遼河文明と黄河文明と長江文明の間で

日本語と大いに関係がある言語として、北方の言語の中からウラル語族、そして南方の言語の中からベトナム系の言語(オーストロアジア語族)が浮上してきました。それだけでなく、日本語の中にはインド・ヨーロッパ語族との共通語彙もありそうだなと思わせる例もありました。様々な言語が出てきて混乱しやすいところなので、ここでひとまず簡単な図式を示しておきます。これから「日本語の意外な歴史」をスムーズに読み進めるために、以下の構図を頭に入れておいてください。

上の図式は、漢語流入前の日本語(いわゆる大和言葉)の成り立ちを理解するための最も単純な図式です。実際の日本語の歴史はもっと複雑ですが、上の図式が基本です。漢語流入前の日本語は、主に「遼河文明の言語の語彙」と「黄河文明の言語の語彙」と「長江文明の言語の語彙」が混ざってできています(今はウラル語族との共通語彙を重点的に見ていますが、シナ・チベット語族との共通語彙も、ベトナム系言語との共通語彙も、これからたくさん出てきます)。「遼河文明の言語の語彙」、「黄河文明の言語の語彙」、「長江文明の言語の語彙」のうちのどれか一つが圧倒的に優勢ということはなく、これらの語彙が互角に交わっているところに日本語の大きな特徴があります。日本語には、主成分が三つあるのです。日本語の成り立ちをめぐる日本語系統論が混迷を極めた理由の一つがここにあります(中でも遼河文明は、多くの人にとって初耳ではないでしょうか。筆者もウラル語族と日本語の関係を本格的に研究し始めるまでは、遼河文明なんて聞いたことがありませんでした)。

「遼河文明の言語の語彙」と「黄河文明の言語の語彙」と「長江文明の言語の語彙」が対等に混ざり合った言語はどこで形成されたのでしょうか。三者が互角に交わる場所となると、おのずと限られてきます。最も可能性が高いのは、黄河下流域の山東省のあたりです(江蘇省の一部も考慮に入れておいたほうがよいかもしれません)。山東省周辺は、北の遼河文明と内陸の黄河文明と南の長江文明が絶妙なバランスで混合しそうなところにあります。

日本語の成り立ちを知るためには、遼河文明の言語、黄河文明の言語、長江文明の言語をよく研究する必要があります。このうちの遼河文明の言語と黄河文明の言語に関して、特筆しておきたいことがあります。

遼河文明の言語について

ウラル語族と日本語の共通語彙を調べていると、どうやらその共通語彙の一部がインド・ヨーロッパ語族にも通じているらしいということがわかってきます。遼河文明の言語は、インド・ヨーロッパ語族の言語となんらかの関係を持っているようです。「日本語の意外な歴史」では、日本語とウラル語族の間の関係を確固に示すことがまず第一の目標であるため、当面はインド・ヨーロッパ語族には深入りしませんが、東アジアの言語の歴史にインド・ヨーロッパ語族の影がうっすらと感じられるのは興味深いことです。

黄河文明の言語について

黄河文明の言語とはつまり、シナ・チベット語族のことです。シナ・チベット語族は、中国語とその類縁言語から成る言語群ですが、非常に扱いが難しい語族です。シナ・チベット語族はかなり大きな語族ですが、その内情は以下のようになっています。

言語の数は多いのですが、中国語に特に近いと思える言語が見当たらないのです。中国語とある程度遠い類縁関係が考えられそうな言語ばかりだということです。紀元前6500年頃(つまり8500年前ぐらい)から黄河流域に裴李崗文化(はいりこうぶんか)、磁山文化(じさんぶんか)、後李文化(こうりぶんか)などの有力な文化が現れ始めますが(Shelach-Lavi 2015、第4章)、その頃から「中国語の前身言語」はひたすら孤独の道を歩み続け、一切分岐することなく、殷の時代およびそれ以降の中国語になったのだと考えるのはあまりに無理があります。その間に、中国語以外のシナ・チベット系言語はどんどん分岐しています。一律の学校教育やマスメディアがない時代には、言語が少しでも広まれば、地域差が生じ、別々の言語に分化していきます。

では、どうしてシナ・チベット語族は上のような極端に偏った形になっているのでしょうか。それは、中国語と近い類縁関係を持っていたシナ・チベット系言語、あるいは中国語の近くで話されていたシナ・チベット系言語が消滅したからだと考えられます。日本語を含む東アジアの言語の歴史を考える際には、(1)と(2)の言語だけでなく、(3)の言語も重要になってくるようです。

(1)中国語
(2)古代中国の戦乱によって遠くに追いやられたシナ・チベット系言語
(3)古代中国の戦乱によって消し去られたシナ・チベット系言語

「日本語の意外な歴史」では、(3)の言語の存在を明らかにし、この言語が日本語に大きな影響を与えたことを示していきます。

シナ・チベット語族に関しては、上記の消滅した言語の存在のほかに、もう一つ特筆しておきたいことがあります。

 

参考文献

Shelach-Lavi G. 2015. The Archaeology of Early China: From Prehistory to the Han Dynasty. Cambridge University Press.