アメリカ大陸のインディアンとは誰なのか?

かつて北ユーラシアを支配し、インド・ヨーロッパ語族、ウラル語族、そして東アジアの諸言語に大きな影響を与えた巨大な言語群は、意外かもしれませんが、アメリカ大陸のインディアンと深い関係があるようです。

アメリカ大陸のインディアンの言語事情は複雑です。インディアンの諸言語は、互いの隔たりが非常に大きく、分類するのがなかなか困難です。インディアンの諸言語の中で名前が最もよく知られているのは、北米ではナバホ語、南米ではケチュア語あたりでしょうか。ちなみに、ナバホ語では水のことをtóと言い、ケチュア語では水のことをyakuヤクと言います。

本ブログの最初のほうで説明したように、筆者の言語の歴史の研究は、日本語とウラル語族の言語に共通語彙が見られることを不思議に思ったところから始まりました。その後、日本語には、ウラル語族との共通語彙のほかに、シナ・チベット語族、ベトナム系言語、タイ系言語から取り入れた語彙があること、そしてさらに、インド・ヨーロッパ語族、テュルク系言語、モンゴル系言語から取り入れた語彙があることが明らかになりました。日本語の複雑な歴史、インド・ヨーロッパ語族はこんなに近くまで来ていたの記事で、そのような構図を示しました。同記事で示した図は、春秋戦国時代に入る少し前の中国東海岸地域を念頭に置いています。しかしながら、研究を進める中で、上に列挙した言語群だけでは日本語の語彙を説明しきれないということも感じていました。今だから言えることですが、日本語の起源や歴史というのは、日本と近隣地域の言語だけを見て解き明かせる問題ではなかったのです。

筆者にとって大変気になったのは、出所不明の語彙がヨーロッパ方面から東アジア方面まで大きく広がっていることでした。すでに示したウラル語族のフィンランド語joki(川)ヨキ、ハンガリー語jó(川)ヨー、マンシ語jā(川)ヤー、ハンティ語joxan(川)ヨハンやフィンランド語jää(氷)ヤー、ハンガリー語jég(氷)イェーグ、マンシ語jāŋk(氷)ヤーンク、ハンティ語jeŋk(氷)イェンクなどは典型的な例です。ここに、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語ekuzi(飲む)、トカラ語yoktsi(飲む)や、古代中国語のyek(液)イエク、yowk(浴)イオウクなどを並べれば、明らかに「水」の存在が感じられます。水を意味するjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語があったのではないかと考えたくなるところです。しかし、インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語watar(水)、トカラ語war(水)も、ウラル語族のフィンランド語vesi(水)、ハンガリー語víz(水)ヴィーズも、古代中国語のsywij(水)シウイも、全く別物です。こうなると、水を意味するjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語は違う言語群に存在し、その違う言語群がインド・ヨーロッパ語族、ウラル語族、古代中国語に語彙を提供したと考えないと、つじつまが合いません。インド・ヨーロッパ語族のラテン語aqua(水)やウラル語族のハンティ語jiŋk(水)インクは、北ユーラシアに水を意味するjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語が存在したことを裏づけています。ただし、気をつけなければならないのは、ラテン語aqua(水)はインド・ヨーロッパ語族では非標準的な語であり、ハンティ語jiŋk(水)もウラル語族では非標準的な語であるということです。水を意味するjak-、jik-、juk-、jek-、jok-のような語はインド・ヨーロッパ語族とウラル語族の外に存在していたのです。

このような例をいくつも見るうちに、筆者は、かつて北ユーラシアに広がっていた巨大な言語群の存在を意識するようになりました。どうしてそこから筆者の目がアメリカ大陸のインディアンのほうに向いたのかということですが、これは近年の考古学や生物学のめざましい発展・成果によるところが大です。筆者は普段から、考古学や生物学の研究に注意を払っています。言語だけ調べて遠い過去の歴史を明らかにできるとは思っていないからです。

DNAを調べたりする分子人類学などの動向を追っている方は、北ユーラシアとインディアンの間につながりがあることをご存知かもしれません。しかし、大半の方は、北ユーラシアとインディアンと言われてもピンとこないかと思います。アメリカ大陸のインディアンは、東アジア・東南アジアの人々とどこか似ていて、どこか違う感じがする、謎めいた存在でもあります。そのため、まずはアメリカ大陸のインディアンがどのような歴史を持っている人たちなのか、考古学と生物学によって明らかになってきたことを簡単に紹介することにします。その後で、インディアンの言語の話に入ります。

先ほど示したケチュア語のyaku(水)は、なんとも印象的です。北ユーラシアに関係のある語でしょうか。それとも偶然の一致・類似でしょうか。