アフリカから始まる人類の歴史(Y染色体ハプログループCの研究)

人間のY染色体DNAが調べられるようになって年数が経過し、その分類も精緻になってきました。Y染色体DNAは、父から息子へ代々伝わるものです。日本ではY染色体DNAのO系統、D系統、C系統が多く見られますが、これらについて考察する前に、まずはすべての系統のおおもとであるアフリカのA系統に目を向けましょう(専門的には、ハプログループA、ハプログループC、ハプログループD、ハプログループOのように言いますが、本ブログでは一般の方にとって見慣れない専門用語を避けて、A系統、C系統、D系統、O系統のように言います)。

最初は、A系統の男性しかいませんでした(図はA系統の男性が集まっているところです)。

A系統のある男性に変異が起きて、BT系統が生まれます。

さらに、BT系統のある男性に変異が起きて、CT系統が生まれます。

※正確に言うと、A系統の一下位系統からBT系統が生まれ、BT系統の一下位系統からCT系統が生まれましたが、ここでは単純に表現してあります。

ここまでは、アフリカで起きたことです。アフリカ以外のすべての男性のY染色体DNAは、このCT系統から来ています。CT系統から、複雑になっていきます。CT系統から、以下の系統が生まれました。

CT系統からDE系統とCF系統が生まれました。そして、DE系統からD系統とE系統が生まれ、CF系統からC系統とF系統が生まれました。

DE*という表記について説明しておきましょう。CT系統から変異を経てDE系統が生まれましたが、DE系統の男性の集まりを考えてください。

このうちの左端の男性にある変異が起き、D系統が生まれたとしましょう。そして、右端の男性に別の変異が起き、E系統が生まれたとしましょう。すると、D系統になるための変異も、E系統になるための変異も起きていない男性が残ります。実際に、そのような男性が少し残っているようなのです。そのような男性をDE*と書き表しています。

読者の方は、DE系統と同様のことがCF系統にもあったのではないかと考えるでしょう。もっともです。CT系統から変異を経てCF系統が生まれましたが、CF系統の男性の集まりを考えてください。

このうちの左端の男性にある変異が起き、C系統が生まれたとしましょう。そして、右端の男性に別の変異が起き、F系統が生まれたとしましょう。すると、C系統になるための変異も、F系統になるための変異も起きていない男性が残ります。実際に、そのような男性は存在したはずです。しかし、残っていないのです。そのため、上の系統図に「DE*」という表記はありますが、「CF*」という表記はないのです。

これまでに蓄積されているデータからすると、CT系統からDE系統への変異はアフリカで起きた可能性が高く、CT系統からCF系統への変異はアフリカの外で起きた可能性が高いです。アフリカにいたCT系統のある男性に変異が起きてDE系統が生まれ、アフリカの外にいたCT系統のある男性に変異が起きてCF系統が生まれたということです。

上の系統図のE系統、DE*グループ、D系統、C系統、F系統の分布について述べておきましょう。

E系統の分布は、圧倒的にアフリカに偏っています。ヨーロッパと中東に見られるE系統は、アフリカで生まれたE系統がかなり後になってアフリカの外に出たと考えられるものです。

F系統の分布は、圧倒的にアフリカの外に偏っています。アフリカに見られるF系統は、アフリカの外で生まれたF系統がかなり後になってアフリカに入ったと考えられるものです。アフリカの外の男性のY染色体DNAは、大部分がF系統です。ヨーロッパで支配的なR系統も、東アジア・東南アジアで支配的なO系統も、アメリカ大陸のインディアンで支配的なQ系統も、F系統の下位系統です。

DE*グループは、チベットで報告されていますが、報告例がごくわずかで、まだその存在が確実に認められていません(Shi 2008)。

残るは、C系統とD系統です。日本およびその周辺地域の遠い過去からの歴史を考えるうえで、まず重要になるのが、このC系統とD系統です。F系統と違って、C系統とD系統はアフリカの外で限定された特徴的な分布を示しています。その限定された特徴的な分布は、人類の歴史についてなにか物語っているようです。話の都合上、C系統から始めます。

