DNAと減数分裂の仕組み、ミトコンドリアDNAとY染色体DNAからは窺い知れない歴史

以前に古代北ユーラシアの人々のDNAの話をしましたが(一貫性を示す古代北ユーラシアの人々のDNAを参照)、ミトコンドリアDNAとY染色体DNAだけでなく、DNA全体の研究も進んでおり、新たな発見が続々と発表されています。いくつかの貴重な研究を紹介しますが、まずその前にDNAに関する基本事項を確認しておきましょう。

ミトコンドリアDNAとY染色体DNAはDNA全体のごく一部にすぎない

アデニンA、チミンT、グアニンG、シトシンCという四種類の物質が長い長い列を作っています。このA、T、G、Cが作る暗号のような列が、私たちが持っている遺伝情報です。A、T、G、Cが作る暗号のような列は、どこにあるのでしょうか。皆さんも生物学の授業などで以下のような図を見たことがあるかと思います(図はパンタグラフ様のウェブサイトより引用)。

ちょっとごちゃごちゃしていますが、A、T、G、Cが作る暗号のような列(すなわちDNA配列)は、動物の場合には、核とミトコンドリアにあります。植物の場合には、核とミトコンドリアと葉緑体にあります(葉緑体は植物にしかありません)。以下では、人間の場合に限って話を進めます。

※DNA配列全体、あるいは核にあるDNA配列全体、ミトコンドリアにあるDNA配列全体、葉緑体にあるDNA配列全体を指したい時に、「ゲノム」という言葉を使います。ゲノムというのは、DNA配列全体という意味です。

人間の場合には、核とミトコンドリアにDNA配列がありますが、核にあるDNA配列とミトコンドリアにあるDNA配列は、長さが全然違います。核にあるDNA配列は、A、T、G、Cが3000000000文字(30億文字)並んでいるような感じです。ミトコンドリアにあるDNA配列は、A、T、G、Cが16000文字並んでいるような感じです。桁違いです。遺伝情報のほとんどは核にあると考えて間違いありません。

核の中にあるDNA配列は、完全に一続きになって存在しているわけではなく、いくつかに分かれて存在しています。人間の場合には、染色体と呼ばれる棒状の構造物が46本あり、それぞれにDNA配列の一部が存在するという具合です。46本の染色体は普段は絡まり合っており、細胞分裂が始まる時にはっきり分かれて見えます。人間の女性と男性は、以下の46本の染色体を持っています(図はDHC様のウェブサイトより引用)。

女性が持っているのは、

男性が持っているのは、

第1染色体~第22染色体のところに関しては、女性と男性で事情は同じです。残りの二本の染色体が「父からもらったX染色体と母からもらったX染色体」であれば、その人は女性になり、残りの二本の染色体が「父からもらったY染色体と母からもらったX染色体」であれば、その人は男性になるという仕組みです。XとXなら女の子になり、YとXなら男の子になるということです。

※第1染色体~第22染色体は、女性と男性に共通しているので、「常染色体」と呼ばれます。X染色体とY染色体は、性の決定に関わっているので、「性染色体」と呼ばれます。

すでに述べたように、遺伝情報のほとんどは核にあります。ミトコンドリアDNAは、核DNAに比べれば、微々たる存在です。Y染色体DNAは、核DNAの一部ですが、核DNAに占める割合は、上の図からもわかるように、小さいです。ミトコンドリアDNAとY染色体DNAを調べても、人間のDNA全体のごく一部を調べているにすぎないのです。

ミトコンドリアDNAが盛んに調べられてきたのは、ミトコンドリアDNAが母から娘へ(突然変異を除いて)代々不変的に伝わるからです。Y染色体DNAが盛んに調べられてきたのは、Y染色体DNAが父から息子へ(突然変異を除いて)代々不変的に伝わるからです。このような単純な特徴があるために、ミトコンドリアDNAとY染色体DNAは分析・解釈が比較的容易なのです。しかし、ミトンコンドリアDNAとY染色体DNAは例外的であり、DNAのほとんどはそのような単純な仕方で子孫に伝わりません。

精細胞と卵細胞ができる減数分裂

人間の体で起きる細胞分裂には、体細胞分裂と減数分裂があります。このうちの減数分裂は特殊な分裂であり、しっかり理解しておく必要があります。

「減数分裂」という言い方は変じゃないかと思われる方がいるかもしれません。細胞が分裂したら細胞の数は増えるに決まっているからです。「減数分裂」の「減数」は、細胞の数が減るという意味ではなく、細胞の中に入っている染色体の数が減るという意味です。46本の染色体を持つ細胞から、23本の染色体しか持たない細胞ができるのです。この23本の染色体しか持たない特殊な細胞が、精細胞と卵細胞です。

