誰もいないはずのチベット高原に誰かが・・・

現生人類のDNAには、ネアンデルタール人由来の部分と、デニソワ人由来の部分が見られます。しかし、ネアンデルタール人由来の部分はアフリカの外の人々に広く見られますが、デニソワ人由来の部分はもっと分布が限られています。デニソワ人由来の部分が見られるのは、東ユーラシア、オセアニア、南北アメリカの人々です。要するに、アフリカを出て、東にどんどん進んでいった人々に見られるのです。

ロシアのアルタイ地方のデニソワ洞窟でデニソワ人が発見された後、デニソワ人のDNAが調べられました。そして、デニソワ人のDNAが現生人類に入っているかどうかが注目されました。ここで真っ先に浮かび上がってきたのが、なんとパプアニューギニアとオーストラリア(アボリジニ)の人々でした(Reich 2010、2011)。しかし、パプアニューギニアとオーストラリアの人々にデニソワ人のDNAが顕著に認められるというのは、ちょっと不可解な話でした。デニソワ人が発見されたデニソワ洞窟はシベリアにあるからです(地図はThe Guardian様のウェブサイトより引用)。

※Denisova Cave(デニソワ洞窟)は、カザフスタン、ロシア、モンゴルが集まっているあたりにあります。Baishiya Karst Cave(白石崖鍾乳洞)については後述します。

その後の研究によって、パプアニューギニアとオーストラリアの人々ほどではないが、東ユーラシア(東南アジア、東アジア、シベリア)と南北アメリカ(インディアン)の人々にも、デニソワ人のDNAがわずかに認められることがわかりました(デニソワ人のDNAは、パプアニューギニアとオーストラリアの人々では5%程度、東ユーラシアと南北アメリカの人々では0.2%程度です)(Prüfer 2014、Qin 2015)。

どうやら、デニソワ人は広い範囲に分布していたようです。デニソワ人が広い範囲に分布していたのであれば、シベリアでデニソワ人の骨が見つかったことと、パプアニューギニアとオーストラリアの人々のDNAにデニソワ人由来の部分が顕著に認められることは、矛盾しません。デニソワ人は北のほうにもいたし、南のほうにもいたということです。

しかしながら、デニソワ人が広く分布しているところに現生人類が流れ込んだとなると、複雑な展開が予想されます。デニソワ人と現生人類の接触は複数の地域で起きたかもしれません。そのような可能性がS. R. Browning氏らによって提起されました(Browning 2018)。Browning氏らは、パプアニューギニアの人々のDNAに見られるデニソワ人由来の部分と、東アジアの人々(中国人および日本人)のDNAに見られるデニソワ人由来の部分を比較し、以下のような見解を示しています。

・パプアニューギニアの人々のDNAに見られるデニソワ人由来の部分は、ロシアのアルタイ地方のデニソワ洞窟で見つかったデニソワ人と遠い関係にあるデニソワ人集団から入ったものである。

・東アジアの人々のDNAに見られるデニソワ人由来の部分は、ロシアのアルタイ地方のデニソワ洞窟で見つかったデニソワ人と遠い関係にあるデニソワ人集団から入ったものと、ロシアのアルタイ地方のデニソワ洞窟で見つかったデニソワ人と近い関係にあるデニソワ人集団から入ったものが混在している。

G. S. Jacob氏らも似た見解を示していますが、もっと複雑です(Jacob 2019)。Browning氏らは、「パプアニューギニアの人々と東アジアの人々にDNAを与えたデニソワ人集団」と「東アジアの人々だけにDNAを与えたデニソワ人集団」という二種類のデニソワ人集団によって説明しようとしていますが、Jacob氏らは、「パプアニューギニアの人々と東アジアの人々にDNAを与えたデニソワ人集団」と「東アジアの人々だけにDNAを与えたデニソワ人集団」と「パプアニューギニアの人々だけにDNAを与えたデニソワ人集団」という三種類のデニソワ人集団によって説明しようとしています。

Jacob氏らは、各地に存在したデニソワ人集団は35万年前頃から枝分かれし始めていたと推定しています(Jacob 2019)。互いに大きく隔たった複数のデニソワ人集団が、現生人類にDNAを与えたことは間違いないようです。