Y染色体DNAのC系統について

Y染色体DNAのC系統に関しては、H. Zhong氏らの優れた研究があります(Zhong 2010)。この研究は、Y染色体DNAのC系統が世界にどのように分布しているか調べ、C系統のかつての拡散経路を明らかにしたものです。Zhong氏らの結論を先に示します(図はZhong 2010より引用)。

現在、Y染色体DNAのC系統は、以下の二つの地域で多く見られます。

・オーストラリアとその他のオセアニア地域

・東ユーラシアの北のほうを中心として、一方では中央アジアに、他方では北米北西部にかけて(東ユーラシアの北のほうにC系統がほとんど分布していないところがありますが、これはN系統が支配的なヤクート人のいるところです)

Zhong氏らは、C系統は中東から南アジアを通って東南アジアに進み、そこからオセアニア方面と東アジア方面に分かれたと考えています。Zhong氏らは、C系統の以下の下位系統の分布を調べています。

※Zhong氏らの論文では、旧表記が用いられています。C-M8=旧C1、C-M217=旧C3、C-M347=旧C4、C-M38=旧C2、C-M356=旧C5、C-P55=旧C6です。C*は、C-M8~C-P55のどれになる変異も起こしていないことを意味します。

Zhong氏らの研究は、2010年に発表されたものですが、DNAの研究・調査が急速に進んでおり、若干のアップデートが必要です。

上の下位系統の中でC-M347は、オーストラリア(アボリジニ)に非常に多く見られる系統です。C-M38は、オーストラリア以外のオセアニアに多く見られる系統です。上の下位系統の中でC-M347とC-M38は近い関係にありますが、両者の分岐はとても古いです。オーストラリアの住民とオーストラリア以外のオセアニアの住民が早くに分かれたことを示しています。

このC-M347とC-M38に系統上やや近いのが、C-M356です。C-M356は、インド周辺でわずかに見られる系統です。C-M347、C-M38、C-M356は、アフリカから中東に出て、中東→南アジア→東南アジアと進み、オーストラリアとそれ以外のオセアニアに分かれた人の流れを示しています。C-P55は、パプアニューギニアでわずかに報告されている系統です。

残るは、C-M8とC-M217です。実は、日本人に見られるC系統がこのC-M8とC-M217です。C-M8とC-M217を合わせて、日本人のY染色体DNAに占める割合は10%弱です(Hammer 2006)。

C-M217は、東ユーラシアの北のほう、中央アジア、北米北西部に大きく広がっている系統です。

C-M8は、日本以外でなかなか発見されず、謎めいていましたが、中国と朝鮮半島でわずかに見つかっています(www.yfull.com/tree/C/)。C-M8系統に関しては、驚くべき発見がありました。C-M8に系統上やや近いC-V20という系統がヨーロッパとその周辺にわずかに残っていることがわかってきました(Scozzari 2012)。中東でC系統のある下位系統が生じ、この下位系統が一方でヨーロッパ方面に、他方で東アジア方面に達したことを示唆しています。当然、その下位系統はヨーロッパと東アジアの間にも存在したはずです。激しい歴史展開の中で多くの系統が消滅し、遠い系統関係を持つ系統と系統が両極で見つかるよい例でしょう。

さて、C-M8とC-M217はどのようにして今の位置に到達したのでしょうか。先の地図のように、C系統が一方ではオセアニア方面、他方では東ユーラシアの北のほうで繁栄しているのを見ると、中東からの東南アジアルートと中央アジアルートを考えたくなります。しかし、これはいささか早計なようです。

まず、一夫一妻制ではない世界の記事の話を思い出してください。

中央アジアから東に進んできた人々と、東南アジアから北に進んできた人々が混ざり合った話です。は中央アジアから東に進んできた男性、は中央アジアから東に進んできた女性、は東南アジアから北に進んできた男性、は東南アジアから北に進んできた女性です。

