「魂(たましい)」の語源、古代人の精霊信仰・アニミズム

古代中国語からseisin(精神)という言葉が取り入れられ、kokoro(心)と同じようによく使われています。日本人の普通の感覚では、「精神」は完全に一語であり、その内部構造を考えることはまずないと思いますが、なぜここに「神」が出てくるのかということは考える必要があります。人類の言語の歴史を遠く遡る際には、現代とは違う時代を生きた古代人の感覚や考えを理解することが必須になってきます。

現代の日本語にkarada(体)、nikutai(肉体)という語がありますが、これらと対になるような語を思い浮かべてください。どのような語が思い浮かぶでしょうか。kokoro(心)、seisin(精神)、tamasii(魂)、reikon(霊魂)、rei(霊)などの語が思い浮かぶでしょう。これらの語は、karada(体)/nikutai(肉体)と対になるという点で、ゆるやかではありますが、意味的なまとまりを感じさせます。

このkokoro(心)、seisin(精神)、tamasii(魂)、reikon(霊魂)、rei(霊)という一群の横に、kami(神)を並べるとどうでしょうか。現代人なら、kami(神)は異質だと思うのではないでしょうか。しかし、古代人には古代人の見方がありました。古代人は、人の体があって、そこになにか(霊)が宿っている、山があって、そこになにか(霊)が宿っている、海があって、そこになにか(霊)が宿っている、そういう見方をしていたのです。この人の体およびその他のすべてのものになにか(霊)が宿っているとする信仰は、精霊信仰あるいはアニミズムと呼ばれ、人類の歴史に普遍的に認められます。

古代中国語のleng(靈)レンも、tsjeng(精)ツィエンも、hwon(魂)フオンも、zyin(神)ジンも、そのように宿るなにかを意味する類義語だったのです。精+靈→精靈、精+魂→精魂、精+神→精神のように似た語をくっつけて新しい語を作るのは、中国語のお得意のパターンです。

上にkokoro(心)、seisin(精神)、tamasii(魂)、reikon(霊魂)、rei(霊)、kami(神)という語を並べましたが、このような意味領域に属する語は、当然ベトナム語にもいくつかあります。実は、ここに興味深い語があるのです。tâmタム、tríチー、そして tâm trí タムチーです。tâmは心を意味し、tríは精神、思考を行う部分、知性、知能などを意味します。両者が組み合わさったのが tâm trí です。

なぜベトナム語のtâmタム、tríチー、 tâm trí タムチーが興味深いかというと、奈良時代の日本語のtama、ti、tamasiɸiによく一致するからです。奈良時代の日本語のtamaとtiについて、三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)は以下のように述べています。先ほど言及した精霊信仰・アニミズムのことを頭に入れながら読んでください。

「古代日本人を支配した超自然的霊格におおよそチ・タマ・カミの三種があり、チの観念が最も古く発生し、タマはこれに次ぎ、カミが最も新しいという。万葉では、その中、チはほとんど痕跡を止めず、タマもその観念をカミに吸収され、ひとりカミと呼ばれる霊格が、宗教的崇拝ならびに祭儀実修の対象のほとんどであった。」

「霊」と書き表されたtiは現代の日本人に全然なじみがありませんが、tamaはhitodama(人魂)などの形で残っています。現代の日本語のtamasiiは「魂」と書かれますが、奈良時代の日本語のtamasiɸiは「魂」と書かれるだけでなく、「心」と書かれたり、「精神」と書かれたり、「識性」と書かれたりもしました。

上に挙げたベトナム語のtâm、trí、 tâm trí と日本語のtama、ti、tamasiɸiを比べると、発音がよく一致していますが、tamasiɸiに含まれているɸが気になるところです。このɸは挿入されたものと考えられます。tamasiiと母音が連続するのを嫌って、ɸを挿入したということです(pを挿入して、それがɸに変化した可能性もあります)。

例えば、奈良時代の日本語のtiɸisasi(小さし)も同様です。「細かいこと」を意味した古代中国語の tsi sej (子細、仔細)ツィーセイまたはこれに近い形を取り込む時に、tiisa-とせずにtiɸisa-としたと見られます(pを挿入して、それがɸに変化した可能性もあります)。

このようなことを考慮に入れると、ベトナム語のtâm、trí、 tâm trí と日本語のtama、ti、tamasiɸiはやはりよく一致します。ベトナム語のtríのような語を取り込む時に、日本語に全く同じ子音がなく、tを用いたり、sを用いたりしていたと思われます。

