古代中国語の「足」についての補足

古代中国語のtsjowk(足)ツィオウクは、極めて使用頻度の高い基本語なので、実に様々な形で日本語に入っています。ある時代にsoku、syokuという音読みで入りましたが、それ以外にtokotoko(とことこ)、tukatuka(つかつか)という形でも入ったようだという話をしました。

古代中国語のtsjowk(足)は、とてもそのままでは昔の日本語に入れない形をしています。昔の日本語に取り込むためにまず考えられそうな変形は、(1)tok、(2)tuk、(3)sok、(4)sukの4通りです。語頭の子音をtにするかsにするか、そのうしろの母音をoにするかuにするかで4通りです。(1)はtokotoko(とことこ)を生み出したパターン、(2)はtukatuka(つかつか)を生み出したパターン、(3)は音読みのsokuを生み出したパターンです。では、(4)はどうでしょうか。

日本語で「時が過ぎる」とか「時が進む」とか言いますが、このsugiru(過ぎる)とsusumu(進む)が目を引きます。sugiru(過ぎる)は、奈良時代にはsugu(過ぐ)でした。このほかに、sugusu(過ぐす)とsuguru(過ぐる)という語もありました。例えば、「探し求めること」を意味した古代中国語のsak(索)から日本語のsagasu(探す)とsaguru(探る)が生まれたり、古代中国語のxok(黑)ホクからkogu(焦ぐ)、kogasu(焦がす)、kogaru(焦がる)が生まれたりしたように、(4)のsukからsugu(過ぐ)、sugusu(過ぐす)、suguru(過ぐる)が生まれたと見られます(もととなる古代中国語のうしろに母音が補われて、子音kが濁る形で動詞が作られているケースです)。

※古代中国語のsak(索)のもともとの意味は、「縄、綱」です。それらをたぐり寄せる動作から、「なにかを求める」という意味が生じました。日本語では、検索、捜索、模索などでおなじみです。

このように、sugiru(過ぎる)は古代中国語のtsjowk(足)から来ていると考えられますが、susumu(進む)はどうでしょうか。この語は、「すすっと近づく」などのsusuʔ(すすっ)と合わせて考えるべきでしょう。(4)のsukが日本語に入るには、うしろに母音が補われたsukVの形か、末子音kが脱落したsuの形になる必要があります。おそらく、*susuと言って、tokotokoやtukatukaのように足の運びを表していたと思われます。この*susuがsusumu(進む)とsusuʔ(すすっ)になったというわけです。足の動きを表す動詞としては、ayumu(歩む)とaruku(歩く)があったので、古代中国語のtsjowk(足)から作られたsugu(過ぐ)とsusumu(進む)は、少し違う意味や抽象的な意味を担うことも多かったでしょう。

※sugu(過ぐ)以上に意味の隔たりが大きいですが、「通り抜けること、通過すること」に関係があるsuku(透く)などもなんらかのつながりがあると思われます。sukima(すきま)のsukiの部分ももともと「通ること」を意味していたのでしょう。sukima(すきま)よりさらに抽象化が進んでいるのがsuki(隙)と見られます。

古代中国語のtsjowk(足)がtokotoko(とことこ)、tukatuka(つかつか)、sugu(過ぐ)、susumu(進む)のようになるのは、非常にわかりやすいです。しかし、このようなパターンだけではありません。ここではもう一つ、違うパターンを見てみましょう。

英語のfootとロシア語のpod

インド・ヨーロッパ語族によい例があるので、英語のfoot(足)から始めます。英語のfootは、「足首から下の部分」を意味しています。同じゲルマン系のドイツ語にもFußフースという語があり、やはり「足首から下の部分」を意味しています。しかし、スラヴ系のロシア語を見ると、様子が違います。

ロシア語では、足首から下を指す時も、股から下を指す時も、nogaと言うのが普通です。足首から下を指すstopa/stupnjaストゥプニャーという語もありますが、これらはあまり使われません。ロシア語のnogaにしろ、stopa/stupnjaにしろ、英語のfootとは全然違う形をしています。実は、ロシア語にも、英語のfootと同源のpodという語があります。しかし、podは下肢に関する語ではないのです。

ロシア語のpodは前置詞で、以下のような使われ方をします。前置詞のpodが名詞のderevo(木)とgora(山)の前に置かれたところです(ロシア語では前置詞のうしろで名詞が語形変化します)。

前置詞のpodはこのように、なにかの下の部分、底部を指す時に使われます。そのなにかは、人間の体でなくて木や山でもよいのです。

この英語のfootとロシア語のpodの関係と同じように、古代中国語のtsjowk(足)はsoko(底)という形で日本語に取り入れられたと見られます。古代中国語のtsjowk(足)はある時代にsokuという読みで取り入れられたが、もっと前の時代にsoko(底)という形で取り入れられていたということです。後々重要になってくるので、このようなパターンもあるのだと、記憶にとどめておいてください。