中央アジアからやって来た男性が力関係(権力・武力)あるいは物質的豊かさの点で東南アジアからやって来た男性より優位にあったため、上の図のような子作りが行われ、中央アジアからやって来たY染色体DNAが残ることになりました。

しかし、上の図をよく見てください。中央アジアからやって来た人数と東南アジアからやって来た人数を比べれば、東南アジアからやって来た人数のほうが断然多いのです。の男性、すなわち東南アジアからやって来た男性は子作りに参加していませんが、これらの男性はどのようなタイプのY染色体DNAを持っていたのでしょうか。東南アジアからやって来たわけですから、そのY染色体DNAはQ系統ではありえません。Q系統は、の男性、すなわち中央アジアからやって来た男性が持っていたY染色体DNAです。

東南アジアから北に進んできたの男性のY染色体DNAは、中央アジアから東に進んできたの男性のY染色体DNAに遮られて、それ以上北に進むことができません。つまり、東南アジアから北にある程度進んだものの、そこで止まってしまったY染色体DNAの系統があったのです。このY染色体DNAは何系統だったのでしょうか(もちろん、画一的だったとは限りません)。

次に、「日本列島は大陸と陸続きだった」という言い方には注意が必要の記事の話を思い出してください(図はWikipediaの図を再掲)。

アフリカから中東に出て、中東から南アジアを通って東南アジアに達する人の流れがありました。この人の流れは、海岸沿いを進んでいく人の流れです。当時の東南アジアはスンダランドという巨大な陸になっていたというのが重要なポイントです。

上の地図の左上(南アジア方面)から人がやって来て、海岸沿いを進んでいきます。スンダランドからサフルランドに渡るのも一つの道ですが、さらに海岸沿いを進んで右上(東アジア方面)に抜けていくのも一つの道です。当時の東南アジアの地形を考えると、オセアニア方面に向かうか、東アジア方面に向かうかというのは、ほんのわずかな選択の差だったのです。オセアニア方面で高い航海能力を示した人々と、東アジア方面で高い航海能力を示した人々の話をしましたが、これらの人々の出所は同じである可能性が高いです。こうなると、オセアニア方面と東アジア方面に共通しているY染色体DNAの系統が大きな関心になります。そしてオセアニア方面と東アジア方面に共通しているY染色体DNAの系統というのが、まさにC系統なのです。

アメリカ大陸のインディアンに見られるY染色体DNAのQ系統とC系統について再び考える

アメリカ大陸のインディアンに特徴的なY染色体DNAのQ系統の分布図を再び示します(Balanovsky 2017の図を再掲)。

南米のインディアンのY染色体DNAがほぼQ系統一色であることはお話ししました。しかし、南米のインディアンのY染色体DNAにも、わずかにC系統が存在します(Mezzavilla 2014)。このC系統は、C-M217に属します。しかし、ユーラシアおよび北米で知られているC-M217の各下位系統に当てはまりません。そのため、アメリカ大陸に最初に入っていった人々のY染色体DNAはほぼQ系統一色であったが、わずかにC系統(C-M217、ただし現在ユーラシアと北米で知られているタイプとは少し異なるタイプ)が存在していたのではないかと推測されています。

アメリカ大陸に最初に入っていった人々は、約2万年前のLast Glacial Maximum(最終氷期最盛期)の前にシベリアにいた人々です。この人々のY染色体DNAはほぼQ系統一色で、わずかにC系統が存在していたのではないかと思われます。LGMより前にC系統がシベリアに入ろうとしても、Q系統が大きな存在感を誇っていたわけです。南米のインディアンのY染色体DNAはそのことを示しています。その後、LGMが始まって、シベリアはほぼ住めない状態になり、ベーリング地方の人間集団と東アジアの人間集団に二分されます。LGMが終わり、16000年前頃から、北米を覆っていた氷が解け、ベーリング地方の人間集団はアメリカ大陸に入っていきます(このあたりの事情については、閉ざされていたアメリカ大陸への道およびベーリング陸橋、危ない橋を渡った人々を参照)。と同時に、ほぼ住めない状態になっていたシベリアも再び住める状態になります。LGM前のシベリアではQ系統が支配的であったが、いったん人がいなくなり、LGM後のシベリアにはC系統が突進していったと見られます。そう考えると、北米北西部でQ系統が大きく減り、C系統が大きく増えていることが理解できます。アメリカ大陸に最初に入っていった人々にはC系統はほとんど存在しなかったが、アメリカ大陸に後から入っていった人々にはC系統が多かったということです。