精細胞のほうがわかりやすいので、精細胞のほうから説明します。46本の染色体を持つ精母細胞から、23本の染色体しか持たない精細胞ができます。もととなる精母細胞には46本の染色体が含まれていますが、いっぺんに46本に注目すると頭が混乱してしまうので、46本のうちの2本、ここでは父からもらった第1染色体と母からもらった第1染色体に注目しましょう。

(1)もととなる精母細胞には、父からもらった第1染色体と母からもらった第1染色体が入っています(本当は46本の染色体が入っていますが、今は2本だけを見ています)。

(2)父からもらった第1染色体は一本の棒状構造物でしたが、これが二本の棒状構造物になります。父からもらった第1染色体にあったDNA配列は複製されます。同様に、母からもらった第1染色体は一本の棒状構造物でしたが、これが二本の棒状構造物になります。母からもらった第1染色体にあったDNA配列は複製されます。

(3)左の二本の棒状構造物と右の二本の棒状構造物の間で、以下のようなDNA配列の部分的交換が行われます(ここに示したのは一つのパターンです)。

(4)左の二本の棒状構造物を含む細胞と、右の二本の棒状構造物を含む細胞に分裂します。

(5)これらの二個の細胞が、さらに分裂します。

こうしてできた四個の細胞が、精細胞です。もととなった精母細胞には第1染色体が二本含まれていましたが、できた精細胞には第1染色体が一本しか含まれていません。

一応言葉で説明しましたが、(1)~(5)の図だけをさっと見たほうがわかりやすいかもしれません。DNA配列の複製、DNA配列の部分的交換、一回目の分裂、二回目の分裂という展開です。

ここでは第1染色体に注目しましたが、第1染色体に起きたのと同じことが第2染色体~第22染色体にも起きます。精細胞には、第1染色体が一本だけ、第2染色体が一本だけ、・・・、第22染色体が一本だけ含まれることになります。

もととなる精母細胞には一本のY染色体と一本のX染色体が含まれていますが、これらの間にはDNA配列の部分的交換はほとんど起きません。Y染色体がその端のわずかな領域を除いてDNA配列の部分的交換を行う能力を持っていないからです。したがって、精母細胞に含まれていたY染色体のDNA配列、または精母細胞に含まれていたX染色体のDNA配列がほとんどそのまま精細胞に含まれることになります。Y染色体とX染色体のペアは、大体(1)~(5)の図のようになるが、途中でDNA配列の部分的交換がほとんど起きないと理解しましょう。

第1染色体が一本、第2染色体が一本、・・・、第22染色体が一本、そしてY染色体またはX染色体が一本、計23本の染色体が精細胞に含まれることになります。

減数分裂は複雑すぎると感じる方は、(1)の図を見てこれが精母細胞、(5)の図を見てこれが精細胞、という理解でも十分です。(1)の段階では存在しなかった染色体が、(5)の段階では存在しているのがわかるでしょう。(5)の図の真ん中の二本がそうです。(5)の図の一番左の染色体が子に与えられるかもしれません。二番目の染色体が子に与えられるかもしれません。三番目の染色体が子に与えられるかもしれません。四番目の染色体が子に与えられるかもしれません。確率の問題です。

ポイントは、精細胞が作られる過程で、今まで存在しなかったDNA配列を持つ染色体が生じるということです。

精細胞が減数分裂を通じて作られるように、卵細胞も減数分裂を通じて作られます。ただし、一つの精母細胞から四つの精細胞ができますが、一つの卵母細胞から四つの卵細胞はできません。一つの細胞だけが卵細胞になり、残りの細胞は退化してしまいます。精細胞の場合と同様に、卵細胞には、第1染色体が一本だけ、第2染色体が一本だけ、・・・、第22染色体が一本だけ含まれることになります。

もととなる卵母細胞には二本のX染色体が含まれていますが、これらの間にはDNA配列の部分的交換が起きます。つまり、二本のX染色体には、二本の第1染色体、二本の第2染色体、・・・、二本の第22染色体と同じことが起きます。X染色体とX染色体のペアは、(1)~(5)の図のようになると理解しましょう。