ちなみに、ベトナム語のtríチーは古代中国語のtrje(智)ティエおよびtrje(知)ティエと関係があるとされている語です。これらと日本語のsiru(知る)は関係があるのかということも問題になりますが、筆者はその可能性は微妙だと考えています。古代中国語にはtrje(知)の類義語としてsik(識)という語があり、この語はsiki、syoku、siという音読みで日本語に取り入れられました。日本語のsiru(知る)は古代中国語のsik(識)から来ている可能性のほうが高いように思います。古代中国語のak(惡)をaにし、これにsiを付けてasi(悪し)という形容詞を作ったのと同じように、古代中国語のsik(識)をsiにし、これにruを付けてsiru(知る)という動詞を作ったのではないかということです。

古代中国語とベトナム系言語と日本語の間はなかなか複雑で、「古代中国語→ベトナム系言語→日本語」という語の流れも考える必要がありそうです。

それでは、棚上げしていたtanosi(楽し)の語源の考察に入りましょう。

 

補説

tama(魂)とtama(玉)

「霊」という漢字は、昔の中国では「靈」と書かれていました。「靈」の異体字として、以下の漢字も見つかっています。

どうやら、古代人の世界では、霊と玉の間になんらかの結びつきがあったようです。霊が玉に依りつくようにしていたのかもしれません。三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)では、奈良時代の日本語のtama(魂)とtama(玉)は同源であろうと推測していますが、正しそうです。東アジアの一部に限られた話かもしれません。

 

参考文献

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。

「面白い(おもしろい)」の怪しい語源説明

日本語のomosiroi(おもしろい)は、「面白い」と書かれます。この背後には、omosiroiのomoはomo(面)であるという見方があります。しかし、これはいささか怪しい見方です。

前回の記事の中で、テュルク系言語のトルコ語のyürek(心)ユレクのような語からyorokobu(喜ぶ)が作られたり、昔の日本語で心を意味していたuraからurayamu(羨む)、uramu(恨む)、uresi(うれし)が作られたりしたようだとお話ししました。日本語はこのような傾向が特に顕著です。他の言語で心を意味していた語や昔の日本語で心をしていた語から様々な語が作られているのです。

古代中国語のsim(心)はどうでしょうか。この語はある時代にsinという音読みで日本語に取り入れられましたが、この子音で終わる形はそれ以前の日本語では不可能です。ここで気になるのが、奈良時代の日本語のomoɸu(思ふ)とsinoɸu(思ふ)です。現代では、omoɸuはomouになり、sinoɸuはsinobuになって「偲ぶ」と書かれています。奈良時代の日本語のomoɸu(思ふ)は、現代のomou(思う)と同じように最重要語の一つで、sinoɸu(思ふ)は、遠く離れた人や物事に思いをはせることを意味していました。漢字を見ても明らかですが、omoɸu(思ふ)とsinoɸu(思ふ)は心と密接に関係している語です。心を意味していた語からomoɸu(思ふ)とsinoɸu(思ふ)という語が作られた可能性も十分にあるわけです。

yorokobu(喜ぶ)はテュルク系言語のトルコ語のyürek(心)ユレクのような語から来ているらしい、uresi(うれし)は昔の日本語で心を意味していたuraから来ているらしいと知った筆者は、omosirosi(おもしろし)やtanosi(楽し)もひょっとして心を意味していた語から来ているのではないかと考えるようになりました。tanosi(楽し)はひとまず置いておき、omosirosi(おもしろし)について考えましょう。

omosirosi(おもしろし)はomoとsirosiからできており、sirosiの部分が明るいことを意味していると考える点では、筆者も従来の説(例えば、岩波古語辞典(大野1990)、ベネッセ古語辞典(井上1997)など)と同じです。問題は、omoの部分です。筆者は、従来の説と違って、omoの部分が心を意味し、sirosiの部分が明るいことを意味している可能性もあると考えています。

インド・ヨーロッパ語族から*muna(胸)などの語がまだ入ってきていない、テュルク系言語からkokoro(心)という語がまだ入ってきていない(「胸(むね)」の語源「心(こころ)」の語源を参照)、古代中国語からsinzau(心臓)という語がまだ入ってきていない遠い昔の日本語にも、なにかしらこれらに似た意味を持つ語があったはずです。その有力候補が*omoです。*omoが中心、心臓、心を意味していたと考えると、つじつまが合います。新しい語彙が次々に入ってきましたが、この*omoは消えていません。中心部分、主要部分、重要部分を表すomona(主な)や、思考を表すomou(思う)として残っているのです。少し意味的な隔たりはありますが、omoi(重い)も同源でしょう。

omosirosi(おもしろし)は心が明るいこと、晴れやかなこと、晴れ晴れとしていることを意味していたと思われます。昔の日本語で心を意味していた*omoはomoɸu(思ふ)になり、古代中国語の「心」はsinɸuになれないので、sinoɸu(思ふ)になったと見られます(奈良時代にはsinuɸu(思ふ)という形もありました)。