2008年にロシアのアルタイ地方のデニソワ洞窟で最初のデニソワ人が発見され、その後もデニソワ洞窟でデニソワ人の発見が相次ぎました(Reich 2010、Sawyer 2015、Slon 2017b)。そしてついに、デニソワ洞窟以外の場所でデニソワ人が発見されました(Chen 2019)。その発見場所が、冒頭の地図に示されたBaishiya Karst Cave(白石崖鍾乳洞、はくせきがいしょうにゅうどう)です。

白石崖鍾乳洞は、チベット高原の一番北東にあります。ヒマラヤ山脈から遠く離れていますが、それでも標高3280 mにあります。ちなみに、デニソワ洞窟は標高700 mにあります。白石崖鍾乳洞でのデニソワ人の発見は、大きな驚きをもたらしました。見つかったのは歯の付いた下あごの骨ですが、これが16万年以上前のものと推定されたのです(Chen 2019)。チベット高原は、気温が低いだけでなく、空気が薄く、かなり過酷なところです(チベット高原の平均標高は4000 mぐらいで、この高さでは酸素の量が低地の2/3未満になっています。酸素の量が1/3になると、エベレストの頂上並みで、人間はとても生活できません)。チベット高原には3~4万年頃から現生人類が現れましたが、それまではだれもいなかったと考えられていました(Zhang X. 2018)。そのチベット高原から、16万年以上前のデニソワ人の骨と歯が出たのです。Chen氏らの研究では、DNA分析がうまくいかず、タンパク質分析によって骨と歯がデニソワ人のものであると判定されました(Chen 2019、DNAとタンパク質の関係については補説を参照)。

時にDNA分析の代わりになりうるタンパク質分析は大きな進歩ですが、最近ではもっとびっくりする研究も出てきています。V. Slon氏らの研究などがそうです(Slon 2017a)。これまでは、古代人の骨と歯が見つかって、その骨と歯が調べられてきました。しかし、そのような発見はまれで、なかなか歴史を明らかにできないもどかしい状況がありました。Slon氏らの研究では、骨と歯が見当たらない場所でも、そこの堆積物から古代の人と動物のDNAを明らかにしてしまいます(人と動物の残骸が微細な形で残っているということです)。なんとも奇抜な研究ですが、このような研究が広まりつつあります。

最近の研究の進歩は、日本の研究にとっても朗報かもしれません。日本は火山が非常に多く(富士山もその一つです)、それらの火山は長い歴史の中で何回も何回も噴火してきました。火山から噴出して降ってくる火山灰のために、日本の土壌は酸性度が高く、骨と歯がなかなか残りません。沖縄を除く本土は特にそうです。

Chen氏とSlon氏らは、すでに白石崖鍾乳洞でも、堆積物から何人かのデニソワ人のDNAを明らかにしています(Zhang D. 2020)。年代の違う各層からデニソワ人のDNAが出ており、デニソワ人が何万年もの長期にわたって白石崖鍾乳洞にいたことが示されています。DNA分析により、白石崖鍾乳洞にいたデニソワ人がデニソワ洞窟で最初に見つかったデニソワ人と近い関係にあることも示されています。

冒頭の地図をもう一度見てください。デニソワ人が何万年もの長期にわたってデニソワ洞窟にいたことがわかっています(Douka 2019)。デニソワ人が何万年もの長期にわたって白石崖鍾乳洞にいたこともわかりました。デニソワ人がこの二箇所だけにいたとは到底考えられません。調査・分析技術が進歩しているので、今後東ユーラシアの様々な場所でデニソワ人の存在が確認される可能性が高いです。Browning氏らやJacob氏らは、パプアニューギニアの人々のDNAには見られないが東アジアの人々のDNAには見られるデニソワ人由来の部分があることを示していますが、このデニソワ人由来の部分がどこで東アジアの人々に入ったのかというのも気になります。デニソワ洞窟のあるシベリアでしょうか、それとも、中国南部でしょうか(Chen氏らは、白石崖鍾乳洞のデニソワ人の骨が、台湾近海で網にかかって発見された古人類の骨とよく似ているとも述べています(Chen 2019およびそこに挙げられているChang 2015))。