LGMが終わり、再び住めるようになったシベリアには、C系統だけでなく、N系統も進出していきました(変わりゆくシベリアを参照)。しかし、C系統は北米北西部に及んでいますが、N系統は北米北西部に及んでいません。C系統が東アジアから北上し始めた時期は、N系統が東アジアから北上し始めた時期より早かったのかもしれません。C系統はLGMが終わってすぐに東アジアから北上し始め、N系統はしばらく経って遼河文明が起こる頃に東アジアから北上し始めたのではないかということです。

C-M217は東ユーラシアの北のほうに大きく広がっていますが、C-M217の内部のバリエーションは、中央アジアの側では乏しく、中国東部、朝鮮、日本の側では豊かです(理解するためにはShort Tandem Repeatの知識も必要であり、これについては次回の記事で説明します)(Zhong 2010)。C-M217は、中央アジアのほうから中国東部のほうに広がったのではなく、中国東部のほうから中央アジアのほうに広がったと考えられます。中国東部のほうに存在したC-M217の一部が中央アジアのほうに広がったということです。

以上すべてを総合すると、以下のように言えそうです。

Y染色体DNAのC系統は中東から南アジアを通って東南アジアに達し、そこからオセアニア方面と東アジア方面に分かれた。東アジアにはC-M8やC-M217などのいくつかの下位系統が到達したが、中央アジアからやって来た寒冷地や内陸での暮らしに長けた男性が力関係(権力・武力)あるいは物質的豊かさの点で優位にあり、C-M8やC-M217はそれ以上北に進むことがほとんどできなかった。C-M8は、東アジア(主に日本)に少数派として残った。C-M217は、LGM前はシベリアにほとんど進出することができなかったが、LGM後はシベリアに盛んに進出し、中央アジアと北米北西部にも至った。

東アジアの歴史の根本を考えるうえで、C系統と並んで重要なのがD系統です。C系統の分布は独特ですが、D系統の分布も独特です。D系統の話に移りましょう。

 

参考文献

Balanovsky O. et al. 2017. Phylogeography of human Y-chromosome haplogroup Q3-L275 from an academic/citizen science collaboration. BMC Evolutionary Biology 17: 18.

Hammer M. F. et al. 2006. Dual origins of the Japanese: Common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes. Journal of Human Genetics 51(1): 47-58.

Mezzavilla M. et al. 2014. Insights into the origin of rare haplogroup C3* Y chromosomes in South America from high-density autosomal SNP genotyping. Forensic Science International: Genetics 15: 115-120.

Scozzari R. et al. 2012. Molecular dissection of the basal clades in the human Y chromosome phylogenetic tree. PLoS ONE 7(11): e49170.

Shi H. et al. 2008. Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations. BMC Biology 6(1): 45.

Zhong H. et al. 2010. Global distribution of Y-chromosome haplogroup C reveals the prehistoric migration routes of African exodus and early settlement in East Asia. Journal of Human Genetics 55(7): 428-435.

