東アジアの三つの古代文明の間で、遼河文明・黄河文明・長江文明

日本語と大いに関係がある言語として、北方の言語の中からウラル語族、そして南方の言語の中からベトナム系の言語が浮上してきました。それだけでなく、日本語の中にはインド・ヨーロッパ語族との共通語彙もありそうだなと思わせる例もありました。様々な言語が出てきて混乱しやすいところなので、ここでひとまず簡単な図式を示しておきます。これから「日本語の意外な歴史」をスムーズに読み進めるために、以下の図を頭に入れておいてください。

実際の日本語の歴史は、このような単純な図では説明できません。しかし、上の図は、筆者が日本語の歴史を研究し始めた頃に、筆者の頭の中にあった図なのです。そのため、筆者にとっても、読者にとっても、この図から始めるのが最も自然で、無理がありません。

漢語が流入する前の日本語、いわゆる大和言葉では、「遼河文明の言語の語彙」と「黄河文明の言語の語彙」と「長江文明の言語の語彙」が大きな位置を占めています。「遼河文明の言語の語彙」と「黄河文明の言語の語彙」と「長江文明の言語の語彙」が混ざり合う場所となると、おのずと限られてきます。最も可能性が高いのは、黄河下流域の山東省のあたりです(江蘇省の一部も考慮に入れておいたほうがよいかもしれません)。

日本語の中にある「遼河文明の言語の語彙」と「黄河文明の言語の語彙」と「長江文明の言語の語彙」を徹底的に調べ、どれでもない語彙は後で考えようというのが、筆者の当初の基本方針でした。

黄河文明の言語は、中国語の文字記録が古くから残っている分、研究しやすいような気がしますが、決してそんなことはありません。黄河文明の言語というのはシナ・チベット語族のことですが、シナ・チベット語族はとても難解です。シナ・チベット語族がとても難解なのは、シナ・チベット語族の内情が以下のようになっているためです。

言語の数は多いのですが、中国語に近い言語が見当たらないのです。紀元前6500年頃(つまり8500年前ぐらい)から黄河流域に裴李崗文化(はいりこうぶんか)、磁山文化(じさんぶんか)、後李文化(こうりぶんか)などの有力な文化が現れ始めますが(Shelach-Lavi 2015)、その頃から「中国語の前身言語」はひたすら孤独の道を歩み続け、一切分岐することなく、殷の時代およびそれ以降の中国語になったと考えるのはあまりに無理があります。その間に、中国語以外のシナ・チベット系言語はどんどん分岐しています。一律の学校教育やマスメディアがない時代には、言語が少しでも広まれば、地域差が生じ、別々の言語に分化していきます。

では、どうしてシナ・チベット語族は上のような極端に偏った形になっているのでしょうか。これはやはり、中国語と近い系統関係を持っていたシナ・チベット系言語、あるいは中国語の近くで話されていたシナ・チベット系言語が消滅してしまったからだと考えられます。

ぽつんと一つ残った古代中国語は、異様なほど膨大な語彙を持つ言語でした。殷・周の時代からそうです。中国語は、シナ・チベット系の言語および非シナ・チベット系の言語を大量に消し去ったが、単純に消し去ったのではなく、語彙を吸収しつつ消し去っていったと見られます。シナ・チベット系および非シナ・チベット系の様々な言語を話していた大勢の人々が中国語に乗り換えたのです。

このような異言語の話者の流入によって、中国語に膨大な語彙が蓄積しますが、中国語の発音や文法は激変することになります。シナ・チベット語族の言語が大量に消えてしまった、残った中国語は過去(殷・周より前の時代)が見えないほど変わり果ててしまった、まさにこのような事情がシナ・チベット語族の研究を難しくしています。

本ブログは基本的に、冒頭の図式を起点とし、そこに様々な情報を付け加える形で、話を進めていきます。日本語の歴史をめぐる話がどんどん複雑になっていきますが、冒頭の図式が根底にあることを忘れなければ、筆者の研究を十分に追いかけることができると思います。

筆者はもともとヨーロッパ方面の各現代語を研究していましたが、日本語の歴史に興味を持ったことから、シナ・チベット語族の言語も研究するようになりました。最初はほとんどなにも感じませんでしたが、研究が進むうちに、ヨーロッパ方面の言語と東アジア方面の言語に間に通う不思議な縁のようなものを感じるようになってきました。この不思議な縁のようなものがなんなのかわかりませんでしたが、そのようなものが存在するという感覚は強くなっていきました。まずは、筆者が感じるようになった不思議な時間・空間の話を少ししましょう。

 

参考文献

Shelach-Lavi G. 2015. The Archaeology of Early China: From Prehistory to the Han Dynasty. Cambridge University Press.