農耕民と狩猟採集民が出会う時、新しくやって来た農耕民は実は・・・

朝鮮半島の櫛文土器時代から無文土器時代への変化はかなり急激でした。

激動の時代、うまくいかなくなったアワとキビの栽培、うまくいかなくなったイネの栽培の記事でお話ししたように、イネの栽培が導入された無文土器時代のはじめから、朝鮮半島の人口は爆発的に増加しました。単純に、イネの栽培を行う人たちが朝鮮半島に入ってきて、その人たちが急激に増加したのかなと考えたくなりますが、これは、イネの栽培が伝わる前から朝鮮半島にいた人たちのことを無視しています。無文土器時代のはじめにイネの栽培を導入した人たちは、櫛文土器時代からいた人たちとなんらかの形で接触したはずであり、そこでなにがあったのか考えなければなりません。

櫛文土器が広がる朝鮮半島が、無文土器が広がる朝鮮半島に変化しましたが、考古学調査で全く同じ場所から櫛文土器と(早期の)無文土器の両方が出てくることは非常に少ないのです(Kim 2002、2003)。前回の記事で使用したKim 2006の図を再び掲げます。

イネの栽培が伝わる少し前の朝鮮半島では、かつてのアワ・キビの栽培は衰え、狩猟採集の性格が強い生活を送っていました(Ahn 2015)。Residential Siteは、狩猟採集民の生活の本拠(現代人にとっての家のようなもの)で、patchは、なんらかの食べ物がとれる場所です。Residential Siteから、様々なpatchへ出かけています。

全く同じ場所から櫛文土器と(早期の)無文土器の両方が出てくることは非常に少ないと述べましたが、特に、狩猟採集民のResidential Siteだった場所から櫛文土器と(早期の)無文土器の両方が出てくることが極端に少ないのです(Kim 2002、2003)。イネの栽培を行う人たちが朝鮮半島に入ってきて、狩猟採集民のResidential Site以外の場所に進出していったことが窺えます。イネの栽培を行う人たちがやって来た時の朝鮮半島の人口密度はとても低く、いきなり狩猟採集民と対立するようなことをする必要はなかったでしょう。

確かに、移民である農耕民が先住民である狩猟採集民に物理的に襲いかかるという展開にはなっていませんが、問題はなかったのかというと、決してそうではなかったはずです。イネの栽培を行う人たちは完全な農耕民であり、土地を確保して、そこを立入禁止にするという行動に出たことは間違いありません。これをしないと、栽培が成り立ちません。激動の時代、うまくいかなくなったアワとキビの栽培、うまくいかなくなったイネの栽培の記事で示したように、イネの栽培を行う人たちがやって来てから、朝鮮半島の人口は爆発的に増加しました。

Kim Jangsuk氏は、狩猟採集民は上の図のようにResidential Siteを中心として様々なpatchに食べ物を取りに行く生活を送っていたが、農耕民がpatchを含む土地を占有したり、patchに向かう途中の土地を占有したりしたために、狩猟採集民はかつての広く動きまわる生活を送れなくなってしまったと考えています(Kim 2002、2003)。狩猟採集民は一つのpatchにずっといるわけではないし、季節に合わせた移動でpatch全体が変わることもあります。農耕民に入り込まれてしまう「隙」が十分にあるのです。そして、農耕民は一度陣取ったら、もう動きません。狩猟採集民は、少し前まで自由に立ち入りできた土地が立入禁止になっているのをずいぶん経験したはずです。狩猟採集民にとっては、面食らう事態だったでしょう。しかも、そういうことをする農耕民がどんどん増えるのです。農耕民は一定の土地を確保して立入禁止にし、そこで栽培を行いますが、狩猟採集民が送ってきたなじみの生活は、それとは全然違います。

Kim氏が考えるように、狩猟採集民が生き残るためには、最終的には、ほぼすべてにおいて農耕民のやり方に従う形で、農耕民の社会に入れてもらうしかなかったと思われます(狩猟採集民が農耕民のいないところで生きようとしたこともあったでしょう。しかし、農耕民の爆発的な増加があっては、それはわずかな延命にしかならなかったでしょう)。朝鮮半島の考古学調査を見ても、単にイネの栽培が伝わっただけではないのです(Kim 2002、2003)。日々使用する各種道具類も、家も、墓も、櫛文土器時代にはなくて無文土器時代に現れたものが急速に支配的になります(現代人にとっては、墓は「たまに墓参りに行くかな」ぐらいの存在でしかないと思いますが、古代人にとっては、もっと重要な存在だったようです。墓は、考古学の最も重要な研究対象の一つです。一族が固まって暮らしていた時代と、一族が完全に離散し、大勢の知らない人たちあるいは知っているが親族でない人たちの中に埋もれて暮らしている時代では、墓に対する意識も大きく変わったと見られます。墓については、別のところで考察しましょう)。理屈を言えば、イネの栽培に伴うのが無文土器である必然性はなく、イネの栽培に櫛文土器が伴ってもよいでしょう。しかし、櫛文土器はすぐに姿を消します。既存の文化にイネの栽培がちょこんと加わったなどという事態ではないのです。