第1染色体が一本、第2染色体が一本、・・・、第22染色体が一本、そしてX染色体が一本、計23本の染色体が卵細胞に含まれることになります。

ここでもポイントは、卵細胞が作られる過程で、今まで存在しなかったDNA配列を持つ染色体が生じるということです。

※減数分裂は、一見面倒くさいことをしているように見えるかもしれません。しかし、(5)の図で、旧来のDNA配列(外側の二つ)と新しいDNA配列(内側の二つ)が存在していることに注目してください。旧来のDNA配列を残しつつ、新しいDNA配列を生み出しているところに、巧妙さが感じられます。逆に、(1)の図で、旧来のDNA配列を残しつつ、新しいDNA配列を生み出すにはどうしたらよいか考えてみてください。そう考えると、(1)~(5)の手順が、非常に合理的で無駄がなく、最小手順に思えてきます。

確かにDNA配列の部分的交換は起きるが・・・

上に説明したように、第1染色体~第22染色体にあるDNA配列およびX染色体にあるDNA配列は、そのまま不変的に子孫に伝わっていくものではありません。上の説明の(3)の段階で起きるDNA配列の部分的交換が重要です。(3)の図では、DNA配列の交換が一箇所で起きていますが、DNA配列の交換が複数の箇所で起きることもあります。しかしそれでも、せいぜい数箇所です。

核に含まれている各染色体は長いです。最も短い染色体でA、T、G、Cが5000万文字、最も長い染色体でA、T、G、Cが2億5000万文字並んでいるような感じです。このような染色体に存在する特定のとても短いDNA配列を考えてみましょう。

この染色体は、そのまま不変的に子孫に伝わっていくものではありません。(3)の図のような切断・再結合が行われ、そのような切断・再結合を経た染色体が子孫に伝わっていくこともあります。(5)の図を見ればわかるように、今まであったDNA配列を持つ染色体が子に与えられることもあれば、今までなかったDNA配列を持つ染色体が子に与えられることもあります。

察しがつくと思いますが、上の図の染色体の長さに対して特定のDNA配列の長さがとても短ければ(実際には、染色体自体がとてつもなく長いので、ある程度長くても大丈夫です)、その特定のDNA配列はなかなか切断されず、世代から世代へしぶとく残っていきます。染色体は(3)の図のように切断されることはありますが、千切りにされるわけではないからです。

ミトコンドリアDNAとY染色体DNAは重要ですが、第1染色体~第22染色体とX染色体も捨てたものではないのです。ミトコンドリアDNAは、女→女→女→女→女という形でしか伝わらないという強い制限があります。Y染色体DNAは、男→男→男→男→男という形でしか伝わらないという強い制限があります。ミトコンドリアDNAとY染色体DNAだけを調べて、人類の歴史全体を窺おうとするのは無理があります。

実際、ミトコンドリアDNAとY染色体DNAを調べてもわからなかったが、DNA全体を調べてわかってきたこともたくさんあります。非常に重要な研究が蓄積してきたので、いくつか紹介することにしましょう。

人類学で注目されるアンダマン諸島の人々、南アジアと東南アジアの覆い隠された歴史

前回の記事では、アンダマン諸島が出てきました。アンダマン諸島なんて聞いたことがないという方も多いと思うので、少し説明しておきます(図はThangaraj 2003より引用)。

地図を見ればわかるように、アンダマン諸島はミャンマーの南方に位置し、現在ではインド領になっています。南アジアと東南アジアの境に近い微妙な位置です。

アンダマン人の外見は、南アジアの人々とも東南アジアの人々ともいくらか異なり、アフリカっぽいところもあります。アンダマン人の言語は、南アジアと東南アジアのどの言語にも似ていません。

ちなみに、アンダマン諸島の南にあるニコバル諸島には、典型的な東南アジアの人々が住み、ベトナム語やクメール語(カンボジアの主要言語)と類縁関係を持つ言語を話しています。

アンダマン人は、遠い昔にアフリカから南アジアあるいは東南アジアまでやって来て、その後孤立してしまった人たちではないかと考えられました。アフリカからオーストラリア・パプアニューギニアまで行った人々がいたが、その一部がアンダマン諸島に残ったのではないかと考えられました。アフリカ→中東→南アジア→東南アジア→オーストラリア・パプアニューギニアというルートはよく知られていたので、そのような考えが提示されたのは当然といえます。

しかし、上の考えにはいろいろと問題があります。アンダマン諸島はごく小さな領域であり、アンダマン人のY染色体DNAおよびミトコンドリアDNAはほとんどバリエーションがありません。Y染色体DNAはD系統一色です。ミトコンドリアDNAはM31系統とM32系統の二つです。Y染色体DNAもミトコンドリアDNAもわけありです。

アンダマン人のY染色体DNAはD系統一色ですが、オーストラリア・パプアニューギニア方面にはD系統は全然見られません。オーストラリア・パプアニューギニア方面には、C系統とK系統は多く見られますが(K系統はF系統の一下位系統です)、D系統は全然見られないのです。アフリカからオーストラリア・パプアニューギニアに向かった人々の一部がアンダマン諸島に残ったというのは本当かと疑いたくなります。