現生人類が東南アジアルート(南方ルート)と中央アジアルート(北方ルート)(それぞれが単純な一本のルートであるとは限りません)を通って東アジアに入ってくる4~5万年前頃は、東アジアの歴史における最重要局面と言っても過言ではありません。そのような重要な時代ではありますが、手がかりの少ない時代でもあります。現生人類がデニソワ人と接し、交わっていた時代でもあり、デニソワ人が貴重な情報を与えてくれるかもしれません。

現生人類が複雑な様相を呈しながら東アジアに入ってくる旧石器時代のことを無視して、日本の縄文時代および弥生時代の人々の素性を明らかにすることはできないのです。

 

補説

DNAとタンパク質の関係

見つかった骨または歯が、現生人類のものなのか、ネアンデルタール人のものなのか、デニソワ人のものなのか、それともその他の種のものなのか知りたければ、DNA配列を調べるのが一番です。しかし、それがかなわない時には、タンパク質を調べる方法もあります。DNA配列とタンパク質には密接な関係があるからです。

DNA配列に基づいてRNA配列が作られ、RNA配列に基づいてアミノ酸の連なりが作られ、このアミノ酸の連なりがタンパク質であるという関係があります。

それほど難しい話ではありません。図中のDNA配列を見てください。DNA配列は、アデニンA、チミンT、グアニンG、シトシンCという四種類の物質が作る列です。図のように、二つの列が寄り添うように存在しています。Aの向かいはT、Tの向かいはA、Gの向かいはC、Cの向かいはGと決まっています。二つの列のうちの一つの列(ここでは下段の列)をもとにして、RNA配列が作られます。

下段の列をもとにしてRNA配列が作られる時には、Aの向かいはU、Tの向かいはA、Gの向かいはC、Cの向かいはGになります。こうして、RNA配列は、アデニンA、ウラシルU、グアニンG、シトシンCという四種類の物質が作る列になります。RNA配列のAUGの部分が、Met(メチオニン)というアミノ酸を作りなさいという命令になっています。同様に、AAGの部分がLys(リジン)というアミノ酸を作りなさいという命令、UUUの部分がPhe(フェニルアラニン)というアミノ酸を作りなさいという命令、GGCの部分がGly(グリシン)というアミノ酸を作りなさいという命令になっています。このようにしてアミノ酸が多数連なったのが、タンパク質です(図には書ききれませんでしたが、タンパク質を構成するアミノ酸は20種類あります。タンパク質は、折りたたまれて立体構造を取っているのが普通です)。

一連の過程を見ればわかるように、おおもとのDNA配列が、どのようなアミノ酸の連なりを作り出すか、つまり、どのようなタンパク質を作り出すかを決定しています。現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人およびその他の種のDNA配列の違いは、作り出されるタンパク質の違いとして表れます。骨または歯からDNAが抽出できない時に、タンパク質を抽出して種の判別が行えるのは、そのためです。

 

参考文献

Browning S. R. et al. 2018. Analysis of human sequence data reveals two pulses of archaic Denisovan admixture. Cell 173(1): 53-91.

Chang C. et al. 2015. The first archaic Homo from Taiwan. Nature Communications 6(1): 6037.

Chen F. et al. 2019. A late Middle Pleistocene Denisovan mandible from the Tibetan Plateau. Nature 569(7756): 409-412.

Douka K. et al. 2019. Age estimates for hominin fossils and the onset of the Upper Palaeolithic at Denisova Cave. Nature 565(7741): 640-644.

Jacob G. S. et al. 2019. Multiple deeply divergent Denisovan ancestries in Papuans. Cell 177(4): 1010-1021.

Prüfer K. et al. 2014. The complete genome sequence of a Neanderthal from the Altai Mountains. Nature 505(7481): 43-49.

Qin P. et al. 2015. Denisovan ancestry in East Eurasian and Native American populations. Molecular Biology and Evolution 32(10): 2665-2674.

Reich D. et al. 2010. Genetic history of an archaic hominin group from Denisova Cave in Siberia. Nature 468(7327): 1053-1060.

Reich D. et al. 2011. Denisova admixture and the first modern human dispersals into Southeast Asia and Oceania. American Journal of Human Genetics 89(4): 516-528.

Sawyer S. et al. 2015. Nuclear and mitochondrial DNA sequences from two Denisovan individuals. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 112(51): 15696-15700.

Slon V. et al. 2017a. Neandertal and Denisovan DNA from Pleistocene sediments. Science 356(6338): 605-608.

