なぜ後ろに移動することを「下がる」と言うのか、「驚く」と「びっくりする」の意外な語源

「白線の内側にお下がりください」という駅のホームのアナウンスがありましたが、なぜうしろに移動することを「下がる」と言うのか、筆者にとって大きな謎でした。

sagaru(下がる)は下への移動とうしろへの移動の両方を表すわけですが、筆者はこれがsagaru(下がる)という語に独特の現象だと思っていました。しかし、実はそうではないことが明らかになってきました。

前に奈良時代の日本語のotu(落つ)、otosu(落とす)、otoru(劣る)、otoroɸu(衰ふ)という語を取り上げました。これらの語には、「下」という意味が感じられます、では、以下の語はどうでしょうか。以下の語は、「下」という意味が感じられないにもかかわらず、語形が大変よく似ています。

odu(怖づ)
odosu(脅す)
odoroku(驚く)

※現代の日本語のodoru(踊る、躍る)は、奈良時代にはwodoruであり、ここには並べられません。

なぜ「下」に関係がないのに、こんなに語形が似ているのでしょうか。odu(怖づ)は怖がることを意味する自動詞、odosu(脅す)は怖がらせることを意味する他動詞です。odu(怖づ)は、現代の日本語にoziru(怖じる)という形で残っていますが、廃れ気味です。odu(怖づ)からは、oduoduを経て、ozuozu(おずおず)とodoodo(おどおど)も生まれました。

勘のよい方は気づくかもしれません。odu(怖づ)、odosu(脅す)、odoroku(驚く)は「下」には関係がないけれども、「うしろ」には関係があるのではないかと。これは一体どういうことでしょうか。

まずは、ɸekomu(へこむ)という語から考察を始めましょう。

下を意味する*pekoという語があったと考えられます。これは、頭を下げることを表すpekoʔ(ぺこっ)、pekori(ぺこり)、pekopeko(ぺこぺこ)からも窺えます。頭を下げる時のpekopeko(ぺこぺこ)だけでなく、おなかが空いた時のpekopeko(ぺこぺこ)の語源も、ここにあります。下を意味していた語が穴を意味するようになり、穴を意味していた語がからっぽであることを意味するようになるパターンです(「口(くち)」の語源の記事でお話ししたutu(空)とkara(空)と同じパターンです)。

このように、現代の日本語のhekomu(へこむ)は下を意味する*pekoから来たと考えられますが、hekomu(へこむ)は下方向でなくても使われています。床を見て「床がへこんでいる」と言うだけでなく、壁を見て「壁がへこんでいる」と言うこともできます。同じことは、kubo(窪)から作られたkubomu(くぼむ)にも言えます。下方向への動きを意味していた語が、下方向以外への動きを意味するようになるというのが、重要なポイントです。以下の写真を見てください(写真は大河内工務店様のウェブサイトより引用)。

写真は、床面ではなく、壁面です。へこんだ部分が設けられて、小物が置けるようになっています。下方向への動きを意味していた語が、下方向以外への動きを意味するようになると、「引っ込む、後退する、遠ざかる」のような語が生まれてきそうではないでしょうか。

奈良時代の日本語には、taka(高)の反対として、ɸiki(低)という語がありました。ɸiki(低)からɸikisi(低し)が作られ、ɸikisi(低し)がɸikusi(低し)に変化しました。

下を意味するpik-のような語(先ほどの*pekoと無関係でないでしょう)があり、ここからɸiki(低)とɸiku(引く)が生まれたと見られます。ɸiku(引く)は、奈良時代の時点ですでに他動詞として定着していましたが、その前に自動詞として働いていたのではないかと思われます。「潮が引く」などの表現はかつてのなごりでしょう。

oku(置く)とɸiku(引く)には、少し似たところがあります。oku(置く)は、すでに述べましたが、奈良時代の「雪置く」(雪が降るという意味)や「霜置く」(霜が降りるという意味)のような表現から窺えるように、最初は自動詞で、そこから他動詞に変化していったと見られる語です。ɸiku(引く)も、最初は自動詞で、そこから他動詞に変化していったと見られます。違うのは、oku(置く)にはもとの「下」という意味が残っているが、ɸiku(引く)にはもとの「下」という意味は残っておらず、代わりに「うしろ」という意味が残っている点です。ɸiku(引く)と同源で、もっと抽象的になったのが、ɸikaɸu(控ふ)です(現代では、ɸikaɸu(控ふ)はhikaeru(控える)になっています)。