「日本列島は大陸と陸続きだった」という言い方には注意が必要

日本およびその周辺に見られるY染色体DNAの各系統の話をする前に、東南アジアルートを通ってやって来た人々と中央アジアルートを通ってやって来た人々が現れる4万年前頃の地理の話をしておきましょう。

以下の地図は、約2万年前のLast Glacial Maximum(最終氷期最盛期)の頃の日本列島を示しています(図はNakazawa 2018より引用)。

現在とどこが違うでしょうか。まず、中国東海岸地域、朝鮮半島、台湾の間が陸地になっています。そして、大陸とサハリンと北海道がつながっています。さらに、本州と四国と九州がつながっています。しかし、注目してほしいのは、対馬海峡のところと、津軽海峡のところはつながっていないということです。

海洋調査により、LGMの頃には海面が現在より120~130 m低かったことがわかっています(Park 2000)。しかし、対馬海峡は深いところで200 mに達し、津軽海峡もそれ以上の深さを持ちます。海面が現在より120~130 m低ければ、対馬海峡も津軽海峡も現在より細くなりますが、陸続きにはならないのです(津軽海峡のほうは、細い海が凍り、歩いて渡れる季節が少しあったようです(Kawamura 2007))。

上に示した地図は、約2万年前のLGMの頃のものです。東南アジアルートを通ってやって来た人々と中央アジアルートを通ってやって来た人々が現れる4万年前頃は、LGMの頃よりいくらか温度が高いので、もっと海の部分が大きかったはずです。

日本列島は大陸と完全につながっていたと思っていたという方もいるでしょう。確かに、日本列島は大陸と完全につながっていたのです。しかし、それは、人類が日本周辺に現れた4万年前頃の話ではなく、それよりはるか前の話です。人類が日本周辺に現れた4万年前頃から現在に至るまで、日本列島が大陸と完全につながっていたことはないのです。

日本列島の中でまず人類が現れたのは、古本州島(現在の本州、四国、九州)です。人類は38000年前頃に古本州島に現れ、少し遅れて琉球列島、そして大きく遅れて古サハリン・北海道半島に現れました(Izuho 2015)。つまり、日本列島に最初にやって来た人々は、海を渡ってやって来たということです。古本州島に現れた人類は、すぐに静岡県の伊豆半島の南方にある島にも現れます(Ikeya 2015)。確かな航海能力・航海技術を持っていたことを示しています。

誤解を招きやすい遣唐使船

日本には、誤解を招きやすい話があります。遣唐使船の話です。皆さんも、遣唐使船が何度も航海に失敗した話を聞いたことがあるでしょう。遣唐使の時代(飛鳥時代、奈良時代、平安時代)に何度も航海に失敗していたのなら、それより昔はほとんど航海できなかっただろうと考えがちです。これは正しくありません。

遣唐使船はもともと、朝鮮半島沿岸を通る北路を使用していました(図は日経ビジネス様のウェブサイトより引用)。

航海というと、前もうしろも右も左も海のところを進むイメージがあるかもしれませんが、海岸に沿って進むこともあります。

日本は、白村江の戦いで新羅との関係が悪くなり、朝鮮半島を統一した新羅を避けて、唐に向かうようになりました。ところが、この南島路・南路は、北路のように安全な航路ではありませんでした。台湾・フィリピン方面から日本列島のほうへ、黒潮と呼ばれる海流が流れています。黒潮は、世界で一、二を争う流れの速い海流です。黒潮を横切ったり、黒潮に逆らったりすることには大きな危険が伴います。さらに、遣唐使船は、穏やかな季節を選ばなかったり、人や物を積みすぎたりして、危険を一層大きくしていました。かなり無茶をしていたのです。

遣唐使船のことを聞かされると、それより昔のことがかすんでしまいますが、実は遣唐使船の時代よりはるかに前から人類は航海を行っていました。

オーストラリアとパプアニューギニアの例

オーストラリアとパプアニューギニアの例を挙げましょう。なぜオーストラリアとパプアニューギニアなのかと思われるかもしれません。しかし、これは的外れではありません。

東南アジアルートと中央アジアルートのところでお話ししたように、アフリカから中東に出て、そこから南アジアを通り、東南アジアに達する大きな人の流れがありました。ある人々は東南アジアから東アジアに向かい、ある人々は東南アジアからオセアニアに向かいました。東アジアに向かった人々の航海能力・航海技術を考えるうえで、オセアニアに向かった人々に注目することは適切です。