Slon V. et al. 2017b. A fourth Denisovan individual. Science Advances 3(7): e1700186.

Zhang D. et al. 2020. Denisovan DNA in Late Pleistocene sediments from Baishiya Karst Cave on the Tibetan Plateau. Science 370(6516): 584-587.

Zhang X. et al. 2018. The earliest human occupation of the high-altitude Tibetan Plateau 40 thousand to 30 thousand years ago. Science 362(6418): 1049-1051.

デニソワ人の発見によって複雑になった人類学、一致しないDNAのデータは何を物語るのか?

デニソワ人がロシアのアルタイ地方のデニソワ洞窟で発見されたのは、2008年のことです。ちょうど古代人の骨や歯からDNAを調べる技術が確立し始めたところで、デニソワ人の発見は実にタイムリーな出来事でした。それ以来、デニソワ人の注目度はぐんぐん上がっています。

前回の記事で述べたように、まずデニソワ人のミトコンドリアDNAが調べられ、デニソワ人が現生人類とネアンデルタール人に近い種であることが明らかになりました(Krause 2010)。ミトコンドリアDNAを調べた段階では、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人は以下のような関係にあると見られました。

図1

図1は、現生人類とネアンデルタール人が互いに近い関係にあり、デニソワ人が両者から離れた関係にあることを示しています。これはあくまで、ミトコンドリアDNAに基づく構図です。DNAと減数分裂の仕組み、ミトコンドリアDNAとY染色体DNAからは窺い知れない歴史の記事で説明したように、私たちのDNAのほとんどは、ミトコンドリアではなく、核にあります。ミトコンドリアDNAだけでなく、肝心の核DNA(=常染色体(第1染色体~第22染色体)DNA+X染色体DNA+Y染色体DNA)を調べなければなりません。上記のKrause氏らの研究グループは、今度はデニソワ人の核DNAを調べました(Reich 2010)。すると、ミトコンドリアDNAの時とは違う結果になりました。

図2

図2は、ネアンデルタール人とデニソワ人が互いに近い関係にあり、現生人類が両者から離れた関係にあることを示しています。要するに、ミトコンドリアDNAを調べると、現生人類とネアンデルタール人が近いという結果が出て、核DNAを調べると、ネアンデルタール人とデニソワ人が近いという結果が出たわけです。

私たちのDNAのほとんどは核DNAであり、核DNAのデータのほうが歴史の大まかな展開をよく表していると考えられます。実際の歴史は図2に近そうです。しかし、ミトコンドリアDNAを調べた時の図1の結果も無視できません。実際の歴史は図2に近いが、図2とは少し異なるのかなと考えたくなります。実は、核DNAのデータとミトコンドリアDNAのデータが食い違うケースはほかにもあるのです。以下の図を見てください。

図3

Sima de los Huesosと書き入れました。Sima de los Huesosというのは、スペインのアタプエルカにあるシマ・デ・ロス・ウエソス遺跡のことです。Sima de los Huesos遺跡は大量の人骨が出ている重要遺跡で、それらの人骨は43万年前頃のものと推定されています(Arsuaga 2014)。Sima de los Huesos遺跡の人骨はネアンデルタール人の人骨と共通点が認められることから、Sima de los Huesos遺跡の人々は初期のネアンデルタール人ではないか、あるいは初期のネアンデルタール人と近縁な集団ではないかという見解が出ていました(Arsuaga 2014)。そのような見解を裏づけるように、Sima de los Huesos遺跡の人々の核DNAは、現生人類とデニソワ人よりネアンデルタール人に近いことが明らかになりました(Meyer 2016)。しかし、不思議なことに、Sima de los Huesos遺跡の人々のミトコンドリアDNAを調べると、ネアンデルタール人よりデニソワ人に近いという結果が出るのです(Meyer 2013、Meyer 2016、Posth 2017)。核DNAを調べると、Sima de los Huesos遺跡の人々はネアンデルタール人に近いが、ミトコンドリアDNAを調べると、Sima de los Huesos遺跡の人々はデニソワ人に近いというわけです。