下方向への動きを意味していた語が、下方向以外への動き、特にうしろへの動きを意味するようになるとわかったところで、冒頭のsagaru(下がる)に戻りましょう。sagaru(下がる)という語から、下を意味する*sakaという語があったと考えられます。この*sakaから、下方向への動きまたはうしろへの動きを意味する語として生まれたのが、sagaru(下がる)、sagu(下ぐ)、sakaru(離る)、saku(離く)です(現代では、sagu(下ぐ)はsageru(下げる)になり、saku(離く)はsakeru(避ける)になっています。sakeru(避ける)は、対象物を離すというより、自分が離れるという意味が強くなっています)。

なぜsagaru(下がる)は下への移動とうしろへの移動を意味するのかという筆者の疑問の答えは、ここにあったのです。

otu(落つ)、otosu(落とす)、otoru(劣る)、otoroɸu(衰ふ)にはもとの「下」という意味が残り、odu(怖づ)、odosu(脅す)、odoroku(驚く)には代わりに「うしろ」という意味が残っていると考えられます。身を引くことを意味していた語が、怖がることや驚くことを意味するようになったということです。

同じように、ɸiku(引く)からbikuʔ(びくっ)、bikkuri(びっくり)、bikubiku(びくびく)が生まれたのでしょう。

otu(落つ)、otosu(落とす)、otoru(劣る)、otoroɸu(衰ふ)と、odu(怖づ)、odosu(脅す)、odoroku(驚く)から、ot-/od-という形が窺えますが、os-/oz-という形もあったのではないかと思われます。ot-、od-、oz-、os-のようなバリエーションがあったのではないかということです。

日本語の歴史において、あるいは日本語とその周辺言語の歴史において、t、d、z、sのバリエーションが生じることは多かったようです。例えば、ɸata(端)とɸasi(端)、ɸidi(肘)とɸiza(膝)、ɸutagu(塞ぐ)とɸusagu(塞ぐ)のように、同源でありながら少し違う形ができるわけです(ɸidi(肘)とɸiza(膝)の語源については、結局のところ「膝(ひざ)」と「肘(ひじ)」の語源は同じだった(改訂版)を参照)。

奈良時代の日本語のosu(押す)、osaɸu(押さふ、抑ふ)、osoɸu(襲ふ)は、特に上から力を加える場面で使われていました。「上から力を加える」というのは、つまり「下方向へ力を加える」ということです。osoɸu(襲ふ)は、osu(押す)とosaɸu(押さふ、抑ふ)に似た使い方をされていましたが、そこから現代のような襲撃という意味が生じてきました。下を意味するot-のような語と並んで、下を意味するos-のような語があったと考えられます。

上で説明したように、odu(怖づ)は、もとの「下」という意味が消えて、代わりに「うしろ」という意味が残りましたが、同じように、osoru(恐る)も、もとの「下」という意味が消えて、代わりに「うしろ」という意味が残ったのかもしれません。

最後に、下を意味するot-のような語の異形と考えられる、下を意味するut-のような語にも触れておきましょう。このut-のような語からも様々な語が生まれましたが、もとの下という意味が残っている語もあれば、もとの下という意味が消えてしまった語もあります。

例えば、utumuku(うつむく)には、下という意味がはっきり残っています。しかし、utosi(疎し)では、下という意味が完全に消えています。utosi(疎し)は、なにかが遠くにあること、そして親しみがないことを意味する語です。この語は、下を意味していたut-のような語が遠くを意味するようになって生まれたと考えられる語です。下を意味していた語が後方・遠方を意味するようになるのは、上の写真で説明した通りです。utosi(疎し)と同源の語として、utomu(疎む)とutomasi(疎まし)がありますが、utomu(疎む)は嫌で遠ざけること、utomasi(疎まし)は嫌で遠ざけたいことを意味しています。

「口(くち)」の語源の記事で、下を意味するut-のような語が、下→穴→口と意味変化し、uta(歌)という語が生まれたことをお話ししましたが、上で指摘したt、d、z、sのバリエーションを考えれば、uso(嘘)も同源でしょう。世界の言語を見渡しても、嘘を意味する語はやはり口に関係しています。utu(空)と同様に穴を意味していたであろうusu(臼)もつながりがあるかもしれません(写真は小柳産業様のウェブサイトより引用)。

筆者は、sagaru(下がる)は下への移動とうしろへの移動を意味する非常に特殊な語であると考えていましたが、そうではなく、sagaru(下がる)はよく起きる意味変化をよく表している語だったのです。

次回の記事では、sita(下)と関係がないように見えながら、実は関係があるsita(舌)の話をします。