ミトコンドリアDNAのほうからも、そのような疑いを強める証拠が出てきました(図はWang 2011より引用)。

ミトコンドリアDNAのM系統は、アフリカの外で生じ、主に南アジアおよびそれより東の諸地域(東南アジア、オセアニア、東アジア、シベリア、アメリカ大陸)に広がりました。特に南アジアと東南アジアには、M系統の下位系統がたくさん存在し、その中にM31系統とM32系統があります。

M31系統は、アンダマン諸島だけでなく、インド、ネパール、ミャンマー、中国にも見られること、そしてM31系統の内部構造が上の図のようになっていることがわかってきました。アンダマン諸島のミトコンドリアDNAのタイプ(紫色)が、インド、ネパール、ミャンマー、中国のミトコンドリアDNAのタイプの中に埋め込まれているのがわかるでしょうか。

M32系統も、M31系統と大体同じ事情です。M系統の一下位系統としてM32’56系統があり、このM32’56系統がM32系統とM56系統に分かれています。M32系統はアンダマン諸島と東南アジアで見つかっており(Eng 2014)、M56系統は南アジアで見つかっています(Chandrasekar 2009)。

アンダマン人の先祖が南アジア・東南アジアの大陸部からアンダマン諸島に渡ったのは、人類が初めて南アジア・東南アジアに達した時代ではなく、いくらか後の時代である可能性が高くなってきました。総じて、M31系統もM32系統も大陸にほとんど残っておらず、アンダマン人の先祖が大陸を離れてから大陸が大きく様変わりしたことが窺えます。

なぜY染色体DNAのD系統はオーストラリア・パプアニューギニア方面に見られないのか

まず、東南アジアの地形が現在と大きく異なっていたことを思い出しましょう(図はScotese 2014より引用)。

※この地図は、約2万年前のLast Glacial Maximum(最終氷期最盛期)の頃の世界地図です。人類がアフリカから東南アジアにやって来た5万年前頃は、もう少し海面が高いです。

東南アジアは、スンダランドという巨大な陸になっていました。その向かい側には、オーストラリアとパプアニューギニアがつながったサフルランドという巨大な陸がありました。スンダランドとフィリピンは、くっつきそうでくっついていなかったようです(Robles 2014)。

オーストラリア(アボリジニ)とパプアニューギニアには、Y染色体DNAのC系統とK系統が多く見られます。フィリピンのネグリトと呼ばれる原住民にも、C系統とK系統が多く見られます(Delfin 2011)。これらは、アフリカ→中東→南アジア→東南アジアと進んできた人の流れを示しています。スンダランドの海岸沿いを進み、スンダランドの先端からサフルランドとフィリピンに渡ったと考えられます。

ここで注目すべきなのは、Y染色体DNAのD系統がオーストラリア、パプアニューギニア、フィリピンに全くと言ってよいほど見られないということです(フィリピンでD系統の独自の下位系統がほんの数例見つかっているだけです(Y-DNA D Haplogroup Project – Y-DNA Classic Chart))。オーストラリア、パプアニューギニア、フィリピンでそうであるということは、スンダランドの海岸沿いを進んでスンダランドの先端に達した人間集団にD系統は全くあるいはほとんど存在しなかったと考えられそうです。

D系統がスンダランドの海岸沿いを進まなかったとすると、どのような展開が考えられるでしょうか。実は、大変重要な人骨の発見がありました(Demeter 2012)。この人骨は、ラオスのTam Pa Ling(タムパリン)で発見され、現生人類のものに間違いなく、少なくとも46000年前より古いと推定されました。50000~45000年前頃からオーストラリア・パプアニューギニア方面に人間の暮らしの形跡が現れ始めるので、それより前に人類が東南アジアに到達していたことは確実になっていましたが、それでも、ラオスのタムパリンの人骨の発見は驚きでした。なにが驚きだったかというと、海辺での生活からほど遠い内陸の奥深くから人骨が出てきたことです。

