「背(せ)」の語源

日本語のse(背)の語源とsiri(尻)の語源はいっしょに考えます。

フィンランド語では「背」のことをselkäセルカと言い、この語はエストニア語selg(背)、サーミ語čielgi(背)チエルギ、マリ語ʃələʒ(腰)シュルジュなどと同源です。一見すると、フィンランド語のselkä(背)は日本語のse(背)と合いそうですが、実はそうはいきません。これにはいくつか理由があります。

上肢に関する語彙のところで、te(手)だけがCVという一音節で異彩を放っていましたが、この胴体に関する語彙のところでも、se(背)がmune(胸)、hara(腹)、wata(腸)、kosi(腰)、siri(尻)と違ってCVという一音節で異彩を放っています。現代のウラル語族の各言語を比較して推定される昔のもとの言語(ウラル祖語)は、基本的にCVという一音節の語を使う言語ではないのです。この点でse(背)はいまひとつ合いません。

また、somuku(そむく)という語があることから、se(背)の古形は*soで、もともと「背中」というよりは「うしろ」を意味していたと考えられます。

そしてさらに問題なのは、日本語にエ列の音がない時代があったと考えられることです。まずは、奈良時代の日本語の音韻組織を示した以下の表を見てください。

※音韻とは、要するに音のことです。言語学では、「ある言語が持つ音および音の区別」を問題にしたい場合と、「個々の人間が個々の場面・局面で発する音」を問題にしたい場合があります。「ありがとうございます」と10回言えば、その10個の「ありがとうございます」は音として少しずつ違いますが、そのような違いを問題にしない場合と、問題にする場合があるということです。「ある言語が持つ音および音の区別」を問題にしたい場合に特に「音韻」という用語を用い、「個々の人間が個々の場面・局面で発する音」を問題にしたい場合に特に「音声」という用語を用いることがあります。

奈良時代の日本語の音韻組織は、私たちがよく知っている現代の日本語のあいうえお表と少し違っています。見ての通り、イ列、エ列、オ列がところどころ二つに分かれています。微妙に異なる二つの音があったのです。奈良時代の日本語の音韻組織は、ある体系から別の体系に移る過渡期にあるような不安定な姿をしています。

奈良時代の日本語にはこのように、ところどころ二つに分かれたエ列(e、ke甲類、ke乙類、se、・・・、we)が存在したのですが、当時の日本語の単語を一つ一つ調べると、ア列、イ列、ウ列、オ列の音に比べて、エ列の音が明らかに少なく、特に語頭で少ないのです。このことから、国語学者の大野晋氏は、奈良時代の日本語のエ列はもともとiaおよびaiという母音連続が変化してできたのだと主張しました(大野1978、p.194~198)。筆者も大野氏と大体同じような考えです。日本語にはかつて、aとiは存在するが、エ列は存在しない時代があったと思われます。そうすると、ウラル語族のeに日本語のeは対応しえなくなります。

以上の理由から、フィンランド語のselkä(背)と日本語のse(背)は対応しえないのです。筆者は、「手」を意味するte(古形*ta)と「うしろ」を意味するse(古形*so)がどこから来たのか考えました。ここで、日本の周辺地域の言語にもう一度目をやります。すると、意外な関係が浮かび上がってきます。以下の表は、日本の周辺地域の言語で「手」と「うしろ」のことをなんと言っているか示したものです。よく見てください。

※言語ごとに文法・語法が著しく異なるので比較は容易ではありませんが、「be behind」(うしろにいる)や「look behind」(うしろを見る)のような表現で使われる語を抽出しました。

日本語のte(手)とse(背)は、ベトナム系の言語から入った外来語なのです。tayとsauは、そのままではCVまたはCVCVという形を固く守る昔の日本語に取り込めないので、*taと*soになったのです。日本語の「行かう」が「行こう」あるいは「行こー」になったことを考えれば、sauが*soになるのは理解できるでしょう。

上肢に関する語彙→胴体に関する語彙→下肢に関する語彙という順番で調べていますが、実は日本語の上肢・胴体・下肢に関する語彙は概ね、「ウラル語族との共通語彙」と「ベトナム系言語との共通語彙」でできています(ベトナム語とその類縁言語から成る言語群は、言語学ではオーストロアジア語族と呼ばれますが、多くの方にとってなじみのない名称だと思われるので、本ブログでは基本的に「ベトナム系の言語」と言うことにします。ベトナム系の言語は、ベトナム周辺からインド内部にかけて点々と分布しています)。

これからどんどん明らかにしていきますが、日本語は実は、北方の言語のうちの特にウラル語族、そして南方の言語のうちの特にベトナム系言語と関係がある言語だったのです。今では、ウラル語族の言語も、ベトナム系の言語も、日本から遠く離れたところに分布しています。そのため、これらの言語は、日本語の系統問題を論じる際にあまり注目されてきませんでした。ウラル語族は、朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語の陰に隠れ、ベトナム系言語は、オーストロネシア語族(台湾、フィリピン、インドネシア、マレーシア、オセアニアなどの言語から成る言語群)の陰に隠れていたのです。もちろん筆者も、日本語がウラル語族の言語と関係していることを知った時には驚き、日本語がベトナム系の言語と関係していることを知った時にも驚きました。

中国の東海岸寄りは、北京があり、上海があり、中国の心臓部といえる地域です。しかし、この地域が中国語一色に染まったのは、人類の歴史の中で比較的最近のことなのです。かつてここでは様々な言語が話され、北方の遼河文明の言語と南方の長江文明の言語が接していた時もあったのです。ウラル語族の言語は遼河文明の言語の末裔、ベトナム系の言語は長江文明の言語の末裔と見られます。

※上の記述は、日本語が朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語と全く無関係、あるいはオーストロネシア語族と全く無関係であると主張しているわけではありません。遼河文明が始まるよりもっと前の時代までさかのぼれば、「日本語、ウラル語族」と「朝鮮語、ツングース諸語、モンゴル諸語、テュルク諸語」の間に系統関係が認められる可能性があります。また、長江文明が始まるよりもっと前の時代までさかのぼれば、「ベトナム系言語」と「オーストロネシア語族」の間に系統関係が認められる可能性があります。系統関係以外の関係も考える必要があります。これらの問題も、いずれ大きく取り上げます。

 

参考文献

大野晋、「日本語の文法を考える」、岩波書店、1978年。