日本周辺の地形が現在と大きく異なっていたように、オセアニア方面の地形も現在と大きく異なっていました(図はWikipediaより引用)。

人類が東南アジアからオセアニアに向かう頃には、上の図のように、スンダランドとサフルランドという二つの巨大な陸が相対していました。当時は、オーストラリアとパプアニューギニアはつながっていました。人類は45000~50000年前頃からこのサフルランドに現れます(O’Connell 2015、O’Connell 2018)。ポイントは、スンダランドとサフルランドはつながっていなかったということです。M. I. Bird氏らが具体的にいくつかのルートを検討していますが、陸塊から陸塊への移動を繰り返さなければならないうえ、どのルートを取っても、出発する陸塊から到達する陸塊が見えない長距離の航海が避けられません(Bird 2019)。やはり、スンダランドからサフルランドに渡った人々は、高い航海能力・航海技術を持っていたと考えられます。サフルランドで存続していくためには、ある程度の人数がサフルランドに到着する必要があるため、そのような高い航海能力・航海技術が共有されていたということでしょう。

スンダランドからサフルランドに向かう途中の東ティモールで、4万年以上前に遠海魚を捕獲していたことを示す証拠が見つかっています(O’Connor 2011)。遠海漁業というのは重要な視点かもしれません。人間が段々と高い航海能力・航海技術を身につけていったことを無理なく説明できるかもしれません。易しい試みから難しい試みに移っていったと考えるのが妥当でしょう。日頃から遠海漁業を行っている人たちなら、高い航海能力・航海技術を持っていたことも納得できます。また、陸地から次の陸地が見えなくても、遠海漁業を行っている位置から次の陸地が見えたかもしれません。

日本の古本州島と琉球列島に渡った人々の航海能力・航海技術も驚きですが、サフルランドに渡った人々の航海能力・航海技術も驚きです。しかし、一方の航海能力の高さを考えると、他方の航海能力の高さも納得です。両者の航海能力の高さは無関係でないでしょう。

しかし、どのような材料でどのように舟を作っていたのかという謎が残ります。何万年も前の遠い昔になると、石器以外のものはなかなか残ってくれません。石は明らかに舟の材料に向いていません。海部陽介氏らが草の舟、竹の舟、丸木舟を作製し、丸木舟で台湾から与那国島への航海実験を成功させるという貴重なニュースがありました(3万年前の航海、丸木舟で完遂 科学博物館チーム、台湾から沖縄・与那国島に到着)。

人類はアフリカ大陸で非常に長い歴史を持っているにもかかわらず、アフリカ大陸の近くにあるマダガスカル島は最近まで人間の暮らしの形跡がなく(台湾とオーストロネシア語族を参照)、人類の航海能力はいつから発達し始めたのかという問題もあります。

アフリカ→中東→南アジア→東南アジアと移動し、そこから東アジアとオセアニアに分かれていくルートを、今度はY染色体DNAの観点から追ってみましょう。

 

参考文献

Bird M. I. et al. 2019. Early human settlement of Sahul was not an accident. Scientific Reports 9: 8220.

Ikeya N. 2015. Maritime transport of obsidian in Japan during the Upper Palaeolithic. In Kaifu Y. et al., eds., Emergence and diversity of modern human behavior in Paleolithic Asia, Texas A&M University Press, 362-375.

Izuho M. et al. 2015. The appearance and characteristics of the early Upper Paleolithic in the Japanese Archipelago. In Kaifu Y. et al., eds., Emergence and diversity of modern human behavior in Paleolithic Asia, Texas A&M University Press, 289-313.

Kawamura Y. 2007. Last glacial and Holocene land mammals of the Japanese Islands: Their fauna, extinction and immigration. Quaternary Research 46(3): 171-177.

Nakazawa Y. et al. 2018. Quaternary paleoenvironmental variation and its impact on initial human dispersals into the Japanese Archipelago. Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology 512: 145-155.