考えてみると、Y染色体DNAのD系統の豊かなバリエーションが見られるチベットのあたりはもろに内陸です。海辺とは正反対と言ってよい環境です。チベットのD系統(D-M15、D-P47、D*(まだよくわかっていないもの))、日本のD系統(D-M55)、アンダマン諸島のD系統(D-Y34637)は非常に古くに分かれており、最新の遺伝学の見積りでも50000年以上前に分かれたと推定されています(Mondal 2017)。D系統は50000年以上前に南アジアから東南アジアへの入口に来ていたのです。しかし、スンダランドの海岸に沿って南に進むことはしなかったのです。どうしたのでしょうか。先ほどの世界地図を見ればわかりますが、東南アジアの入口からスンダランドの海岸に沿って南に進むのも一つの道ですが、内陸を突っ切って東に進むのも一つの道です。ラオスのタムパリンで発見された人骨はまさに、内陸を突っ切って進む人々がいたことを示しています。D系統がこのような進路を取ったとすると、D系統がオーストラリア・パプアニューギニア方面に見られないことが納得できます。スンダランドの海岸を巡るのは大きな旅です。この大きな旅を経て東アジアにやって来た人々もいれば、この大きな旅を経ないで東アジアにやって来た人々もいたということです。アンダマン人の先祖は、南アジアから東南アジアへの入口の近くでしばらく過ごした後で、アンダマン諸島に渡ったのでしょう。

もはや一本の流れでは説明できない東南アジアルート

4万年前の東アジアの記事などで、中東から中央アジア・シベリアを通って東アジアにやって来た人々と、中東から南アジア・東南アジアを通って東アジアにやって来た人々がいたことをお話ししてきました。要するに、中央アジアルートと東南アジアルート、あるいは北方ルートと南方ルートです。

人類が北方ルートと南方ルートの両方から東アジアにやって来たことがわかったのは、一つの前進です。しかし、北方ルートを単純な一本の流れ、南方ルートを単純な一本の流れと考えれば話は済むのかというと、そうもいきません。ここでは、南方ルートに焦点を当てましょう。

アフリカから始まる人類の歴史(Y染色体ハプログループCの研究)の記事で示しましたが、Y染色体DNAのC系統、D系統、F系統が東アジアの歴史に関係してきます。F系統は巨大な系統で、この系統からG系統、H系統、I系統、J系統、K系統が生まれました。F系統に属するが、G系統、H系統、I系統、J系統、K系統に向かう変異を起こしていない男性が少し残っており、それらの男性をF*と表します。

このうちのG系統、H系統、I系統、J系統は西ユーラシアにとどまり、K系統が東(オセアニア、東南アジア、東アジア、シベリア)に盛んに進出しました。F*グループは、現代では主に南アジアで見られますが、東南アジアと中国でもたまに見つかります。F*グループは東アジアにほんの少し進出した程度でしょう。

そのようなわけで、基本的に東アジアに進出してきたのは、C系統、D系統、K系統ということになります。オーストラリア・パプアニューギニア方面に、C系統とK系統は多く見られるが、D系統は全然見られないというのは、すでに述べた通りです。南アジアから東南アジアへの入口からスンダランドの海外沿いを進んだ人間集団にはD系統が全くあるいはほとんど存在せず、内陸に進んだ人間集団にはD系統が多かったわけです。このことを「一本の人の流れ」で説明するのは困難です。

アフリカ・中東→南アジア→東南アジアと進む一本の人の流れを想像してください。そこにはC系統もD系統もK系統も十分に存在します。東南アジアの入口に辿り着いたところで、一本の流れが二本の流れに分かれます。そのうちの一本の流れはほぼC系統とK系統だけで、もう一本の流れはD系統が支配的でした。確率はゼロではありませんが、考えづらいです。

海岸沿いを進むことに徹しながら東南アジアに至った人の流れと、海岸沿いを進むことにこだわらずに東南アジアに至った人の流れがあり、これらの流れの間の交流が(少なくともY染色体DNAの観点からは)限定的であったと考えたほうがはるかに自然です。C系統とK系統はCF系統から来ていますが、D系統はDE系統から来ており、発生場所にも隔たりがあったでしょう。C系統とK系統が互いに密に存在し、D系統が離れて存在していた可能性はあります。

南方ルートをもはや一本の人の流れで説明できないという問題が生じてきましたが、ほかにも考えなければならない問題があります。前々回と前回との記事でお話ししたように、Y染色体DNAのC系統とD系統は古くに東アジアに入っています。しかし、現在の東アジアではO系統が最大勢力です。そして、O系統と姉妹関係にあるN系統が北ユーラシアに大きく広がっています(Rootsi 2007の図を再掲)。

黄河文明と長江文明がO系統の勢力拡大と関係していること、遼河文明がN系統の勢力拡大と関係していることは間違いありません。東アジアの歴史を理解するには、O系統とN系統の理解が欠かせません。