なぜ核DNAのデータとミトコンドリアDNAのデータが食い違うのでしょうか。このような食い違いがあることがわかったのは最近なので、まだ定説はありません。おそらく、実際の歴史が図2のように単純だったら、核DNAを調べても、ミトコンドリアDNAを調べても、図2のような構図が浮かび上がってきたでしょう。そうならないのは、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人が図2のような枝分かれを起こしたが、枝分かれ後もある程度交わっていたためかもしれません。Posth氏らは、現生人類あるいは現生人類に極めて近い種のミトコンドリアDNAがネアンデルタール人に入って広まった可能性を検討していますが、確かにこれは検討しなければならない問題です。仮にPosth氏らの考える通りであれば、「ミトコンドリアDNAを調べると、現生人類とネアンデルタール人が近く、核DNAを調べると、ネアンデルタール人とデニソワ人が近い」という一見奇妙な状況にも説明がつきます。

※最初に発見されたデニソワ人は女性であり、Y染色体DNAに焦点が当たりませんでしたが、最近になって現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人のY染色体DNAに焦点を当てた研究が発表されました(Petr 2020)。Y染色体DNAを調べても、ミトコンドリアDNAを調べた時と同じように、現生人類とネアンデルタール人が近いという結果が出ています。混迷が深まりそうです。

少し前までは、現生人類の始まりを15~20万年前頃と考えるのが普通でした。東アフリカ(エチオピア)で現生人類のものと判断され、その頃のものと推定される人骨が知られていました(White 2003、McDougall 2005)。

しかし、北アフリカ(モロッコ)で発見された現生人類によく似た何人かの人骨が30万年前頃のものと推定され、流れが変わってきました(Hublin 2017、Richter 2017、日本語のニュース記事はこちら)。

先ほどの図3を見てください。「現生人類」と「ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先」に枝分かれした箇所があります。Sima de los Huesos遺跡の人々が生きていたのが43万年前頃ですから、「現生人類」と「ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先」に枝分かれした箇所はもっと前です。現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人、そしてSima de los Huesos遺跡の人々の核DNAを分析したMeyer氏らは、「現生人類」と「ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先」に枝分かれしたのは55~76.5万年前頃と見積もっています(Meyer 2016)。

現生人類がネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先と枝分かれしたのが55~76.5万年前頃、そして人骨によって確認できる現生人類の始まりが15~20万年前頃ということで、ものすごいギャップがありました。このギャップをいくらか埋めそうなのが、前述の北アフリカ(モロッコ)で発見された30万年前頃の人骨です。この発見によって、現生人類が15~20万年前よりもっと前からアフリカ全体に広がっていた可能性、いやそれどころか、アフリカから出ていた可能性すら出てきました。

6万年前頃にアフリカから出た現生人類が爆発的に拡散して現在に至っています。しかし、イスラエルのSkhul(スクール)やQafzeh(カフゼー)の人骨のように、現生人類がもっと前にアフリカから出ていたことがわずかながら知られています(Shea 2008)。ギリシャ南部のApidima Cave(アピディマ洞窟)で見つかった人骨も加えられそうな気配です(Harvati 2019)。6万年前より前にアフリカから出た現生人類はどうなったのか、少し生き残ったのか、完全に死に絶えたのかという問題は、人類学における争点の一つになっています。

系統的にデニソワ人に近いと考えられるネアンデルタール人が、現生人類に近いミトコンドリアDNAとY染色体DNAを示しているのは、注目に値します。6万年前より前にアフリカから出た現生人類は、他の種を消し去ってしまうような圧倒的な存在ではなく、他の種と混ざり合っていたのかもしれません。

次回の記事で詳しくお話ししますが、現生人類のDNAには、ネアンデルタール人から受け継いだ部分だけでなく、デニソワ人から受け継いだ部分もあります。6万年前頃にアフリカから出た現生人類は、ネアンデルタール人とデニソワ人をいくらか取り込みながら、爆発的に拡散していったのです。ここで気になるのが言語の問題です。