日本語の精神、思考、感情に関する語彙も様々なところから来ています。次は、古代中国語の「心」に対応するベトナム語のtâmタムに目を向けます。

 

補説

英語のinterestingの語源

日本語のomosiroi(おもしろい)の訳語としてよく使われる英語のinterestingの語源にも触れておきます。

英語のinterestingは、「興味を引く」という意味を持つinterestという動詞のing形です。このinterestという動詞は、ラテン語のinteresseという動詞から来ています。

ラテン語のinteresseのinterの部分は「間、中」を意味し、esseの部分は「あること」を意味しています。interesseの原義は、「中にあること」であったと考えられます(この中というのが、真ん中、中心あるいは心であることもあったかもしれません)。古代ローマの時点ではすでに、「重要である、重要な関心事である、関心事である」という意味になっていました。

英語のinterestingは、「重要である、重要な関心事である、関心事である」→「興味を引く、興味深い、おもしろい」という若干の意味のずれを経て、現在に至っています。

 

参考文献

井上宗雄ほか、「ベネッセ古語辞典」、ベネッセコーポレーション、1997年。

大野晋ほか、「岩波 古語辞典  補訂版」、岩波書店、1990年。

「心(こころ)」の語源

「心」の語源とともに、「喜ぶ」と「うれしい」の語源も明らかにします。

現代の日本語には、sinzō(心臓)、kokoro(心)、mune(胸)という語があります。心臓は、胴体の中央あたりに位置し(左側にあるという言われ方をすることがありますが、ほんの少し左に寄っていると言ったほうが適切です)、ポンプのように全身に血液を送り出している器官です。そのような機能を持つ器官として認識され、この器官になんらかの名前が付けられただけであれば話は単純ですが、話はここで終わりません。

人々は古くから、人間は考えや思いをどこに抱いているのだろう、ここだろうか、それともここだろうか、いやここだろうかと思案してきました。そして、人間が考えや思いを抱いているのはここだろうと考えられることが多かったのが、胴体の中央あたりにある心臓なのです。

そのため、「胴体の中央あたりに位置し、ポンプのように全身に血液を送り出している器官」に言及する時に使う語、「人間が考え・思いを抱く場所」に言及する時に使う語、「胴体の正面上部」に言及する時に使う語が完全に別々であるとは限りません。

現代のトルコ語には、kalp、yürekユレク、gönülギョヌルという語があります。意味や使い方を考えると、kalpは日本語のsinzō(心臓)に近く、yürekとgönülは日本語のkokoro(心)に近いです。kalpはアラビア語からの外来語なので、ここで注目したいのはyürekとgönülです。トルコ語のyürekとgönülと同源の語は、テュルク諸語全体に広がっています。

表中のアルファベット表記は、各言語の慣習に従っています。言語によって、ñと書いたり、ńと書いたり、ngと書いたりしますが、これらはいずれも子音の[ŋ]を表しています。表に挙げた語は、意味は少しずつ異なりますが、心臓、心、精神、魂、気、気持ち、気分などを意味しています。先に結論を言ってしまうと、左側は日本語のyorokobu(喜ぶ)と同源と考えられる語で、右側は日本語のkokoro(心)と同源と考えられる語です。

現代の日本語では、「人間が考え・思いを抱く場所」を指すのにkokoro(心)という語をよく使いますが、kokoro(心)は他の語と競り合った末に、そのような地位を獲得したようです。kokoro(心)のほかにも、同じような意味を持つ語があったということです。その一つがuraです。

例えば、自分がTシャツを着ているところを考えてみてください。周囲に見せている側と自分の体に触れている側があります。自分の体に触れている側は、中側・内側です。uraは中側・内側を意味していたが、見えない側ということで、裏側を意味するようになったと考えられます。海や湖が陸地に入り込んだところをura(浦)と言っていましたが、このこともuraが中側・内側を意味していたことを裏づけています。uraが人間の内面、すなわち心を意味することがあったから、urayamu(羨む)やuramu(恨む)のような人間の心の状態を表す語が生まれたのです。urayamuのyamuはyamu(病む)です。