ここで注意しなければならないのは、「O系統」と「N系統」という表記です。アフリカから始まる人類の歴史(Y染色体ハプログループCの研究)の記事で説明したように、Y染色体DNAのC系統、D系統、F系統がアフリカ以外の世界に広がっていきました。この中で、F系統は圧倒的に人数が多く、分布域が広いので、F系統の下位系統の記述には様々なアルファベット文字が用いられています。例えば、F系統の一下位系統がK系統で、K系統の一下位系統がNO系統で、NO系統の下位系統としてN系統とO系統があります。N系統とO系統の話というのは、K系統の内部の話、さらには、F系統の内部の話なのです。C系統とD系統に分類されるY染色体は歴史が深いが、N系統とO系統に分類されるY染色体は歴史が浅いと誤解してはいけません。N系統とO系統を見たら、K系統の問題だな、F系統の問題だなと認識しなければならないのです。アルファベット表記に惑わされないようにしましょう。

オーストラリア(アボリジニ)とパプアニューギニアにC系統に加えてK系統が見られるように、K系統も古くから東に進出しています。O系統とN系統は、その下位系統です。黄河文明、長江文明、遼河文明の起源と深く関係しますが、K系統のある下位系統がどのような過程を経て勢いづいたのか考えなければなりません。これもまた、東アジアの歴史における最重要問題の一つなのです。

 

参考文献

Chandrasekar A. et al. 2009. Updating phylogeny of mitochondrial DNA macrohaplogroup m in India: dispersal of modern human in South Asian corridor. PLoS One 4(10): e7447.

Delfin F. et al. 2011. The Y-chromosome landscape of the Philippines: Extensive heterogeneity and varying genetic affinities of Negrito and non-Negrito groups. European Journal of Human Genetics 19(2): 224-230.

Demeter F. et al. 2012. Anatomically modern human in Southeast Asia (Laos) by 46 ka. Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 109(36): 14375-14380.

Eng K. 2014. Complete mitochondrial DNA genome variation in Peninsular Malaysia. Doctoral dissertation, University of Leeds.

Mondal M. et al. 2017. Y-chromosomal sequences of diverse Indian populations and the ancestry of the Andamanese. Human Genetics 136(5): 499-510.

Robles E. et al. 2015. Late quaternary sea-level changes and the palaeohistory of Palawan Island, Philippines. Journal of Island and Coastal Archaeology 10(1): 76-96.

Rootsi S. et al. 2007. A counter-clockwise northern route of the Y-chromosome haplogroup N from Southeast Asia towards Europe. European Journal of Human Genetics 15(2): 204-211.

Scotese C. R. 2014. Atlas of Neogene Paleogeographic Maps (Mollweide Projection), Maps 1-7, Volume 1, The Cenozoic, PALEOMAP Atlas for ArcGIS, PALEOMAP Project, Evanston, IL.

Thangaraj K. et al. 2003. Genetic affinities of the Andaman Islanders, a vanishing human population. Current Biology 13(2): 86-93.

Wang H. et al. 2011. Mitochondrial DNA evidence supports northeast Indian origin of the aboriginal Andamanese in the Late Paleolithic. Journal of Genetics and Genomics 38(3): 117-122.

アイヌ人と沖縄人のDNAを比べると・・・(Y染色体ハプログループDの研究)

Y染色体DNAのD系統について

Y染色体DNAのD系統(Y染色体ハプログループD)は、日本人のDNAの話をする時に盛んに注目されてきた系統です。日本全体では、O系統が一番多く、D系統が二番目に多くなっています(Hammer 2006ではO系統51.8%、D系統34.7%、Nonaka 2007ではO系統54.4%、D系統39.2%)。

D系統が注目されてきたのは、O系統が日本の近隣地域によく見られるのに対して、D系統が日本の近隣地域にほとんど見られないからです(図はWang 2013より引用)。

D系統の分布は独特です。チベット側と日本側に分かれています。昔の人々は歩いて移動していたわけですから、かつてはチベットと日本の間の領域にもD系統がたくさん存在したはずです。D系統が支配的だった空間が、O系統が支配的な空間に変わったことが窺えます。農耕の誕生・発展(黄河文明と長江文明)が大きく影響したことは間違いないでしょう。

ちなみに、O系統とD系統の割合は日本内部でも地域差があります(Hammer 2006、Nonaka 2007)。明らかにO系統が優勢なのは、西日本(沖縄を除く)の日本人です。西日本(沖縄を除く)の日本人→東日本の日本人→沖縄の日本人→アイヌ人の順にD系統が強くなっていきます。大陸から日本に農耕を伝えた人々の遺伝学的影響は、特に西日本(沖縄を除く)において顕著であるということです。