6万年前頃にアフリカから出た現生人類の言語が、現代の言語に近い複雑なものだったのか、それとも現代の言語よりはるかに単純なものだったのかということについては、大いに考察の余地があります。しかし、現生人類はネアンデルタール人とデニソワ人と交わっていたわけですから、ネアンデルタール人とデニソワ人が全く言葉を話さなかったとは考えづらいです。現生人類には自分の言葉があり、ネアンデルタール人とデニソワ人には彼らの言葉があった可能性が高いです。現生人類が言葉を持ち、ネアンデルタール人が言葉を持ち、デニソワ人が言葉を持っていたとすると、これらの三者の共通祖先が言葉を持っていた可能性も少なくありません。ちなみに、人類の脳の進化を振り返ると、アウストラロピテクスの頃には脳容量がチンパンジーと同じくらいだったのに、ホモ・ハビリスの頃から脳容量が急増しています(ホモ・ハビリスはラテン語で「能力のある人」(上手な人、巧みな人、器用な人)という意味です)(図はBretas 2020より引用)。

言語の問題は、言うまでもなく、思考と密接な関係にあります。思考が従来と比べて全然発達していないのに、言語がどんどん発達していくというのは、考えづらいです。逆に、思考がどんどん発達しているのに、その伝達手段である言語が全然発達しないというのも、考えづらいです。ホモ・ハビリスの頃から始まる脳容量の急増と言語の形成の間に深い関係があるのは間違いないでしょう。

仮に、現生人類より早くにユーラシアにいたネアンデルタール人とデニソワ人が、さらに早くにユーラシアにいたホモ・エレクトス(北京原人やジャワ原人など)と交わっていたことがわかったら、ホモ・エレクトスが言葉を持っていた可能性も高まります。実際、ネアンデルタール人とデニソワ人がさらに古いタイプの人類と交わっていたかもしれないことを示唆する研究も出てきています(Rogers 2020)。言語が生まれ始めたのは、とても古い時代なのかもしれません。

 

参考文献

Arsuaga J. L. et al. 2014. Neandertal roots: Cranial and chronological evidence from Sima de los Huesos. Science 344(6190): 1358-1363.

Bretas R. V. et al. 2020. Phase transitions of brain evolution that produced human language and beyond. Neuroscience Research 161: 1-7.

Harvati K. et al. 2019. Apidima Cave fossils provide earliest evidence of Homo sapiens in Eurasia. Nature 571(7766): 500-504.

Hublin J. J. et al. 2017. New fossils from Jebel Irhoud, Morocco and the pan-African origin of Homo sapiens. Nature 546(7657): 289-292.

Krause J. et al. 2010. The complete mitochondrial DNA genome of an unknown hominin from southern Siberia. Nature 464(7290): 894-897.

McDougall I. et al. 2005. Stratigraphic placement and age of modern humans from Kibish, Ethiopia. Nature 433(7027): 733-736.

Meyer M. et al. 2013. A mitochondrial genome sequence of a hominin from Sima de los Huesos. Nature 505(7483): 403-406.

Meyer M. et al. 2016. Nuclear DNA sequences from the Middle Pleistocene Sima de los Huesos hominins. Nature 531(7595): 504-507.

Petr M. et al. 2020. The evolutionary history of Neanderthal and Denisovan Y chromosomes. Science 369(6511): 1653-1656.

Posth C. et al. 2017. Deeply divergent archaic mitochondrial genome provides lower time boundary for African gene flow into Neanderthals. Nature Communications 8(1): 16046.

Reich D. et al. 2010. Genetic history of an archaic hominin group from Denisova Cave in Siberia. Nature 468(7327): 1053-1060.

Richter D. et al. 2017. The age of the hominin fossils from Jebel Irhoud, Morocco, and the origins of the Middle Stone Age. Nature 546(7657): 293-296.

Rogers A. R. et al. 2020. Neanderthal-Denisovan ancestors interbred with a distantly related hominin. Science Advances 6(8): eaay5483.

Shea J. J. 2008. Transitions or turnovers? Climatically-forced extinctions of Homo sapiens and Neanderthals in the East Mediterranean Levant. Quaternary Science Reviews 27(23-24): 2253-2270.

White T. D. et al. 2003. Pleistocene Homo sapiens from Middle Awash, Ethiopia. Nature 423(6941): 742-747.

