ウラル山脈の周辺で話される怪しい言語

大きく間が空いてしまいましたが、この記事はとても古い東西のつながり、ユーラシア大陸の北方でなにがあったのかの続きです。

本ブログで着々と示しているように、ウラル語族の言語は東アジアの遼河流域からやって来たと考えられる言語です。ウラル語族というのはウラル山脈にちなんで付けられた名称ですが、実はウラル語族の言語の中で特にウラル山脈の周辺で話されている言語(コミ語、ウドムルト語、マンシ語、ハンティ語)はウラル語族らしくないところがかなりあります。コミ語、ウドムルト語、マンシ語、ハンティ語に、近くで話されているインド・ヨーロッパ語族の言語とテュルク系の言語から語彙が入ってくるのはわかります。しかし、コミ語、ウドムルト語、マンシ語、ハンティ語には、インド・ヨーロッパ語族のものともテュルク系言語のものとも思えない謎の語彙もかなり入っているのです。

例えば、前に示しましたが、足・脚を意味するコミ語kok、ウドムルト語kuk、マンシ語lāɣilラーギル、ハンティ語kurという語があります。いずれもウラル語族では非標準的な語です。ここでは、前の二語に注目しましょう。足・脚を意味するコミ語kokとウドムルト語kukはウラル語族の標準的な語彙ではありませんが、ウラル語族の近くで話されていた言語群にそのような語があったと考えることはできます。フィンランド語kulkea(進む)(語幹kulk-)、サーミ語golgat(流れる)(語幹golg-)、ハンガリー語halad(進む)(ハンガリー語は過去にk→hという発音変化を起こしており、さらに、ハンガリー語では-adを付加して動詞を作ることがよくありました)などの語があるからです。ウラル語族の近くに、足・脚のことを「kalk、kulk、kolk」のように言う言語群があったと考えられます。

足・脚のことを「kalk、kulk、kolk」のように言う言語群の存在は、インド・ヨーロッパ語族のほうからも窺えます。前にラテン語のcalx(かかと)カルクス、calceus(靴)カルケウス、calcare(踏む)カルカーレ、calcitrare(蹴る)カルキトゥラーレという語を挙げました。ラテン語にはpes(足、脚)という語があったので、calxは「足、脚」を意味することができず、「かかと」を意味したのでしょう。ゲルマン系の英語calf(ふくらはぎ)、スラヴ系のセルビア語kuk(尻)、スロベニア語kolk(尻)、バルト系のリトアニア語kulšis(尻)クルシスのような語もあります(セルビア語kuk、スロベニア語kolk、リトアニア語kulšisは「もも」を意味していた語が「尻」を意味するようになったと見られます。ヒッタイト語ker(心臓)や古代ギリシャ語kardia(心臓)にリトアニア語širdis(心臓)シルディスが対応しているように、リトアニア語では一定の条件のもとでkがšになっています)。いずれの語も、「足、脚」を意味することができず、意味を少しずらされた感じになっているのが特徴的です。

インド・ヨーロッパ語族のラテン語calx(かかと)、英語calf(ふくらはぎ)の類はもともとインド・ヨーロッパ語族にあったものでしょうか。筆者は違うと思います。ウラル語族のフィンランド語kulkea(進む)やハンガリー語halad(進む)を思い出してください。「かかと」を意味する語から「進む」という動詞が作られるでしょうか。「ふくらはぎ」を意味する語から「進む」という動詞が作られるでしょうか。違うでしょう。足・脚のことを「kalk、kulk、kolk」のように言う言語群があって、それらがインド・ヨーロッパ語族ではラテン語calx(かかと)、英語calf(ふくらはぎ)のようになり、ウラル語族ではフィンランド語kulkea(進む)、ハンガリー語halad(進む)のようになったのでしょう。

足・脚のことを「kalk、kulk、kolk」のように言う言語群とは一体どんな言語群だったのだろうと考えながら、筆者は目をヨーロッパからアジアに移しました。そこで最初に目に留まったのが、意外なことに古代中国語のkjak(腳)キアクでした(「腳」は現在では「脚」と書かれています)。少し混乱しながら、黄河文明の言語が大きく西に伸びていたのかと一瞬考えました。遼河文明の言語は北欧・東欧まで達したし、長江文明の言語はインドまで達したからです(ベトナム語が属するオーストロアジア語族の言語はインドでも少数民族によって話されています)。しかし、このように説明するのは無理があります。そもそも、古代中国語のkjak(腳)はシナ・チベット語族の標準的な語彙ではないからです。

前に「尻(しり)」の語源の記事で、ウラル語族のフィンランド語selkä(背)セルカなどの祖形である*sjelkV(sjeの発音はスィエに近いです)と、古代中国語で背骨を意味したtsjek(脊)ツィエクを取り上げたことがありました。ウラル語族の*sjelkVと古代中国語のtsjekを比べると、古代中国語のほうで子音lが欠けています。tsjek(脊)の古形が*tsjelkツィエルクのような形をしていた可能性は十分にあります。

同じように、kjak(腳)の古形が*kjalkキアルクのような形をしていた可能性は十分にあります。古代中国語のkjak(腳)は足・脚のことを「kalk、kulk、kolk」のように言っていた言語群から来たのかもしれないということです。ちなみに、モンゴル語にxөl(足、脚)フル(古形はkölコル)という語があり、エヴェンキ語にxalgan(足、脚)ハルガンという語があります。ヨーロッパ方面と異なり、古代中国語kjak(腳)、モンゴル語xөl(足、脚)、エヴェンキ語xalgan(足、脚)はもろに足・脚を意味しています。筆者はどうやら非常に大きな問題に足を踏み入れたようだという感触を得ました。