D系統はチベットと日本によく見られますが、チベットに見られるD系統と日本に見られるD系統は非常に遠い関係にあります。

前回の記事で、Y染色体DNAのC系統、D系統、F系統がアフリカ以外の世界に広がっていったことをお話ししました。しかし、アフリカの外の男性のY染色体DNAは、ほとんどがF系統です。F系統は、人数が多く、分布域が広いので、G、H、I、J、K・・・のような細かな下位系統に分類されています。それに対して、D系統は、人数が少なく、分布域が狭いので、そのように細かく分類されていません。

例えば、ヨーロッパによく見られるR系統とインディアンによく見られるQ系統の隔たりより、チベットによく見られるD系統と日本によく見られるD系統の隔たりのほうがずっと大きいです。ここでいう隔たりとは、分かれてから経過した時間のことです。

D系統は世界の中ですっかり稀少になっており、わずかな手がかりからその歴史を探らなければなりません。D系統の内部を細かく調べるための分析手法として、Short Tandem Repeatの話をします。Short Tandem Repeatは、生物学・人類学における重要な分析手法の一つです。

Short Tandem Repeatを理解する

Short Tandem Repeat(ショートタンデムリピート)は、Microsatellite(マイクロサテライト)と呼ばれることもあります。

Y染色体DNAは、他のDNAと同じように、アデニンA、チミンT、グアニンG、シトシンCという四種類の物質が列を作っています。延々と続く長い列ですが、ところどころにある配列が繰り返されている箇所があります。

(注意! 以下では、Short Tandem Repeatのポイントをすばやく伝えるために、話を実際より単純にしてあります。)

例えば、上の図ではTCTAという配列が10回繰り返されています。このような配列の繰り返しを、Short Tandem Repeatといいます。なぜShort Tandem Repeatが重要かというと、配列が繰り返されている箇所は、その他の箇所より変異(変化)しやすいのです。上の図ではTCTAという配列が10回繰り返されていますが、この10回という繰り返し回数が、遠くない将来に11回になったり、9回になったりします(繰り返し回数が1回増えたり1回減ったりするのが普通です)。さらに、11回だった繰り返し回数が12回になることもあるし、9回だった繰り返し回数が8回になることもあります。

上の図のTCTAという配列が繰り返されている領域を「繰り返し領域1」と呼ぶことにしましょう。同じようになんらかの配列が繰り返されている領域を次々に見つけ、それらに「繰り返し領域2、繰り返し領域3、繰り返し領域4、繰り返し領域5、繰り返し領域6、繰り返し領域7」と名前をつけます。繰り返し領域1ではTCTAという配列が何回か繰り返されている、繰り返し領域2では別の配列が何回か繰り返されている、繰り返し領域3ではさらに別の配列が何回か繰り返されている・・・という具合です。

繰り返し領域1で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域2で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域3で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域4で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域5で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域6で配列が10回繰り返されている
繰り返し領域7で配列が10回繰り返されている

このようになっている場合に、それを「10‒10‒10‒10‒10‒10‒10」と書き表すことにします。D系統のY染色体DNAを持つ日本人男性10名を集め、繰り返し領域1~7を調べたところ、以下のようになっていたとしましょう。

日本人男性1~4は「10‒10‒10‒10‒10‒10‒10」のタイプです。日本人男性5のタイプは、日本人男性1~4のタイプと比べて、領域2で数値が1減っています。日本人男性6のタイプは、日本人男性1~4のタイプと比べて、領域3で数値が1減っています。日本人男性7のタイプは、日本人男性1~4のタイプと比べて、領域3で数値が1増えています。日本人男性8のタイプは、日本人男性1~4のタイプと比べて、領域5で数値が1増えています。

日本人男性5のタイプ、日本人男性6のタイプ、日本人男性7のタイプ、日本人男性8のタイプは、日本人男性1~4のタイプから1ステップずれていますが、ずれ方がそれぞれに異なります。日本人男性1~8は、以下のように書き表すことができます。

日本人男性9と日本人男性10はどうでしょうか。日本人男性9のタイプと日本人男性10のタイプは、日本人男性8のタイプから1ステップずれているタイプです。日本人男性9と日本人男性10は、以下のように書き表すことができます。

このように、Short Tandem Repeatを調べると、D系統のY染色体DNAを持つ日本人男性同士が互いにどのような関係にあるのか明らかにすることができます。Y染色体DNAの系統分類は繰り返し領域以外で行われますが、繰り返し領域も調べることによって細かな区別が可能になります。

大変興味深いことに、小金渕佳江氏らがD系統のY染色体DNAを持つアイヌ人と沖縄人のShort Tandem Repeatを調べています(図はKoganebuchi 2012より引用)。