O’Connell J. F. et al. 2015. The process, biotic impact, and global implications of the human colonization of Sahul about 47,000 years ago. Journal of Archaeological Science 56: 73-84.

O’Connell J. F. et al. 2018. When did Homo sapiens first reach Southeast Asia and Sahul? Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America 115(34): 8482-8490.

O’Connor S. et al. 2011. Pelagic fishing at 42,000 years before the present and the maritime skills of modern humans. Science 334(6059): 1117-1121.

Park S. et al. 2000. Last glacial sea-level changes and paleogeography of the Korea (Tsushima) Strait. Geo-Marine Letters 20: 64-71.

一夫一妻制ではない世界

インディアンのDNAから重大な結果が・・・の記事にアクセスしてくださる方が多く、感謝しております。前回の記事で示したGoebel 2007の図を再び示します。

アフリカから中東に出て、そこからアメリカ大陸に到達するには、二つのルートがあります。

「東南アジアルート(南ルート)」・・・中東から南アジアを通って東南アジアに移動し、そこから北に進んでアメリカ大陸に入っていくルート

「中央アジアルート(北ルート)」・・・中東から中央アジアに移動し、そこから東に進んでアメリカ大陸に入っていくルート

インディアンのDNAに関しては、母から娘へ代々伝わるミトコンドリアDNAを見ると、東南アジアからの流れが強いが、父から息子へ代々伝わるY染色体DNAを見ると、中央アジアからの流れが圧倒的であるという話をしました(熾烈な歴史、子孫を残す少数の男と多数の女および異色のカップルの誕生を参照)。東南アジアから北に進んでいった人々と、中央アジアから東に進んでいった人々の間で、なにがあったのでしょうか。

ミトコンドリアDNAは多様だが、Y染色体DNAは単調である人間集団は世界的によく見られ、人類学者・生物学者はまずpatrilocality(父方居住性=男性とその親族が住んでいるところに、女性が移ってくるパターン)に目を向けました。太田博樹氏らの研究が有名です(Oota 2001)。これはもっともなことです。

四角の中に男女が住んでいて、以下のような傾向があったらどうなるでしょうか。

・四角の中で生まれた男性は一生そこにとどまる。
・四角の中で生まれた女性は一生そこにとどまることもあれば、外に出ていくこともある。逆に、外から女性が入ってくることもある。

当然、このような傾向があれば、四角の中の男性のY染色体DNAのバリエーションは乏しく、四角の中の女性のミトコンドリアDNAのバリエーションは豊かになるでしょう。

この説明はもっともです。しかし、それだけでは説明できない現象もあります。しかも、それが人類史において非常に大きな現象なのです。その典型的な例が、インディアンのDNAです。Baranovsky 2017の図を再び示します。

アメリカ大陸のインディアンに特徴的なY染色体DNAのQ系統の分布図です。この図は、Y染色体DNAのQ系統がかつて北ユーラシアと南北アメリカ大陸で大勢力を誇ったが、のちに北ユーラシアのほうで他の系統(R系統、N系統、C系統)が台頭し、Q系統がすっかり衰退してしまったことを示しています(R系統、N系統、C系統は、インド・ヨーロッパ語族の話者、ウラル語族の話者、テュルク系言語の話者、モンゴル系言語の話者、ツングース系言語の話者に多く見られる系統です)。

これは、先ほどのpatrilocality(父方居住性)とは全然違う話です。Y染色体DNAのある系統がずっと居座る話ではなく、Y染色体DNAのある系統が消えてしまう話です。このようにQ系統は北ユーラシアではすっかり衰退してしまいましたが、そのQ系統自身もかつては他の系統を消滅させていたかもしれません。中米・南米のインディアンのY染色体DNAがQ系統一色に染まっているのは怪しいです。

筆者は、かつて東ユーラシアの北のほうで以下のようなことがあったのではないかと考えています。は中央アジアから東に進んできた男性、は中央アジアから東に進んできた女性、は東南アジアから北に進んできた男性、は東南アジアから北に進んできた女性です。説明のために、極端なモデルを示します。