筆者は、岩波古語辞典(大野1990)と大体同じ見方で、心を意味したuraからuresi(うれし)も作られたと考えています。日本語の歴史においてyosi(良し)はその異形と考えられるyesiおよびisiという形を見せており(現代の日本語でもyoiが頻繁にiiになっています)、uresi(うれし)は心を意味したuraとyosiまたはその変化形がくっついたものと見られます(岩波古語辞典は ura + isi → uresi という見方です。uraとitasiからuretasi(腹立たしい、いまいましいという意味)が作られていたので説得力があります)。例えば、タイ語のdii(良い)ディーとjai(心)チャイから dii jai (うれしい)が作られたのと同じようなパターンです。ちなみに、上記のisiは前にoが付けられてoisiになり、現代のoisii(おいしい)に至ります。

このように、心を意味する語からよい感情あるいは悪い感情を意味する語が作られることはよくあり、表に挙げたトルコ語のyürek(心)のような語が日本語にyorokobu(喜ぶ)という形で入ったと見られます。中国東海岸の近くで話され、消滅してしまったテュルク系の言語にトルコ語のyürek(心)のような語があり(テュルク系の言語同士でも形が少しずつ異なります)、それが日本語にyorokobu(喜ぶ)という形で入ったということです。日本語の話者が不慣れな音を聞き、自分たちが発音しやすいように単純化した結果がyorokobu(喜ぶ)という形だったのでしょう。

同じようなことは、日本語のkokoro(心)にも言えます。表に挙げたウイグル語のköngül(心)のような語が日本語にkokoro(心)という形で入ったと見られます。中国東海岸の近くで話され、消滅してしまったテュルク系の言語にウイグル語のköngül(心)のような語があり(テュルク系の言語同士でも形が少しずつ異なります)、それが日本語にkokoro(心)という形で入ったということです。日本語の話者が不慣れな音を聞き、自分たちが発音しやすいように単純化した結果がkokoro(心)という形だったのでしょう。

yorokobu(喜ぶ)とkokoro(心)というoが並んだ形からして、この二語は同じ時代に同じ場所で取り入れられたのかもしれません。ちなみに、モンゴル語のzürx(心臓、心)ズルフの古形はǰirükeジルケ、xöör(喜び)フールの古形はkögerコゲルであり、これらもテュルク系言語の語彙と同源と考えられます。日本語のyorokobu(喜ぶ)とkokoro(心)の存在は偶然ではないのです。

表に挙げたトルコ語のyürek以下を見ると、日本語で心を意味していたuraも同源である可能性があります。テュルク系言語にある程度広く接していたり、テュルク系言語に不慣れな音があったりすると、そのようなことは起こりえます。古代中国語のある語が様々な形で日本語に入ってきているのと同様です。

日本語のmune(胸)はインド・ヨーロッパ語族から来たらしい、日本語のkokoro(心)はテュルク系言語から来たらしいとなると、その前は「人間が考え・思いを抱く場所」をなんと言っていたのでしょうか。

 

補説

占いとは?

奈良時代の日本語には、ura(占)という語がありました。三省堂時代別国語大辞典上代編(上代語辞典編修委員会1967)には、「物の形(結果)や前兆(徴候)によって、神意をさぐり、事の成否・吉凶を判断すること」という説明があります。ura(占)が動詞化したのがuranaɸu(占ふ)です。ここで重要なのは、ura(占)が神意、すなわち神の心を知ろうとする行為であったということです。ura(占)も、心を意味したuraから来ていると考えられるのです。

ura(占)の一種として、鹿などの動物の骨を焼いて占うɸutomani(太占)が広く行われました。ura(占)と同様で、-mani(占)のもともとの意味も心(意、考え、思いなども含めて)と考えられます。*mani(占)は、「胸(むね)」の語源の記事でお話しした*muna(胸、旨)および*mana(愛)と同源と見られます。「神のまにまに」という言葉が残っていますが、おそらくこの言葉はもともと神の心を意味し、神に従ったり、任せたりする時に使われていたのでしょう。そこから、manimani(まにまに)がmamani(ままに)やmama(まま)に変化し、「言われるままに、言われるまま、流されるままに、流されるまま」のような表現が生まれてきたと思われます。

 

参考文献

大野晋ほか、「岩波 古語辞典 補訂版」、岩波書店、1990年。

上代語辞典編修委員会、「時代別国語大辞典 上代編」、三省堂、1967年。