現生人類と交わった古人類、ネアンデルタール人とデニソワ人

ミトコンドリアDNAとY染色体DNAだけでなく、DNA全体が調べられるようになり、興味深い事実が明らかになってきました。その中でまず注目すべきなのは、現生人類が古人類(現生人類に近い種)と交わっていたという事実です。現生人類と古人類の問題は、例えば日本語の起源や日本語の系統には直接関係ありませんが、現生人類の思考と言語(今の私たちの思考と言語のようなもの)がいつ頃形成されたのかを考えるうえで、無視することができません。

現生人類が6万年前頃にアフリカを出て、ユーラシアに広がっていったことは本ブログでお話ししていますが、現生人類に近い種は、それよりはるかに前からユーラシアに広がっていました。皆さんも「北京原人」や「ジャワ原人」のような名前を聞いたことがあるでしょう。「北京原人」は80万年前頃から今の中国北部に、「ジャワ原人」は160万年前頃から今のインドネシアにいたことがわかっています(Ciochon 2009)。ちなみに、「北京原人」と「ジャワ原人」と呼ばれていましたが、両者に特に大きな違いはなく、今ではホモ・エレクトスという一つの種にまとめられています。ホモ・サピエンスはラテン語で「賢い人」、ホモ・エレクトスはラテン語で「直立した人」という意味です。

実は、現生人類に近い種の発見は今も続いており、インドネシアのフローレス島で新しい種が発見されたり(Brown 2004)、フィリピンのルソン島で新しい種が発見されたりしています(Détroit 2019)。どうやら、現生人類が進出する前のユーラシアには、現生人類に近い様々な種が存在したようです。しかし、現生人類がユーラシアに進出するにつれて、現生人類以外の種はユーラシアから姿を消していきました。なにがあったのだろうと考えたくなるところです。

古人類の中で脳容量と骨格が現生人類に近く、現生人類との関係が注目されてきたのが、ネアンデルタール人です。この名前は、ドイツのネアンデル谷(ドイツ語で谷はTal)から来ています。現生人類とネアンデルタール人の間に交雑(異種間で子を作ること)があったかどうかということについては、論争が繰り広げられていましたが、現生人類のDNA全体とネアンデルタール人のDNA全体が調べられるようになった現在では、はっきり答えが出ています。答えはイエスです。しかし、ミトコンドリアDNAとY染色体DNAを調べてもわからず、DNA全体を調べて明らかになりました。

現生人類の多くの人々のミトコンドリアDNAとY染色体DNAが調べられてきましたが、ネアンデルタール人のミトコンドリアDNAまたはY染色体DNAの系統が見つかったという報告はありません。やはり、ミトコンドリアDNAは、女→女→女→女→女という形でしか伝わらないので、なかなか子孫に残らないのです。どこまでも女でなければならないわけですから、大変厳しいです。同様に、Y染色体DNAも、男→男→男→男→男という形でしか伝わらないので、なかなか子孫に残らないのです。どこまでも男でなければならないわけですから、大変厳しいです。

そこで、前回の記事でお話しした第1染色体~第22染色体とX染色体の出番です。現生人類の男性とネアンデルタール人の女性の間で子が作られたとしましょう(現生人類がネアンデルタール人に対して優位であったことを考えると、現生人類の男性と現生人類の女性の間で子が作られ、さらに、現生人類の男性とネアンデルタール人の女性の間で子が作られる傾向があったと推測されます)。その子は、以下の染色体を持つことになります。

女の子なら・・・

男の子なら・・・

ネアンデルタール人の母からもらった第1染色体~第22染色体およびX染色体にあるDNA配列は、前回の記事で説明したように、時に切断されながら、一部が子孫に残されていきます。

ネアンデルタール人の母からもらった第1染色体はとてつもなく長いので、そこにある特定の短いDNA配列は、切断を免れて、そのまま子孫に残る可能性があります(「そのまま」と書きましたが、長い時間が経過すれば変異も起きるので、「ほぼそのまま」が正確です)。

第2染色体にある特定の短いDNA配列、・・・、第22染色体にある特定の短いDNA配列、X染色体にある特定の短いDNA配列も、切断を免れて、そのまま子孫に残る可能性があります。

そのようなわけで、ネアンデルタール人の母からもらったいずれかの染色体にあった特定の短いDNA配列が、切断を免れて、そのまま遠い遠い子孫に残る可能性は十分にあります。

実際に、近年のバイオテクノロジーの目覚ましい進歩によって、ネアンデルタール人のDNAを調べ、現生人類のDNAと比較することができるようになりました。そしてまもなく、現生人類の常染色体(第1染色体~第22染色体)とX染色体に、ネアンデルタール人から来たと考えられる部分が見つかり始めました(Green 2010、Yotova 2011、Vernot 2014)。