新しくやって来た農耕民の文化が前からいた狩猟採集民の文化を圧倒する構図が窺えますが、実はこの話は単純ではありません。櫛文土器時代から無文土器時代への変化が急激で、櫛文土器がすぐに無文土器に取って代わられたというのは、その通りです。しかし、注目すべきことに、無文土器時代の早い段階から、無文土器は一様ではなかったのです(Kim 2008)。無文土器というのは、非常に大雑把な括りです。無文土器時代の早い段階から、地域によって明らかに異なるタイプの無文土器が分布していたのです。

皆さんも、日本の歴史について論じる際に、「日本人はどこから来たのか」という具合に、どこか一箇所から来たことを前提にしているような問いを聞いたことがあるでしょう。朝鮮半島の歴史について論じる際にも、多分にこの傾向がありました。

無文土器時代の朝鮮半島の無文土器に様々なタイプがあることは前から知られていましたが、これに対しても、まずある一つのタイプの無文土器が朝鮮半島にあり、そこから時間の経過とともに様々なタイプの無文土器が生まれたのだという説明が試みられました。特に、Ahn Jaeho氏が最も古い無文土器ではないかと突帶刻目文土器(または刻目突帶文土器)に注目してから、この方向性の研究が盛んになりました(Ahn 2000、Kim 2008)。

しかし、発見された土器の数が増え、年代測定技術が向上するにつれて、まずある一つのタイプの無文土器が朝鮮半島にあり、そこから時間の経過とともに様々なタイプの無文土器が生まれたのだという説明に疑問が呈されるようになってきました(Kim 2008、Hwang 2014、2015)。無文土器時代の最も早い段階に、ある一つのタイプの無文土器ではなく、複数のタイプの無文土器があったのではないかというわけです。

Kim氏が注意しているように、古代人の移動は過度に単純に考えられてしまうことがよくあります(Kim 2008)。Kim氏は現代のアメリカの韓国系移民社会を例に挙げながら説明していますが、筆者は非常に適切な説明だと思います。Kim氏は、現代のアメリカに韓国系移民社会ができたのは、家族レベルの移動が蓄積した結果であると述べています。韓国を出たいと思わせるような大きな要因あるいはアメリカに住みたいと思わせるような大きな要因があったとしても、移動の決定は家族レベルで下されていると述べています。

Kim氏は、朝鮮半島にイネの栽培を導入した農耕民はどこから来たのだろうと考えています。そして、朝鮮半島にイネの栽培を導入した農耕民は一様ではなかったのではないかと感じ始めています(イネだけでなく、コムギとオオムギも朝鮮半島に現れます(Robbeets 2021))。しかし、一様でない農耕民が同じぐらいの時期(紀元前1500年頃~)に一斉に行動を起こすのには、大きな理由が要ります。農耕民はどこか(ある広い地域)から来た、そしてそのどこか(ある広い地域)では、去ろうと思わせるような大きな現象または出来事が起きていた・・・。Kim氏の考えはここまで来ています。

ここから先は、筆者の考えを述べることにしましょう。

いったん話を言語学に移し、再び考古学に戻ることにします。

日本語の起源を解明するうえでの山場を迎えます。

 

参考文献

英語

Ahn S. et al. 2015. Sedentism, settlements, and radiocarbon dates of Neolithic Korea. Asian Perspectives 54(1): 113-143.

Kim J. 2003. Land-use conflict and the rate of the transition to agricultural economy: A comparative study of southern Scandinavia and central-western Korea. Journal of Archaeological Method and Theory 10(3): 277-323.

Kim J. 2006. Resource patch sharing among forages: Lack of territoriality or strategic choice? In Grier C. et al., eds., Beyond affluent foragers: Rethinking hunter-gatherer complexity, Oxbow Books, 168-190.

Robbeets M. et al. 2021. Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages. Nature 599(7886): 616-621.

その他の言語

Ahn J. 2000. 韓國 農耕社會의 成立. 한국고고학보 43: 41-66.(朝鮮語)

Hwang J. 2014. 중서부지역 무문토기시대 전기의 시간성 재고: 14C연대 분석을 중심으로. 한국고고학보 92: 36-79.(朝鮮語)

Hwang J. 2015. 청동기시대 전기 편년 연구 검토: 형식 편년과 유형론, 그리고 방사성탄소연대. 고고학 14(1): 69-98.(朝鮮語)

Kim J. 2002. 남한지역 후기신석기-전기청동기 전환: 자료의 재검토를 통한 가설의 제시. 한국고고학보 48: 93-133.(朝鮮語)

Kim J. 2008. 무문토기시대 조기설정론 재고. 한국고고학보 69: 94-115.(朝鮮語)