上に説明した要領で、アイヌ人男性と沖縄人男性のY染色体DNAのShort Tandem Repeatが調べられ、それらの男性が線で結ばれています。赤い数字は、何ステップ隔たっているかを示しています。YAP(+)と書いてある側が、Y染色体DNAのD系統のデータです。アイヌ人も沖縄人も含めて、日本に見られるD系統は、ほぼすべてD-M55という下位系統です。アイヌ人にD-M55系統が多く見られる、沖縄人にD-M55系統が多く見られるというところで話が終わってしまうことが多いですが、小金渕氏らの研究はさらに踏み込んでShort Tandem Repeatまで調べています。

見ての通り、Short Tandem Repeatのバリエーションはアイヌ人と沖縄人で大きく違います。沖縄人がアイヌ人に対してバリエーションの豊かさを見せています。沖縄人の調査人数に比べてアイヌ人の調査人数が少ないということもありますが、それを差し引いても、大きな差がありそうです。D系統は南から北へ広がっていった(つまり南にいた集団の一部が北に広がっていった)のではないかと思わせるデータです。

H. Shi氏らが東ユーラシアでD系統の男性のShort Tandem Repeatを広く調べていますが、チベットのD系統もとても北(中央アジアやモンゴル)から来たようには見えず、南から来たと考えざるをえません(Shi氏らが指摘しているように、Short Tandem Repeatに基づいて図を描いた時に、中央アジアやモンゴルのD系統の男性はことごとく、中心ではなく、末端に位置します。D系統に関しては、中央アジアやモンゴルからチベットに広がっているのではなく、チベットから中央アジアやモンゴルに広がっているのです)(Shi 2008)。

実は、チベットと日本のほかにもう一つ、D系統が多く見られる場所があります。それは、インド洋東部に浮かぶアンダマン諸島です(図はWikipediaより引用)。

南から広がったように見える日本のD系統、南から広がったように見えるチベットのD系統、そしてアンダマン諸島に残るD系統・・・。こうなると、D系統はアフリカから中東に出て、中東から南アジアを通って東南アジアに達したのではないかと考えたくなります。これは、どこかで見たルートです。そうです、前回の記事でお話ししたC系統と同じルートです。しかし、不思議なことに、古くに東南アジアに達したC系統はオーストラリア・パプアニューギニア方面によく見られますが、同じく古くに東南アジアに達したはずのD系統はオーストラリア・パプアニューギニア方面に全然見られません。この問題はほとんど触れられないまま現在に至っていますが、東アジアの歴史を考えるうえで重要な問題と思われます。なぜそのようになっているのでしょうか。

 

補説

ついにアフリカで発見されたD系統

Y染色体DNAのD系統は東ユーラシアでしか見つかっていなかったため、D系統はアフリカで生じたのか、西ユーラシアで生じたのか、東ユーラシアで生じたのかという問題がありました。しかし、M. Haber氏らの研究によって、D系統のY染色体DNAを持つアフリカ(ナイジェリア)の男性がいることが明らかにされました(Haber 2019)。正確に言うと、これらの男性のY染色体DNAは、チベット、アンダマン諸島、日本などのD系統に極めて近いが、チベット、アンダマン諸島、日本などのD系統に共通しているM174という変異を持っていませんでした。M174という変異が起きる少し前に分かれて、そこからM-174という変異を経験しなかったのが今回のタイプ、M-174という変異を経験したのがチベット、アンダマン諸島、日本などのタイプということです。

今回の発見により、D系統はM174という変異ではなく、CTS3946という変異によって定義されるようになりました。D系統と姉妹関係にあるE系統がアフリカで生じていることを考えると、上のCTS3946という変異はアフリカで起き、M174という変異はアフリカの外で起きた可能性が濃厚です。謎めくD系統の研究が一歩前進しました。

 

参考文献

Haber M. et al. 2019. A rare deep-rooting D0 African Y-chromosomal haplogroup and its implications for the expansion of modern humans out of Africa. Genetics 212(4): 1421-1428.

Hammer M. F. et al. 2006. Dual origins of the Japanese: Common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes. Journal of Human Genetics 51(1): 47-58.

Koganebuchi K. et al. 2012. Autosomal and Y-chromosomal STR markers reveal a close relationship between Hokkaido Ainu and Ryukyu islanders. Anthropological Science 120(3): 199-208.

Nonaka I. et al. 2007. Y-chromosomal binary haplogroups in the Japanese population and their relationship to 16 Y-STR polymorphisms. Annals of Human Genetics 71(4): 480-495.

Shi H. et al. 2008. Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations. BMC Biology 6: 45.

Wang C. et al. 2013. Inferring human history in East Asia from Y chromosomes. Invetigative Genetics 4(1): 11.