ネアンデルタール人が現生人類と交わったことを証明するのだから、ネアンデルタール人のDNA配列と現生人類のDNA配列に共通部分を見つけるのかなと、皆さんは予想するのではないでしょうか。確かに、その通りです。しかし、注意しなければならないことがあります。以下のような構図を考えてください。

単にネアンデルタール人のDNA配列と現生人類のDNA配列に共通部分を見つけただけでは、「その共通部分は共通祖先から来たのだろう」と言われた時に、反論するのが困難です。ネアンデルタール人が現生人類と交わったことを証明するためには、どうすればよいでしょうか。

当初から主張されていましたが、決め手になったのは、「アフリカの現生人類」のDNA配列と「アフリカの外の現生人類」のDNA配列に明確な差があるということでした(Green 2010、Yotova 2011)。具体的に言うと、「アフリカの外の現生人類」のDNA配列が、ところどころで、「アフリカの現生人類」のDNA配列ではなく、ネアンデルタール人のDNA配列と共通性を示していたのです。そこから、以下のような構図が浮かび上がってきます。

図中の赤い矢印は、ネアンデルタール人が「アフリカの外の現生人類」と交わっているところです。ネアンデルタール人由来の部分は「アフリカの外の現生人類」に広く見られるため、現生人類はアフリカを出てすぐに、つまり方々に散らばっていく前に、ネアンデルタール人と交わったと考えられています(Green 2010、Yotova 2011)。

現代の「アフリカの外の現生人類」のDNAに占めるネアンデルタール人由来の部分の割合は大きくなく、数パーセント以下です(ユーラシアからアフリカに戻った人々もいたため、アフリカでも完全にゼロではありません)(Prüfer 2014、Sankararaman 2014)。ちなみに、ヨーロッパでネアンデルタール人の遺骨・遺跡がいくつも見つかっているので、ネアンデルタール人というとヨーロッパのイメージがありますが、ヨーロッパの人々より東アジアの人々でネアンデルタール人由来の部分の割合が若干大きいこともわかってきました(Vernot 2015)。「アフリカから出る→すぐにネアンデルタール人と交わる→方々に散らばる」だけでは十分に説明しきれていないことを示唆しており、東アジア方面でネアンデルタール人の要素が追加された可能性や、ヨーロッパ方面でネアンデルタール人の要素が薄められた可能性が検討されています(Vernot 2015)。

このように、現生人類がネアンデルタール人と交わっていたことを示す証拠が出され始めましたが、ちょうどその頃、別のところで大きな事件が起きていました。

2008年に、ロシアのアルタイ地方のデニソワ洞窟で謎の人骨が発見されました。まずミトコンドリアDNAが調べられ、骨の主は現生人類とネアンデルタール人と共通祖先を持つ未知の種であることが明らかになりました(Krause 2010)。

 

参考文献

Brown P. et al. 2004. A new small-bodied hominin from the Late Pleistocene of Flores, Indonesia. Nature 431(7012): 1055-1061.

Ciochon R. L. et al. 2009. Asian Homo erectus converges in time. Nature 458(7235): 153-154.

Détroit F. et al. 2019. A new species of Homo from the Late Pleistocene of the Philippines. Nature 568(7751): 181-186.

Green R. E. et al. 2010. A draft sequence of the Neanderthal genome. Science 328(5979): 710-722.

Krause J. et al. 2010. The complete mitochondrial DNA genome of an unknown hominin from southern Siberia. Nature 464(7290): 894-897.

Prüfer K. et al. 2014. The complete genome sequence of a Neanderthal from the Altai Mountains. Nature 505(7481): 43-49.

Sankararaman S. et al. 2014. The genomic landscape of Neanderthal ancestry in present-day humans. Nature 507(7492): 354-357.

Vernot B. et al. 2014. Resurrecting surviving Neandertal lineages from modern human genomes. Science 343(6174): 1017-1021.

Vernot B. et al. 2015. Complex history of admixture between modern humans and Neandertals. American Journal of Human Genetics 96(3): 448-453.

Yotova V. et al. 2011. An X-linked haplotype of Neandertal origin is present among all non-African populations. Molecular Biology and Evolution 28(7): 1957-1962.