシ語jā(川)ヤー、ハンティ語joxan(川)ヨハン、ネネツ語jaxa(川)ヤハのような語がウラル語族全体に広がっています。

フィン・ウゴル系に限られますが、フィンランド語jää(氷)ヤー、エストニア語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグ、マンシ語jāŋk(氷)ヤーンク、ハンティ語jeŋk(氷)イェンクのような語も見られます。

そしてさらに、「水(みず)」の語源、日本語はひょっとして・・・の記事で示しましたが、ハンティ語では水のことをjiŋkインクと言います。ウラル語族のほぼすべての言語がウラル祖語の時代から「水」を意味する語を変えていないのに、ハンティ語ではjiŋk(水)と言うようになったのです。

※筆者はマンシ語jāŋk(氷)、ハンティ語jeŋk(氷)およびjiŋk(水)などのŋは後から挿入されたものと考えていますが、これについては別のところで論じます。

ウラル語族の水に関係する語彙には、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語根の存在が感じられます。しかしながら、そのような語根から生まれたと見られる語は、水に関係のあるなにかを意味しているが、水そのものを意味しているわけではないのです。

インド・ヨーロッパ語族でも、先頭のjが大々的に脱落してはいますが、ウラル語族とほぼ同じ傾向が認められます。水に関係のあるなにかを意味しているが、水そのものを意味しているわけではないというのは、重要なポイントです(ラテン語aqua(水)やハンティ語jiŋk(水)は例外的です)。インド・ヨーロッパ語族とウラル語族のまわりで話されていた言語群の「水」がインド・ヨーロッパ語族とウラル語族に入ったことを強く思わせるからです。その言語群の「水」は、jak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような形をしていたのではないかということです。

上に挙げたインド・ヨーロッパ語族とウラル語族の語彙を見ると、形と意味のばらつきが著しいです。かつて北ユーラシアに巨大な言語群が存在して、その各言語に「水」が少しずつ異なる形で分布し、それらの「水」がインド・ヨーロッパ語族とウラル語族にどっと入ったと考えると合点がいきますが、果たしてどうでしょうか。

 

補説

nureru(濡れる)の語源

nureru(濡れる)の古形はnuru(濡る)です。

タイ系言語のタイ語naam(水)の類は、numa(沼)という形でも日本語に入ったようだと述べました。奈良時代の時点では、nu(沼)という形とnuma(沼)という形がありました。日本語ではnumという形が許されないので、子音を落としてnuにしたり、母音を補ってnumaにしていたと考えられます。

nuとnumaも最初は「水」を意味しようとしたが、それが叶わず、最終的に「沼」という意味に落ち着いたと見られます。このnuとnumaから、nuru(濡る)、nurunuru(ぬるぬる)、numenume(ぬめぬめ)、numeru(滑る)なども生まれたと考えられます。

下二段活用で自動詞だったnuru(濡る)と四段活用で他動詞だったnuru(塗る)も同源でしょう。