中央アジアからやって来た男女より、東南アジアからやって来た男女のほうが断然多いとしましょう。そして、これらの男女の間で子作りが行われます。ここで、中央アジアからやって来た男性が力関係(権力・武力)あるいは物質的豊かさの点で東南アジアからやって来た男性より優位にあり、この優位にある男性とすべての女性の間で子作りが行われたら、どうなるでしょうか。生まれてくる子どもたちのY染色体DNAは、中央アジアからやって来た系統一色になります。生まれてくる子どもたちのミトコンドリアDNAは、東南アジアからやって来た系統が優勢になります。もともと、中央アジアからやって来た女性より東南アジアからやって来た女性のほうが多いからです。インディアンのY染色体DNAとミトコンドリアDNAは、まさにこのようになっているのです。

中央アジアからやって来た男女より、東南アジアからやって来た男女のほうが断然多かったことは、現代の東アジアの人々のミトコンドリアDNAを調べればわかります。熾烈な歴史、子孫を残す少数の男と多数の女の記事でお話ししたように、アフリカ以外の人々のミトコンドリアDNAはM系統とN系統に大別することができ、M系統は以下のように拡散したと考えられます。

M系統は、東南アジアルートを通って東アジアにやって来たことが明らかな系統です。これに対して、N系統は、東南アジアルートを通って東アジアにやって来た可能性と、中央アジアルートを通って東アジアにやって来た可能性があります。しかしながら、異色のカップルの誕生の記事でN系統の一下位系統であるB系統について考察しましたが、東アジアに存在するN系統の大半も東南アジアルートを通ってやって来たと考えられるものです。日本人のミトコンドリアDNAに関する詳細なデータは、Tanaka 2004などで見ることができます。日本人に見られるミトコンドリアDNAのN系統の下位系統の中で、中央アジアルートを通ってやって来た可能性があるのは、A系統とN9系統(下位系統としてN9a、N9b、Yがあります)ぐらいです(篠田2007)。A系統とN9系統を合わせても、日本人のミトコンドリアDNAに占める割合は14%ほどです(Tanaka 2004、篠田2007)。中央アジアルートを通ってやって来た人々は、東南アジアルートを通ってやって来た人々より断然少ないのです。

4万年前の東アジアの記事などでお話ししたように、考古学は明らかに中央アジアルートを通ってやって来た人々が東南アジアルートを通ってやって来た人々より先進的であったことを示しています(ただし、航海技術は、中東→南アジア→東南アジア→東アジアと海沿いを移動してきた人々のほうが高かったでしょう)。本ブログに登場する、ヨーロッパ方面から東アジア方面に及ぶ古代北ユーラシアのいくつかの巨大な言語群の存在も、そのことを示しています。

中央アジアからやって来た男女と東南アジアからやって来た男女による子作りは説明のために極端に描きましたが、そこまで極端な偏りはなく、もっと穏やかな偏りだったとしても、子作りが代々行われれば、やはり筆者が説明したようになります。しかし、インディアンのDNAが示す男女の歴史は、特殊な例なのでしょうか。それとも、日本人、朝鮮人、中国人などにも同じような男女の歴史があるのでしょうか。人間集団と人間集団が混ざり合うといっても、液体と液体の混合のように単純でないことを思わせます。一夫一妻制ではない世界をもう少し探求してみましょう。

※上のpatrilocality(父方居住性)の話と力関係・物質的豊かさで優位に立つ男性の話は違うものですが、互いに排他的なものではありません。Y染色体DNAのある系統がずっと居座り、その系統が別の系統に取って代わられ、今後はその別の系統がずっと居座ることも考えられるからです。複数の要因が相乗的に働いて、ある地域のY染色体DNAのバリエーションが単調になっている可能性があります(Heyer 2012)。

 

参考文献

日本語

篠田謙一、「日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造」、NHK出版、2007年。

英語

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