インド・ヨーロッパ語族の深い歴史、ヒッタイト語とトカラ語

ヒッタイト語とトカラ語は、ずいぶん昔に消滅してしまった言語ですが、インド・ヨーロッパ語族の歴史、そしてインド・ヨーロッパ語族と他の言語の関係を考えるうえで、決して外せない言語です。

18世紀にイギリス人のウィリアム・ジョーンズ氏がヨーロッパの言語とインドの言語の類似性を指摘した頃から、インド・ヨーロッパ語族の研究が盛んになり始め、古代ギリシャ語、古代ローマのラテン語、古代インドのサンスクリット語などを中心に研究が行われていましたが、当時はヒッタイト語の存在もトカラ語の存在も知られていませんでした。

ヒッタイト語とトカラ語の存在が知られるようになったのは、20世紀に入ってからです。発掘調査で未知の言語で書かれた古代文献が見つかり、言語学者がそれらの言語を綿密に調べた結果、インド・ヨーロッパ語族の言語であることがわかったのです。ヒッタイト語のほうはアナトリア半島(現在のトルコ)、トカラ語のほうはタリム盆地周辺(現在の中国の新疆ウイグル自治区)で使用されていました。タリム盆地はあまりなじみがないかもしれません。Wikipediaから引用した以下の地図は、新疆ウイグル自治区の位置を示したものです。タリム盆地は、新疆ウイグル自治区の下半分ぐらいです。タリム盆地の大部分は、タクラマカン砂漠という砂漠になっています。

中国の北西部でも、かつてインド・ヨーロッパ語族の言語が話されていたのです。

しかしながら、発見されたヒッタイト語とトカラ語は、語彙、発音、文法などの点でインド・ヨーロッパ語族の既知の言語と大きく異なっており、既知の言語とは遠い類縁関係にあると考えられました( Fortson 2010 では、ヒッタイト語とトカラ語を含め、インド・ヨーロッパ語族の言語がよく概観されています)。インド・ヨーロッパ語族のおおもとの言語である印欧祖語がどのような順序で分岐していったのかということについては、言語学者によって見解がまちまちですが、印欧祖語がまず「インド・ヨーロッパ語族のアナトリア語派」と「インド・ヨーロッパ語族のその他の言語」に分岐したという見方は有力です(アナトリア半島からはヒッタイト語だけでなく、それに近い言語もいくつか発見され、これらはアナトリア語派として括られています)。

いずれにせよ、ヒッタイト語も、トカラ語も、現在残っているインド・ヨーロッパ語族の言語と非常に遠い類縁関係にあることは間違いないので、印欧祖語の時代のこと、さらにその前の時代のことを考える際には、非常に重要なのです。一応記しておくと、以下がインド・ヨーロッパ語族の各語派です。

消滅した語派
アナトリア語派、トカラ語派

現存する語派
ゲルマン語派、イタリック語派、ケルト語派、スラヴ語派、バルト語派、ギリシャ語派、アルバニア語派、アルメニア語派、インド・イラン語派

上記の言語群・言語は、いずれも印欧祖語から分岐したもので、なおかつ文字記録によって存在が確認されているものです。ここで注意しなければならないのは、印欧祖語から分岐したが、文字記録を残すことなく消えていった言語群・言語もあったかもしれないということです(印欧祖語自体は、文字を持たない言語でした。インド・ヨーロッパ語族の中では、アナトリア語派、ギリシャ語派、インド・イラン語派、イタリック語派の文字記録が早くから現れますが、これは中東の文明に早く触れることができたからです。スラヴ語派の文字記録が現れるのは9世紀以降、バルト語派の文字記録が現れるのは14世紀以降で、ずっと遅いです)。

印欧祖語から分岐したが、文字記録を残すことなく消えていった言語の存在などと言われても、あまりに唐突な話で、さっぱりわけがわからないかもしれません。筆者がなぜそのような言語の存在について考えるようになったのか、かいつまんでお話しすることにします。

中国北西部のタリム盆地周辺でトカラ語が発見されたことによって、インド・ヨーロッパ語族の言語がかなり東のほうでも話されていたことが明らかになり、多くの学者が驚きました。しかし、そのトカラ語よりももっと東のほうで話されていたインド・ヨーロッパ語族の言語があったようなのです。

 

参考文献

Fortson IV B. W. 2010. Indo-European Language and Culture: An Introduction. Wiley-Blackwell.